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姫島に『竜宮城』を見た

『姫島』は、愛知県三河湾、田原港の前に浮かぶ、周囲約1Kmちょっとの小さな無人島です。
2002年1月20日(日)、シーカヤッククラブ・ゴンZのメンバーとそのお友達は、その姫島へ行くために、愛知県豊橋市の隣町、渥美半島の付け根部分にある田原町の白谷(しろや)海浜公園の駐車場に集合しました。無人島が大好きな私も、姫島は初めて行く島で、三河湾の中では唯一行ったことのない島でした。
本来なら、この計画は、1月3日(なんとお正月!)に決行する予定だったのですが、その日、記録的な大雪が名古屋に降り、この日(20日)に延期されました。こんな気温・水温ともに寒い時期に海を漕ぐという企画に、物好きな人間が、なんと8人も集まりました。(本当は、他にも物好きが、もう3人いたのですが、急な仕事が入って帰国できなかったり、頑丈な人なのに珍しく風邪をひいてしまったり、当日、シーカヤックを自動車に積み込む時にサイドミラーを割ってしまったりで、来れない人がいました。)
今回のメンバーには、初対面の人が多くいたのですが、それはそれ、同じ趣味をやっている者同士、一言挨拶を済ませば和気アイアイの雰囲気、会話もすすみます。出艇予定の時間を過ぎても、話しの輪は盛り上がる一方で、いっこうにとけません。道に迷って遅れてきた最後の一人が来たところで、ようやく私は『そろそろ出艇準備をしましょうか!』と切り出せました。
まだまだ話し足りなさそうな参加者たち(私は内心「よしよし、この雰囲気なかなかイイゾ!」と思いました)は、私の声に促され、おもむろにシーカヤックやさまざま装備品を車から降ろし、出艇場所へ運び始めたり、パドリング用の服への着替えはじめました。気温は冷たく、冷えきったネオプレーンのロングジョンを着る時は、本当にツラかったです。
パドリングを始める前に、参加者全員を集め、今日のツーリングのコース、スケジュール、スピード、航路を横断する時などのさまざまな注意事項など、手短に簡単にブリーフィングをしました。
集合、出艇場所の田原町の白谷海浜公園は、まだ工事中でした。道路地図で、砂浜、駐車場、トイレ、水道などの設備が、ありそうだったのでそこに決めました。姫島にもっと近い場所に漁港があるのですがやめました。公園は、予想通り広くてキレイでした。おそらく潮干狩りや海水浴などのシーズンは、有料になるでしょう。
しかし難を言えば、広過ぎて駐車場と砂浜との距離が150mくらい離れていて、シーカヤックを運ぶのが大変そうです。そこで私達は、砂浜から出艇するのを諦め、駐車場の東端の横にあるコンクリートでできている段差からカヤックを降ろすことにしました。
私はパドリング・ジャケットの下にロングジョンを着込み、冬対策を万全にして来たのですが、冬用のパドリングシューズがどうしても見つからず、冷たい海水に足を付けた瞬間、ズッキーーンと頭の芯まで冷たさが伝わりました。
当日の天気は、この季節としては、これ以上は望めないような無風、雲も少ない奇跡的な好天に恵まれました。波高は30cmくらいでしょうか、とにかく最高の海のコンディションでした。
口から吸い込まれノドを通り、肺に入った1月の三河湾を渡る新鮮な空気は、血液を介して私の全身にくまなく沁みわたり、全てのイヤなこと、ストレスから解放され、まるで生まれ変わっていくような、そんな爽快感がありました。
私の仲間の中では、まだ誰も行ったことがない場所なので、人からのフィールドに関する情報は一切なく、事前の情報は道路地図だけでした。地図によると、防波堤が延々と続く片道約3Km、姫島一周約1Km、全行程7Kmのツーリングといったところで、景観はあまり期待できそうもありませんでした。
堤防から釣りをしている人を、2〜3人見かけはしましたが、予想していた通り、味気ない殺風景な消波ブロックと防波堤という風景が延々と続きました。自治体は、海を埋め立てをして工業用の用地を造成して、企業に売り出します。しかしバブルがはじけて、どの企業も土地を必要としていません。自治体は完売できることを前提にした予算を組めず、おかげで埋立て、造成工事も遅々として進みません。いつまでたっても工事中のままです。出艇した公園も工事中なのは、おそらく造成地の売却が予定ほどすすんでいないから、公園造成に予算が十分にまわらないといった理由だと思われます。

延々と続く、人間が作り出したグレー1色の単調な防波堤の風景。ふと反対側を見ると、空は、濃紺からほとんど白に近い青になるまで無限のグラデーション、渥美半島を貫き美しいラインを描く山並みは、空気遠近法の理論通り、遠くにある山ほど色が薄く、色彩も単調になり、最終的にはどこからが山なのか空なのかの区別がつきません。自然の生み出した形の美しさ、景色の素晴らしさ、色彩の多様さに圧倒されるばかりでした。
パドルから手を離し、後向きになってファインダーを覗いてシャッターを何回も押す。普段の波では、なかなか大変な作業ですが、今日は簡単にできました。
20〜30分漕いだところで、やっと防波堤の端に来ました。ここから約600mは、防波堤から離れて漕ぐことができます。

しかし、ここは田原港のまさに出入り口にあたるため、ばらばらに離れたシーカヤックの船団をひとつにまとめ、左右から船が近づいていないのを確認してから、一気に600mを早いスピードで漕ぎました。
島に近づいてきました。真冬なので茶色の下草と木々の緑のツートン・カラーでした。もしかしたら姫島はシルエット的には、昔からほとんど変ってないのだろう。そして夏になれば濃厚な緑の島となるだろう。 などと想像が膨らみました。

姫島に到着すると、南東に突堤が突き出ているではありませんか。この突堤は地図にはなかったので最近作られたものなのでしょう。突堤以外の海岸線は、必要性の全く感じないような護岸工事はありませんでした。三河湾にしては珍しい自然の海岸線が続いておりました。
姫島は三河湾の右下に位置し、北西の強風の日は、三河湾の左上の端から強風によって起こされた波がもろに当ります。ですから、北側の海岸線は、北西の波に長年削られた荒々しい岩場でした。一転して島の南側は、北西風が島により遮られ、波はより穏やかで、田原港の天然の防波堤の役割を果たしているようでした。南側なら砂利浜が続いており、どうやら上陸できそうです。とりあえず上陸できそうな砂浜を探しに反時計回りに南側から回りました。
私には、姫島に特別な思い入れがありました。
それは、私が中学生の時のことでした。私は海大好き、泳ぐの大好きの少年でした。海水浴をしていた海岸の2Kmくらい沖合いに浮かぶ島を見ては、いつかあの島へ渡り、サバイバル生活を送ってみたい。そう漠然と夢想しておりました。
そんな時、新聞の夕刊に、新聞記者が愛知県三河湾に浮かぶ姫島という無人島に漁船で渡り、一人で1週間、燃料は流木のみでサバイバル生活を送ったという記事が掲載されていました。それを読んだ瞬間、『私のやりたい事はコレだ!』と心に決めました。しかし、当時中学生の私には、装備、お金、経験、知識、技術などなど、何もかもありませんでした。そして、なにより新聞記者のように漁船で渡るのは、ちっとも面白くない。どうせやるなら、自分の力で渡り、サバイバル生活を送りたい。しかし、泳いで渡るきる自信はちょっとない。だいたい泳いで渡ったとして、キャンプ道具はどうやって、無人島へ持って行くのか? そういったことで、私の夢は、実行に移すことはなく、いつしか立ち消えになってしまいました。
そんな私も社会人となり、住む場所も全国を転々とし仕事に没頭しておりました。しかし、無人島へ渡ってキャンプするという長年の夢は、私の心の奥底でくすぶり続けていました。そして、それまでやっていた仕事をスッパリと全部やめ、海の近くの実家に帰り家業を継ぐこととなりました。海の近くに住むのなら、大好きな海で遊びたい。私は、海を自由に行き来できるシーカヤックを始めました。
そういうことで姫島は、私にとってシーカヤックを始めるきっかけとなった大変思い出深い島だったのです。

島の南には、昔、釣り客で賑わっていた頃、作られた桟橋が、海の凄まじい侵食エネルギーによりボロボロに壊れかけていました。今では、鳥達の絶好の羽休め場所となっていました。
上陸できる浜を探しているうちに結局、先端に赤い灯台ある北東に突き出ている堤防まで来てしまいました。このあたりが最も砂利が細かそうなので、上陸することにしました。
島の南側なので、寒い北風を島が遮り、太陽の光を浴びポカポカでした。
北東の堤防の上から、北側はこんな感じでした。
徒歩で島を一周することにしました。みんなを誘ったのですが、徒歩による島一周に参加したのは、結局4人だけでした。私は浜に上がっていきなりビールを飲んでしまっていたので、大丈夫か心配でしたが、ムクムクと湧き上がる好奇心には勝てず行くことにしました。
延々と岩場が続き、歩きづらかったです。すっかり体が温まり、気温は低いのですが、汗が吹き出るほどでした。
15分くらい歩いたら、やっと南西の堤防が見えてきました。
南西の堤防の上から島の山頂へ登る登山道らしき細い道が見えました。しかし草が鬱蒼と茂っており、足元が悪く登山しづらそうでした。夏ならもっと、草が茂ってスゴイでしょう。それ専用の装備がないと登山は、ちょっと困難でしょう。
山頂征服は、また訪れた時のお楽しみとしてとっておきました。

南西の堤防を降りた所に、哺乳類らしき白骨がありました。カラスが食べたのでしょうか、きれいに骨だけになっておりました。白骨には白いビニール袋がまとわりついていました。大きさ、手足などの骨がないところから、スナメリではないかと思われます。
スナメリとは、生物学上の分類では、クジラ目ネズミイルカ科のハクジラで、体長は大人でも1〜1.5mくらいで、比較的おだやかな海に生息する世界最小のクジラのひとつです。外見の特徴としては、体色は白またはグレー、頭は丸く、イルカの個性とも言うべき背びれ、くちばしはありません。一日あたり4〜5キロの小魚やイカなどを食べるそうです。
三河湾は、小さな湾なのですが、昔からスナメリが生息しております。
しかし、近年、年ごとにその数を減らしているらしく、三河湾でスナメリなどの研究をしている海洋学者の林正道氏の観察では、現在は三河湾内では100頭以下と推定しているそうです。減少の理由は生息環境の悪化と、エサの減少などが挙げられます。
また、林氏の話しでは、最近、姫島で1匹のスナメリが死んでいて、その腹からは、レジ袋がたくさん見つかったそうです。どうやら、エサのイカと間違って食べたようです。
家庭の日常生活で出る合成洗剤、てんぷら油、米の研ぎ汁などは、高栄養すぎて、海自体が持つ浄化能力では全てを分解することはとてもできません。キッチンの流しから、そのまま海にタレ流されたら、その栄養でプランクトン(夜光虫)が大量発生し、赤潮などの原因になります。赤潮が発生すると、海中では酸素が不足して、魚などは生息しづらくなります。魚達が死ねば、スナメリもエサがありません。またプランクトンが死ねば、その死骸は腐りきらずにヘドロとなり海底に堆積し、海底付近に住んでいる生物の生命も脅かします。
私達が、毎日の生活の中で使用するビニール袋や容器などは、風に吹き飛ばされ、転がり、どこへ流れて行くのでしょう? 道端に捨てられたタバコの吸殻や、ペットボトルは、雨で流され、最終的にどこに行くのでしょう?
スナメリは、大昔から波の穏やかな三河湾で生き続けています。泳ぎはあまり得意ではありません。いったん外海に出て別の湾へ移り住むことはできません。三河湾が汚れて住めなくなったり、食べ物が無くなれば、死ぬ以外道はないのです。
三河湾は小さな湾ですから、少しの汚れでも環境への影響は非常に大きいのです。このままでは、大昔から生き続けてきた三河湾のスナメリは、近い将来絶滅してしまうかもしれません。
たった一人の人が、ゴミを捨てなくしても、世の中は何も変わらないのかもしれません。そして一人一人の力は、非常に小さいです。しかし、一人一人が少しづつ実行すれば、その力の集合体は巨大です。ですから、『まずは一人一人が出来ることから、始めよう!』私は、つくづくそう思いました。
徒歩による島一周を終え、お昼ご飯となりました。各自持参の昼食の準備を始めました。ストーブでお湯を沸かしカップ麺を作る人、ホットサンドを作る人、いろいろな人がいました。
私は、夕べコンビニで買った弁当の入った『ビニール袋』を複雑な心境で開けました。
スナメリは、動物の知識が少なかった昔、背びれがないので波に紛れなかなか見つけにくくて、突然海中からくちばしのない人間のような、真っ青の顔をヌッっと出し、よく海坊主などの妖怪のたぐいと間違われたといいます。現在でも、スナメリを全く知らない人が海の真中で遭遇して、正体が分からないので不気味で驚いたという話を聞きます。それは海というおよそ人間が生存できない場所で、人間ではない人間に近いものを見た時の正直な驚きと恐怖なのでしょう。
日本全国には、『浦島太郎』伝説は数多く残っております。
実は、ここ田原町・白谷海岸地区にも、ご多分に漏れず『浦島太郎』伝説が残っております。
白谷海岸では毎年8月15日「龍宮まつり」というお祭りが行われます。砂浜に大きな砂の海亀を作り、大漁と海上の安全を八大龍王神(海の守り神)に祈願します。砂浜での祈願の後は、浦島太郎に扮した子どもが、張りぼての海亀に乗り、大漁旗に囲まれ沖に出て、龍神に酒やもちなどの供物を供えるユニークな祭りだそうです。
田原町・白谷海岸地区に、今なお残る『浦島太郎』伝説。 姫島とは『姫のいる島』、『乙姫のいる所』、『竜宮城』 なのだろうか? そして、姫島にいたとされる乙姫様の正体とは、実はスナメリのことだったのではないのでしょうか。
さらに言うならば、シーカヤックはプラスティック製の『海亀』、シーカヤッカーは現代に甦った『浦島太郎』。竜宮城へ恋焦がれる乙姫様に会いに行ったが、乙姫様はすでに浜辺で白骨化していた・・・。
そんな感傷に耽ってしまうような不思議な島でした。

昼食を終え、島の北側を回り、帰りました。
シーカヤッククラブ・ゴンZ バックポーラー
パドラーズ・パラダイス
初出: 月刊「CANOEIST」創刊号(2002.4月号)(加筆箇所あり)

