
ぶらんこ 小学生のころ、よく母とけんかした。 何か言われたのが気に食わなかったとか、 原因はささいなことだ。 わすれてしまうくらい。 その日も言い合いをして、 わたしは家を飛び出した。 しばらく建物の陰で 石ころやガラスのかけらをもてあそんで、 行き場のないこどもは公園にたどりつく。 日も暮れかけて、遊んでいる子もほとんどいなかった。 大きなポプラの木の前にあるぶらんこに乗った。 たかくたかく漕げば、 ポプラの木まで届くかとおもいながら。 そしてあたりが暗くなっても、 ずっとずっと漕いでいた。 夜にまぎれて。 真っ暗になって、公園の灯りがともって、 わたしはとつぜん誰かに声をかけられる。 顔見知りのおばさんだった。 「こんなとこでなにやってんの?はやくかえんなさい」 あと 「おかあさんにおこられたんでしょ」ともいわれ、 不本意な顔をしてうつむいた。 公園を出るときハンカチを拾った。 蝶がたくさんかいてあるハンカチ。 砂まみれのハンカチを、 なぜだか持って帰り、洗って使った。 ずっとずっと使っていた。 それからはもう、ぶらんこ乗りの家出はできなかった。 |
ピアノのおけいこ ピアノを習っていた。 引っ越して母が見つけてきた先生は、 普段高校の講師をしているという男の人だった。 年は30代か40代。 子供のわたしは詳しい年は知らなかった。 色が白くて髭剃りあとが青い、女言葉を使う先生。 ほんとうのことをいえば、好きじゃなかった。 先生は年老いた両親と都営住宅に住んでいた。 狭い3畳がピアノの部屋。 そこにはエレクトーンも置いてある。 冬になれば、先生の足元には電気スリッパ。 大人の噂話に寄れば、 結婚もしないで親に甘やかされている、らしい。 先生の前でわたしは何度か泣いた。 黒鍵が多くてつまんない曲がどうしても弾けなかった。 練習が足りない事をいつも叱られ、 わたしの進度は遅れたまま。 それでも、春になればちょっと楽しみがあった。 先生の家の前の公園に、 つつじが満開になることだ。 濃いピンクのつつじの花を、 人目を盗んで摘み取った。 そして甘い蜜をなめた。 先生の家に辿りつく前に摘むのだ。 充分自分を甘やかしてから、 わたしはレッスンにのぞんだ。 |
てんとうむし 小学校に上がる前の1月に引越しした。 だから幼稚園は中退。 幼稚園の友達は別れを惜しんでくれて、 手紙もたくさんもらった。 どの子の手紙にも、 「あたらしいようちえんにはなれましたか」とか 「いつまでもおともだちでいようね」とか やさしいことばがかかれていた。 けれどもわたしはただただ家で遊んでるだけの毎日だった。 ひと月ちょっとのために転園するはずもなかった。 思い出と共に、友達の縁は切れてしまった。 だけどいつまでもわたしの手元に残ってるものもある。 それが「てんとうむし」 てんとうむしのちいさなブローチを、 ある子がくれたのだ。 ふたつのてんとうむしが寄り添うブローチ。 ずっと大事にしてきたのは、 ブローチをもらったことがはじめてだったからかもしれない。 でも たかが6歳くらいにも、 友情みたいなものがあるのだと感じる。 てんとうむしを見るといつも、 遠いむかしのことを思い出す。 |
音楽の先生 音楽の先生はほとんど笑わなかった。 いつも不機嫌そうでこわかった。 でも一度だけつい笑ってしまったのを見た。 笛のテストの時に、ある男の子が、 課題とまったく違う曲をすらすら吹き始めたとき。 駅で会ったこともある。 友達といたときで、 姿を見つけてついふたりで隠れた。 外で見ると、なぜか普通の人に見えた。 学校ではそれこそ怪人のように、みんな思ってたのだ。 先生は実はわたしたちの先輩だったのだ。 ずっとむかしの卒業生だった。 子供心に、 どんなひとにも小学生だった頃があって、 それぞれの人生を生きているのだ、と感じた。 あたりまえなことだが。 むかしの先生は、こんなこわい人が多かった。 伝説のような人が多かった。 過ぎ去ればみんな懐かしい思い出。 |
ビール 夏だった。 父は野球の試合をテレビで見ていた。 そして台所の母を呼ぶ。 栓抜きがないのだ。 目の前の冷えた茶色いビール瓶と幾皿かのつまみを前に、 ビールが飲めないでいた。 母にはその声が聞こえなかった。 テレビの音が大きかったのだろう。 なぜだかわたしは父とはなれて同じ部屋にいた。 また母を呼ぶ。 繰り返され、父は激昂する。 やっと母が気づき、栓抜きを持ってきて開ける。 が、遅かった。 テーブルはひっくり返された。 わたしは小学館の雑誌を抱えて泣いた。 母は畳にぶちまかれたつまみを、 目を伏せて片付けた。 父はふて寝をして、居間には女子供が残される。 母は開けてしまったビールを飲んでいた。 ほんとはお酒なんて飲めないのに、 自棄酒のように大瓶1本を空けた。 そのままキッチンドランカーにならなかった母は、 やはり戦前生まれだったからに違いない。 と思いたい。 |
眼医者 さかさまつげといわれて 眼医者に行った。 「目の下を切って、下に引っ張る手術をします」 事も無げに医者は言う。 人相が変わるのでは、という母の質問に、 そうですね、とまた医者はこたえる。 そのとしの夏休み、 もしかしたら その手術を受けていたかもしれない。 そうしたら、 わたしはもっと傷ついた子供になっていただろうか。 今ではさかさまつげも気にならない。 そして目のしたには、傷などひとつもない。 |
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押し入れ 3歳のころ あまりにも泣き止まないので、 うるさいと思った父に、 押入れの上の段に押し込まれた。 布団が入っていたので 本当に上のほうだ。 ふすまは閉められ暗かった。 泣いていたのだから、 力もありあまっていて 思いっきり蹴飛ばした。 するとふすまは破れた。 それ以来、 わたしは押入れに押し込まれたことはない。 |
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七つの子 幼稚園でおてがみごっこをしていた はがきに宛名を書いて裏には文を書くのだ 字を書かないSくんは 「七つの子」を歌っていた 歌いながら楽しそうに サインペンを上下に動かしている 男の子はほかにもたくさんいたのに その子のことしか覚えていない うたをうたえば そのすがたがうかぶ 本当は名前さえ思い出せないのだけど |
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スパゲティ ある日小学生のわたしに母は言う わたしの好きなものが夕食だと ヒントはわたしがべつべつに食べるもの それはスパゲティミートソースだった わたしはミートソースが好きだったので スパゲティだけが余らないように ミートソースをよけていた そうかミートソースが好きだったんだ それから好物にスパゲティをいれた わたしにとってスパゲティとは ミートソースであったから 月日がたって いまではスパゲティミートソースは あまりたべない 嫌いになったのではなく イタリアンスパゲティに心を寄せる結果である しかし 好物がスパゲティとおもったことと イタリア好きになったのは 無関係でない スパゲティがすきなのは 前世はイタリア人だったのだと 勘違いしたからだ |
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