

<7月3日 発行>
4年ぶり東都制覇<ソフトテニス部>
◆東都大学ソフトテニス春季リーグ戦 (5・3〜5 中大テニスコート)
実力伯仲の東都で、中大は遂に優勝を遂げた。青学大に1敗し、日大との優勝を
賭けた直接対決。中大は粘りのプレーで日大を振り切った。主力を怪我で欠くも、
チーム全体でつかみ取った優勝だった。名門復活へ。新たな一歩を踏み出した。
全試合接戦
予想だにしていなかった瞬間が訪れようとしていた。2日目の最終戦。強豪・日体大を相手に
中大5番手の久保祐司(文4)・大谷匡史(経済3)組がプレーするなか、選手たちはベンチか
らじっと見守り、その時を待っていた。粘る日体大を3対2で振り切ると、選手たちに笑みがこ
ぼれた。4年8季ぶりの東都優勝の瞬間だった。
中大にとってどの試合も山場。全員テニスで順当に勝ち点を重ねる。しかし、落とし穴は思わぬ
所に潜んでいた。第3戦、格下の青学大に苦戦を強いられる。簡単なミスが続きリズムが崩れる。
「流れに飲み込まれ、勝つ雰囲気ではなかった」(土井内陽介・法3)。中大は足をすくわれ思わ
ぬ1敗を喫した。
しかし、中大ベンチはすでに気持ちを切り替えていた。続く日大、日体大戦。勝てば優勝へつながる
試合で、中大は持ち味の粘りを発揮。いずれも3対2で振り切った。精神面での成長を見せ付ける
試合だった。
逆境に勝つ
チームは決して万全な状態ではなかった。基本を重点的にやりこみ臨んだ今大会。だが主力である
土井内を怪我で欠き、急遽メンバーを組み替えた。またチームの核、杉野直之主将(商4)とのペアに
新人の須藤博人(文1)を起用。優勝の要因となったのは、この土井内の怪我と下級生の台頭である。
土井内の怪我で「自分がやらねば」とチームが奮起。また須藤の堂々としたプレーは、上級生への良
い刺激となって、チームをもり立てた。
次は全日本
万年3位。中大は常に挑戦者だった。実力はある、が勝てない。あと一歩が遠かった。東都は関東リ
ーグへの布石だ。「簡単なミスが多く、質もダメだし、まだ一流じゃない」と田中弘監督は厳しい。いかに
自分のプレーができるか。そしていかに成長できるかが今後の課題だ。しかし、新人の台頭、精神面で
の成長と収穫も多い。「満足せずに挑戦したい」(杉野主将)。挑戦者がたどり着いたのは東都優勝とい
う「始まり」にすぎない。彼等の目には、関東を越えて、全日本という頂上を見据えている。
(有松美幸)
大会結果▽1中大2日大3日体大
悲願の全日制覇へ<準硬式野球部>
第55回 全日本学生準硬式野球選手権大会(8・16〜21
瑞穂熱田球場他)
勝負の時がきた。関東大会を制覇し5年連続26回目の全日出場を決めた。決勝では山口直人投手
(商4)が12三振を奪い国士大打線を零封、2年連続10度目の関東制覇を決めた。「あくまで通過点、
全日本の出場権がとれてよかった」(冨田亮主将・法4)と照準は全日だ。並行して行われた春のリー
グ戦も2位。3年ぶりとなる日本一を目指すために万全の結果を残した。
全力疾走
「元気を出すこと、足を使うこと、まずは次の一戦、一球を大切に、自分達の出来ることをやっていこう」(冨田主将
)。その言葉通りの野球だった。攻守交代の際の全力疾走、ベンチからの声、ピンチ時でも指示の掛け合いを怠ら
なかった。記録に残らないプレーがチームを盛り上げた。投打の柱、山口、冨田主将が精神的にも支柱となり、全
員が役割を着実にこなした。それが勝負強さとなって結果に現れた。
全日で優勝、このチームで日本一になるという目標は新チーム誕生から掲げてきたものだ。「絶対関東で決めよう
と皆で話していた」(山口)という言葉どおりに、春最初の公式戦でその切符をつかんだ。気持ちで勝ったといっても過
言ではなかった。大会を通じて「完全に仕上がっている」(野々下監督)という投手陣が防御率1点台の大活躍。特に
大黒柱・山口は4試合、21イニング失点0。37奪三振と完璧な投球でチームを支えた。
闘志燃ゆ
リーグ戦では昨秋から固定されていたレギュラーメンバーを大幅に変更した。一塁手として起用された小松槙(法4)
や、初の規定打席に達し、打率.333の高打率を残した岡部幸司(経2)が奮闘。「皆の代表として試合に出るので練習
の取り組み方も変わった」と話す山口太陽(文2)やマルチプレーヤー・村上剛志(商3)らも台頭してきた。熾烈なポ
ジション争いがチームにとっても相乗効果を生んだ。「誰が試合に出ても戦力は変わらない。勢いだけでなく恐さも知
っている今のチームが強い」と着々と増してきた戦力の充実ぶりに冨田主将も手応えを感じている。
選手個々が並々ならぬ闘志を燃やして迎える全日。シーズンごとに関東王者にはなるものの、日本一の喜びを知る
のは4年生のみだ。「悔いのないプレーをしたいがもちろん結果にもこだわっていきたい」。冨田主将の言葉にも力がこ
もる。モットーはベンチも含めた全員野球。部員の中で関係ない選手等一人もいない。そのための戦力は充分に調っ
た。決戦の舞台・名古屋で夢をつかみ、最後に歓喜するのはこの男たちに違いない。
吉井、日本代表の仲間入り
日本選手権水泳競技大会(4・22〜27
東京辰巳国際水泳場)
7月にバルセロナで行われる世界水泳と8月のユニバーシアード大会の代表選考会となった今年。400m
個人メドレーで、吉井純(法3)が涙の派遣記録を突破。昨年インカレ100m平泳ぎ覇者・山下誠(法2)も派
遣記録を突破し、初の国際大会出場を決めた。100m自由形の細川大輔(法3)は、期待された40秒台には
届かなかったものの、優勝を飾り、リレー種目での出場を決めた。
満面笑み
感情を表に出さない吉井が満面の笑みをこぼした。
最終日、400m個人メドレー決勝。吉井は4分18秒57の自己ベストをマークし、派遣標準記録(4分20秒17)を突破し、
見事世界水泳の代表権を獲得した。
「予選から積極的にいった」と言うとおり、予選を1位で通過。そして決勝。日本記録保持者の森隆弘(ミキハウス)をは
じめ、先輩の谷口晋矢(自衛隊体育学校)、そして新鋭・庄司有太(法1)といったそうそうたるメンバーの中で、吉井は
自分のペースを貫いた。
得意の平泳ぎで単独2位に浮上すると、最後の自由形で後続の猛追をかわし、2位を死守した。
「今までやってきた
ことが実った」。表彰台で思わず涙がこぼれ落ちた。
自分貫く
苦しい日々が続いた。入部当初から思うような記録が出ない。しかし、吉井は決してあきらめることはなかった。「練習を
信じていた」(吉井)、そして何より自分を信じていた。
以前から取り組んできたものがあった。6ビート。自由形における1ストロークに6回のバタ足を打つことだ。多くバタ足
を打つことで、浮力をつけ、腕の回転を速くさせる。「スピードが増した」。
吉井のタイムは今年の世界ランキング13位にあたる。「チャレンジャーとして世界に臨みたい」。暗く長いトンネルを抜け
た吉井の目の前には大きな「世界」が広がっていた。
吉井純プロフィール
昭和57年7月14日生 兵庫県出身
報徳学園高卒 167cm・8kg O型
本間、最優秀賞を獲得<少林寺拳法部>
◆少林寺拳法関東学生大会(5・4 日本武道館)
日本武道館の大舞台で、中大は最高の演武を披露した。本間慎太郎主将(法4)が2度目の最優秀賞。
石井佐弥佳(商3)も敢闘賞を獲得。部員全体の半数近くが予選突破した。昨年は思うような結果を残せ
なかった。そこで基礎からやり直し、課題だった技術面と精神面での成長を目指した。チームの底上げを
図った。調整を重ね徐々に調子を上げ、臨んだ今大会。二枚看板の本間主将、石井を軸に中大は確実に
成長の跡を残した。
最高の演武
2年ぶりの最優秀賞獲得。本間主将は、2年前にも中大にとって実に33年ぶりとなる最優秀賞を獲得した。その実力
は関東でも群を抜いている。しかし、その後満足のいく結果が残せず、苦しい時期が続き、見えない壁にあえいでいた。
今年度からは主将として、部を牽引しながら部全体の土台を作り、自らも原点に戻り基礎からやり直した。壁の向こうに
見据えるものは、もちろん最優秀賞だった。
予選は難なく通過。「60%くらいの出来」と語る。高い技術は変わっていない。だが今、本間主将にはそれに加えて精神
面でのゆとりができていた。演武に対するモチベーションも高い。遠ざかっていた最優秀賞を再び手にしたい。そして向か
えた本選。「自分の演武が90%ができた」。演武を終えたとき、本間主将の胸に溢れるのは「出し切った」達成感だった。
最高の演武を披露して、ついに壁を越えた。
次の目標へ
全日本と関東のレベルはほぼ同じといっていい。そんな実力者ぞろいの関東で勝ち抜くことは、そのまま全日本へとつな
がる。「全日本では敢闘賞以上を狙う」と本間主将。今、全日本の頂点に最も近い場所に立っている。
本間慎太郎プロフィール
ほんま・しんたろう 昭和57年2月12日生
神奈川県出身 桐蔭学園高卒 175cm・85kg
A型 好きな言葉・勇往邁進
トライアングル 「W杯1年後のうごきから」
日本中が熱狂し、興奮したサッカーW杯。あの夢の祭典から早くも1年がたちました。
W杯では決勝トーナメント進出しベスト16入りを果たした日本代表も、先日のコン
フェデ杯では苦杯をなめました。率いるのが神様・ジーコ監督といえどもさい配、代
表選手のプレーが批判の嵐にさらされました。それだけサッカーを見る目が肥えてき
たということがいえるでしょう。
さて、このほど日本とW杯を共催した韓国では、W杯韓国組織委員会が1690億ウォン
(約169億円)もの黒字を計上したと発表しました。開催10都市と韓国サッカー協会
に分配し残りを当初予定されていたW杯記念館建設ではなく、世論に配慮しサッカー
関連施設の整備に充てることが決定いたしました。わが国でも、今年度より日本サッ
カー協会を中心として「JFAキッズプログラム」が立ち上げられました。これは成長
著しい幼児期から小学校低・中学年の育成プログラムを整備し、サッカーの普及や人
材育成を図ろうとするもので、より多くの才能豊かなサッカー選手を育てられるもの
と期待されています。
このW杯1周年の今年、くしくも日韓両国の動きを私は率直に賛同したいと思います。
このように、サッカーという競技を通して得た感動を自分たちの世代だけで独占して
はならないと考えるからです。サッカーの素晴らしさを次の世代に伝えようとするこ
とは、ひいては我々がサッカーを愛してきたあかしを残すことにもつながるのではな
いでしょうか。そのためにもいつまでたっても過去の栄華の余韻に浸っているべきで
はありません。W杯から1年がたち、我々に求められているものは過去は過去として
認めつつ、W杯で築いたものを現在そして未来のサッカーに生かそうとすることが求
められるものではないでしょうか。(本紙副主筆・青柳雄一)
人生いろいろ 第20回福山リョウコさん(漫画家)
各界で活躍する中大のOB・OGを訪問する『人生いろいろ』。第20回は漫画家として現在「花と
ゆめ」などでご活躍中の福山リョウコさんです。
――漫画家になった経緯は
福山さん 小学校の頃からの夢でした。以前から趣味で漫画を描いていたけど、大学に入ってから遠ざか
っていました。でも就職活動で説明会にいったとき、しっくりこなかったんです。勤めの感覚がもてなかった。
それで自分には描くのが向いていると思ったんです。それから漫画を描き始めて雑誌に投稿しました。デビ
ューまでは1年くらいかかりました。デビューが決まったときは本当にうれしかったですね
―― 一番アイデアが浮かぶときは
お風呂に入っているときです。ストーリーには昔ドイツに住んでいたことや中大での留学経験も生きています。
――漫画家の魅力は
最初から最後まで全部自分でできることですね。まさに夢の世界ですよ。それに、雑誌に載せてもらえて、場
所を問わずいろいろな人が読んでくれますからね。
――逆につらいところは
夜型の生活になります。家にこもりすぎるので不健康ですね。それに締め切り前は大変です(笑)。
――どんな学生でしたか
遊んでいました(笑)。ドイツ語が好きになって、かなりやりました。あとは音楽サークルに入っていて、ピアノや
キーボードをしていました。大学はいろいろな人がいて、世界が広がりましたね。
――休日の過ごし方は
漫画を描いていると、平日と休日の境目を作るのが難しいんです。もし休めたら、旅行したり映画を観に
行ったり、外に出たいです。
――モットーは
思い立ったら吉日。決めたことはとことんやります。
――中大生に一言
学生時代は貴重。今思うともっとやりたいことがありましたね。やりたいことを自由に、好きなだけやってほしいです。
夢をあきらめずに、自分の手で道を切り開いた福山さん。「一度決めたらとことん」という姿勢が印象的
でした。読者に夢を与えながら、自らもまた夢を見、追いつづけることが福山さんの魅力なのでしょう。
〈構成・有松美幸〉
▼ 福山リョウコさんプロフィール
ふくやま・りょうこ 昭和52年1月5日生 第23回アテナ新人大賞、優秀新人賞受賞。
その後「カミナリ」でデビュー。現在「花とゆめ」などに作品を掲載している。最近では「垂直落下少年
少女」を「花とゆめ」6/1号に掲載