

<1月2日 発行>
野村、怒涛の走りよ再び
【箱根駅伝=平成16年1月2,3日 東京・大手町〜箱根・芦ノ湖往復 10区間 216.4km】
箱根6区のトップランナー野村俊輔(法3)が再び中大復路のスタートを切る。昨年果たせな
かった区間新記録、さらには57分の壁を狙う。中大の勢いを生むキーパーソン・野村。3年
目の下りへと挑む。
成長した走り
前回のハコネの野村を覚えているだろうか。雪の箱根路は、実に18年ぶりだった。予想だにしない悪天候。
その中での野村の走りを覚えているだろうか。12位からのスタート。4人抜きの怒涛の追い込み、区間賞−−
−。よもや区間新をたたき出すかと思われた。疑う余地のない実力。3年目の箱根。成熟した走りに期待がかかる。
走りたい。野村が高校時代にそう思ったのは6区。下りという箱根でも特異な区間だった。「母校(報徳学園高)
の先輩、永井さんの姿を見て走りたいと思った」。その思いが実現するのに時間は要さなかった。大舞台、憧れの
6区に野村が立ったのは、永井氏と入れ代わりに入学した1年の時だった。区間3位の激走を見せた。
しかし、すべてが順調だったわけではない。下りには自信がある。それだけの練習を重ねてきた。「誰にも負けな
い」。戦う相手は野村自身だった。好不調が続いた。トラックシーズンは走れなかった。挽回しようとレースを重ね
続けて、疲れが残ったままで最後の調整レース・日体大記録会に臨んだ。結果は芳しくない。しかし「今出来る最
良のレースができた。後は疲れをとって臨むだけ」と箱根への焦点は定まっている。揺るぎない闘志が言葉の節
々に感じられた。
敵は野村俊輔
「走るからには記録を目指す」現在6区の区間記録は58分21秒。野村はその記録を大幅に更新する57分台を
目標に掲げている。そのために初めの登り5kmを16分40秒で走るという前半の山登りと並んで重要になるのが、
下り終わった後の3kmの平坦コース。「前回は気持ちを緩めてしまった」という3kmを野村がどこまで粘れるか。
そこに区間新がかかっている。
大記録を狙う。その何よりのライバルが前回の自分自身の記録だ。野村俊輔は野村俊輔を超えることができるの
か。戦線を掻き乱す山下りの出走は、間もなく。
(井上 拓也)
野村俊輔プロフィール
のむら・しゅんすけ 昭和58年1月17日生 兵庫県出身
報徳学園高卒 178cm・53kg O型
▼足のサイズ 28.5cm
▼陸上を始めたきっかけ 「父が長距離の選手で小さい頃から一緒に走っていた」
▼好きな食べ物 白いごはん
▼好きな芸能人 上原多香子
▼好きな音楽 GLAY
▼好きなTV番組 ワンナイ
▼愛用シューズ アシックス
「高校時代から使っている。本社まで直接行って作ってもらっている。これじゃないと走れません」
▼ライバル 自分
▼家族構成 父、母、兄の四人家族
03年野村VTR
復路スタートは12位。先頭の山梨学大との差は8分31秒も離れていた。野村は前半5kmの登りで1分差
を詰めた。下りに入り布江(東洋大)を抜き、大西(中央学大)、松村(早大)がカーブでスピードを落とした
所で野村は前に出た。しかし、最後の平地3kmでペースダウン。それでも他に圧倒的な差をつけての区間
賞だった。
横溝三郎氏野村を語る
野村君は10000mも28分台を記録していることからもわかるように素質はあると思うよ。野村君には安定した
力を出す「大砲」と呼ばれる選手になってほしい。
5,6区は走り方が他の区間と違う。6区はなんといっても下りの区間。下りはもちろんだけど、箱根湯本から
小田原中継所までの間がポイント。気持ちを切り替えてもう1回どれだけ頑張れるかが勝負の分かれ目だね。(談)
箱根への道
歓喜にわく東海大。テレビに映る喜び合う選手たち。中大の選手は遠く離れた合宿先の山梨からその様子を
見つめていた。自分たちが全日本の舞台にすら上がることを許されなかったという事実。選手たちは何を感
じ取ったのか。
全日本予選会敗退。それは中大に突き付けられたあまりにも厳しい現実だった。当然、長距離陣への非難も
あった。期待されているからこそのものではあるが、中には厳しい意見もあった。しかし、全日本予選会敗退と
いう現実は、その時の中大の現状、そして箱根制覇までの道のりの険しさを象徴していた。
結果が出ないことへの不安。伝統校であるがゆえのプレッシャー。チーム状態の悪さ。「自分たちの力が足り
ないのか」。
そんな時、岡本主将が言った。「チーム力は4年次第だ。4年がしっかりしなくてどうするんだ」。弱いと言われた
世代。4年になった当初はやっていけるか不安だった。上の世代とも比較された。
「うちらの学年でもやれるところを見せたい」。岡本主将の発言以降4年生は変わった。自分たちの目的がはっき
りした。4年生の会議も増えた。実力で下級生に劣る4年生もくさらず、自分の役割をこなしてきた。
全日本のさなか行われてきた今回の山梨・西湖合宿。「この合宿では、それぞれ力を底上げするいい機会になっ
た。手応えのある練習ができた」と岡本主将は話す。
この合宿が意味のあるものであったのか。それを証明するには箱根の結果で示すしかない。
1月2日、どん底からはいあがってきた中大がスタートラインに立つ。
(青木孝憲)
トライアングル
今回で80回を迎える箱根駅伝。混沌とする優勝争いはもちろん、国士大、東農大などのオールドネ
ームが復活。さらには新企画・日本学連選抜の登場など話題には事欠きません。今回も生まれるだ
ろう、筋書きのないドラマの数々に期待は膨らむばかりです。
すっかり正月の風物詩として定着した箱根。今や箱根のない正月は考えられないほどです。
そもそも箱根駅伝は「日本マラソン界の父」でストックホルム五輪代表の金栗四三氏がマラソンの普
及、強化を目的に発案。報知新聞社の協力を得て実現にこぎつけたのがルーツです。第1回大会を走
った学生のなかから3人がこの年のアントワープ五輪に出場。試みは大きな成果を挙げました。
昭和15年の第21回大会後、戦局の悪化によって中断を余儀なくされました。そこで関東学連では代替
として、東京から青梅を往復する関東大学対抗駅伝を行って駅伝の灯を守ろうとしましたが、太平洋戦
争により2回で中止。終戦を迎えました。
本格的に再開されたのは昭和22年。終戦直後とあって生活もままならない社会状況でしたが、なんと
か開催にこぎつけました。そして数多くの危機を乗り越え、箱根駅伝は現在も受け継がれています。箱根
を支えてきた屋台骨は選手たちの「箱根を走りたい」という熱く、強い想いにほかなりません。
箱根に対する想いを知ろうとすることで箱根に対する見方がより深いものになるのではないのでしょう
か。そこに広がる世界は一部の安易な姿勢のスポーツ報道が連呼する安っぽい類の感動ではないは
ずです。
この正月は箱根に懸ける先人たちによって受け継がれてきた歴史に思いを馳せながら、選手たちに熱い
声援を送ってみてはいかがでしょうか。80回という節目はよい契機になると思います。
人生いろいろ「第23回」 横溝三郎氏
各界で活躍するOB・OGを訪ねる「人生いろいろ」。第23回は箱根駅伝のランナーとして中大の
箱根駅伝六連覇に貢献し卒業後も東京五輪に出場するなどの活躍をおさめ、現在はパナソニッ
クモバイルコミュニケーションズ女子陸上競技部顧問を務め、テレビ解説者としてもおなじみの横
溝三郎氏(64)です。
−−大学時代の思い出は
横溝氏 陸上一筋だったね。寮生活や練習は厳しかったけれど、この経験がこれからの自分に活用出来る
と思って頑張ったね。自分は他の選手が前にいると「抜いてやろう」と燃えるタイプ。3年生の時の6区では往
路優勝だったんで、前に誰もいなくて残念だったな(笑)
−−卒業後は
3000mSCの選手として東京五輪に出場しました。東京という身近な場所で開催された五輪に出場できたこと
は光栄だった。「自分のためは国民のため」という重圧があったけれど、強化選手としてドイツに留学した時の
経験もあって頑張れたね。競技生活を通じて知り合った人との「出会い」に感謝している。
−−指導者として
若い世代に自分の想いを受け継ぎたいね。自分の育てた選手が五輪を目指してほしいと思っている。選手が
活躍するのが何よりも嬉しいよ。企業人なので社員として会社への「感謝の気持ちを持って競技に取り組んで
ほしい。
−−伸びる選手とは
人の言うことを素直に聞くことができる選手。やはり長距離は日々の練習が大事だと思うよ。
−−休日の過ごし方は
よく聞いてくれました(笑)。海に潜っています。もう40年ぐらいやっているね。まとまった休みになると南の海に
行って、熱帯魚を見ながら楽しんでいるよ。あとはやはり健康のためにジョギングをやっています。
−−中大生に一言
自分の経験から、やはり「一所懸命」の姿はきれいなんだ。何事においても高い目標を持つことが大事だと思うよ。
競技者としての活躍、社会人としての姿勢、指導者ならではの視点。横溝氏の確かな経験に培われ
たお話からは、これから社会に出る学生に必要とされる心構えを教えていただきました。
<構成・永藤哲太朗>
▼横溝三郎氏プロフィール
よこみぞ・さぶろう 昭和14年12月9日生
在学中は箱根駅伝に4年連続出場し、中大の箱根駅伝
六連覇に大きく貢献。卒業後、東京五輪に3000mSCの選手として出場した。現在はパナソニックモ
バイルコミュニケーションズ株式会社女子陸上競技部の顧問を務める。