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   Salve Regina

 (written by 桔梗野 聡視さま)

 

 

Salve Regina,           めでたし女王
mater misericordiae!       あわれみ深き御母
Vita,dulcedo            われらが命、喜び、
et spes nostra,salve!        希望よ、めでたし。
Ad te clamamus          御身に向かい、われらは叫ぷ、
exules filii Evae.           追放されしエヴァの子よ。
Ad te suspiramus,          われら御身を仰ぎ見、
gementes et flentes,         この涙の谷に
in hac lacrimarum valle……   嘆き泣くなり……

 

 

 腰にまで垂らした髪の先が石造建築物特有の微かな黴臭さを帯びた風にたなびいたのを感じて、蟹名静は歌うのを止めた。高いアーチ状の天井によって造り出された空間に残る、彼女のソプラノの残響を楽しみつつ部活で配布された譜面から顔を上げる。
 彼女の目の前の祭壇には磔刑のキリスト像。
 陽が高いために充分な採光が得られず、鈍い色を見せるステンドグラス。
 薄暗い中くすんだ色合いで佇むマリア像。
 そして、首を巡らすと……いつもと同じように彼女の横、誰もいないお聖堂の中央の通路の先端に、囁き声は届くが決して手は届かないという微妙な間隔を開けてひざまずき祈りを捧げる久保栞の姿があった。

 不躾に浴びせられる静の視線を感じたのか栞が顔を上げた。

 「ごきげんよう、静さん。練習の邪魔をしてしまいましたか?」
 「……ごきげんよう。そんなことはないわ、気にしないで」

 "サルヴェ・レジナ"の楽譜を手に素っ気ない返答を返す静に柔らかい笑顔を見せ、栞はゆっくりと立ち上がる。静は微かに眉根を寄せてその笑顔をじっと見つめた。

 「どうかしましたか?」
 「別に…………」

 怪訝そうな表情で首を小さく傾げた栞から、静は視線を逸らす。

 栞のその柔らかい笑顔を目にすることができるのが白薔薇のつぼみ(ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン)以外では自分だけである、と静が気付いたのはつい最近の事だった。

 

 

 幼稚舎の頃から歌う事が中心の生活を送ってきた静は、級友達と付き合う事を忌諱するわけではないが、あまり好まない。ゆえに昼休み等の空いた時間はもっぱら喧騒を避け、お聖堂で部活で使う歌の練習に充てていた。お聖堂は聖歌隊の舞台であったし、なにより昼休み中に祈りに来るような物好きは滅多にいなかったから。

 だからこそ、誰もいないお聖堂に満たされた重厚な空気を凛とした声で震わせる静を見て、当初、栞は遠慮していたらしい。本来の目的でお聖堂に訪れたにもかかわらず、静の邪魔をしないように入り口近くで祈りを捧げ、しばらくの間歌声を楽しみ、やがて黙って立ち去る……初めての挨拶は毎日の巡礼に敬意を表し、また行儀のよい観客に対する感謝をこめて静の方からなされた。

 「ごきげんよう。この歌がお気に入りですか?」
 「……っ! ご、ごきげんよう……お気に入りというか、ちょっと思い出があって……」

 いつも通りお聖堂の戸口にもたれ、瞳を閉じてソプラノに聞き入っていた栞は、突然その静から声をかけられて目を白黒させる。静はその様子をおかしそうに見ていたがややあって大きく息を吸った。

 

Quando corpus morietur    肉体が死する時
fac ut animae donetur     魂が天国の栄光に
paradisi gloria.          捧げらるるよう、なしたまえ。
Amen.                アーメン

 

 「それ……」

 聞き入っていた栞が目を閉じたままぽつりと言った。微かな震えを含んだ声に静は思わず振り返る。

 「両親の葬儀のミサで聖歌隊が歌ってくれた……」
 「……そう」

 マリア像を眩しそうに見上げる栞の目元から涙が零れ落ちる。

 

 もっとも、お互いの自己紹介を経た後もそれほど二人の仲がよくなったということも特段なかった。変化といえば祈りを捧げる栞立ち位置が入り口から静のすぐ隣になったということと、校内で会えば挨拶をするようになったことだろうか。
 お聖堂で会う熱心なクリスチャンとソプラノ歌手。それ以上お互いに深く詮索する必要を感じなかったのである。

 ここにもう一人の名が加わるまでは……

 

 

 「白薔薇のつぼみ(ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン)は?」
 「聖? もうすぐ来ると思うわ」

 

 

 それを『恋愛』と呼ぶべきなのかどうか、静にはわからない。ただ、栞が甚だ『運が悪い』ということは断言できた。

 白薔薇のつぼみ(ロサ・ギガンティア・アン・ブゥトン)

 次期白薔薇様(ロサ・ギガンティア)である、全リリアン高等部の畏敬の対象。静自身は他人にさほど興味をもつ事が無いので殊更何を知っているわけでもないが、それでも無愛想ではあるが成績優秀で髪の長いアルカイックな感じの美人である、というくらいの風評は伝わって来ている。
 友人になる、あるいは姉妹(スール)になるというのであれば、それはきっとよい選択なのであろう。しかし、そのどちらでもない関係を保とうとすると相手が相手なだけにいらぬ耳目を集めてしまう。

 「ねえ、栞さん」
 「はい?」
 「白薔薇のつぼみとつきあってみてどうです?」

 一瞬、質問の趣旨を理解しかねた栞は、最近よく浴びせられるそれと等しい内容の質問に顔をしかめたが、静の表情が真剣であるのに気付いて真面目に答えた。

 「そうね……嬉しいわ」
 「『嬉しい』?」
 「そ、嬉しい…………聖は真剣に私を必要としてくれるもの」

 『必要としてくれる』
 身寄りもなく、それまでの決して平坦ではなかったであろう彼女の人生を鑑みれば、その短い言葉に込められた意味の重さは静にも推して理解できた。多分、それは栞がもっとも欲していたもの。
 だが、その相手が白薔薇のつぼみであったことは彼女にとって幸福であると同時に最大の不幸だった。

 「……栞さん、以前言ってましたよね。いつかマリア様がすべてを与えてくれる、って。突然両親を奪われた意味も、それによって失われた幸福も必ず齎して下さるだろう、と」
 「ええ」

 その自然な返答に微かな躊躇すらも微塵に感じられなかった事に、静は一瞬だけ言葉に詰まった。微かな不快感すら感じる。なぜそこまで素直に、あるいは無邪気に信仰という不確かなものに縋ることができるのだろう?

 「……で、白薔薇のつぼみがマリア様の示した答えだったんですか?」
 「…………」

 無言だが、柔らかい笑顔がその問いに肯定の返答を示ていた。

 「こう言っては御不快かも知れませんが……もしそれがマリア様の答えなのだとしたら、随分と皮肉な回答なのではありませんか?」

 本人達がどう考えるかの問題であって、静の干渉するべき所ではないといってしまえばそれまでだが、周囲の二人に対する風当たりは強い。
 白薔薇のつぼみの方でさえ栞との関係について色々と掣肘を受けていると聞く。まして周囲から嫉視を買い、高等部からの編入で山百合会のような後ろ楯も無い栞は立場が弱い。一時はかなり低レベルな嫌がらせを受けていたようだ。静が校内で積極的に栞にかまうようになってからはそれも減ったが。栞の『友人』である静に遠慮して、ということらしい。『合唱部の歌姫』という虚名は山百合会に匹敵する効果を持つらしい、とは静の自嘲的な皮肉たっぷりの解釈である。
 いずれにせよ、栞と白薔薇のつぼみが二人の閉じた"幸福"を追求すればするほど周囲の反応は悪くなわけで、いかに周囲の目など気にしないとはいえそれをを切り捨ててしまう事などできない以上葛藤が生じるし、どこかで折り合いをつけなければなるまい。静が理解できないのはこのような中途半端で矛盾した立場を栞は"マリア様のお導き"として進んで受け入れ、なおかつ感謝すらしている事である。
 結果というものは祈りの量ではなく努力の量に比例すると静は信じる。祈るだけでは人を感動させるような歌を歌うことはできない。別に祈る事を否定するわけではない。そもそも賛美歌とはそういうものだし。ただ、順序というものがあるだろうと思う。そして栞の態度はその順序に適ったものとはどうしても静には思えない。

 「……」

 無言のまま微笑むばかりの栞に静はたたみかける。

 「それに、その"マリア様の回答"を突き詰めていったらいつかあなたの信じる教えに背く事にもなりかねません。そうしたら栞さん、あなたどうするつもりですか?」
 「私の信じる教えに背くことって……」

 栞が笑顔で……本当に邪気のない笑顔で尋ねた。

 「……どんなことですか?」
 「どんなことって……」

 説明しようとして、言葉に詰まる。一体何を想像したのか静は頬を真っ赤に染めた。慌てて熱い頬に手を当て、後ろで忍び笑いをする栞に八つ当たり気味に噛みついた。

 「わかってて聞いたでしょう!」
 「……ククッ……!」
 「もうっ! 涙流して笑うことないじゃないっ!」

 先程とは別の理由で頬を真っ赤に染めてそっぽを向く静。背後でハンカチまで引っ張り出して涙を吹きつつ笑っていた栞がどうやら落ちついたのを見計らって振り返る。無論、かわされた先程の解答を得んがために。
 しかしそこで静は絶句する。

 「……」
 「あ、あの……栞、さん?」

 栞の打って変わっての真剣な視線に射貫かれて、静は彼女の雰囲気に飲まれた。言葉を発することもできないまま口元にのみ薄い笑みを浮かべる栞をじっと見つめる。

 

 「……どうもしません」

 

 「……はい?」
 「さっきの静さんの質問の答え」

 それだけ言うと栞は普段の柔らかい笑顔に戻った。

 「あの、栞さ……」
 「あっ、聖が来たみたい。それじゃ静さん、ごきげんよう」

 静に問い返す暇も与えないまま、小走りにお聖堂を出て行く栞。後には呆然とする静だけが残された……

 「『どうもしません』って……」

 どういうことだろう。
 今のままどうもしないということだろうか? つまり別れる、と……それは多分ありえない。彼女の感覚から言えばそれではマリア様の回答を破棄する事になろう。
 では、自らの心の赴くままに進むというのか? たとえ神に背くことになっても『どうもしない』と……

 

 

o clemens,           おお、慈悲深き、
o pia,               敬虔なる、
o dulcis virgo Maria!   やさしき乙女マリアよ。

 

 

 マリア様は栞に何を与えようとしているのだろう?

 静の視線は譜面を追っているが、意識はその外へと向かっていた。

 先程の真剣な栞の視線……
 静はあの栞にあのような視線をさせた白薔薇のつぼみ、佐藤聖という人物に初めて興味を抱いた。これまでは栞の相手としての関心以上の興味を感じることはなかったのだが、あの視線を見てしまった以上は……
 聞けば、自分が彼女の妹候補筆頭に祭り上げられたこともあるというではないか、どうせ新聞部あたりが勝手に盛り上がったのであろうし、つい最近まで全然知らなかったのだが。仮にその時に妹にと誘われてもまったく興味を持たなかったであろう。しかし、もしかしたらあの栞の信仰をねじ曲げるかも知れない人となれば興味も湧く……

 今度機会があったら白薔薇のつぼみについて調べてみよう。

 そう結論づけて楽譜をたたむと、遠くから微かに聞こえてくる昼休みの終了を告げる予鈴に誘われるようにして、静はお聖堂を後にした。

 


  あとがき(ご本人のコメント)

 栞大会だといってるのに静SSです。もしこの二人に接点があったとしたらこんな感じじゃないかな、と。何だか非常にわかりにくい内容ですが……ようするに静の目を通して栞の信仰と聖との関係を忖度してみました。
  もっともこのまま静が聖に対して興味を募らせていくと……修羅場、ですね。

 実はこれ、『白き花びら』と同時進行の長編SS用として用意していたエピソードです。
 栞の動きを静の目から追いつつ、次第に静は栞を裏切り始め……みたいな内容の。
 ではなぜこれだけ一本のSSとして独立させてしまったかというと、完成できなくて一向に公開できる見通しが立たないから……って、威張って言う事じゃないですね、いつかは公開したいと思っているのですが。

 所々に出て来た対訳は歌の歌詞です。
 最初の"Salve Regina,〜"と最後の"O clemens,〜"が『サルヴェ・レジナ』、中間の"Quando corpus morietur〜"が『スターバト・マーテル』よりの引用。作曲者は両曲ともペルゴレージ(Giovanni Batdsta Pergolesi 1710-1736)。  ちなみに『スターバト・マーテル』の方は、映画「アマデウス」の中でサリエリの父親の葬儀の際に少年合唱隊が歌っていたあの曲だと言えばわかる人もいるかもしれません。

感想は是非ご本人へ!

桔梗野聡視さまのメールアドレスはこちら。

kikyono@gctv.ne.jp

神月のありがとうコール

どきどきしますね。これから果たしてどうなるんだろうと思っただけでもう!

もし続きを公開なさる時は、ぜひ読ませて頂きたいです。

キリスト教で禁止されている「同性愛」について、

そして(本人はそうではないと思っていたかもしれませんが)自分が当事者となってしまったことについて

栞はどのようにおもっていたのでしょうね…。

本当にありがとうございました!

 

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