小春雑記帖

譜について、補足。

今日はお稽古に弟弟子さんが来ていました。彼は紫朝師匠一筋の内向的な私とは違い、いろいろ達者なかたで、常磐津や小唄や踊りなど数々のお名取りでもあり、新内の三味線でも他流ですでにちゃんとした名前を持っていて、紫朝師匠のところへ来ていることも彼の中ではそれらのうちのひとつのようです。師匠に対する尊敬の気持ちさえあればどのような活動でも良いと思います。私のように師匠のお稽古に通っていればそれで良い、という訳ではないだろうし、いろいろ外で活動したほうが結果的に紫朝師匠のために役立つのかもしれない。人それぞれで、私は自分のやり方でやるしかないしできないだけで。その邦楽界演芸界に顔の広い弟弟子さんがこう話していました。

新内で現在人間国宝の方がこう言っていたそうです。

「喜代太夫さん(←紫朝師匠のこと)は昔の鶴賀の良い節をたくさん持っている」

鶴賀というのは新内の流派のひとつ。創成期から続く、新内の元祖ともいってよい名前。紫朝師匠は新内の名前を鶴賀喜代太夫といって、若い時分から大家元の代稽古をしていたり流しでも評判をとるほど優れた芸を持つ太夫でした。

「昔の鶴賀の良い節」とは、宝であります。人間国宝の人が持っていない宝を、ウチのお師匠さんは持っている、やはりそうなのです。わかる人にはわかっているのですね。でも、どうしてそれを知りながらその宝を皆さん大事にしてくれないのでしょう。。私は無力で何も出来ない。時々行って、その輝きを確かめてくる、ただそれだけ。

前にテレビで沖縄の伝統の織物についての番組で、博物館に残っている昔から伝わる柄を復元する職人さんが出ていました。国から指定される稀少な貴重な伝統工芸です。モノはモノとして存在し、目で見ることができ、何らかのカタチで残ります。しかし、音は、モノとしては存在しません。その都度生まれては消えてゆく。

例えれば、紫朝師匠は、江戸中期から伝わる貴重な紋様をたくさん受け継いでいて、自身が語る新内の中にちゃんと織り込まれているのです。で、実際聞けばそれがすごく良いんだから。生きた芸なのだから。。。言えばいうほどもったいない話であります。紫朝師匠にもっときちんと師匠の芸を継承できるしっかりした弟子がいればなぁ・・。悲しき現実。(03.6.28)

 もどル