【Is this the end ? I'm still in love with
you...】
〜英国産『ヘヴィメタル』の歴史〜
50年代にアメリカで生まれたロックンロールがイギリスに持ち込まれ、それが
進化する過程でアートロック、ハードロック、プログレッシブロック、グラムロ
ックなどと様々な呼び方で一括りにされ語られてきた。
その中で、1980年頃に出てきた「より過激なハードロック」を音楽誌のSounds
は”New Wave Of British Heavy Metal(イギリスのヘヴィメタルの新たな波)”
と紹介した。
当時、パンクなどの台頭で「ハードロック=時代遅れ」という認識があり、そ
れに対抗する為にNew Waveという言い方で表現したのだが、結果からすると若い
バンドで生き残ったのは極少数、そしてその若いバンドに集まったファンを上手
く巻き込む形で「ハードロック」世代のバンドが息を吹き返すという事になった。
しかし、このNWOBHMと略して呼ばれる状況の盛り上がりがアメリカに飛
び火し、MTVと結びついて80年代半ば〜後半にかけてハードロック/ヘヴィメ
タルの大きなブームを作ったのである。
ここでは、このNWOBHMという物の成り立ちと、その流れについて語って
みようと思う。
70年代後半辺りの英国ハードロックの状況を見てみると、DEEP
PURPLEの解散
と前後してできたRAINBOW、IAN GILLAN BAND(後にGILLAN)、WHITESNAKE、更に
70年以降に出てきたJUDAS PRIEST、THIN LIZZY、URIAH
HEEP、BLACK SABBATH、
THIN LIZZYなどの若手〜中堅バンド、音楽性の多様化を見せ始めていたLED
ZEPPELIN、THE WHOという辺りが中心となってシーンを形成していたが、長引く
不況でシーンそのものに翳りが見え始め、多くのバンドはその主戦場をアメリカ
に移していた。
アメリカの状況はイギリスよりも良かったから、不況の事などを唄う必用も無
く、ラジオで受けの良い曲を作っていれば良かった。それが、後にパンクの連中
に「あいつらは俺たちの関係ない所で関係のない唄を唄っているのさ」と皮肉ら
れる事になる。
強い衝動に揺り動かされて身近なテーマを唄い始めたパンクの台頭は、こうい
った背景の元に成り立っている。黒魔術や神秘主義、ヒッピーなどの”現実との
乖離・逃避”に対する揺り戻しがパンクというわけだ。
しかし、ハードロックを嗜好する若者にもまた、パンクス同様に不況・社会の
行き詰まり感が広がっていた。状況は誰も皆同じなのである。
パンクスがロンドン辺りのクラブを中心に盛り上がっている頃、やはりそれぞ
れの街で生活に追われながら「ハードロック」という聖地・隠れ家へと集まって
くる者がいた。そこからNWOBHMが始まるのだ。
このNWOBHMを語るときに欠かせないのが、DJのニール・ケイだ。
彼はハードロックを愛し、イギリスの音楽シーンがパンク/ニューウェイヴに
傾きつつある中で必死にそれに抵抗し、自分がクラブでDJを務める日に「HM
SOUNDHOUSE」という名前を冠してUFO、THIN LIZZY、BLACK
SABBATH、MOTORHEAD、
MONTROSEといったバンドの曲をかけていた。
やがてそれが規模を拡大させ広い会場に移ると、若いバンドによる生演奏を入
れるようになる。
勿論そこにはハードロックへの憧れ・情熱と、シーンへの反発があった。
ニールの元にはいつしか若いハードロックバンドが寄ってくるようになる。ク
ラブ/ライブハウスでの演奏の機会が減った為、まるで聖地に逃げ込むかのよう
に若いバンドの連中が集まってきたのだ。
そんな中に、IRON MAIDENやPRAYING MANTIS、SAMSONといったバンドがいた。
IRON MAIDENはスティーブ・ハリスを中心に何度もメンバーチェンジを重ねなが
ら活動を続け、ニール・ケイの「HM SOUNDHOUSE」に出演するようになる。レコー
ド会社のA&Rに”その長い髪を切ったら契約してやる”とも言われたそうだが、
彼らはそれを拒否し自分達の信じる音楽を演奏し続けたのだ。
「HM SOUNDHOUSE」での演奏が話題となり、彼らはニールの協力の下で3曲入り
のデモテープを作る。これがいまや伝説となっている「HM
SOUNDHOUSE TAPES」で
ある。
音楽誌SOUNDSの編集長ジェフ・バートン、DJのニール・ケイの後押しもあって
彼らはEMIと契約を結び、1980年にアルバムデビューを果たす事となった。
クリスとティノのトロイ兄弟を中心にしたPRAYING
MANTISもIRON MAIDENと同様
「HM SOUNDHOUSE TAPES」というデモテープを作ってレコード契約を取り付けた。
自費出版のシングルから活動を開始したSAMSONやANGEL
WITCHと共に彼らは”METAL
CRUSADE”と呼ばれるパッケージツアーを展開、パンクの台頭で下火になりかけて
いたハードロックシーンに衝撃を与える。
しかしパンクの急激な失速とイギリスの不況の長期化でレコード会社はその契約
の多くを途中で破棄、あるいはシングルのみで契約解除という方向に進んでいった。
PRAYING MANTISがその例で、せっかく取り付けたEMIとの契約をシングル1枚で破棄
されてしまう。どうにかアリスタレコードと契約を結んでLPを出すが、この時の
契約の仕方が後にバンドの運命を変え、PRAYING
MANTISを長らくの間『伝説のバン
ド』にしていたのだ。
ちなみにSAMSONはポール・サムソンを中心にしたバンドで、かつてIRON
MAIDEN
に短期間在籍していたドラマーのサンダースティック(覆面の男で、ドラムセット
の周りを檻で囲むなど『危険な奴』という演出をしていた)もメンバーであった所
からIRON MAIDENとの関係が深かった。このバンドに後に加入したブルース・ディッ
キンソンがIRON MAIDENに引き抜かれるという意味でも関係が深いのだが…。
NWOBHMのバンド群ではIRON MAIDENが最初にデビューしたと思われがちだ
が、実はSAXONが彼らよりも先にデビューを果たしている。SAXONはSON
OF A BITCH
というパンクバンドをルーツにして結成されており、1979年には既にデビューして
いた。とは言ってもパンク色はそれほど濃くはない。デビューアルバムに収録され
ていた"747(Strangers in the night)"はかなりメロディアスだ。
SAXONは1980年のアルバムに「DENIM AND LEATHER」というタイトルを付けている
が、彼らとIRON MAIDENがヘヴィメタル=皮ジャンorジーンズのベストにTシャツ、
ジーンズにブーツというスタイルを広めたと言っても過言ではないだろう。ファッ
ションに統一性があったのはこの二バンドだけだからだ。
NWOBHMにおいて彼らのように大手レコード会社と最初から契約できたケー
スはごく希で、多くのバンドが自費出版でシングル/アルバムを出していた。アル
バムを出せれば良い方、多くのバンドがたいていシングル1枚でシーンから消えて
いる。そんな中、その自費出版の世界から飛び出したのがDEF
LEPPARDだった。
彼らはジョー・エリオット、スティーブ・クラーク、ピート・ウィリス、リッ
ク・サヴェージ、フランク・ヌーンという5人で自費出版のアルバムを出す。
彼らが他のバンドと決定的に異なった点は、早い段階で力のあるマネージメント
と契約したという点である。多くのバンドはマネージメントと契約を結ばずに自分
達で全てを処理しようとしたが、彼らは長年苦労を共にするクリフ・バーンスタイ
ンというマネージャーを得て積極的にプロモーションを展開した。IRON
MAIDENも
ロッド・スモールウッドというマネージャーを得て(自分達でSANCTUARYというマ
ネージメント会社を作っている)活動したという点では同じだ。
ちなみにフランク・ヌーンはレコーディングのみの参加で、彼の後任としてリッ
ク・アレンが参加する。なんと当時リック・アレンは16歳という若さだった。
そのサウンドはヘヴィメタルと言うには洗練されポップな雰囲気もあった。バン
ドの見た目も良く、Polygramから出た1枚目のアルバム「ON
THROUGH THE NIGHT」
は”HELLO AMERICA"というヒットシングルを生んで一気に人気者となっていく。
ジミー・ペイジに憧れてギブソンのギターを低い位置で構えていたスティーブ・
クラークを例に出すまでも無く、彼らは「カッコイイ」バンドだったのだ。
DEF LEPPARDもシェフィールドという地方都市の出身だが、ロンドンから離れた
地方都市に拠点を置いていたバンドは、都市部の喧騒から少し距離を置いて地元
にあるマイナーなレコード会社からシングル/アルバムを出すようになる。ニュー
カッスルに本拠地を置くNEAT RECORDSやJET RECORDSといったレコード会社がそれ
である。特にNWOBHMに大きな役割を果たしたのはNEAT
RECORDSだ。
NEAT RECORDSからはVENOMがデビューしている。アバドン、マンタス、クロノス
という3人でNEATからシングルを発表、そのマイナー臭さと馬鹿馬鹿しいまでの
黒魔術・反キリスト教的なイメージで一気にアンダーグラウンドの世界で名前を
浸透させていった。彼らの存在がCELTIC FLOSTやBATHORY、SODOMなどに大きな影
響を与え、現在のデス/ブラックメタルの下地を作っている事は言うまでも無い。
後にMETALLICAが曲をカヴァーした事で有名になったDIAMOND
HEADもそうであっ
たが、VENOM、DEMON、ANGEL WITCH、WITCHFYNDE、WITCHFINDER
GENERALなど、黒
魔術や邪教崇拝をイメージ戦略に用いたバンドも多い。DEMONはステージのオープ
ニングでヴォーカリストが棺桶から出てくるという演出をしていたし、DIAMOND
HEADのヴォーカルのシーン・ハリスは黒衣に大きな鎌(死神が持っているような
やつ)という姿でステージに立ったりした。
NEATからは他にもBLITZKRIEG(バンドの名を冠した曲がMETALLICAにカヴァーさ
れた事で有名)やANGEL WITCH(初期シングルをNEATから出し、その後BRONZEから
アルバムを出している)、RAVEN(ギャラガー兄弟を中心に現在も活動中)、WHITE
SPIRIT(ギタリストのヤニック・ガーズは現在IRON
MAIDENに在籍)といった聞き
覚えのあるバンドが名を連ねている。上記を含めいずれにも共通するのだが、低予
算で録音機材も満足に揃っていないスタジオでアルバムを作っているので、音質は
おしなべて悪い。しかしその音質の悪さを補って余りある楽曲の魅力とバンドの勢
いがそこにはある。
しかもこのNEATは「LEAD WEIGHT」や「60 MINUTES
PLUS HEAVY METAL」といった
コンピレーションのカセットテープを販売していた。上記のバンドの音源に混じっ
てマイナーなバンドが曲を提供しているのだが、それらの曲にもファンの心理をく
すぐるようなものがあり、少ない資料を手にイギリス中の中古盤屋を回ってシング
ルを探すような連中を生み出している。
ある意味でEARACHEやNOISE INTERNATIONAL、MUSIC
FOR NATIONSといったレコー
ド会社のルーツと言えるだろう。
レコード会社間の繋がりだけでなく、バンド間でも繋がりを持つケースがあった。
MOTORHEADと、「MOTORHEADの妹分」と言われたGIRLSCHOOLだ。
レミー・キルミスター率いるMOTORHEADは「俺達はロックンロールバンドだ」と
公言しながらも、そのサウンドからパンク、ハードロックの両方のバンドから慕わ
れた。そして彼らの周辺から出てきたのが女性のみのバンド、GIRLSCHOOLだ。その
ラフなロックンロール風の音はレミーの好む所であり、両者はシングル"PLEASE
DON'T TOUCH"で競演する事になる。ちなみにこの時、彼らはMOTOR
HEADGIRL SCHOOL
というそのまんまのプロジェクト名を使っている。(HEADGIRLには女子校の級長と
いう意味もあるらしい。)
パンクバンドであるDAMMEDのメンバーだったアルジー・ワードが結成したTANKは
そのサウンドから「MOTORHEADの弟分」という見方をされていたりもする。実際、
彼らの格好よさに憧れてバンドを始めた連中も多かったはずである。
このNWOBHMの勢いにより、イギリス以外の国でも「ヘヴィメタル」という
冠を付けた連中が出てくる。ドイツからはACCEPTが、フランスからはTRUST(後に
IRON MAIDENに加入するニコ・マクブレインが短期間在籍。"ANTISOCIAL"がANTHRAX
にカヴァーされた)が、オランダからはVANDENVERG(後にWHITESNAKEに加入するエ
イドリアン・ヴァンデンバーグが率いたバンド)、デンマークからはPRETTY
MAIDS
やMERCYFUL FATEが登場した。
アメリカでも、以前から活動していたVAN HALENに加え、RIOTやTHE
RODS、Y&T
(活動初期はYESTERDAY AND TODAYと名乗っていた)、QUIET
RIOTらが出てくる。
それを後押ししたのは活動拠点をアメリカに移し、元QUIET
RIOTのランディー・ロ
ーズを曲作りのパートナーに選んだオジー・オズボーンだ。
オジーのツアーには前座としてNIGHT RANGERやMOTREY
CRUEといった連中が同行、
前座バンドに自由にステージを使わせたおかげで、全米にヘヴィメタルという新し
い音楽を広める事になったのである。
TRESPASS、GASKIN、LIMELIGHT、GRAND PRIX、LIONHEARTなどなど、マイナーに甘ん
じたバンドを挙げていけばキリが無い。しかしそういったバンド群に活動の機会を与
えたNWOBHMは、ベテランバンドの復活をも演出していた。
1980年にはイギリスで第一回モンスターズ・オブ・ロックが開催され、アメリカの
RIOTらと共にRAINBOWが出演している。グラハム・ボネットの参加でアメリカナイズ
されたと批判されたが、その質の高いハードロックは若いファンにも受け入れられて
いた。当時リッチー・ブラックモアとコージー・パウエルの関係の悪さは周知の事実
だったが、このフェスティバルでの演奏が(ドラムソロの後にグラハムが『コージー・
パウエル!』と3回叫んで去る者への敬意を表したというエピソードと共に)話題と
なり、商業的な成功とDEEP PURPLE再結成の布石を敷いたという事になるのである。
また、天才ギタリストのウルリッヒ・ロートを欠きヴォーカリストのクラウス・マ
イネが喉を痛めた事から活動すら危ぶまれたSCORPIONSが、アルバム「BLACKOUT」で
劇的に復活したのもこの年である。オジー・オズボーンの脱退でヴォーカリストの座
が宙に浮いていたBLACK SABBATHも、元RAINBOWのロニー・ジェイムス・ディオを迎え
攻撃的でありながらバンドらしさを前面に打ち出したサウンドを提示した。
LED ZEPPELINのジョン・ボーナムが死亡しバンド解散という結末を迎えた悲劇の年
でもあったが、とにかく「ハードロック」に冠するニュースに満ち溢れた年だったと
も言えるだろう。
1981年のレディング・フェスティバルは、前年まで席巻していたパンクバンドが影
を潜めてヘヴィメタルのバンド群が一気に登場した年だった。そこには元UFOのマイ
ケル・シェンカーが元RAINBOWのコージー・パウエルと共にバンドを結成して復活し
話題となっている。SCORPIONS、UFOといったマイケル絡みのバンドも出てきていて、
それぞれがそれぞれに復活を強くアピールしている。
同時期にはデヴィッド・カヴァデール、イアン・ペイス、ジョン・ロードと元DEEP
PURPLEの3/5を擁するWHITESNAKEが"FOOL
FOR YOUR LOVING"のヒットでその地位を確立、
イアン・ギランも元TORMEのバーニー・トーメや元WHITE
SPIRITのヤニック・ガーズら
若手をバンドに引き入れてヘヴィメタル色を強めた音楽を提示した。日本でもこの頃
にLOUDNESS、ANTHEM、EARTHSHAKERといったバンドが登場、後の「ジャパメタ」ブーム
を作る下地となっていくのである。
しかし1982年になるとある程度の実力のバンドは殆ど出尽くし、真の意味でのB級
バンドが増えてくる。そして、彼らのようなバンドにトドメを刺すかのようにTHIN
LIZZYが1983年のレディング・フェスティバルを最後に解散する。それ以前に行われ
たツアーで実質的に解散していたのだが、ファンとマネージメントがレディングへの
出演をバンド側に要求した為に出演が決まったという、いわば『引退興行』だった。
UFOも同時期にメンバーを激しく替えながら沈黙期間に入り、重鎮的存在であった
THE WHOも1984年のツアーを最後に解散、JUDAS
PRIEST、DEF LEPPARD、IRON MAIDEN
といったバンド達は目標をアメリカに定めて長期ツアーに乗り出した。ANGEL
WITCH
やSAXON、VENOMといったバンド群もこの頃には勢いを失っており、多くのバンドが自
然消滅・解散という道を辿っている。
それと入れ替わるようにアメリカでは1982年辺りからロサンジェルス/サンフラン
シスコ周辺で出てきたバンド群がLAメタルとして姿を表した。そして1984年にVAN
HALENがアルバム「1984」を発表、"JUMP"の大ヒットで世界を席巻した時にそのヘヴィ
メタルと呼ばれる音楽の主導はアメリカに移ってしまったのである。
余談だが、DEEP PURPLEが再結成されたのは1984年の事だ。RAINBOWがNWOBHM
を踏み台にしたかのように、DEEP PURPLEもこのLAメタルの勢いを借りて世界に出て
行こうとした雰囲気があり、その辺にリッチー・ブラックモアのしたたかさを感じる。
『灯台下暗し』と言うが、このNWOBHMを一番いいポジションから眺める事が
できたのは、実はイギリスのジャーナリストではなくそれ以外の国の連中だ。特に、
当時多くいたキッズらと共に共通の体験をしながら日本という『外国』からそのシー
ンを眺めていた伊藤政則氏辺りが語り部となり得たのは、異国にいるが故にその現場
を客観的かつ広い視野で捕らえる事ができたから、そしてジャーナリストという立場
故に多くのバンドと接して彼らの音をリアルに感じる事ができたからである。
伊藤氏は1990年に「NWOBHM10周年」としてイベントを企画した。IRON
MAIDEN、
PRAYING MANTIS、SAMSON、ANGEL WITCHという「METAL
CRUSADE」ツアーを再現したか
ったらしいが、IRON MAIDENの現役のメンバー達は不参加、SAMSONもANGEL
WITCHも来
日せず、結局PRAYING MANTISに初期IRON MAIDENに在籍していたメンバーをプラスする
形での即席バンドによる演奏に留まった。
しかし、METALLICAのラーズ・ウルリッヒ(彼はDIAMOND
HEADやTRESPASS、MERCYFUL
FATEのツアー追っかけをしていた少年だった)らの協力の元、貴重な音源を集めての
コンピレーション盤を出すなどしてプロモーションをした結果、テイチクレコードや
MCAが埋もれていた名盤をCDで再発するようになったのである。それまでは高い
値段を払って中古盤を捜すしかなかったジョン・サイクスのシングル「PLEASE
DON'T
LEAVE ME」も現在ではCDで聞く事ができる。
NWOBHMも現在の視点で眺めれば一過性のムーブメントでしかなく、そこから
生き残ったバンドも少数だ。しかし、彼らが残した物は確実に後の世代に引き継がれ
ており、さらにそこから新しい動きが出た。NAPARM
DEATHやCARCASSといったイギリス
出身のハードコア/デスメタルのバンド群は、アメリカのスラッシュメタルから影響
を受けてはいるものの、そこにあったヘヴィメタルの土壌があったからこそ生まれた
と言えるだろう。
安全牌の流行物しか扱わなくなった英国の音楽シーンから、新しい動きが出る事は
もはや期待するのが間違いなのかも知れない。しかし、そこにはまだ自分達の信じる
音楽を演奏し、明日の栄光を夢見ている連中がいる。
この文章のタイトルにもなった、THIN LIZZYの曲の一節をもう一度引用して締め括
ろう。
Is this the end ? I'm still in love with
you...
(これで終わりなのか? 俺はまだ君の事を愛しているのに…)
CATHEDRAL、NAPARM DEATHといったバンドが活動を続ける限り、まだ『終わり』に
はならないはずだ。人が死なない以上、音楽もまた、死にはしない。
【END】