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Davide Yoshi TANABE
vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第51号
Tokio, le 20 novembre 2000

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Indice(目次)
1.ラヴェル
2.モレ フランス・ジュラ
3.ボジョレ・ヌヴォ
4.フランス人の名前
5.街で拾ったフランス語
6.あとがき

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1.Mauric Ravel
  
http://www.france.diplomatie.fr/culture/france/musique/composit/ravel.html
  http://www.academie-ravel.com/

 ラヴェル。彼もまた有名なフランスの作曲家ですね。(1875-1937)。パリ郊外のモンフォール・ラモリMontfort l'Amauryでうまれています。ランブイェの近くです。家は博物館のようになっていて、公開されています。外国が好きだったようでギリシャ、スペイン、ハンガり、ロシア等各地を旅行しています。そう言えば、曲目でもスペイン・ラプソディー等国外に題材を求めたものがおおいといえましょうか。このラプソディーRapsodieの意味はもとはRapsode、ギリシャの吟遊詩人から来ているのですが、一九世紀に流行った民族音楽からインスピレーションを受けてラヴェルやリストがよく作曲しています。日本語では「狂詩曲」と訳されています。何故「狂詩」なのかわかりません。Rapsodeという詩を朗詠した人は、ホーマーなどが主であったとありますから、どうも「狂詩」がどこからくるのか不明です。

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2.Morez, Jura: Vuillet-Vega, la passion de la perfection
  http://www.vuillet-vega.com/
  fascination: horloges "Morez" et franche comt
  http://www.faszination.ch/morez_f.htm

 モレはフランス・ジュラ県にある小さな町です。ジュラはスイス側のカントンの名前でもありますから、フランス・ジュラとことわりました。時計産業の中心地でした。日本の長野県ですね。フランスの時計などといっても、カルティエやショメなどの殆ど貴金属アクスエサリーに属する時計を別とすると、余り知られていないのではないでしょうか。確かに時計は、スイス、日本。しかし、モレ市に眼鏡産業が残りました。掲題のヴュイェ・ヴェガは一五〇年の歴史を誇る老舗です。古(いにしえ)の置時計のコレクションもあります。既製のブランドもののとは違った、近頃流行りの言葉を使えば「こだわりの」眼鏡を見ることができます。眼鏡にこんなにも多種があるのかと驚かれることでしょう。

 ジュネーヴからモレを経てブザンソンにぬける街道は道も狭く山間(やまあい)なのですが、秋冬にはよく通った懐かしい道です。

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3.bojolais nouveau
  http://www.chateau-online.com/promotions_st/beaujolais2000.asp

 今年も季節が巡り、ボジョレ・ヌヴォが去る十一月一六日、世界的に届けられました。僕はとくにボジョレ・ヌヴォだからといって大騒ぎするわけではありませんが、ワインとしては葡萄の味が濃い(フリュイテFruite')ので余り好きではないのですが、ともかく季節をかんじますね。ボジョレはブルゴーニュといってもいいのですが、正確な産地はローヌ・アルプRhone-Alpes県ですから、隣に位置します。ワインとしては特に高級ではなく、ポピュラーな口当たりの好いものです。AOCとラベルに書いてありますが、これで一本26フラン、今の為替で470円程度、少し格の高いボジョレ・ヴィラージュBojolais Villageで32フラン程。さらに産地が特定したサン・タムールSaint AmourやフルリーFleurieでも倍はいきません。ここのワインは数年で飲みきるのがいいので、タンニンの多いボルドーなどの様に長期保存すれば値が上がるものでもありません。今年は豊年だそうであります。AOCとは産地証明ですから、安心です。日本もかなりワインの消費があがっているようですから、長野、十勝など産地証明してもらいたいものです。もっとも、ラベルをみると日本のワインは殆ど全部、土地のワインと輸入ワインの混合のようですから、産地証明もつけようがないのかもしれません。カリフォルニア、チリ、オーストラリアの美味しいワインが輸入されています。ワインは値段ではありません。

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4.Le guide des prenoms
  http://www.prenoms.com/
 
 子供が生まれたときにつける名前がプレノンです。フランス人または一般的にヨーロッパの人の名前(姓ではなく)は数がかぎらられていますね。中には珍しい名がないわけでもないけれども、余ほど変わった親の場合でしょう。普通は聖人の名前かそれを母体とした変化しかありません。日本はこと名前に関してはフランスより自由です。フランスでも法律による規制はなくなりましたから、これから日本並になるかもしれません。鴎外は子供にマリだとかルイだとか、そうとう凝りました。僕の日本の親友もルネ、アガタと息子と娘につけました。それぞれ漢字を当てはめてはいるのですが、果たして子供達はどう感じているのでしょう。そんな決まった名前でも流行と言うのがあって、このサイトによれば、女の子ではクロエCloe'、レアLea、マノンManon、マリMarie、ロラLauraがトップ5だそうで、男の子ではトマThomas、リュカLucas(これはLucが普通なのですが、スペイン風にLucas)、ディランDylan、アレクサンドルAlexendre、マクシーMaxieであるとか。二十世紀を通してみると女性ではMarie, Jeanne, Francoise, Monique, Anne, Catherine, Isabelle, Nathalieが上位を占めています。男性ではJean/Pierre/Andre/Michel/Rene/Marcel/Louis(ルイ), Jacques, Henri(アンリ), Philippeと続きかなり聞きなれた名前がならんでいます。最近の傾向とあわせみると、最近は出きるだけクラシックな名前を避け様として、結局同じような名前が並ぶという、日本でも見られる現象が、かの地にもあるということでしょう。さらに、コンビネイションでジェン・リュックJean-Luc, Jean-Marie(これも男性)など工夫もあります。親戚縁者があれこれいって結局、三つも四つも名前のある人も珍しくありませんが、

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5.街で拾ったフランス語

 突然ですが、「小島輝正」という方をご存知でしょうか。僕は存じ上げませんでした。仏文科ではなかったからかもしれません。小島輝正が若い頃は戦争の時代でした。兵隊としてハノイに敗戦前数年を過ごしました。ハノイ滞在中に、仏文科の出身であった学徒小島は、あるフランス語の本を古本屋で発見します。それが一九世紀の歴史家オギュスタン・ティエリAugustin Thieryの「メロヴィング王朝史話(Recits de temps merovingiens)」でした。フランスの歴史でも中世以前のいわゆるフランク王国の時代、クロヴィスが築いた王朝の物語で、丁度中世に入るところで終わっています。戦争の最中(さなか)、学問に飢えた真のインテリとも言うべき小島は、フランスの面影を濃く残すインドシナはハノイで、恐らくは戦争を憎みながら、遠くフランスを思い、しかもその古代と中世の歴史に思いを馳せていたのです。そして、敗戦。内地引き上げのリュックには、この「メロヴィング王朝史話」がしのばされていました。混乱の戦後。1948年。僅か六ヶ月で翻訳を終えたのですが、その時、約束の出版社は倒産してしまいます。更に数十年、小島が鬼籍にはいってしまってから(享年六七才、1987)彼のこの翻訳が岩波からはじめて出版されました(1992)。翻訳は青年小島の情熱が迸る、熱い思いがひしひしと伝わってくる素晴らしい訳です。ティエリの作品自体がすでに一大ロマンですが、僕は小島輝正の青春もまた大いなるロマンだとおもいました。

 その後淡々とした毎日の中にも、壮絶な悲劇が1954年、彼を襲う。それは妻の自殺であった。やがて小島輝正は神戸大学に奉職、かたわら大阪文学学校の面倒をみ、多くの文学青年を援助したようです。アラゴンの詩の研究等輝かしい業績を上げられている。僕はメロヴィングよりこの小島輝正という人に興味を持ってしまった。小島種子夫人が、「夫小島輝正との最後の入年間」なる本を書いていらっしゃるらしい。ネットで頼んだがまだ届かない。
 読者のなかに、どなたか小島先生についてご存知の方がおられたら、ぜひお教えお願いいたします。尚、上記小島輝正の記事には相当の推量が入っています、ご承知おきください。

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6.あとがき

 先々週の49号でご紹介したMLプルースト読書会に応募ありがとう御座いました。その折、eGroupでのコードに誤まりがありました。検索の際のコードは、全て小文字の「mpoust」でした。訂正しお詫び申上げます。

 泥棒のことを書こう。海外でスリ、窃盗の被害にあった人は多い。僕も例外ではない。先ず、バルセロナでの被害について、思い出すままに書く。正月休みで義弟のところに行った帰りのことだ。車を駅近くの路地裏に駐車していた。Sanz中央駅ではなく、フランスから列車が入ると、フランスとスペインでは軌道の幅が違うので、その修正の為にとまるところで、Estacion Franca(フランサ)とカタラン(バルセロナ地方の方言)で呼ばれる駅である。動物園の近くにある。その駅で次回は列車で来るために、時刻表などを調査した。車のところにもどってみると社内が物色された形跡があり、ドアの錠が壊されていた。車内にものを置かないのは、スイス、ドイツを除いた大陸国での鉄則である。それを犯して、「ちょっとの間だからいいだろう」と路上駐車してしまったのだ。内側からトランクが開けられたのだが、それは無事だった。致し方ない。近くの警察にいって調書を作らねばならない。調書がないと保険がおりないからだ。被害額が少なくても保険がきかない。盗られたのは、前日コルテ・イングレス(三越くらいの格のあるスペインのデパート)で買った背広と皮のジャケットだったが、それにいくつかValueを付け加えて調書を作成してもらった。面倒だからと、紛失届ではスペインもフランスも、警察が相手にしてくれない。たいしたヴァリューでもないから物品だけの紛失では、紛失証明を出さない。旅券などを紛失した場合はそれを作ってくれるが、盗難としないと、休日だと翌日来いということになってしまう。見知らぬ第三者を相手取って、告訴する形をとらないといけない。こんな調書を一体何枚作ったことがあるだろうか。バルセロナではその後立ち寄るたびに、車をガレージに入れることにした。小さな駐車場が街のいたるところにある。ランブラス大通りを境にして港に向って右手の、あのジャン・ジュネの小説で有名なバーリオ・チーノ、左手でピカソ美術館、市役所、カテドラルがあるバーリオ・ゴティコ辺り、一番危ないところで、それだけに僕の好奇心をかきたて
るので、悦にいってよく散歩し、怪しげなバーに入っては刺青をした船員連中や彼等目当ての女たちを眺めたバーリオ(フランス語のQuartier-地区-)に行くときも、車を駐車場に入れてしまう。
 港町が好きだ。一番好きなのは、ナポリと神戸である。そのナポリでは、最も暴力的被害にあっている。三度目に行ったときだった。それまではローマから列車だったが、そのときは車でチュニスからシチリアにはいり、ナポリで数ヶ月滞在する積りでいたときだ。例によって安宿だったが、宿の前に車を駐車しておいた。街頭が煌煌と輝いて道を照らし出しており、宿のレセプショニストの起きているだろうから大丈夫と思ったのが、大間違い。翌朝下宿を探しに宿を出てみると、サイドのガラスが割られていて、カーステレオは廻りからバールか何かでバリバリと壊されて盗まれていた。泥棒の技術もへったくれもない、まざまざと暴力的仕事をみせつけられた。参った。しかし、当時は保険もかけていない。いい教訓である。車はホンダ・シヴィックだった。駐車場のあるローマの環状道路のホテルで、ホンダの代理店から部品を買い、自分でボードを取り付けた。ナポリでは、駐車場で他人の車に瑕(きず)をつけ、集(たか)られたこともある。それでも僕はナポリが好きで、その後何回となくいっている。勿論車はガルディアン付きの駐車場にいれることになったが。(続く)

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