★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
Davide Yoshi TANABE
vous presente
≪週刊フランスのWEB≫
第61号
Tokio, le 12 fevrier 2001
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
Indice(目次)
1.革命は一日にしてならず、ヴァルミーの風車
2.蒸気自動車
3.二十世紀の証人ブレッソン
4.クスクス
5.日本語になったフランス語
6.あとがき
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1.Moulin de Valmy
http://www.reconstruction-valmy.org/historique1.htm
ヴァルミーの戦いというのがあった。フランス革命があってから数年後のことである。建物としては面白くもなんともないオペラ座をバスティーユにミッテランが建ててしまったけれども、オペラ鑑賞には音響効果、また何処からでも舞台が見えるという意味で民主的な、つまりボックス席などがない、その新オペラ座のあるバスティーユでフランス革命が成就したことになっている。これは勿論象徴である。革命は一日にしてならず。バスティーユ襲撃から血なまぐさい内乱がほぼ百年もフランスでは続いていたのである。内乱があるとき、目を外に向けさせるのは為政者の常套手段にちがいない。しかし、十八世紀末のヨーロッパの地勢は確かにアンシアン・レジームの抵抗とからみあって、フランスにとって国家的危機に面していた。国家、この場合nationを意識しだしたのはこのころからで、革命の混乱からフランスがまとまって、敵プロシャに勝利したのが、ヴァルミーの戦いであった。したがって、ヴァルミーはフランス人にとって重大な意味を持つ。革命は階級の権利主張である。ヴァルミーでプロシャに勝利したときの雄叫(おたけ)びは「Vive
la Nation !(フランス万歳)」である。
戦いのとき、中世に作られた風車小屋が破壊された。シャンペンのマルヌ県にある。たいした風車とは見えないし、水車が全盛になってから実際に使われもしなかった風車小屋である。多少小高く大砲の標的にされた小屋である。だから、ヴァルミー公ケラーマン将軍が取り除かせたというのが真相らしい。しかし、その後国民的象徴となった。ために再建が何回も計画され、実際再建された。ところが、一昨年の冬の暴風、これはすごかった。あえなく風で風車小屋が吹き飛んでしまった。そこで、またまた再建しようという運動がもちあがった。それが、このサイトである。日本ならこうしたことは簡単で、石碑をたてればおしまいだ。あとは現地を訪れる人のイマジネイションにまかせる。原型を復帰させないとすまないフランスの精神はやっかいであるとみるか、あなたは?
====================================
2.Joseph Cugnot
http://perso.club-internet.fr/pboursin/cugnot.htm
http://www.cnam.fr/museum/f/editions/cdrom/albumcdrom/fardier.html
キュノーは蒸気自動車を発明したフランス人軍人(1726-1804)である。いまある自動車も一朝一夕にある一人の発明家が「えいやっ」と作ったわけではない。ガソリンエンジンになるまえに、やはり蒸気を考えた。上記の二番目のサイト、科学技術博物館のサイトでは、なんとそのエンジンの音まで聞かせてくれる。軍人のことだから目的は、戦闘のための大砲などを運ぶ手段として開発したのだった。
今日のハイテク自動車もこんな技術の積み重ねである。フランスはキュノーを忘れていない。忘れないために、学校の名前で残したり、通りの名前にする。関孝和(江戸期の世界的にも偉大な数学者)や伊能忠敬の名を冠した専門学校はなさそうだ。記念館はきっとあるのだろうが、技術の進歩は先人を否定するだけではないから、もっと身近に先駆者をたたえる形式があってもよいのではないか。といっても、やたらと神社をたてられてもかなわないが。
====================================
3.Henri Cartier Breson
http://noproblems.multimania.com/Photo/Bresson/index.htm
フランスの写真家である。二十世紀を代表する写真家といてってもよい。一九六五年には日本にも来ている。世界中を飛び回った。先の大戦ではドイツ軍の捕虜にもなった。左翼の人だから、ヨーロッパの写真家として始めてソ連にもいっている。蒋介石と毛沢東が争ったころの中国、独立運動のガンジーのころのインドにも出かけている。かといって社会的事件を追いかけただけではない。歴史の証人としてあらゆるジャンルに首をつっこんだ。写真を撮る前の学生時代は絵を習っている。ここ二十年ほどは写真よりもデッサンに打ち込んでいるらしい。なぜなのかは分からない。スタジオで作るような写真は嫌いだったときいたが、味のある写真ばかりである。その一端をこのサイトが見せてくれる。
====================================
4.coucous
http://www.fme.asso.fr/ferico/
http://perso.wanadoo.fr/moktari/
クスクスは北アフリカの料理である。しかし、いまや殆どフランスの料理に組み込まれている。日本語の辞書によると「砕いた小麦を炊いて」とあるが、これは誤りである。原材料は、パスタと同じ硬質の小麦粉で、本来は家庭で、主婦が手にオリーヴオイルそ塗り、その手に小麦粉をつけて擦るのである。するとボロボロと小麦粉の粒ができる。これを蒸す。しかし、こんな面倒なことはしていられないから、出来合いを買う。フェリコはその有名なメーカーである。ソースは羊肉、魚、野菜などの煮込みで、かなりスパイシー。僕には当初偏見があって、とても口に合わなかった。ポソポソして口当たりがわるく、とても料理といえる代物(しろもの)ではないと思っていた。クスクスの旨味がわかるためには数年を要した。
東京でクスクスの美味い店を探しているが、みつからない。新宿で試したときは酷い目にあった。エジプトやレバノンではそれほどポピュラーではないらしいから、やはりオリジンがスーダンとしても北アフリカが本場だろうが、フランスでは結構美味い店がある。しかし、もっとも美味いのはアルジェリアであろう。モロッコは薄味になり、チュニジアは辛すぎる。
アルジェリアは、つい数日前にもテロがあり犠牲者がでている世界でも最も危険な国になってしまった。本家のイランは雪解けだというのに、マグレブ(西の果て)の国アルジェリアは方向を間違ってしまった。フランスの海外県として圧制を受けた反動と見る人もいるが、僕はそうは思わない。現在の膨張する人口の多くの世代は、「植民地」時代を知らない。一九六二年の独立だが、それ以降の政治の責任である。対岸は自由の国ヨーロッパである。情報はいくらでも入る。フランスのTVもみることができる。フランスにはたくさんの移民がいる。そこ
にアラブを持ち込んだ。人種は雑多で、アラブ系ばかりではない。第一、フランスの前の支配者はトルコでアラブではないのだ。欧州人種の源流といわれるカビリー(白人)も多い。宗教は逃避である。現実の経済、社会問題を一挙に解決してくれるかにみえる幻想である。中国の文化大革命のようなもので、いずれ熱はおさまる。それまで殺戮は繰り返されるだろう。不幸なことだ。しかし、薬はない。神聖ローマ帝国の時代からそこは地中海文化圏で、アラブもまた輸入である。アイデンティティをアラブとすることに間違いがある。マグレブとしての独自性に目覚めなければならない。石油、天然ガスに頼ったことも間違いであった。見よ、ヴェネスエラのカラカスを。廃墟だ。しかし、希望がある。それはこの国の女性たちである。独立運動でも活躍した彼女たちが、女性用に仕切られたモスケ(回教寺院)の隅っこでくすぶっているとは思えない。スペイン、モロッコ、アルジェリア、チュニジアの女性たちは教育を得た。インテリである。モティヴェイションを持っている。いずれ彼女たちが表にでてくる。その時、だらしのない男は、最後の暴力をふるうであろう。しかし、長続きはしない。僕は彼女たちにエールを送る。
====================================
5.日本語になったフランス語
・グルメ Gourmet。美食家と訳されているが、その通りである。美酒美食を好むというよりも、デリケートさが分かるという意味である。量的な問題は、良く比較に出されるグルマンgourmandになる。しかし、これとても、ただ大食漢というだけではない。大阪のように食い物にうるさい町などはville gourmandeといえようから、「美味しいものがいっぱいある」という意味にもなる。またグルマンは「燃費の悪い」(自動車)ともいう。日本の車の宣伝でフランス語がよくでてくるが、voiture
gourmandeといっていた。
・クレヨン Crayon。普通、日本でクレヨンといっている画材としてのクレヨンはパステルPastelと云い、これも日本語になっていると思う。クレヨンはしかし「鉛筆」のことである。万年筆及びボールペンはスティロStylo。シャープはミーヌMine。長ったらしい言い方もあるけれどもそれはもうつかわない。僕にはペン胼胝(たこ)の形跡がまだ残っているが、もうペンを使うことが全くといっていいほどない。キーボードClavierクラヴィエをたたくようになったからで、これは革命である。
・クロッケー Croquet。スポーツのクロケット。ただし、これは中世フランス語が英国に輸出され、再びフランスに戻ってきたものらしく、文字の最後の「t」も発音する。だから正しくはクロケット。たしかに中世のフランス貴族が、庭でミニゴルフのようなクロケットをしているのを映画で見たことがある。ゲートボールのようなもの。英国やインドで盛んなクリケットCricketとはまた違う。クロッケーが日本語になっているかは多少疑問。
・クロワッサン Croissant。ご存知「三日月」型のパン。フランスのものと思いきや、元はといえば、オーストリアはウィーンが発祥の地という。トルコとの戦争の戦勝記念に「三日月」の菓子パンをつくったとか。一六八九年の話で、ではナポレオンの朝食にクロワッサンは出なかったということか。ドイツ語からの翻訳のフランス語として認められているのが、一八六三年なので。ついでに、回教国の赤十字組織は「赤三日月」croissant
rougeなのである。
====================================
6.あとがき
ケチオとは本当の名前ではない。「ケチ」な奴でもない。「ケイイチ」という立派な名前がある。しかし、これが発音できないフランス人が多い。なまってケチオになってしまった。カルメンも発音できずに、彼女の場合はケチオ君の誕生日が、五月二十六日なのでVingt-six
Maiということになった。26・5君ということである。なにしろケチオは美男子にして気がやさしいものだから、洋の東西を問わずよくもてた。僕の北アフリカ時代である。パリでいかにもてたかを肴にワインを一緒にのんだ。毎日毎日来る日も来る日も一人一本は最低空けていた。テニスもよくした。ある日フランスで車を買ってくるというので、僕も一部資金負担をした。当時免許がなかった僕もドライヴに誘ってもらうためである。買ってきた車は、小さな小さなオースティン・ミニであった。子犬のようなかわいいその車でさっそく、連休を利用してチュニスまで出かけることにした。昼は交通量が多いからと夕方出発した。思惑通り道はすいたが、高速道路の未発達な国だから時間が思いのほかかかる。真夜中、突然車がとまった。ガス欠ではない。オーヴァー・ヒートしたのでもない。しかし、動かない。ケチオ君は、エンジン音がおかしいといっていたが、僕にはそう思えなかった。快適な旅だった。中古車だったが、フランスでエンジンを新しいものと取り替えたという。ともかく動かないから、道脇に寄せて、近所に宿もないので車中泊となった。狭い。寒い。まぁ、なんとかなるだろう。明日修理しよう。持ってきたワインをあける。チュニスはいいぞ。カルタゴもきれいだぞ。ぼくはチュニスも知っていたので、ついたら何をして遊ぼうか、プランを話した。この分ならもっとワインを持ってきたらよかったな。翌日、日がのぼってから、エンジンを見ると、穴があいていた。えっ、こんなところに? オイルがもれてるけど、蓋すればいいんじゃないの?でもケチオによれば、これは、重大な欠陥車らしい。二度とオースチンなんか買わないぞといってももう遅い。近くの修理屋に車を預けてすごすごと汽車で帰った。車は修理のパーツがないということで、廃棄、売却処分することになった。それから数年後僕が免許を取り、このときの経験からホンダの新車をパリで購入した経過は既に書いた。
ケチオはその後いかにもしっかりとした日本のお嬢さんと結婚した。さばさばとしたいい人だ。アガサちゃんとルネ君と名づけた子供たちにも恵まれた。ファッション界に大志を抱いてパリに来たのだが、現実のその世界は実力だけではない汚い世界で、やさしい彼には耐えられなかったときく。日本では中堅だが未上場をつらぬく家族会社に就職し、誠実なサラリーマン、パパになった。しかし、健康を害して倒れた。ガンを宣告され、手術もした。痩せ果てたが、なお元気だった彼に最後にあったのは神田の寿司屋である。
訃報は僕に知らされなかった。たまたま彼の会社にスイスから電話を入れて知った。慌てて八方に連絡、事情が飲み込めたが、神田での別れの後姿が目に焼き付いている。彼の奥さんは「だって、田邊さんには云えなかったのよ」と涙されてしまった。そうだろう。云えないよな。あれだけ毎日飲んでいれば、赤ワインだから血がアルカリ性になったって、胃にいいわけがない。ぼくにも一端の責任がある。ケチオの声が聞こえる。彼は僕の心の中で生きている。「田邊さん、飲みすぎちゃダメだよ。でも、また飲みたいねぇ」
僕の周りで亡くなった人はまだ数えるほどしかいない。彼らの墓参りなんか行かない。なぜなら、彼ら彼女らは僕の中で鮮明に生き続けているのだから。
来週はコンラッド君とフレデリック君について書く。一人はルガノ、もう一人はジュネーヴの青年である。二人に共通しているのは僕の友人というよりは、カルメンの友人だったこと、そして二人とも若くして自殺してしまったことである。世界一豊かな国の不幸である。(続く)
さて最後にこの日曜日が建国記念日であることを思い出した。無理をして復活した記念日だが、国民的コンセンサスがない。こんな日を設定するからいけない。紀元何年か今や誰も知らない。僕なら大政奉還をした日、現行暦では十一月九日か、丸山真男ではないが敗戦の八月革命説をとって、八月十五日とすべきである。祝日Fete
Nationaleが休日conge'(コンジェ)でしかない国はどこかがくるっている。