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Davide Yoshi TANABE
vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第79号
Tokio, le 18 juin 2001

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Indice(目次)
1.トラピスト
2.吃音(どもり)
3.パール・ハーバー
4.エンリコ・マシアス 「さらば 祖国よ」
5.日本語になったフランス語
6.あとがき

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1.Trappiste
  http://www.abbaye-montdescats.com/index_explorer.php?compteur=oui

 ベルギー国境近くのトラビスト修道院モンデカのサイトである。先々週「日本語になったフランス語」でトラピスト修道会をドメニコ会やフランシスコ会と並べて書いたが、これはいささか誤りである。というのはドメニコ会などは修道院活動というよりも托鉢mendiant規律の基督教であり、比すべきは修道院規律のベネディクト派、シトー派などでなければならなかったようだ。トラピストとはトタップTrappeの人と言う意味だが、ラ・トラップla Trappeで「厳律」と訳されるように厳しい戒律の修道士である。1664年フランスのランセRance'士が開祖となる。サイトではその自立生活の一端を窺い知ることが出来る。賛美歌も聞こえてくる。またそこでつくられているチーズの様子も画像でみえる。

 日本にも明治期にフランスから修道士が来て、函館(当別)に修道院を立てた。バターやクッキーで有名になった今日は現象として少し世俗的すぎて可哀相だとおもうが、まだ修道院の中までは土足で上がれないようでなによりである。トラピストは外に九州大分にも修道院がある。以前このMMでとりあげたラサール学校も北海道と九州であった。参考までに日本のサイトを下記する。

http://www.d1.hotcn.ne.jp/~a-kiyota/toubetu/traHuyu.html
修道院が運営するサイトではないが、個人のサイトそして比較的真面目に作成されている。
http://www.coara.or.jp/~trappist/
こちらは大分のトラピスト修道院のオフィシャル・サイト。いずれも男子の修道院だが、尼僧(童貞様)の修道院としては那須、西宮など五箇所にあるそうである。

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2.Begaiment
  http://home.worldnet.fr/~humezol/parole-begaiement/

 どもりと書いて「吃り」と変換されない。正式には「きつおん(吃音)」というらしい。フランスでも笑いの種になる。しかし、吃音者にたいする偏見には違いない。フランスの人口の1%が吃音という。4:1で男子に多く、七割近くが三歳から七歳の間にあらわれる症状と説明されている。サイトは吃音矯正協会のページ。なかなか充実している。メイリング・リスト(Liest de diffusionという)も作って会員相互の情報交換をしている。

 何故ここで、どもりのサイトかというと、ヴィデオで緒方明監督の「独立少年合唱隊」を見たからである。少年伊藤淳史君のどもりは愛嬌があって可愛かった。合唱を通してどもりを克服するのは方法として面白いと思う。学級崩壊、登校拒否の風潮の昨今、全寮制中学という特殊な雰囲気のなかでだが、友情らしい友情が語られていてこれもtres bienではないか。時代背景が七十年代と設定されているが、画面からはもっと古そうな気がする。浅間山荘事件のようなテロがあった時代としているけれども、浅間の頃には大学紛争は既に下火だったのではないか。それもまた極めて日本的左翼運動の消滅であった。フランスの1968年の学生革命と比べると、学生の意識ばかりでなく、獲得したものの差は歴然としている。東京大学安田講堂の事件は、事件であって、インフルエンザのような「流行」に過ぎないのだ。アヴァン・ギャルドでもなければレジスタンスでもない。その意味で、「独立少年合唱隊」にあって、ラスト・シーンで藤間宇宙(そら)君を自殺させてしまうのは惜しい。幾つかの伏線を完結させるために死を用意したのに違いない。しかしそれは全くいただけない。教師は70年安保運動の挫折組でも、中学生たちには「未来」を与えるべきだった。それができなかったから、あの当時の少年が、今、「オヤジ」と蔑まれてしまっているのだ。68年の学生闘士アンリ・レヴィーは尚21世にあって尊敬されている現役の哲学者である。

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3.Pearl Habour
  http://perso.wanadoo.fr/ww2/images/yoda02.jpg

 映画「パール・ハーバー」がなにかと話題になっている。ここでは見ていないので映画については論じない。サイトはフランス語による大東亜戦争の戦記である。ここでは大東亜戦争というのは第二次世界大戦におけるアジア太平洋地域の戦争をいう。サイトのタイトルは「パール・ハーバーから広島まで」。僕たちは学校で先の大戦について全く習っていない。断片的に得られた知識しかない。「太平洋戦争肯定論」などというものを書いた人がいた。先の戦争を肯定するにせよ否定するにせよ、戦争がどのようなものであったかを学校教育を通して知る権利が僕たちにあったろう。しかし、戦争があまりに「生(なま)」であった所為か客観的事実さえも避けられた感がある。

 僕の父は戦争にいかなかった。天皇は彼にとって「天天」であって尊敬の対象でも、日本の象徴でさえなかったようだ。歴代の天皇の名を諳(そら)んじていたが。兵役を意図的に忌避したから、非国民の部類なのだろう、僕が小さいときはだから友人たちの父親と違うということで肩身が狭かった。僕も戦争のことは話すまいとした。しかし長ずるに従って、父の選択は正しかったと思うようになった。客観的に戦力を判断できない軍部が、精神力で「がんばった」戦争は、やはり国民を騙した愚かな戦争であった。天皇は責任もとっていない。始めた戦争に負けて責任をとらないのは不思議である。戦争が罪悪などというモラルの問題ではない。総指揮者として敗戦の責がある。退位すべきだったことはあきらかで、占領軍がフランスだったらギロチンにかけられていたかもしれない。何ら責任を帰し得なかったから、日本のいたるところで無責任の構図は今日まで継承されているのである。国民は東京裁判に対して抗議しなかった。これも国民による責任の回避である。問題は日本が自らを自らの手で裁かなければならなかったのだ。米軍による占領下ではそれが出来なかったというなら、1952年独立してからでも遅くはなかった。裁いてもらっては、やはり大人ではない。結果、無実というならそれでいい。戦争は辛かった。戦争は悲惨であった。だが、抵抗は運動にならなかった。戦後民主主義は「やって来た」民主主義であって、「勝ち取った」民主主義ではない。憲法に書いてあるから「国民主権」なのではない。国民主権なのに共和制国家ではないことに疑問をもたない国民が問題なのである。

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4.Enrico Macias
  Adieu, mon pays (さらば、わが祖国よ)

 マシアス、なにかスペイン人の様であるが、フランス人である。しかし、いわゆるピエ・ノワールで、アルジェリアは山間の都市コンスタンチーヌ生まれのユダヤ人でもある。イスラエルのことを歌ったためであろう、独立後のアルジェリアに帰国することができなかった。しかし、フランスに移民しているアルジェリアの人々から、またアルジェリアのアルジェリア人から熱狂的な支持を受けている。オリエンタルな調べとフランス・シャンソンが融合して、それがいかにも地中海の太陽を思わせる。

Paroles et Musique: G. Ghenassiat 1962 (作詞作曲:ゲナシア)

J'ai quitte mon pays
J'ai quitte ma maison
Ma vie ma triste vie
Se traine sans raison

国を立ちぬ 家を去りぬ 僕の人生 哀れな生は 訳(わけ)もなく地を這う

全篇にわたり韻を踏んでいる。ペイ/ヴィ メゾン/レゾン ソレイユ/レヴェイユ etc etc。

J'ai quitte mon soleil
J'ai quitte ma mer bleue
Leurs souvenirs se reveillent
Bien apres mon adieu

太陽を去りぬ 蒼き海原を立ちぬ 思い出が呼び覚まされる 別れのずっとあとで

Soleil ! soleil de mon pays perdu
Des villes blanches que j'aimais
Des filles que j'ai jadis connues

太陽! 失われし国の太陽 僕の愛した白亜の街よ 僕の愛した娘たちよ

アルジェは、「白亜のアルジェAlger la blanche」といわれた都市で、近代都市としてフランスが計画的に建設した。海上からAlgerに接近すると、それは神戸のごとく、ナポリにも比すべく「白亜のアルジェ」は美しかったようである。地形的に街に起伏があるからであろう。独立後残念ながら「白亜」ではなくなった。メンテナンスには途方もないお金がかかるのである。カサブランカ(モロッコ)は平坦な大地に出来た街でCasa blanca(白い家)というスペイン名にも拘らず、そう美しいところではない。規模は小さくなるがジブラタルの向かいのタンジェTanger(モロッコ)は昔のアルジェを思わせる華麗さを見せているといってよいかもしれない。丘のある街である。

J'ai quitte une amie
Je vois encore ses yeux
Ses yeux mouilles de pluie
De la pluie de l'adieu

愛しい君を去りぬ その眼差しを思い出す 雨に濡れた目を 別れの雨に濡れた

Je revois son sourire
Si pres de mon visage
Il faisait resplendir
Les soirs de mon village

君の微笑を見る 間近で 輝かせていた 夜毎の村を

Mais, du bord du bateau
Qui m'eloignait du quai
Une chaine dans l'eau
A claque comme un fouet

だけど 岸壁から僕を遠ざける船べりから もやいが海を鞭のようにたたきつけた
 
J'ai longtemps regarde
Ses yeux bleus qui fuyaient aient aient
La mer les a noyes dans le flot
Du regret et et et et 

長いことみつめていた 遠ざかる君の蒼い目を 海が嘆きの波の間に間に溺れさせた

 アルジェリアは今も揺れている。ここ10年、テロの国になってしまった。映画「アルジェの戦い」は今も金字塔だろう。多くの血を流して強大な国フランスから独立を勝ち取ったアルジェリア。その独立の時、エンリコ・マシアスは祖国アルジェリアを後にしなければならなかった。1960年代の独立運動のなかでも一際激しかった抵抗。あれだけの犠牲を払って得た独立後、人々はしかし自由を失い誇りだけが残った。パラドックス。そして今、国の大部分が独立後に生まれた世代である。国は亡霊のような宗教に侵されている。敵は自分の中にいる。これからまだまだ幾多の革命が必要な国に見える。エンリコが国を出てから実にまもなく40年である。彼が故郷に帰れる日は来ないように思う。

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5.日本語になったフランス語

・ヌーヴェル Nouvelle:ヌーヴェル・キュイジーヌNouvelle Cuisine、ヌーヴェル・ヴァーグNouvelle Vagueなどが日本語になっていようか。「新しいNouveauヌヴォ」の女性形である。ヌヴォのほうではアール・ヌヴォArt nouveauまたボジョレ・ヌヴォBeaujolais nouveauなどであろうか。女性形が名詞化したのがニュースの意味のla Nouvelleである。NewからNewsがでたのであろうから、考えることはおなじではないか。もっとも、Nouvelleの直接的語源はイタリア語novellaの複数形とあるから、ニュースだけでなく短編小説novel(英語)の意味もある。

・ヌガー Nougat:キャラメルのようなお菓子のヌガーである。フランスはリヨンの南ヴァランスValenceの更に南のモンテリマールMontelimar(Drome県)の名産とされる。高速道路オトルートAutorouteをおりてモンテリマールの街道筋に入るとヌガー産地直売でたくさんの店がある。アーモンド(またはクルミなどの木の実)とキャラメル、蜂蜜などをミックスした菓子である。柔らかいものも硬いものもある。アイスクリームにもヌガーというのがある。スペインにはトゥロンTurronというヌガーと良く似た菓子がある。起源はどちらが先か分からないが、同じものではないか。と、ここで次のヌガーのサイトを訪ねてみると、

http://www.nougat-gerbe-d-or.com/Lor/default.htm

歴史的にはギリシャからマルセイユ経由で入ってきたのではないかと推測している。とするとトルコにハルバという蜂蜜とナッツだけを固めた菓子がある。パリでもよくうっている。そういえば、お金がないときは、ハルバだけを食べて生きていけるといっていたレバノン人の友人がいた。いかにも栄養価は高そうだが。ヌガーのほうはどうかしらない。

・ネグリジェ Neglige':日本では寝巻きのパジャマのように解されていると思うが、家で着ているリラックスした着物といえようか。「あっぱっぱ」の類である。もっとファンシーなのはデザビエdesabille’というらしい。いずれにせよ現代あまり使われている言葉ではない。

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6.あとがき

 警察について再び書いてみよう。今度は捕まったことについてである。随分と捕まった。だが、前科はない。起訴されたことは一度もない。窃盗犯を告訴して裁判所まで被害者として証言にいったことは書いたろうか。

 ともかく、初めての事件は、僕がパリのスクワール・ポール・ロワイヤルSquare Port Royalに住んでいた頃である。このスクワールというのはフランス語の発音例外でスカールとは読まない。辞書では小公園などとあるが、要は入り口に鉄柵のある内庭である。rue de la Sante'サンテ通りに面している。サンテ通りはかの有名な監獄があるところで、よく映画でもジャン・ガバンの出獄のシーンなどで出てくる。すでに紹介した大学都市Cite' Universitaireのモナコ館に入る前に下宿していたところがこのスクワールだった。下宿のオーナーがジャンヌ・トマさんで、僕が一月に神戸に見舞いに行ったマックス先生の友人という関係である。

 さて、ある夜半下宿で簡単な食事を終えて映画でもみようと地下鉄の駅に向かった。駅まで500メートル程しかない。僕の目の前を知らないオバサンが歩いていた。僕は後をつける形になった。丁度駅のところに警報機がある。このオバサンがつかつかと警報機に近寄ってボタンを押したのである。ぼくは初めそれが警報機であることもわからなかった。後でよく気をつけてみると、パリの至る所にこの手の警報機があるのだ。消火栓のようなフォルムをした警報機である。彼女が気分でも悪くて救急車でも呼んだのかなと思って立ち止まっていると、たちまち警察の車が来た。オバサンは僕の方を見ながら何やら警官に訴えている。そしていきなりである。僕は捕まえられて、護送車に乗せられた。最寄の警察署はカルティエ・ラタンの警察で、先ず檻に放り込まれた。鑑札のない商売の女たち、妖しげな風体の男たちに取り囲まれた。それから尋問である。「何故、お前は件の女性の跡をつけたのか、痴漢か強盗か」「そりゃないでしょう!僕は留学生。日本人だ」「パスポート?」「いちいち持ってでるかよ」「住所は?」「スクワール...」云々、云々。このとき警察の暴力はなかったが、取調べはかなり厳しかった。当時知っていたありったけの単語を並べて自己弁護をした。オバサンの訴えについては、警察がトマさんに電話してくれて、彼女から僕の素性が正しいことを聞いたのであろう問題とは去れなかった。トマさんの信用である。やれやれ。残る問題はパスポートの不携帯だった。これは丁度トマさんのところに来ていた学生が僕の部屋によって警察まで持ってきてくれた。お陰で夜半に開放されたのであった。このとき覚えたのは、護送車のことをフランス語でPanier a saladeパニエ・ア・サラド(本来はサラダの水切りをするカゴで、サラダ菜を入れて振り回す)と言うということであった。シモーヌにこの顛末を話したら「あら、いい経験をしたわね」。そんなものかな。護送車に乗るなんてそうざらに出来る経験でもないかも知れらい。

 この続きは来週にしよう。実は数年後またパリでパニエ・ア・サラドに乗せられてしまったのだ。

 今週水曜日僕のラインがブロード・バンドのサーヴィスに切り替わる。ADSL。料金は今の半額以下になる。NTTはISDNの面子にこだわることなくもっと早くサーヴィスを開始すべきだたった。競争会社が現れて始めてADSLサーヴィスを提供し始めた。官僚的怠慢である。ドコモが儲かっているという。ふざけた話で、携帯の料金を地上の電話回線並みかそれ以下に値下げすべきなのである。会社が違う?根は政府である。主用株主は一体誰なのかをみればよい。NTT株のIPOはバブル相場をフルに利用した。どれだけの被害者が生まれたと思っているのだろう。またまた国鉄の赤字を株放出で新たな株主に負担させようなどという(JR法改正、来年再び政府所有株放出)。これが民営化、構造改革だ。ぼくは郵便、郵貯
民営化も信じてはいない。誰のための民営化なのだ。
 ま。ADSLは万歳!なのだが。

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