

『ぼくらのゼロ年代MAP』とは…
ゼロ年代に極東の島国・ニッポンで生きる<ぼくら>のミクロな視点で世界を相対化する試みである。
X軸に関する定義
■知
養老猛も言う様に、脳のシワの多さで頭の良し悪しを定義すれば人類よりもイルカの方が利口であるということになりかねない。知能の高さというよりは戦略の巧妙さといったニュアンスが強い。
■痴
バカやアホというよりは、迷惑さの加減といったニュアンスが強い。無自覚なだけにタチが悪く、戦略よりもカリスマ性に依存して社会的地位を築いてゆくといったタイプが多い。
Y軸に関する定義
■セカイ系
<家庭・社会・国家>といった途中経過をすっ飛ばして、一個人がいきなり世界の命運を左右してしまうようなジュブナイル小説、あるいはアニメ・マンガ・ゲーム作品。ひとつのジャンルやカテゴリーというよりは、その手の最近ありがちな作品に対する揶揄であり蔑称である。
■社会派
セカイ系の対立軸としての「社会派」。あえて地に足をつけ、<家庭・社会・国家>といった要素をあらゆる出発点とする人々。「個よりも公」といった小林よしのり的なニュアンスが強いかも知れない。
4つのトライヴ
■春爛漫
辛うじて勝ち組(知+社会派)
現段階ではわりと成功者が多いが、泡沫的でいつ転落するかわからないタイプが多い。
■演出過剰
萌えの達人(知+セカイ系)
戦略もあり人心をつかむ術に長けてはいるが、逆に理性がはたらき突破できずにいるタイプが多い。
■A級戦犯
ある意味自然災害(痴+社会派)
権力志向で人様に迷惑をかけながら立身出世してゆくタイプが多い。
■神話創作
ネバーランド(痴+セカイ系)
自己完結的で歯止めが利かないだけに極めると独裁者になり兼ねないタイプが多い。
デッキ(組み合わせ)
■六本木ヒルズ幻想
六本木ヒルズはゼロ年代を象徴する墓標である。その六本木ヒルズに寄り添う卒塔婆の様に2つのマンションが建っている。その各最上階にはカルロス・ゴーンと浜崎あゆみが住んでいるという都市伝説が女子高生の間では囁かれているのだそうだ。この二人こそ世間一般が認識する成功者と解釈し、MAPの中央に据えてみた。
カルロス・ゴーンはやや「社会派」に、浜崎あゆみはやや「セカイ系」に傾いている。このバランス感覚こそがゼロ年代をサヴァイヴする術なのか……。しかしゼロ年代を象徴すると言われるわりにこの二人のインパクトは薄く、各軸のトップに立つ人間こそ鼻につくほどの臭気を漂わせている。ある意味六本木ヒルズの無味無臭性を象徴する二人でもある。
●春爛漫 辛うじて勝ち組(知+社会派)
■VSアメリカ文化
勝ち組というよりは、ブッシュやアメリカそのものが醜態をさらすことによって国際的地位とは別次元での名声を地に落としているため、結果として敵対する彼らがわりとおいしいポジションにありつけたのではないかといった感は否めない。最上級のバカが存在することで、ちょっとしたおふざけ程度なら可愛く見えてしまうというか……。
■チープ文化革命
かつて無かった手法を示すことによって退屈していた民衆に新しい遊び方を与えた人々。当の本人よりも利権目的にたかるようなハイエナ共が涙を流して喜んでいるのではないだろうか。一時期の裏パソコン系ムックの乱立とかトリビア関連本、相田みつを美術館はその象徴。
■偽善ポトラッチ
本人のキャパシティ以上にガンバってる人々。やや背伸びして愛や正義感を振りかざしているが、その努力が社会に反映されているのかどうかは、やや疑問。まあビッグイシュー日本版は読み物としておもしろいし、インリンもエロくてよろしい。
●演出過剰 萌えの達人(知+セカイ系)
■大塚チルドレン
大塚英志の寵愛を受け育まれた才能たち。しかし、戦略的なわりにオトナの狡猾さに欠け、そんな「ダメな自分」こそが創作のモチベーションとなっている。当の大塚英志本人は対極の『春爛漫(知+社会派)』から温かく見守っている。というか、支配している。
●A級戦犯 ある意味自然災害(痴+社会派)
■天災的脅威
どうにも手のつけようがない困った人たち。自然災害と思って諦めるしかない。ただ宅間守は自分の様なキチガイにいたいけな子供たちが殺されることもあるのだと、世の不条理をやや冷笑的に客観視できているので奇跡的にブッシュ大統領とデッキを組むことに成功。これが儀式殺人だったり本当に日本神話になるための犯行だったならセカイ系の仲間入りだったろう。
■男の威厳
学ランを着てラブソングを歌うようなバンドに戯化されるほどにこの国は「男の威厳」に飢えているらしく、直立勃起男根型のマスラオぶりで怪気炎をあげている人達が数多くいる。石原都知事のHPは繊細な文学少年が懸命にオトコを上げようと背伸びしてるような感じのコラム満載で涙がこぼれそうになる。
■国威発揚構想
モーニング娘。が自衛隊のポスターになったり、2次元アニメ絵の女の子に恋するよりはハロプロ萌えの方が辛うじて真人間に見えてしまったり、ゼロ年代の青少年は妥協に妥協を重ね続けているように思えてならない。仕掛け人のつんくは、対極の『演出過剰(知+セカイ系)』から、どれくらいレベルを落としてもアイドルとして認知されるのか、マーケットを実験台に人々の感性を悪い方に操作してほくそ笑んでいる。間違いない。
●神話創作 ネバーランド(痴+セカイ系)
■箱庭捏造系
自分の作り上げた世界を満足げに提示し、時には大衆の支持を受け喜び、時に理解されずに落ち込むことも。でも好きなことができる限りは果報者。マイブームという名の島宇宙化こそ、このブームも無く感動も無く微動だにしない退屈なゼロ年代を形成したのではないかという気もしないではないが、人に迷惑をかけないだけで今の世の中、立派に真人間である。
■脳内ユートピア具現化
単なる妄想狂も権力を持つとユートピアを具現化させることができるから恐ろしい。彼らの作る遊園地がディズニーランドのように楽しめるものであることを祈るばかりである。彼らの資金力には到底かなうべくもないので世の中が良い方に転がるように「神頼み」しかない。しかし往々にして淀んだ水は低きに流れる。
アストラル・デッキ
■勝ち組・負け組
ゼロ年代、勝ち組と負け組のボーダーラインは明確でその溝も深いが、どこのトライヴに位置すれば勝ち残れるのか、現時点で保証は全くない。かつて90年代MAPでは中央集権的に真ん中に近づけば近づくほどに社会的に成功できる確率は高くなっていった。つまり時代がどの軸にも偏らないクールさを求めていたのかも知れない。いわば90年代においてセンターコアを維持するバランス感覚こそが戦略であり、大衆の支持を戦略によって維持できるという幻想がいまだに<有効>であったことの証拠だろう。ゼロ年代、幻想は崩れ、カリスマ性という名の限りなく意味不明な価値観によってその社会的地位を維持し続けている人物は数多い。
モドル