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私のヒーロー


イ・ミンウ



2002年10月26日。私にとっては彼らとの出会いは一生に記憶に残るものであった。
彼らは日本の車椅子のバスケットボールの選手だ。
私はサジクドンにある競技場の正門で日本の通訳を担当していた。偶然に出会ったバスケットボールのチームのマネージャーを手伝ってから縁がつながった。
正直に言うと私はバスケットボールが好きではなかった。サジクドンからちょっと競技場も遠かったし見に行くのを迷っていた。バスケットボールのトレイナーから招待されて一応行って見おうかと思って足を伸ばした。その日は日本の試合の前、韓国の試合があったから日本の競技を見る観衆は少なかった。私は監督が座るところの後ろに座って試合を見始めた。一般のバスケットボールはちょっと違うのは車椅子に乗って競技をするだけだった。私の目はだんだん大きくなって試合に熱中した。想像とは違った。試合はほんとに面白かった。わたしは声をかぎりに応援した。相手はオーストラリアだった。強かった。私は今までみたこともない試合をみたというか、ほんとに試合に盛り上がっていた。結果は残念だけと負けてしまった。
決勝の前の試合で負けちゃって、悔しいったらありゃしなかった。それから私も車椅子のバスケットボールのファンになった。


次の日の朝はほかの日とは違った。それから私は任務だと言ったら、ちょっと恥ずかしいが、なんだか頑張りたかった。私は日本語の担当だったので、競技を見に来る日本人にもっと親切にしたかった。いろんな日本人に出会った。
ある日だった。記者のタクシーをひろってあげるため、道でうろうろしていた。遠いどころから目がよく見えない人たちがこちらに歩いて来た。彼らだちも日本の選手だった。遅く終わって、バスがなくなったのでタクシーに乗って、選手の村まで帰ろうかと思っていると言っていた。その時私は、日本語を勉強してほんとに良かったと考えた。私じゃないとだめだったと考えた。
私はタクシが来たらぜんぶ止まらせて、3人ずつ乗らせて、運転者に選手の村までお願いしますって言ってドアを閉めた。みんなタクシーに乗ってから私は走ってセンターまで戻った。
うまく言えないけど、私の胸の奥が暖かくなっていた。人を手伝うって、こんなやりがいがあるんだねって。私は、たぶんその時世の中の誰より幸せそうな顔していた。
競技がぜんぶ終わった。それから彼らたちと買い物に行った。これも忘れられない思い出だ。彼らは障害に負けなかった。ちょっと不便なことがあるだけなんだと言った。私が見る時、正直に選手だちはちょっと不良っぽい匂いがあった。ぜんぶだと言えないけどね。^^
食堂を選ぶ時もたいへんだった。1階で、トイレもちょっと広い焼き肉やを探すのは簡単ではなかった。ちょうどいいどころを見つけて予約した。
飲み会はほんとに面白かった。選手たちと親しくなって細かいことまで話してくれた。 それからみんな選手の村に帰った。4人が残ってカラオケに行って、歌ってから静かなところに行ってビールを飲みながら最後の夜を楽しんでいた。
一人の選手が言った。“俺が障害者じゃないんだ。俺はどこでも行けるし、話せるし、みんなに声をかけてあっちまでおんぶしてくれって言えるし、俺は妻もいるし、来月子供も生まれるし、だから俺は障害者じゃない。ちょっと早く走らないだけだ。”この話しを聞いて私は恥ずかしかった。いつも文句ばかり言いながら育った私だった。
自分の満足、不満足は自分が選ぶ問題だ。私はちょっと不満足だったかな。
彼らに会えてほんとに良かった。今は一ヶ月が過ぎて12月だ。これさんの子供が生まれた。娘さんだったからびっくりした。2003年2月に大坂に試合がある。私は行くつもりだ。私は韓国人だが彼らたちを応援するつもりだ。
私は彼らに会ってからもっと明るくなった。周りの人だちが感じるぐらい。。。
みんな日本に帰ってからほんとに寂しかった。一人で捨てられた感じかな。


いろんなことについて分かった。日本語で私が、経験したことをぜんぶ書くのは難しいが、これははっきり分かった。障害者だちは特別ではない。一般人が彼らを特別に見るからそんな存在になるんじゃないかなって私は考えている。
世の中で人間をいじめるのは人間しかないと考えている。いつか私だちも事故にあって特別な存在になるかもしらないのを私だちは忘れている。彼らを苦しめているのは高い階段ではない。彼らは同じ人間と出会う時一番苦しんでいるんじゃないかなって私は考えている。
今私は彼らに会いたい。会って元気かって言いたい。それから彼らの競技でいっしょに盛り上がりたい。
競技が終わったら皆でお酒を飲みながら話したい。これが私にとって一番大切なものである。
ヒーロに会いたい。