
今年2回目のフーチークーチーでの演奏。メンバーは、タッド三浦(G)、ガッツ山口(B)、中山幸也(D)。この日はタッド三浦がサイドに控えているものの、始めから、ソロは(タッド三浦に回さないで)積極的に弾くつもりで臨む。下手は下手なりにも、アグレッシブにいかなくてはね、ブルースのお店なのだから..。
郡山から東京に遊びに来ていたマックスウェルストリートの清水さんが、お仲間を連れて立ち寄ってくださったのだが、演奏後、「もうちょっとガツーンといってもいいのでは?」とも言われる。方々で同じことを指摘されているわたし。目標は、もっともっとアグレッシブに、である。
さて、この日は個人的な縁による一つ趣向があった。わたしの昔の教え子で、現在クラシック歌手の山中佐和子嬢を特別ゲストとして迎え2曲ほど歌ってもらったのだ。挙式を二日後に控えて疲労がピークであったにもかかわらず美声を披露してくれた佐和子嬢、伴奏を快く演奏してくれたメンバーに感謝。そして、妙齢の美女たちを引き連れて聞きに来てくれたM子嬢にも感謝。
(後画像提供:Ms. Mari Hirata)
タッド三浦とアコスティックギターで。お客さんはあまり多くなく、ブルース(音楽)にもあまり関心なさそうではあったが、わたしは久しぶりの同店での演奏を楽しんだ。出演者に対して店から振る舞われる賄いのディナーとビールも久しぶりで嬉しく、美味しかったのであった!
お店とカモネギ主催の「秋のブルース祭り」は別称「カモネギ祭り」。カモネギ氏の呼び掛けで集まった出演者は総勢9名。昼の部(13:00-16:00)、夜の部(16:30-21:00)という構成で、丸ごと一日のブルースデイとなった。「昼も夜もでお客さんは集まってくださるのか?」という杞憂もなんのその、いつものご常連が両部に集まってくださった。ところで、PAの扱いが不得手なわたし。普段、どうにか音は出している(?)ものの、正しいノウハウがわかっていない。脂汗を流しながら、いつもいきあたりばったりでやっている。しかし、さすがにカモネギ一派は音響機材のプロ集団である。わたしは「この店でこんなに『ボーカルの返し』が良いのか!」と感心した。
客席に良い音が届くのはもちろん大事だが、モニタリングが良いと、演奏のクオリティまで向上するのは周知の事実。この日のように、自分のボーカルが鮮明に聞こえると、やはり自ずと演奏がノッてくる。自分と客席の間に壁ができない。できれば常にこのような状況で演奏したいものだ。ああ、しかし、実際にはそうはいかない!PA機材に習熟したスタッフがいないときには、やはり「モニターがなくて自分の音が聞こえなくても、テンションが下がらないように気合いを込めて頑張る」という精神論しか頼るものがないわたし。でも、まあ、よく演奏する店の機材くらいは、もう少し科学的に理解するようにしてみよう!
この日の出演(大道以外):カモネギたかひろ(G&V)、ガッツ山口(G&V)、下川ひとなり(G&V)、白庄司孝(Sax&V)、あぷりこっとじあむ(K)、ねもと雅子(B)、中山幸也(D)、藤井雅之(D)。
「店の機材に習熟して、常に落ち着いた演奏を」などど前回演奏記録に記したばかりなのに、この夜の演奏はまさに店の機材に振り回されたドタバタスタートとなってしまった。いろいろなバンドが毎晩演奏しており、機材の保守管理も不十分なせいか、この店ではマイク、コード、スタンド、アンプ、スピーカー、モニタなどなど、大抵のものがなかなか言うことを聞かない。やっと音が出たPAだったが、なぜか天井吊り正規スピーカーから音が出ずに、床付けのモニタリからしか音が出ない。アンプの差込口は接触が悪く時々音が消える。マイクスタンドはぐらぐらしてずり下がる。困惑するわたしをステージ上に助けに来てくれた知人がマイクのコードを引っかけたのでマイクが歌っているわたしの顔面を直撃等々、まるでマンガのようで自分でも笑ってしまった。
また、メンバー用の賄いの飲み物・食事などの手配も含め、イギリス人オーナーとのコミュニケージョンは全てわたしがしなくてはならない。そして、ゲストコーナーも急遽しつらえたので、ステージを降りてもバタバタ。はあ、リーダーとは大変なものなのだ!演奏にまつわる周辺的雑用を次々と処理しなくてはならないという状況は、ほとんど昼間のサラリーマン生活と同じである。ただ出掛けていって演奏してくればいいという夢のような日は、(レコード大賞でも取らない限り!)わたしには一生来ないんだろうな。
出演は大道(V&G)、三浦(V&G)、ねもと雅子(B)、バットマン小森(D)、藤井雅之(D)、マグナム町田(H)、ダニエル(ゲスト独奏、G)。
(後画像提供:Ms. Mieko Shibazuka, 画像をクリックすると女史が管理するバットマン小森のレポートページにリンクします。)
相方を立候補してくれた望月公廣と。出演がわたしたちの組だけだったので、二人で歌ってデュオ。のびのびやらせてもらう。とはいえ、わたしたちは二人とも決して「ギターが上手い」といわれるタイプではない。否、他人からバッキングを頼まれることが少ないタイプである。そういうことに危機感を抱いている二人が「お互いを実験台に」のコラボレーションとなったわけである。これまで長らく付き合ってもらっていた相方のH君。最近はますます腕にも磨きがかかり、わたしも彼のサイドギターには全幅の信頼を寄せている。しかし、最近、上手い相方に頼って楽をするのではなく、初心に帰って、また大いに苦労しようかなと思う。
そもそも阿佐ヶ谷シカゴとの付き合いは、人前で演奏をしたこともないような頃、師匠に連れられて来店し、「ここでやらせてもらって勉強しろ」と言われたのがきっかけだ。当時は土曜日のライブタイムが「教育リーグ」と呼ばれていて、キャリアのないプレイヤー達が恥をかきながら試行錯誤していたのである。来年から、また新たなスタートをこの阿佐ヶ谷シカゴから始めようかな。
ガッツ山口(B)、中山幸也(D)とのトリオで。また、最後の方でゲストギターに下川ひとなり。今回はサイドギターなしの初挑戦。やはり音が薄かった。ギターソロも魅力が無いなぁ...。覚悟していたことなのでさほどヘコみはしないのだが、目標ハードルの高さを思い知らされるたびに、前進への推進力にブレーキがかかりそう。いやいや、気を取り直さねば。
セッションリーダー2回目。参加者はほぼ見知った顔ぶれで10名弱。ブルースシーンデビューを間近に控えた、お店の看板娘ツッチーもボーカルで参加。彼女の Everyday I Have The Blues は全員一致で「変ロ長調」と採択される。
この夜は早めに店入りしていたメンバーが、PA等のセッティングを済ませていてくれたおかげで、非常にスムーズに演奏開始を迎えることができた。出演は大道(V&G)、三浦(V&G)、リトル・シゲル(V&G)、藤野晴信(B)、バットマン小森(D)、マグナム町田(H)。(後画像提供:Ms. Mieko Shibazuka, 画像をクリックすると女史が管理するバットマン小森のレポートページにリンクします。)
阿佐ヶ谷シカゴ2003年最後のこの日は、またまたレギュラー出演日(第4土曜日)を外れていたので、とても久しぶりのミュージシャンや初顔合わせもあって楽しかった。相方は下川ひとなり(G)。先に演奏を終えていた茂木桂子女史(D)にも参加してもらう。さて、わたしの「ステージ生活の出発地」阿佐ヶ谷シカゴ、来年はどういうスタンスでやっていこうかな。この日の他の出演者:Dr.ノブ&ブギ・アンリミテッド、富塚和彦、バブス山口。
ガッツ山口(G)とアコスティックギターで今年最後の渋谷ブルーヒート。非常にしめやかな夜(!)ではあったが、わたしは演奏を楽しんだ。来年もやります、アコースティックデュオ。どうぞよろしく。
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気温は低かったが好天に恵まれた二日間。銀座すずらん通りのクリスマス商戦の野外イベント「ミュージックフェスティバルinすずらん通り」に参加した。この企画を請け負ったR&B研究会の小林氏からお誘いいただいたのである。演奏する側としては、毎年秋に参加している「仙台市の定禅寺ストリートジャズフェスティバル」が寒くなったという感じかな?
通り過ぎて行くお客さんの足を何とか止めたいと思うのが演奏者。わたしも大いにハリキッてみた。立ち止まる人の数が徐々に増えてくると嬉しいものである。宣伝用のチラシを用意していたのに、配るのをすっかり忘れてしまっていた。
わたしの一日目の相方はリトル・シゲル(G)、二日目は長浜太郎(G)。ベースとドラムは両日とも藤野晴信と中山幸也。その他の出演は、一日目がタッド三浦、二日目がガッツ山口ら。他にもいくつかのバンドが出演しており、夜8時頃までこの野外音楽イベントは続いたようだが、わたしは4時くらいには現場を引き揚げたので、詳細は不明。さて、この野外音楽イベントで、今年のすずらん通り商店街の売り上げは上がったのでしょうか?
(右上画像提供:Ms. Mieko Shibazuka, 画像をクリックすると女史が作成した21日のレポートにリンクします。下画像提供:ハッピー小林氏)
2度目の福島なまず亭へ。朝10時新宿南口発の高速バス「あぶくま号」。もう帰省シーズンが始まっているのだろうか、正規のバス1台のほかにもう1台臨時に増発されたおかげで、2号車はゆとりの席数。風邪薬を服用したせいもあって、わたしはほぼ5時間ぐっすり。おかげで、福島駅についたとたんに飛び起きたので、衣裳用バッグを車内に置き忘れる。はっと気がつき、信号待ちしている50メートル先のバスに向かって猛ダッシュ。心臓が飛び出すような目にあう。
なまず亭は駅から歩いて5分。すぐに店に入り、ブルースクルーザーの面々と再会を喜び合う。今回は前回お邪魔した10月には不在だった、クルーザーの看板、ボーカル&ハモニカのミッキーもいる。もう何年前になるだろう、わたしがまだブルースと出会って間もないころ、都内のタッド三浦ショーに飛び入りしたミッキーのことを覚えている。ミッキーは近くで見ると、実はとても若くて可愛い(失礼!)。実際、クルーザーの他のメンバーより一回り年少とのこと。ハンチングと眼鏡と顎ヒゲのせいで、そして、その渋い歌声のせいで、実年齢より少々老けた印象を与えているのだろう。
リハーサルを終えてメンバーと食事。その後、わたしはすぐにホテル(なまず亭の上にある)に戻って着替え。大急ぎで店に降りると、クルーザーの演奏が既に始まり、お客さんもたくさん来てくださっている。気合いが入る。ミッキーに呼ばれて、ステージへ。わたしをサポートしてくれるのは、ミッキーの他、ドラムスの菱沼"Dave"久夫 、ベースの渋谷"ShibuKen"研一、そして、ギターの早坂"Mr.Hayasaka"洋一のいつものあんちゃんたちだ。
初めてクルーザーの演奏を聴いたとき、やはりギタリストが気になるわたしは、早坂氏のギターにすぐ反応し、「上手いなぁ〜」と感心したものである。淀みない流麗なフレージング、ちょっと洒落た音並び、美しい音色、「ただ者ではない」というギターである。これは前回聞いて知ったことなのだが、氏は若かりしころ(70年代後期)、とある女性シンガーのバックミュージシャンとして上京し、某プロダクションに所属して、方々のテレビ局やらラジオ局やらのオーディションを受けたり、実際に歌謡番組に出演していたそうだ(余談:その女性シンカーは「久保田早紀」とイメージや曲調がかぶっていてあまり売れなかったらしい)。
それでもお客さんは「ファイア−」を見に、聞きに来てくださっている。早坂氏のギターに頼り過ぎずに、何とかフンバらなくてはと思う。お客さんの声援、メンバーのバックアップ、また、客席には仙台から新幹線で来てくれたHさんもいる。「ありがたい」気持ちを皆にお返ししたい一心である。いつものレパートリーを殆ど消化して、どうにか無事に2ステージを終える。しかし、頑張ろうとする気持ちと、自分の実力の間の大いなるギャップのせいで、恐らく、やや力み過ぎのゴリ押しギターになっていたに違いない。
さて、1ステージと2ステージの幕間には、ランブリング前田によるカントリーブルースショーも。ここ10年程、一人で弾き語る今のスタイルを研究しているとのこと。こうして、日頃会う機会もないミュージシャンたちに出会えるのもツアーの楽しみの一つ。ロバート・ロックウッドやブラインド・レモンなどを演奏した。
一晩泊まって翌朝、またあぶくま号に。「ホームグラウンドのつもりで、またちょくちょく来なさい」という店主じょにさんの言葉を嬉しく思い出しながら、ひとしきり前夜の自分の演奏を反省する。「このまま固まってしまってはいけない、何とかしなくては、何とか上手くならなくては。でも、これ以上上手くなれるのだろうか、もうこれ以上にはならないのではないだろうか。」ちょっと乗り物酔いをしたのは、いつもと同じことをぐるぐる考えていたせいかもしれない。来年3月にまたなまず亭で演奏できそうだ。それをまた一つの目標に、またやっていこう。
(画像提供:Shibuken、Mr.じょに、上3点-演奏風景、右下-出演者一同演奏終了後)
タッド三浦(G)、藤野晴信(B)、バットマン小森(D)と。バンド演奏と関係なく、ハロウィンの仮装などで盛り上がっていた前回と違って、今回はお客さんがよく聞いてくださる。非常にゆったりした気持ちでステージ運びをすることができた。
タッド三浦(G)、藤野晴信(B)、中山幸也(D)、大久保紅葉(V&H)と。チラシなどで告知していたメンバー、大久保初夏が数日前の事故による怪我療養中につき、急遽、ドラムを中山幸也に変更させてもらう。ダブルヘッダーとなったこの日は、昼も夜も、ややお客さんの出足が鈍かったものの、2003年最後の「ファイア−ショー」、お客さんとお店に暖かく見守られて無事に終了。感謝、感謝。
「2003年茂原サーキット年間表彰パーティー」での演奏。パーティーの主催者である茂原サーキットのオーナーから、元ポケバイチャンピオン大久保初夏嬢が音楽演奏での出演を依頼されたもの。彼女の演奏は、妹の大久保紅葉をフュ−チャ−した30分強の「タッド三浦ブルースショー」という形で実現した。とはいえ、彼女は右足の痛みがまだ引いていない。バスドラは踏まず、左足と両手での善戦だった。そして、音響コンディションとしてはぎりぎりのレベルであったにもかかわらず、さすがにタッド三浦、踏ん張る。ベースの藤野晴信、これまた、バスドラ踏めない初夏を支え、歌うタッドを支えてお見事。一方、サイドギターわたし、わたしとてがんばりましたけれど、さて、どこまでお役に立てたでしょうか。
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