FOAボランティア写真館 vol.1
01’FOAボランティアの活動記録(文章は活動記録帳から一部抜粋)
<永松浩一、兼松浩一、東野日美子、立岡真希子、戸田麻美、ギャティ、ステファノ、高遠菜穂子、乳井光子、中原麻己子、瀬底保、11名によりFOA(フレンズ・オブ・オール)でのインド西部大地震の被災地緊急救援活動が始まる。>
2001年
2月10日 以上11名グジャラート州アーマダバードの避難民キャンプに到着。
滞在中、避難民への食事の炊き出し、配布、救援物資の仕分け作業などを行う。
2月13日 被災の中心地ブージにはいる。2班にわかれ救援活動を始める。
A班の活動内容
ドクター・ラシュミシャのクリニックのお手伝い(簡単な消毒や包帯まきなどの補助)。グジャラート州政府の医療スタッフの協力を得て、共に被災した村々へ訪問。医療スタッフが診療している間、子供たちと一緒に遊んだり歌を歌ったり、とにかく触れ合うことで少しでも彼らが被災で受けたこころのケアーを試みる。村の子供たちとの触れ合いをとおして、こちらが励まされるほどであった。なによりも子供たちの元気な笑顔が美しかった。
B班の活動内容
マダプル(ブージ近郊のまち)の学校を借りて、臨時のクリニックをスコットランド人看護婦のギャティを中心い開設。毎日10人から20人の患者が訪れた。

2月23日 今日からブージのテントサイトに拠点を定めA,B班とも合流。これからは村まわりの活動が中心となる。
これ以降、JEN(Japan Energency Ngos),JHP(Japan Team Of Young Human Power) のメンバーと共に村の被害状況の調査、そしてグジャラート州政府の医療団との村まわりが中心となる。
<訪れた村々の被害状況>2月26日
ラトナール・・・・2000軒が全壊、人口8000人中250人死亡。近くのテント村では人々がコミュニティー毎に分住。ここで子供たちに救援物資の衣料を配るが、すでにもらった子がまたもらいに来たり別のコミュニティーの子供たちがもらいに来たり、余った衣料に群がって取り合いになる等、配給の難しさを痛感した。
VADVARA・・・・ちいさな村。全壊まではいかないがほとんどの家が壊れ住める状況ではない。震災で1人亡くなったらしい。この村でお昼をごちそうになった(プーリ、サブジー、チャイ)。子供たちはみんな元気で迎えてくれた。
モカネ・・・・全壊。小さな村。たくさんの子供たちが集まってきて一緒に遊んだ。
JARU・・・・村の中心に沼がありペリカンの群れがたたずみ、ほっとする空間だった。家が壊れた人たちは家の前にベットをだし寝ている。テントはほとんどなく、FOAからのテント支給の対象と決定。
(中原真己子)
夕方、岡田修太郎、岸田太郎の’太郎コンビ’が到着。
アンジャールへのサーベイの途中で出会った兄弟。
ラトナール(ブージより30分東方の町)の震災後の惨状。この状況が視界一面に広がっていた。ほんとに言葉を失った。
アンジャールへサーベイへ向かうFOAのジープ。途中に通りかかった村もチェックリストに控えておいた。
FOAの最初のメンバー、瀬底保さん
ヒーリングの先生でもある彼は独自で患者さんの診察をつづけた。とても気さくで温かい人柄が印象的だった。ボランティアのメンバーは皆同じテントサイトで生活していたので、夜、瀬底さんの語りがなんとも楽しかった。それから日に日に若返っていくのが不思議だった。
FOAのメンバー、出井彩さん
震災前からブージで絞りや刺繍を勉強していた留学生。したがってたくさんの知り合いが被災したので心配してヴァラナシ(インド北東部)から駆けつけてきた。すっかりインド人化してしまっていて日本人に見えないが、マイペースで天然が入っているところはやっぱりインド人的だと本人も自覚しているところだ。彼女の存在がメンバーや村の人々を和ませてくれていたことは、過酷な被災地での救援活動の支えとなっていた。また、何よりもヒンディー語を話せるのでほんとに助かりました。愛するインドの人々のために1ヶ月以上に及ぶ救援活動ご苦労様でした。
FOAの最初のメンバーの大半が2月27日に活動を終え、帰っていきました。
永松浩一さん、東野日美子さん、立岡真希子さん、乳井光子さん、高遠菜穂子さん、ギャティさん。緊急の救援活動と村まわりで何もかもが手探りの中、子供たちといっぱい遊んだことはほんと全部が勉強になりました。短い間でしたがやっぱり人の魂と魂の触れ合いってのが感じられました。
FOAの代表プレム・クマール氏の奥様、川根 友さんもこの頃ブージ入りして村の調査へ朝から晩まで東奔西走されてました。やることはすべて自分達で見つけてボランティア活動していました。ほんとみなさん、ご苦労さまでした。
バスでアーメダバードへ向かう。そこからはそれぞれの道へ。