
ピースウォークについて
1982年10月2日、このマハトマ・ガンジーの生誕の日にプレム・クマール氏は17、000kmに及ぶ、「ピースウォーク」をスタートさせる。その行程はインドのアーメダバードからヨーロッパへ向かい、イタリア、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリア、チェコ・スロバキア、西ドイツ、スイス、フランス、ベルギー、オランダ、アイルランド、大英帝国、アメリカ、そして1986年8月6日、ついに日本にまで至る。
このプレム氏の歩みは単に世界を見て歩き、世界平和に至ろうとしたものではない。氏の「ピースウォーク」は非暴力の謙虚な行動であり、世界のあらゆる国の人々の絆を意味づけているものである。ブッタ、キリスト、マーチン・ルーサー・キング・Jr、など、多くの方たちと同じく、「歩く」ことを通して人々に接し、そして平和を訴えた。そして「ピースウォーク」によって世界の人々に多くの問題、民族、武力闘争、環境問題、貧富格差、貧困など、それらのことに注意を喚起した。
<インドからスタート>
インド、アーメダバードにあるガンディー・アーシュラムからグジャラート州政府など多くの激励をうけて出発する。デリーでは多くの政府の要人に会い、多くの人々の期待を背負ってヨーロッパへ向かう。
<欧州世界を歩く>
西欧と同じく東欧においても氏が通った町や村の人々、地方当局は温かく迎えてくれた。西欧とアメリカにおいては、平和運動、環境保護団体などの支援を得ることができ、さらに、多くのメディアが取材に駆けつけラジオやテレビで氏の「ピースウォーク」について伝えられた。そして約25、000人の人々が氏と共に「ピースウォーク」に参加した。参加した人たちの中には1kmの人もいれば何百km歩いた人もいました。氏が通ったあらゆる村や町で、氏はおおいに歓迎され、学校や大学、教会などで彼の使命について語りました。歴史や文化、経済の問題、彼はあらゆる質問に答えていきました。
ハンガリーとチェコ・スロバキアでは、国賓として迎えられ、西ドイツでは「ピースウォーク」に大きな協力を得ることができました。フランスにおいては平和活動家で有名なMs.Solange Fernex が同行してくださいました。
アメリカにおいては特にメディアの歓迎を受け、大いに報道された。またジミー・カーター前大統領に面会し、激励を受け、彼のこれまでの道のりの功績をたたえた。
<ピースウォークの終着点、日本>
氏は最後の行程として東京〜広島を選びました。ここまで約4年をかけて歩んできて、1986年8月6日広島の地を踏みました。広島は原爆がはじめて投下された町。氏曰く、「ここ広島で起こったことは、最初で最後でなくてはならない。決して再び起こってはならないことなのだ。私たちすべての人間がこの地球を守っていく責任があるのです。」
インドへ帰国後、多くの賞や名誉が彼の使命や功績をたたえ贈られました。<更なる歩み>
プレム・クマール氏の指揮のもとに、7つのインターナショナルウォークがインド国内で組織され行われました。これらのウォークによってインドの村の実態を知ってもらい、貧困や教育施設の欠如についての次なる改善に繋げようと行いました。<インターナショナルキャンプ>
プレム・クマール氏のもとで1990年、6カ国から子供たちが集まり日本で国際交流のキャンプが行われました。また、1992年に同じくインドでキャンプが行われました。共に平和や文化について子供たちの交流が行われました。BACK