JAM, タップイン、加藤先生

 10年以上前になりますが、アメリカでSTEVE CONDOS やBRENDA BUFALINOのレッスンを受けて帰国した僕は、日本のタップを見下していました。そんな時「気分はジーンケリー」という公演を見たんです。ドカ〜ンとぶん殴られたような感動とショックが僕を襲いました。今まで僕が知っている日本人が作ってきた舞台とは全然ちがっていました。ちょっと前までアメリカにいた時に接したタップの空気が、そこに流れていました。プログラムや舞台セットもオシャレで、出演者みんながスターに思えた。それが加藤邦保先生のJAM TAP DANCE COMPANYでした。この頃のJAMはたて続けに公演を打っていました。次に僕が見た1993年6月の[The Tap Dancin' チャレンジ]では、メンバーがさらに光輝いていた。この時[Jsut One Of Those Things]をソロで踊った女性がすんゴク素敵だったんですよ。それがみすみゆきこさんでした。他にも可憐な青木知枝さん、クリクリ目玉の保戸塚千春さん、それに18歳の宇川彩子がJAMの初舞台を踏んでいるんですねえ。(今プログラム見ると顔なんかパンパン!笑えます。)男性陣がまた良かった。高貴な雰囲気の小田茂氏、青木さんと素敵なデュオを踊った中村信夫氏、出てくるだけでも明るい華があった一番人気の石森茂昭氏、KENTAさんこと濱永健太氏、僕が憧れている佐藤勝氏、そして日本のサヴィヨンかと思うほどのソロを踊ったのが川村隆英氏でした。ゲストの宇海光耀氏は日本のジーンケリーそのものでした。そして同じ93年の12月にJAMはアメリカからJIMMY SLYDEをゲストに迎えて、[Mr.DANCE MAN]という公演を打ったんです。振付の素晴らしさ、出演者の魅力もさることながら、僕がこの時感動したのは、加藤先生の演出でした。最初に舞台に浮かび上がった女性5人のアカペラ、カッコよかった!そのセンターで一際パワーを発散していた女性が、僕が最初に見た冨田かおるさんでした。舞台奥からセリ上がった燕尾服にシルクハットの女性、彼女が歩いていくと舞台がどんどん階段になっていくという、芸術劇場中ホールの舞台機構をこれほど活かした使い方をした人を、後にも先にも僕は見ていない。舞台後ろ一面に、下から摩天楼がセリ上がってくるシーン、映画「カバーガール」に出てきた、天に届くようなスロープなど、古いミュージカルシーンを彷佛されるようなことを再現したのである。東宝ミュージカルでも宝塚でもやれなかったことを、小さな一タップスタジオが実現してしまったのである。今までそんなこと誰も出来なかったんです。その為に加藤先生は巨額の借金を抱えることになるのだが、タップに命と情熱を賭けている加藤先生だからこそ実現したと思う。しかし、そんな情熱を理解もせず、評論家やマスコミはJAMをコケ下ろしたそうです。この辺までがJAMの第一期黄金時代だと思います。

 「気分はジーンケリー」を見て、すぐにでもレッスンに通いたかったのですが、なんか気後れがして、恐くて門をたたくことができずに3年ぐらいたってしまいました。1995年2月に穴田氏と自主公演「TAPPIN' TIME」を打った時、なんと加藤先生が生徒を引き連れて見に来てくれたんです。(クラスを休講にして来たそうです。信じられない!)終わってから楽屋まで挨拶に来てくれて「良かったよ!短かったけど...」と絶品の笑顔で握手してくれました。(たしかに45分しかなかったんです。この事は今だに言われます。)自主公演で自信を付けた僕たちリズムボーイズ、なんと穴田氏がナショナルタップデイに出るキッカケを作ってきました。(ホントヤツは行動派!)それには自分が力不足と感じた僕は、とうとうタップインの門(ドアだったけど)を叩く事になりました。ちなみにしらない方のために説明しますと、加藤先生の教えているスタジオの名前が『タップイン』、そこの生徒から選ばれたメンバー、外部のゲストなどを迎えて公演を打つ団体名が『JAM TAP DANCE COMPANY』になります。さて僕が通い始めた頃は浅草の田原町にスタジオがありました。政治家の深谷隆司氏が選挙活動の時に使う建物で、タップが大好きな深谷先生の御好意で使っていました。なんか町工場のような建物でしたが、天井が高く、けっこう良い稽古場でした。

 その頃、ちょうどスタジオパフォーマンスを予定している時でした。「なんでも手伝います!」と好青年の松本。その一言が.......。加藤先生は一晩で スタジオを劇場にするというのです。「昨日までお稽古場だったところが、次の日来たら劇場になっているんだよ!」子供の様に目を輝かせて話している加藤先生のその演出心が粋で、僕はやっぱりこの人はスゴイと思いました。スゴイと思ったが、無謀でもありました。レッスンが終わると、夕方から舞台客席作りが始まりました。「先生、設計図は?」「ない」スタジオにあるコンパネや板切れを適当に組んでゆき、デンドラで止めてゆく。気がついたら、5〜6段あるひな壇が出来上がっていました。一番上は頭が天井に届くほどでした。ある程度舞台が出来上がってくると「練習しろ!」出演者はパチパチ、横で先生と僕はトントン、ギュ〜ン!夜中の2時3時になってもまだやることが沢山あって、先生は「出演者は寝ろ」と言ってもワサワサして寝れやしない。そして朝になり通し稽古をして昼頃から本番、たしか3回公演してたと思います。さすがに僕はいったん家に帰りましたが、最後の公演が終わった後に戻ると、すぐ客席をバラしていました。今思えば、僕はこのお手伝いでタップインのすばらしさと、大変さを一日にして体験していたと思います。

 1996年9月、加藤先生はもう一度JIMMY SLYDEを呼んで公演を打ちました。[KEEP ON DANCING]ジミーが我々に残したメッセージをタイトルに!僕は憧れのJAMの舞台に出れる事で毎日神経が高ぶっていました。そして幸運にも[CRAZY RHYTHM]を僕の尊敬する佐藤勝氏と踊らしてもらう事になったのですよ。このナンバーは男性デュオの早い曲で、JAMの歴代男性ダンサーたちが踊り次いできた作品でして(あのKENTAさんも昔踊ってるの)ホント嬉しかったです。あと忘れられないのは、ジミーが成田に着いて、その足で稽古場に顔を出してくれた時のこと。疲れているからリハーサルは予定していなかったのに、加藤先生と再会の挨拶をした後、こんな感じでやるからと、[SECRET LOVE]を口ずさみながら踊り始めたのです。タップシューズもはいていないのに、ステップが伝わってきて、リラックスした導入部分から、だんだん盛り上げて、見せ場のスライドになり最後の締めくくりまで、踊ってくれました。気が付いたらみんなといっしょに涙流してた。鼻歌で歌ってるだけなのに、まるでバンドの演奏が流れているようでした。彼の中に踊りの流れがちゃんと組み立てられていることを知りました。僕たちは、その場に居れた事をとても幸運に思います。その公演の後も芸術劇場小ホールや、スタジオパフォーマンス、地方公演と数多く出演させていただいてます。

 僕の知っているタップイン、JAM TAP DANCE COMPANY の流れは、だいたいこんな感じですが、ここで話をタップインのレッスンについてお話します。田原町のスタジオを離れた後、鴬谷の木坂ビル、おなじ鴬谷の石田ビルを経て、現在大塚にスタジオがあります。だいたい2〜3年周期なので、久しぶりに行くと無くなっていて驚く人がいます。そんなわけで「加藤先生の趣味は引越し」と囁かれるほどよく移動します。べつに逃げ回っている訳ではなく、先生のその時の創作方針にあう場所を求めているのだと思います。普通これだけ移動すると生徒が離れてゆきますが、タップインのレギュラー生徒は付いてきます。それは場所で選んでるのではなく、内容で来ているからでしょう。なんといってもタップインですばらしいのは基礎クラスです。僕はこれを「タップの人間ドック」と呼んでいます。自分の悪いところがハッキリわかるんです。べつに加藤先生が口うるさく注意したりしません。一人ずつフラップを踏んだりするだけなのに、上手い人との差が良くわかってくるんです。木の床だから、なおさらごまかしがきかないし。一音一音出す事の大切さを気付かせてくれます。タップインの基礎クラスは、ビギナークラスという意味だけではなく、バレエで言うバーレッスンのように、欠かさずやる基本のクラスという性質を持ってます。(たまに基礎受けるとヤベ〜と思うことがあります)中級は後半の40分くらいで、加藤先生がその場で作る振りを覚えます。加藤先生の振りは複雑で難しいですが、毎回やっているとできるようになってきて、覚える訓練にはとてもいいです。

 最後に加藤先生についてですが、これほどすばらしいダンサーを育てた先生がいるでしょうか?みすみゆきこ、川村隆英、宇川彩子、佐藤勝、濱永健太、プロフィールに書いていなくても、一公演だけでも、ほんの一時期スタジオに通った人など、現在日本でタップをやっている多くの人が加藤先生のもとに立ち寄っていると言っても過言ではないと思います。もちろんそれらは加藤先生の力だけではなく、彼ら自身の努力によって力を付けていったのですが、少なくても、そんなすばらしいダンサーたちが育つ環境とヒントを与えてくれてたと思います。自分のタップにいき詰まった人がよくタップインに来ます。そしてそこで何かを見つけて、そして自分の道に向かって旅立って行きます。だから加藤先生はみんなを「うちの生徒」という見方をして縛りつけていないと思います。

 加藤先生とぶつかって辞めていった人もいるでしょう。たしかにクラスでは冗談を言いながらの親しみやすい先生も、舞台の創作活動中はプレッシャーとストレスでたまに爆発します。(自分も作り手の端くれとして、その苦しさを少しは理解できるようになりました)そんな時「もうやってらんね〜よ」とお互い思うのですが、不思議なもので、親子喧嘩のように時間がたつと消えてしまいます。一時期、昔辞めて行った人がよくスタジオに戻ってきた時がありました。一度離れてみて、「やっぱりここなんだよ」という何かがあったのだと思います。先生のもとを離れていった人でも、加藤先生のタップにかける情熱だけは誰も否定出来ないと思います。ホントに......すごい........先生でした.......。(まだ生きてるって!ガハッハッ)

タップインの公式サイト

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