
運動生理学から筋肉の老化現象を調べると、17歳が絶頂期、25歳頃から老いが忍び寄って、30歳を越えると筋肉の弾性は10代の半分に萎縮する。今やスポーツの主流は中学生になったのも必然的な話と言える。ところが数あるスポーツの中でもゴルフだけは別である。上腕筋や首の付け根に筋肉がこぶのように付いている間はボールが激しく曲がるのである。ゴルフのグリップは右の小指を1本はずして右4左5で握ることによって両腕のバランスがとられている。ところが筋肉の力が強い年代では、それでもまだ右の力が勝ってしまい、アマではスライスが上級者では危険なフックが出やすいスウィングになる。ゴルフというゲームのもつ特長は、ごく一般的な体力と筋肉さえあれば、決してプレーに困らないという事実である。ゲームの9割を占めるショットに一発長打はあまり意味をなさない。
ショートホールをラウンドしてホールインワンする確率は、男子プロで3700回に1回、女子プロで4600回に1回、一般ゴルファーで43000回に1回と言われている。カリフォルニア州ロングビーチ出身のノーマン・L・マンリーは1930年生まれで、27歳でスクラッチプレーヤになった。1983年7月現在、彼のホールインワン数は51回である。もちろん前人未踏の記録である。
全米記者クラブでは、数年毎に投票を行って「世界のベストコース20」を発表している。そのランキングで常に1,2位に名を連ねているのが、ニュージャージー州クレメントンにあるパインバレー・ゴルフクラブである。なにしろ1つのホールに100の伝説があると言われるほどエキサイティングで、難易度の高さも世界一である。悪いスコアをめぐる物語なら際限がない。ここは荒れ果てた砂丘にティショットの落とし場所とグリーンがぽっかり浮かんでるだけである。左右に密生したパイン(松)と雑木といばら、砂、岩石、裸地が待ち受け、それでいて18ホール中OBの境界線があるのは1箇所のみ。その他には、オハイオ州にある「サンダーヒル・カントリークラブ」も難コースとして有名である。全てのホールに池とクリークが点在し、全長7261ヤード、パー4のホールは全て400ヤード以上、ショートホールでも200ヤード以上。オープンして以来、誰もパープレーした者はいない。
ロングホールの第2打目をカップに沈めるアルバトロスはプロでも生涯に1度あれば幸運と言われるが、フロリダに住むアマのカズンスキーは1970年と1973年の2回成功している。これは、もちろんアマの不滅の記録である。また、1日に2度も同じホールで成功した例もある。1989年のトーナメントで新井規距雄プロと飯合肇プロの2人である。ちなみにアルバトロスはアホウドリの意である。
バーディー:小鳥 イーグル:鷲
奈良県に住む喜多繁さんは連続373日間コースに通い詰め、きちんと18ホールをプレーした。強風が吹き荒れたり、炎天に寒波の1年と8日間。天候は我慢できたそうであるが、冠婚葬祭の義理を欠くことが辛かったらしい。アメリカには422日の大記録があると聞いて挑戦しようとしたが374日目の朝、高熱で起きられずついにダウン。
アメリカ人のラルフ・ケネディは1962年に80歳で亡くなるまでの間に、3615枚のスコアカードを保管していた。もちろん、これはギネス記録である。これでも若い頃のスコアカードは捨ててしまったそうで、32歳から異なったコースでプレーした場合に限ってそのカードを保管し始めた。このカードは居間に貼られており、壁はおろか天井までびっしりの状態。そこで、今度は庭先にゴルフ部屋を新築して、クラブ修理、骨董的クラブの陳列棚と一緒にスコアカードを飾るためのホールまで造った。アメリカ全土、カナダ、イギリス、他にも12カ国でプレーした偉業である。彼曰く「新しいコースでプレーするというのは、新しい女と仲良くするようなものですな。ドキドキ、ワクワク、不安と緊張がたまらんね。」。
浄土真宗の総本山、京都。西本願寺には9ホールでパー27のコースがある。広大な西本願寺の庭には四季折々に花が咲き乱れる名庭「百華園」があって池の周囲は濃い緑に包まれている。その向こうに平らな芝生の庭が広がり、大谷家と隣接する。実はこの芝生の庭が難易度の高いゴルフコースになる。茂み、木立、つくばいなどの各所に庭園を散歩する人の目からそれとわからないようにティグランドが設置され、マットが固定してある。短いアイアンを振る程度の空間しかない上に、すぐ目の前に枝や葉が迫ってプレッシャーは強烈である。一番距離の長いところで80ヤード程度であり、9ホール中7ホールまでが池越えのショットになる。
「寒い日は飛距離が落ちるので、なるべくポケットなどで温めたボールを使う」…糸巻きボールの場合、ボールは内部温度が上昇するにつれ反発力が大きくなる。
「夏は2個のボールを交互に、冬は1個のボールを使い続ける」…夏はボールの内部温度も高いので1ホールで打たれた衝撃を矯正する意味から、ホールごとにボールを交替していくのが望ましい。冬は冷えて働きの悪いボールも数回の衝撃で分子が目を覚まし、内側から温まってくるので2、3ホール使用したあたりが一番良好な状態になる。
「新品よりも少し使ったボールの方がとく飛ぶ」…糸巻きボールの場合、中の糸ゴムが打たれた衝撃によってマッサージ効果を受け、凝りがほぐれて反発力を増す。
「長い時間放置したボールは飛ばなくなる」…糸巻きボールの場合、放置環境が高温になればなるほどコンプレッションが落ちる。40度の環境で1ヶ月、60度の環境で1週間程度で飛ばなくなる。
「ボールには寿命がある」…糸巻きボールの場合で5年でコンプレッションが落ちる。ツーピースボールの場合で5〜6年でミクロの単位で直径がわずかに縮む。糸巻きボールは生き物のようにデリケートである。
コンプレッションとはボールの硬さのことであり、数字が大きいほど硬いことを表す。80,90,100があり、各々緑、赤、黒で色分けされている。非力な人が硬いボールを使うとインパクトでボールがへこまずボールの復元力を使えず飛距離は落ちる。逆に力とスウィングスピードのある人が柔らかいボールを使うとインパクトでボールがつぶれすぎて飛距離は落ちる。
糸巻きボールは中心に芯(コア)がありその芯を糸ゴムで巻いてあり、表面が柔らかくスピンがかかりやすいが傷つきやすくもある。ツーピースボールは合成ゴムと強化カバーの2層構造になっており、表面が硬く糸巻きボールと反対の特性を有する。
22度の傾斜があるアイルランドのラヒンチ、ボリビアのラパス・ゴルフクラブの9番(富士山のように中央が高くなっていてカップは常に山頂あたりに切られている)など候補があるが、衆目の一致した意見によると、世界で一番難しいグリーンはアメリカのマサチューセッツ州ボルトンにある「インターナショナル・ゴルフクラブ」の5番、695ヤード、パー6のものだろうという。このコースは名設計家ロバート・トレント・ジョーンズの手によるものだが、バックティまたは後ろに設けられたタイガーティから全長なんと8325ヤード。その長たるや、例えば16番のショートホールは270ヤードもあって世界最長のパー3である。で、5番のグリーンであるがここの広さがまた世界一。なにしろ総面積が2576平方メートル(約780坪)もあって別名「OK牧場」と呼ばれている。牛も飼える広さというわけである。その日のピンの位置によっては、スプーンからウェッジまでの幅があり、手前から奥に打つ場合、パターの限界までスウィングしても届かないというから恐ろしい話である。
標準サイズ ショート:250ヤード以下 ミドル:251〜470ヤード ロング:472ヤード以上
ゴルフの歴史に革命記念日があるとすれば、それはストロークプレーが採用された1759年5月9日である。それまでのゲームは全てマッチプレーで行われていた。1ホールごとの勝敗は、同ストロークが「ライク」、1打差が「オッド」、2打差が「ツーモア」、3打差が「スリーモア」とお互い告げ合っていた。ところがマッチプレーではくじ運が大きくものをいう。これでは不公平だとする非難の声に押されて、セントアンドリュース・ゴルフクラブがこの年、ストロークプレーに踏み切った。困ったのは選手達で、まだスコアカードの無い時代であり、しかも当時のセントアンドリュースは22ホールであった。仕方なしに、選手達は自分のワイシャツの袖口に鉛筆でスコアを記入し始めた。1865年、第6回全英オープンに初めてスコアカードが登場した。
お互いにゴルフの技術的な部分に関して教えたり教えられたりしてレベルアップが効率的にはかれることは言うまでもないとして、トーナメントの宿の手配や切符の手配などがまとめてできるので便利であるという側面もある。ちなみに1試合出場するとエントリフィ、キャディフィ、宿泊費や交通費などで最低でも30万円ほどかかる。トーナメントで予選を通過して最低30位までに入らないと赤字になってしまう。
ボビー・ジョーンズが自伝の中で、ゴルフは相手と戦うのではなく、架空の「パーおじさん」と戦う競技だと書いたことに由来する。彼は1930年、この年28歳のアマチュアで世界の4大タイトルを総なめにして、グランドスラム達成の大偉業をなしとげた。また、ゴルフの中に明快な哲学を確立させた点でも不滅の存在である。その思想は「ボブの憲法」と呼ばれたが、要約すると、ゴルフはアマチュアのもの、この偉大なるゲームを金儲けに利用するのは恥ずべき行為だと糾弾した。トップアマの座を守りながら、彼はハーバード大学で文学、エモリ大学で法律、アトランタ工科大学で機械工学の学位まで取得している。28歳で惜しまれて引退し、盟友クリフォード・ロバーツと共に「オーガスタ・ナショナルゴルフクラブ」を設立、ここを舞台にゴルファーならば一度は出場してみたい「マスターズ」を創始した。これほど偉大なアマチュアは、もう二度と現れることはないだろう。
BOOBY(まぬけ、のろま)のことで、本来は最下位の人をいうが、日本ではビリから2番目の人をいう。最下位の人は「ブービー・メーカー」という。実は日本でもかつては、最下位の人にブービー賞が与えられていた。ところが、この商品がグレードアップしてくるとスコアの悪くなった人がきれてしまって、わざとブービー賞を狙うケースが出てきた。これでは、せっかくのプレーも面白くなくなるため、狙ってもなかなかとれない下から2番目の人をブービー賞にするように変更した。
この語源は諸説あるが、17〜18世紀にエジンバラにいた旅行者相手のガイドのような者で、飲んだくれで、ゴルフ場に関しても良く知っていたCaddieからというのが有力である。
セントアンドリュースにはもともと22ホールあったが、市民の邪魔になるということで2つのグリーンを市に削り取られてしまった。当時、1つのグリーンを2つのホールで使っていたので結果的に4ホール減り、18ホールのゴルフ場が出来た。また、セントアンドリュースの18番にはローマンブリッジという橋があるが、これはゴルフのためのものではなく、馬車でこの川を渡るためにかけられたものであり、橋が先で、そこがたまたまゴルフ場になったということである。
現在ではプレー終了後のお楽しみという意味で使われる「19番ホール」であるが、セントアンドリュースの18番、最終ホールのすぐ脇にあるホテルには実際に「19番ホール」という名のバーがあった。
世界で最初の公式戦によるホールインワンはトム・モーリス・ジュニア。1869年に行われた全英オープンの8番ショートホールで記録された。プレストウィックゴルフクラブには当時のスコアカードが残っている。
それまでまちまちだったホールの大きさが決められたのは1891年。オールドコースの横に転がっていた土管を17番ホールに差し込み、ホールとしたのが始まりである。4インチ1/4(約10.795センチ)というのはこの土管の太さであった。
1937年にカナダカップが日本(霞ヶ関CC東コース)で開催され、中村寅吉・小野光一のペアが個人、団体で優勝。この大会が日本が世界のゴルフ大国に成長するきっかけとなった。ちなみに日本人の初の海外遠征は大正13年(1924年)11月上海の江湾コースで開かれた第一回チャルナアマチュア選手権。出場したのは大谷光明氏と赤星四郎氏。結果は赤星氏が6位、大谷氏が12位だった。
1962年ジャックニクラスがプロに転向しての初戦、全米オープンで優勝を飾る。それまでのアーノルドパーマーの時代からニクラスの時代への幕開けとなった。
尾崎将司のデビューは1970年6月の関東プロ。プロ野球選手(西鉄ライオンズ)からプロゴルファーに転向し、翌年の日本プロでは当時のビッグ3の1人、杉本英世を1ストローク差で破り早くもビッグタイトルを獲得した。
1978年ロンドンのウエイトワースCCで開かれた世界マッチプレー選手権でニュージーランドのサイモンオーエンを3:2で破って青木功が初優勝。100ヤード以内世界一の称号がこの試合からつけられた。彼は1980年バルタスロールGC(ニュージャージー州)で行われた全米オープンでジャックニクラスと4日間にわたる大死闘の末2位に入る。ニクラスは4度目の優勝。更に彼は1983年ハワイアンオープンで優勝。最終日18番ロングホールで3打目が128ヤードのチップインイーグル。ジャックレナーに奇跡の大逆転。日本人としてPGAツアー初優勝となった。
現代流ゴルフ倶楽部の日本一号は神戸ゴルフ倶楽部で設立は1903年。2年前から4ホールでプレーしていたが、この年から9ホールに拡張して正式スタート。設計者は英国のアーサーグルーム。1907年ここで第一回日本アマチュア選手権が開催された。日本人として最初にプレーしたのは小倉庄太郎、末子嬢(後に有名なピアニスト)と記録されている。
ゴルフコース本来の姿は文字通りGOINGOUT、COMINGIN。9番ホールがクラブハウスから一番遠いところにあり、10番から戻ってくる。日本のようにハーフを終えたら昼食という習慣は欧米にはない。
ヘッドカバーと手袋は1916年にロンドンの鈴木商店にいた高畑誠一氏が考案した。日本の友人からゴルフクラブを送って欲しいと頼まれた高畑氏が運送の途中でウッドが傷つくのを恐れて妹さんに編んでもらったのが始まりである。
1987年岡本綾子がLPGAツアー賞金王に輝く。獲得賞金は46万6034ドル。岡本綾子は1981年からLPGAツアーに挑戦を始め7年後ついに手にした栄冠であった。
1608年イングランドに世界で最初のゴルフクラブ、ブラックヒースクラブ(ロンドン)が設立された。残念ながら200年ほど前に当時の建物が火災で焼失してしまったため記録は残っていない。
最初のティーはホールの砂だった。1890年代になってゴム製のティーが出現。手が汚れないと愛用されたがニュージャージー州の歯科医が木製のものを思いつきWヘーゲンが使用してから人気を博し今日に至る。
クラブハウスのクラブの語源はトランプのクラブと同じ「木」。木の棒つまりクラブをもった男達が集まる所という意味。だからスコットランドの格式高いクラブハウスには女性は入れない。
1815年アランロバートソンがセントアンドリュースに生まれる。ゴルファーであったことはもちろんだが全英オープン開催にも尽力した。またクラブ作り、ボール作りの名人でアイアンを発明したのも彼である。
1834年1月ウイリアム王4世の援助によりロイアルアンドエインシェント(R&A)がスコットランドのセントアンドリュースに誕生。以来ゴルファーのメッカとなる。現在でもルールの総本山である。
1番はドライバー、3番ウッドはスプーン、4番ウッドはバフィー、5番ウッドはクリークだが、2番ウッドの名前はブラッシーという。かつてフェアウェイウッドのソールを保護するために真鍮(ブラス)を付けたところから命名された。
芝の種類で、主にグリーンに使われる常緑性のもので、寒さに強いところから冬期に使用されることが多い。夏期は高麗芝が主流である。
インパクトで角度が1度狂うと、225ヤード先では30〜40フィートの狂いとなる。
100叩く人はゴルフをおろそかにしている。90叩く人は家庭をおろそかにしている。80叩く人は仕事をおろそかにしている。70であがる人は全てをおろそかにしている。ちなみに夫がゴルフに熱心なあまり、家で放っておかれる奥さんのことをゴルフウィドウ(未亡人)という。
自分の年齢以下のスコアで回ることをいう。これを達成するにはゴルフの腕前と長生きと健康が必要である。
2001年12月14日、食道ガンのため59歳の若さで死去。日本アマチュアゴルフ選手権で最多の6度の優勝を誇る。中部氏の登場は鮮烈で、高校生だった1958年の関西学生選手権。大学生だけの大会に特別承認で出場すると、あっさりとメダリストに輝き、その名を全国に知らしめた。正確無比なショットを武器に自由自在に球を狙った場所に運んだ。日本アマで前人未到の6度優勝をはじめ、数々のタイトルを手にした。171センチ、58キロ(当時)と小柄だっただけに、当時からコースマネジメントを深く考えるプレースタイルで君臨した。 アマチュア界の第一人者だったがプロ転向はしなかった。「体力的にプロで試合を続けていくことに不安があった」と生前語っていた。アマチュアを貫き通し、ゴルフそのものを奥深く追求することに力を注いだ。プロに恐れられたアマ。青木功、尾崎将司、中嶋常幸の「AON」時代の「N」は中部だったかもしれないともいわれている。細身で物静かな印象だが若いころは一升瓶を空ける酒豪で知られた。豪快な性格の持ち主だった。毎日の練習はほとんどしない。会社の取締役を務めるなど、競技中心の生活は送らなかったが、日曜日は早朝から必ず2ラウンドをこなしていた。
男子ゴルフの世界選手権シリーズ最終戦、国別対抗のEMCワールドカップ(W杯)は15日、メキシコのビスタ・バジャルタGC(パー72)で最終ラウンドを行い、丸山茂樹と伊沢利光で組む日本は66で回り通算36アンダーの252で、2位の米国に2打差をつけて優勝した。 日本の優勝は「カナダカップ」の名称で行われていた1957年大会(埼玉・霞ケ関CC)で、中村寅吉と小野光一が優勝して以来45年ぶり2度目。丸山と伊沢は合わせて100万ドル(約1億2300万円)の優勝賞金を獲得した。大会には24カ国・地域の48選手が参加し、最終日は2人が1つのボールを交互に打つフォーサムで行われた。前日首位の日本は一時米国にトップを譲ったが、16、17番で連続バーディーを奪って競り勝った。
ゴルフは、世界のスポーツの中でも最も古い歴史を持つといっても過言ではない。このゴルフの起源については多くの説がある。最も有力とされるのは、スコットランドの羊飼いが先の曲がった木の棒で小石や羊の糞を打ち、ウサギの巣穴へ入れて遊んだのが今のゴルフにつながったという説である。競技としてゴルフがはじめて行われたのは約400年前のスコットランド。日本では今から100年前の神戸で初めてゴルフが遊びとして行われた。
アマチュアゴルファーの1ラウンド回った場合の消費カロリーは男性で約1000キロカロリー、女性で約700キロカロリーである。この消費カロリーでダイエットに効果はあるのか?本当に痩せるためには週に3回以上コースに出なければ無理らしい。月1ゴルフが楽しみでゴルフの後のビールが楽しみな人には縁遠い話で、かえって太ることにもなりかねない。
かつてゴルフは敵性用語として、全部日本語化されていた時代があった。ゴルフは打球、フェアウェイは芝地、クラブは打杖、ドライバーは木の一番、アイアンは金、ハンディは均率といった具合である。
女子ゴルフの国・地域別対抗戦、第1回ワールドカップ(W杯)は13日、ジョージ(南アフリカ)のファンコートホテルCC(パー73)でストロークプレーの最終日を行い、日本はエース宮里藍(19)が7バーディー、1ボギーでベストスコア67をマークする大爆発。82と苦しんだパートナーの北田瑠衣(23)をカバーし、日本を初代女王に導いた。
ケイマンゴルフは、ゴルフ界の帝王であるジャックニクラウスが開発した、通常の球の飛距離の1/2のボールを使用するゴルフ。このボールを用いたゴルフは、カリブ海のグランドケイマン島のゴルフコースで使用されたことから“ケイマンゴルフ”と呼ばれるようになった。ボールの重量は普通のゴルフボールの約半分で約26gの重さ、大きさは直径約4.2cmである。マナーやルールは通常のゴルフと同じ。全てのクラブを使える楽しさがあるが、ボールを打った時の打撃感が少々物足りないかもしれない。
ホールインワンは、ゴルファーにとってこの上なく嬉しいものである。したがってそれを成就し得た場合は多大な歓喜が訪れるが、それとともに厳しい問題がつきまとう。何故かと言えば、ホールインワンのご祝儀としてキャディなどへのチップやコースへの記念植樹、(もしコンペ等ならば)参加した全員に対する記念品の贈呈や祝賀式典などといった多額の出費を伴う用件が発生する。一概には言えないが、プロ選手でなくても100万円近くかかるともいわれている。勿論、「初心者だし、金も保険の備えも無いのでホールインワン祝賀は一切やりません」という態度も可能であろうが、ゴルフは高度に社会的・社交的スポーツの側面を持つため、嫌われることは確実だろう。さらには、「ホールインワン祝賀を開かないのは(本人ではなく)カントリークラブそのものの沽券に関わる」、と言った難しい問題でもある。
オナーとは、ラテン語で名誉・尊敬という意味。ゴルフではティショットを最初に打つプレーヤーの栄称として使われている。最初に打つことはスコアが良い、やはり名誉なことなんです。私は最初のティーショットは3番目が好きですが…。