
後藤勇-gotoisamu-
2000年7月〜2000年12月
子供の頃から、あたりまえのように、未来の代名詞として使ってきたことば「21世紀」。 その時代を暮らしていくことになった、と云うこと。
成人したときよりも、仕事に就いたときよりも、何か自分にとっての節目を感じます。覚悟。
あらかじめ予測してしまった未来。それでも歩を進めていく勇気。
浮かれ流れるのを捨て、意志を持ち続け。
また新しい未来に「22世紀」ということばを使えるように。(2000年12月31日、大晦日)
「耳の穴」の表紙を一新しました。 これまでは、敢えて画像を使わず、文字中心の構成にしていました。
しかし、リンク先が多い上、外国向けに英語表記もするとなると、実に煩雑になってしまいます。
そこで、アイコンのイメージで直感的に辿れる構成にしてみました。でも、それぞれの画像には、全て文字を埋め込みました。
目の見えない方は、この埋め込んだ文字を音声で読み上げたものを読んで、Siteを楽しむことができるのだそうです。音楽を楽しむのに、障害となるものは、極力取り除いていきたいと思っています。
(2000年12月16日、落花生なる植物)
ついに三上寛さんと会いました。 新宿タワーレコードで行われたミニライブ。
最近のアルバム「アラシ・雨・アラシ」「南部式」「四拾九億八万九千六百五拾八分の拾参」に収録されていた唄を中心に「宇多田ヒカルのお母さんと一緒に歌った唄です」と紹介された「夢は夜ひらく」のような代表曲まで、目の前で、足を踏みならし、時折顔をしかめながら、グレッチのエレキギター掻き鳴らしながら、たっぷりと歌ってくれました。
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今回、もっていかれそうになったのが「あなたもスターになれる」の叫び声。
上気して紅潮する顔。とにかく、人の声とは思えない、何か別のものが鳴っているような錯覚をおぼえる音。
そして「坊主も五十でパリの空」と、何度も早口ことばのように繰り返される唄。
こんなことばをこんな風に歌う歌手が、他のどこにいるだろう。その繰り返しは、私の中に、毎回、字面とは別の景色と感情を立ち上げては消えてゆく。渡世。硝煙。情交。親友。ライブ後、「三上寛、怨歌(フォーク)に生きる」の出版記念サイン会で、汗だくの三上寛さんとお会いしました。
客席の三方に向かってお辞儀をして、丁寧に「ありがとうございました」とお礼を云う人柄そのままの、気さくな方でした。
どうしても、以前、応援の気持ちで買い求めた、CD13枚組の「三上寛BOX」にサインをいただきたくて持参したところ、すぐに蓋を開け、筆ペンを手にとり、裏一面に詩を書いてくれました。そして山の稜線を象ったような「寛」の字の下には「♪」…
緊張して舞い上がってしまって、伝えたかったこともうまく喋れなかったけれど「もう、どうしよう…」というくらい嬉しかったです。
そして、恥ずかしいけれども聴いてほしかった自分の唄のCDを手渡し、握手をしてもらって、一緒に肩を組んで写真まで撮ってもらって、まるで普通のファン(笑)。 握手したときの手の厚み。そのふくよかさと寒風に満月の清冽。
(2000年12月11日、帰りに藤圭子のポスター)
強烈に「風景」を喚起する音、というのがあります。 「風景」というか「景色」というか、とにかく頭の中に何らかの「像」が結ばれるのです。
以前、知的障害をもった人たちのバンド「サルサ・ガムテープ」の演奏を聴いたときが、そうでした。
サルサ・ガムテープの演奏は、竹やポリバケツ!などでつくったパーカッションが主体となっています。
そのなかで、20名余りのメンバー全員が座り込んで、ドラム・スティックをカチカチ鳴らしながら唄う曲があったのですが、リズムはまったくバラバラなのに、まるで天上から静かに降り注いでくるような、満天の星空を見上げているような美しい「像」を私に与えてくれました。何故だか、涙が出てきました。
(2000年12月6日、固いガム)
今日は、私が敬愛してやまない、Frank Zappa の命日です。 1993年に Zappa が亡くなって、早7年。
皮肉なことに、今年のアメリカ大統領選挙は混迷を極め、出口の見つからない状態。
この状況を Zappa が見たら、なんと云うでしょうか?Zappa は音楽家として「奇才」ではあったけれど、人間としては、よく云われるような「奇人」「変人」ではなく(この称号は日本の政治家にこそ似合う!)「常識人」であったと思います。
それは、1970年代から一貫して「選挙人登録をせよ」と訴えてきたことからも分かります。
4年ごとの大統領選の度に大規模なツアーを行い、ついにはコンサート中盤の休憩時間に、会場で選挙人登録を行うようにしてしまったのですから。Zappa は共和党を嫌悪し、なかでも元大統領だったブッシュ(現候補の父!)を徹底的に批判し続けました。
そして、同時に、ミュージシャンの先頭に立って、ロックの歌詞を検閲する団体「PMRC」(代表はゴア候補夫人!)とも闘い続けました。
政治や制度と徹底的に関わりながらも、自らは政治家にならず(実際に大統領候補の推薦を辞退している)音楽家であり続けた Zappa。Dear Zappa, in Heaven...
What do you think about, NOW?
"Don't registed to a vote" or "Arf"?(2000年12月4日、Music is the Best!)
来年のソロライブの企画を考えています。 こういうアイデアを練っている時間は、とても楽しい。
大抵の場合、ほんの思い付きから、いままでやったことの無いことを実現していくというのが、私の活動の大半を占めています。
一見ばかばかしい「思い付き」というのは、実は大切だと思うのです。宝石の原石。
そして、それを実現させようとする力も。
何か目的や計画を立ててじっくりと事を起こすより、衝動がその新鮮さを失わないうちに走ってみるという方法。
これは、きちんと「個」をもっていないとできないことなのだと、最近は自覚しています。思い付きで、でたらめ英語の WebSite を開設してしまっても、いつのまにか海外のファンと英文電子メールで交流できるようになっていたり(笑)。
「思い立ったが吉日」はかなり正しい、と思います。(2000年11月23日、ロースカツ)
深夜、テレビで、チベットにほど近い中国の奥地にある河の光景を放送していました。 驚いたのは、その水のあまりにも透明なこと。
とても水中カメラの映像とは思えませんでした。もしかしたら水の外よりも澄み切って見えるかのような美しさ。
石灰が多く含まれているため、水中に沈んだ倒木の表面が覆われ、朽ちずにひんやりとゆらめいている様は、何か妖艶な感じすら催させてくれました。人間の死体に、静かな美しさをおぼえてしまったかの様な、そのときの自分の肉がほうっと火照っていく感じ。
ギドン・クレーメルというバイオリニストの演奏を生で聴いたとき、私は巨大なホールの3階席にいたにもかかわらず、その音が目の前にまでふわっとのぼってくる感じをおぼえました。
まるで上質なワインを飲んで、酔ってしまったときのような、ほのかな身体の火照り。本当に美しいものは、畏れを与えてくれます。
(2000年11月13日、服を一枚脱いで)
ふと「書き順」について考えました。 昔「かきかた」の授業で習ったあれです。
私自身も、最近はすっかり文字を「書く」よりも「打つ」方が多くなり、字を書く場面に出くわすと漢字なんかは覚えていないことが多くて、書き順なんかはもうそれはヒドいもの(笑)。
でも「打つ」のが本流になると、書き順って無くなりますよね?
そこで考えたのが、もともと漢字は象形から始まったとすると、そもそも「絵」だった訳ですから書き順なんて無かったんじゃないか、ということ。書き順は「こだわり」が、文化になっているのでしょう。
でも、その文化は無くなってしまうかも知れない。文化は守ったりすると終わりだと思うのですが、この書き順、何か新しい楽しみ方もありそうな気がします。面白いエンターテイメントになりそうな気が。以前、制作風景を撮影した映画で、普通の人だったらそんなところから描き始めないであろう部分から描き始めていた、ピカソのことを想い出しました。
(2000年11月12日、バルトークのある図書館)
今朝、電車の中で、ふと「ライブをやろう」と思い立ちました。 自分で企画するソロ・ライブとしては、1996年以来、5年振りです。考えていたら、いろいろなアイデアが浮かんできてしまうし(笑)、最近、唄いたいと思える唄がいくつかできてきたので。
WebSite「耳の穴」一周年にあわせて、ここ1、2年のプロジェクトや共作の経験も生かしながら、いままでにやったことのないソロ・ライブにしたいと思っています。これからも、自分なりのやり方で、地道に続けていきます。
(2000年11月10日、合羽上下で四千円)
意外なところを面白がってくれてるんだなぁ、と感じています。 私は唄をやっています。うまく説明できないのですが、それはどちらかというと、音楽というよりはことばに近いものです。
しかし、日本語がわからないという Annie Lin さんは、それでも私の唄を気に入ってくれています。
高田敦之さんの子どもは、なんと、私の唄の一節を口ずさんでいました。もちろんことばの意味は分かっていないと思いますが。
ライブに来てくれた荒川康さん、高田敦之さんは、この日、私としては納得のいかなかった「歩き道」を共に気に入ってくれたそうです。不思議な感じがするのです。
以前、三上寛さんがあるインタビューで「(外国に自分の唄を持っていったら)自分が今まであまり重要だと思っていなかった部分が聴かれている」というようなことを話していました。
そうなると、もう、意識的に表現をしようということには、あまり意味がなくなってしまうんじゃないか、とさえ思えてきます。いえ、悲観しているのではなくて、興味深いのですが。
(2000年10月22日、三つの飲み物)
インターネットでの交流、共作をしています。 沖縄・竹富島で出会い意気投合した関西在住の「私」こと、Yさん。
彼の旅行記には、よくある自慢話とは異なった、真摯な感じを受けます。
WebSite「私について・・・」の掲示板には、普段あまり馴染みのないバルト三国などを旅する「私」の友人からの書き込みもあって面白いです。私の唄を聴いてファン・メールを送ってくれた、Annie Lin さん。
台湾に生まれ米・テキサスに住むシンガーソングライターの彼女とは、電子メールで共作をすすめています。
私の英語力は中学生程度なのですが、インターネットでは音楽自体をやりとりできるので、何とかなっています。
近いうちに、いくつかの作品を発表できると思います。
WebSite「annielin.com」では、彼女の弾き語りを聴くことができます。「歩き道」の映像を撮ってくれた大阪在住の旧友・平野政則さん。
もっと気軽に音と映像で遊べないだろうか、と考えて共作を始めたのが「gifmidi」シリーズ。
平野の GIF Animation と私の MIDI Music を組み合わせようという企画で、高田敦之さんのWebSite「Troom」の「GuestRoom」でどんどん発表していくつもりです。私は「インターネット至上主義者」ではありませんが、遠くに住む友人と一緒に何かを創作する上では、結構役に立つ道具だと思います。
(2000年10月7日、骨休め)
エンケンが「荒野の狼」を唄う。
忘れようとしてた
あなたを
想う気持ちがわきかえる。照明の光。
あのときのオレンジ色のシャツ。
よく似合ってた。この唄で
涙があふれた。のどのほうまでゆっくり伝って
それを拭わず
乾くのを自然に待とうと。(2000年9月13日、岸田はずるり)
「耳の穴」始まって以来、初めて海外からファンレターをいただきました。 「 Lisa Loeb の友人で、彼女のファンでもある私ですが、WebSite「MP3.com」を「リサ・ローブ」のキーワードで検索していたら、偶然、あなたのページを見つけました。日本語はわからないけれど、音楽はホントに好き。特に「ペダル」がイイですね。たくさんの唄をダウンロードして聴いてます。気に入りました!」
いやー、こんなことあるんだなぁ。とてもうれしいです。
メールを送ってくれたのは、アメリカに住む台湾人(なのかな?)の Annie Lin さん。ミュージシャンの方です。私も、彼女の WebSite「annielin.com」で唄を聴かせてもらいましたが、イイですよ。自分の唄のヘタさを痛感しましたが(笑)。
なるほど、リズムの感じが私に近い、と直感しました。何か一緒に共作できないかなぁ。
(2000年9月11日、飴が溶けてた)
最近、MP3関連の雑誌で「耳の穴」が紹介されました。 紹介とは云っても、どこから聞きつけたのか「掲載サイト募集」のメールが舞い込んだので、それに応募したのです。
でも、失敗でした。後悔しています。間違いが多いのです。だいたい名前からして「後藤憂」(笑)。
こんなの校正をやっていれば起こるはずがないのです。
こちらが送ったものを、一度の校正もなくそのまま掲載して、挙げ句の果ては、発売直前に自分の雑誌を「祝発売」なんて題で宣伝するメールを送ってくる始末。
あまりにひどい対応だと思ったので、今後こういうことのないよう、注意のメールを送っておきましたが、これまた、なしのつぶて。私は、誠実さの無い人を絶対に信じない。
(有)デュマデジタル製作の「わかるできるMP3」(桃園書房刊)。
内容もお粗末。みなさん、くれぐれも買ってしまわないように。(2000年9月10日、航空券を買いに)
横になって、眼鏡を外して眺めていたら、何か変な感じを覚えました。 弦のところの塗装が剥げかかっていたり、レンズが汚れている様が、昔、子供の頃に手にとって見た「大人の持ち物」のように見えてきたのです。
風格というか、その使い込まれた感じが、なんとも云えず。我が家の居間のテーブルには、亡くなった最愛のおばあちゃんが愛用していた、小さな裁縫ばさみが乗っかっていて、主なき後も現役で使われています。
全体が錆で被われ、その風格たるや私の眼鏡など足下にも及ばぬほどです。物も、愛着をもって使っていると、その人が染み込んでいくんだなぁ、なんて云うことを思ったりしました。
(2000年9月7日、風邪薬を2錠)
しばらくぶりで、ぶらっとCDを探しにでかけました。 中古で安いのがたくさん出ていたので、気に入ったのがないかと探したり、やっぱり最新入荷の棚はひと通り見てしまいます。
結局、中古で出るのを待っていたクラムボンのシングル2枚(1枚はやむなく(笑)新譜で)を買いました。
鈴木祥子さんのアルバムも見つけたのですが、これはセールまで置いとこうと(笑)。どうも、仕事をして自由に使えるお金ができても、学生の頃の感覚が抜けません。
「これはもう、一生手元に置いて聴き続けるだろう」というCDでも、新譜で買うのにはためらいがあるのです。中古で出るのを待とう、とか、安い輸入盤を探そう、とか。
でも、そんな聴きかたをしてきたおかげで、自分の好きな音楽を見つけるのが上手くなりました。今日も、待ちきれなくて、帰りの電車の中で歌詞カードを見てしまいました。
すっかりコドモです(笑)。(2000年9月4日、高田とミスドで)
昨日、今日と以前つくった唄を録り直してみました。 昨日の出来がよくなかったので、今日また違う感じで録ってみたのですが、やっぱりよくありません。
自分で聴いてみてもグッとくるものが感じられない。
思うに、今の気持ちに合った唄ではなかったのかも知れません。今は、あんまりことばを唄に出来ずにいるのです。いろいろなことばが頭に浮かぶのですが、それを唄ってしまうことにためらいがあります。
私の場合は、唄をつくるというのが、何かを整理してしまうことに似ているので、そうなのかも知れません。という訳で、2つのテイクは没になりました。
(2000年9月3日、ライブ会場を探す)
昨夜、テレビで何万人かが集まったという「パラパラ」のイベントの模様を放映していました。 「パラパラ」というのは、若い女性がユーロビートに合わせて手振りで踊っているあれです。
あまりにも大勢で踊っていたので、気が付いたのですが「あぁ、これは盆踊りなのだなぁ」と。
パラパラも盆踊りも、みんなで仲良く揃って同じ手振りをして、しかも音楽も踊りのために設計してある感じがします。以前、振付師の南流石さんが、自分の参加していたバンド「じゃがたら」の江戸アケミの踊りをみて「形じゃなくて身体から湧き出るような踊りだった」というようなことを云っていました。
踊りとかダンスってそれでいいのだと思います。その点、MAXのダンスはいつもスゴイと思います。
ひとりひとりがどうこうというのではなくて、4人のバランスでひとつの音楽を奏でてしまっているのです。
ブラジルのサッカーチームのフォーメーションを思わせるような、まるでひとつの生き物のような動き。歌謡曲なんだけど、そういうところはいい加減な気持ちがなくて、見ていて清々しいですね。
(2000年9月2日、敷き布団を打ち直す)
新しく2つのWebSiteを開設しました。 音楽Site「MP3.com」の「gotoisamu artist」と「耳の穴迎賓館」です。
前者は、いわば英語版「耳の穴」で、後者では「MP3.com」に登録されている世界中の曲から、私が選んだものを紹介しています。
例えるなら、輸出と輸入。これで貿易収支トントン(笑)。元々、自分の唄と音楽の「配給」をきちんとやろう、というのが「耳の穴」のはじまりでした。
続いて、ソロ作品以外のバンドでの録音や共同作品を紹介する「耳の穴別館」をはじめました。でも、まだまだ、普段自分が表現していることが立体的に見えてこないなぁ、と感じてもいました。そこで、次にはじめたのが「録り下ろし」。これは、できたばかりのデモ段階の唄をそのままの形ですぐに発表していくというもの。これで少しは、動きのある表現とかライブ感みたいなものを伝えることができてきたような気もします。
そして、今回の海外進出(笑)。作者自ら配給に携わるからには、ただ発表するだけじゃなくて、そこでも何か新しい出会いというか、変化みたいなものが欲しいと思っています。
唄や音楽にもいろいろあるように、音楽との出会いかたもいろいろあるほうがいい。音楽が好きだから、その気持ちに嘘をつかず、裏切らないようにしながら、私にとってもみなさんにとっても、音楽とのいい出会いがあるように、表現を続けていきたいと思っています。私にとって、InternetにWebSiteを公開するのは「芸能界ごっこ」じゃなくて、むしろ「いろんな街に出かけていく」ことに近いかも知れません。
(2000年8月1日、朝から蚊取り線香)
親友の高田敦之さんから、WebSite「Troom」を開設した、というメールをもらいました。 高田さんとは、私の友人数名を含めて、昨年から一年間に渡って、電子メールを使った「3×3ハイム」という企画をやってきました。これは、毎月あるテーマを基に、参加した人がそれぞれ表現作品をつくる、といったものです。
ここでは、詩、短歌、散文から音楽、写真、映像まで、様々な表現が繰り広げられました。一人の人の表現も毎月その姿を変えていき、今振り返ってみても、面白い企画だったなぁ、と思っています。
高田さんも「3×3ハイム」に刺激を受けたらしく「Troom」でも、文章、写真、音楽といろいろな表現に取り組んでいます。インターネットは、情報を受けるだけのものではありません。
まず、誰もが自分の「表現」を持って欲しい。そして、インターネットを含めたいろいろな場で、もっともっと「個」を発表して欲しいと思います。以前、ある韓国人ジャーナリストは「メディアは弱者のものであるべきだ」ということを云っていました。
インターネットは、企業の金儲けの道具にしてしまうのは、あまりにももったいないと思います。(2000年7月23日、汗をかいた)
このWebSite「耳の穴」を始めて半年余り。
インターネットは、もう私の生活に、あたりまえのように落ち着いてしまいました。元々、インターネットにそれほど期待していた訳ではなくて、それは今でもあまり変わりません。
ただ、電子メールで今までご無沙汰していた友人と新しい関係を重ねたり、「耳の穴」で発表するために新しい唄をつくったりと、何か無精な私の重い腰を上げさせてくれるものではあるようです。道具、というよりも、場といったほうがいいかも知れません。
実社会とは別の場所ではなくて、実社会を補ってそこにつながっていくフィールド。肩書きや役割ではなくて、私個人。宇多田ヒカルさんの「ForYou」という唄は、私に、とても痛いほど「ひとり」を感じさせてくれます。
誰もが誰かと簡単につながることができるようになっても、「ひとり」とか「個」の痛くて切ない、でも何故だか微かに幸せな居心地を忘れずに唄っていきたい、と思います。(2000年7月22日、青い蜜柑を搾って)
「ロック」ということ。 私にとってロックは、単なる音楽ジャンルのひとつではなくて、空の上にある何かをつかもうとして、必死で手を伸ばしている、というイメージがあるのです。それはきっと、想いとか祈りに似た気持ちです。
届かないかも知れないけど、届くと信じて、そこに手が触れそうになる、たった一瞬。
それをこれからもずっと信じてみようと思います。私は「ことば」が好きで、唄でそれをやっているつもりですが、ことばにこだわり過ぎるとそこから遠ざかってしまうということがあります。
ことばをやめてこの気持ちをそのまま伝えよう。届くと信じて手を伸ばし続けよう。
そう思った一日が確かにありました。(2000年7月20日、サンダル履きのまま)
ボサノバを聴いてきました。 ファッションビルのイベントに、小野リサさんが出演するということで出かけたのですが、こんな涼しい音楽もあるんだなぁ、と思いました。
普段、音楽を聴くときは、何かガツンとくるものを求めているところが多分にあるのですが、こういうのもいいなぁ、と。
声高に叫ばない、そよ風やさざ波のような唄声。暑い日の汗がすうっとひいていく気持ちよさ。音楽って、これだ、ってのがないからいいんでしょうね。
いろんな音楽にそれぞれの個性的なよさがあって、それを楽しめるのって、とても贅沢なことだと思います。一緒に出かけた平田(ex.めやに,なんでも屋)と、久しぶりにライブをやろうという話になりました。平田も私も、人前で一人で唄いたいという想いがあります。
(2000年7月16日、月が欠けてくる)
今日、ひとつのことを祈った。 「あなたが、何かに頼らなくてもしっかりと生きていけるように…」
たぶん私だけが、本気でそう祈った。
(2000年7月9日、教会で)