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●サリン事件に登場した「毒ガスの専門家」常石敬一教授を嗤う。

1994年6月の松本サリン事件でマスコミに登場した神奈川大学経済経営学部常石敬一教授は,最初に有機リン系の農薬が原因で神経ガスが発生したといった。しかし,常石教授がそういえたのは,彼に高校生レベルの化学知識すらなかったからである。ところが,不幸な偶然として「神経ガス」だけは正しく,これによってサリンが農薬から簡単に合成できるとの常石教授の妄想があたかも真実のごとく流布され,河野義行氏が長期間容疑者にされる一因となってしまった。私は常石教授の一連の発言が初動捜査を混乱させなければ,地下鉄サリン事件は防げ,多くの無辜の市民が犠牲にならなくても済んだと考えている。しかし,NHKはいまだにこの「農薬からサリンを合成したという小説を読んだ」だけの「ただのえーかっこしー」を毒ガスの専門家と考えているようだ。

【02/11/02作成】

1994年6月の松本サリン事件のとき,ある新聞が「農薬からサリンが合成できますか専門家に尋ねたら意見は完全に2つに分かれた。」と書いていて興味深かった。「農薬からサリンが合成できますか」と尋ねるべき「専門家」とは誰か。その気になれば自分でサリンを合成する能力のある化学者だろう。その意味で私はその専門家に属する。若い頃,有機りん系化合物を山ほど合成し,その中にはサリンに近い化学構造を有する化合物も存在した。ところが,驚いたことにその新聞は「農薬からサリンが合成できるという本を読んだことがある」神奈川大学経営学部常石敬一教授もその「専門家」に入れていた。

もちろん,農薬からサリンなど合成できない。サリンの特徴はりん原子にメチル基が直接結合している点にあり,このP-C結合を生成することが合成上重要なのだが,農薬の中でP-CH3結合を有するものはないといってよい。実際にはグリホサート類似の除草剤に1つだけあるが,サリンの原料にはなり得ない。おそらく,有機りん系殺虫剤にメタンホスホン酸ジエステルがあると想像し,それを原料にすれば合成できると考えたのであろうが,素人考えにすぎない。りん酸ジエステルからりん酸フルオリドエステルを合成するのは簡単ではない。そのような馬鹿なまねをするぐらいなら最初から合成した方がはるかに楽である。

松本サリン事件のとき,常石教授は最初にサリン(正しくは,神経ガス様の物質)が原因だといった。では,なぜ彼にそういえたか。それは常石教授には高校生レベルの化学知識すらなかったためである。サリンは極めて反応性に富む物質である。水に溶ければ容易に分解し,特に,塩基性の水溶液では分単位で加水分解されてなくなってしまう。そのような物質が水中で大量に生成し空中に揮散したといったのが常石教授である。

サリンはりん酸のフルオリドの構造を有する。多少,化学のわかる者なら塩化アセチルを考えてみると良いだろう。りん酸を酢酸に,フッ素を塩素に置き換えれば塩化アセチルになる。水中で塩酸と酢酸が光によって反応して塩化アセチルが生成し空中に放出されると考えればその馬鹿馬鹿しさがわかる。常石教授の発言をもっと砕いて表現すれば「池に流れ込んだ食塩水に光が当ったため水中の藻,微生物などとの反応で塩酸が発生し,それを吸った付近の住民は障害を受け,残った溶液は苛性ソーダになっていた。」になる。

もちろん,事件発生直後に,「誰かが神経ガスを撒いた。」といったのであれば卓見といえ称賛に値するだろう。しかし,発生要因が全くの誤りであったにもかかわらず原因であるサリンだけは正しく,これが不幸の始まりであった。これによってサリンは薬品の調合の誤りなどで簡単にできてしまうという常石教授の妄想があたかも真実のように報道される結果を招いたのである。これら一連の報道が重要な初動捜査を混乱させ,河野義行氏が長期間容疑者にされる一因を作ったことは容易に想像できる。のちに言い訳のように,「いろいろな化学物質を混合してサリンのできる確率などわずかだ。」と発言していたことにも呆れた。

中学生の頃,濃硫酸を扱った経験のある方も多いだろう。サリン合成に使う試薬はほとんど全て濃硫酸よりはるかに反応性に富み取り扱い難い。既にいったようにサリンは水とも反応するが,その直前の合成中間体はサリンよりも反応性が高い。使う溶媒にわずかでも水が入ることは許されず,アルコールやアミンなどとも反応してしまう。

常石教授のイメージは実験室の中で試験管の中に入れたさまざまな試薬を混ぜ合わせているマッドサイエンティストであろう。しかし,現実は違う。ドラフトチェンバーのなかに密閉した容器を置き,できるだけ空気に触れないように反応性の高い試薬を爆発に気をつけながらゆっくりと混合していく。これが実際の合成操作である。このような常識があれば,「いろいろな化学物質を混合してサリンのできる確率」などという馬鹿げた発想が生まれるわけはない。

常石教授は河野氏に謝罪したのだろうか。サリンが簡単に合成できるという妄言によって長期間苦しめる原因を作ったことに対し,寸毫の悔悛の情も抱かぬのだろうか。常石教授を批判してきたが,私が本当に批判したいのは常石教授のようなつまらない「ただのえーかっこしー」をテレビや新聞に登場させたNHKなどのマスコミである。私は,常石教授が最初にサリンが原因だといったという「業績」を引っさげてマスコミに登場し,それによって初動捜査を混乱させることがなければ,1995年3月20日の地下鉄サリン事件は防げたのではないかとさえ考えている。警視庁が上九一色村のオウム教団施設などの一斉捜索に踏み切ったのは地下鉄サリン事件の二日後の同22日である。

【著者付記1】
この記事は当時の新聞記事を読み直したのちに作成した。参照した記事(一部)の常石教授の発言の部分を以下に揚げる。

1994/06/28 朝日新聞 夕刊
有機リン系の農薬などの薬品が何らかの原因で池に流れ込むなどして,水や水中の藻,微生物などと反応し,神経ガス様のものが発生した可能性がある。

1994/07/04 朝日新聞 朝刊
製造方法がわかっているのは原爆も同じだが,はるかに身近な材料で殺人兵器と同じものができてしまうことを見せつけたのが今回の事件だ。

【著者付記2】
この文章は,2002年10月28日のNHKニュース10でのモスクワ劇場占拠事件で特殊部隊突入で使われた特殊ガスに関する報道の中で「毒ガスの専門家」として常石敬一教授が登場したことを記念して作成した。思うに,NHKでは「農薬からサリンを合成したという小説を読んだ」常石敬一教授は有機合成の専門家になるようだ。おそらく,「いろいろな化学物質を混合して偶然に人間をサルに変える薬を開発した教授」の小説を読めば生物学の専門家になれるのだろう。

【付記】以下もご参照下さい。
●私の「20世紀の化学物質-人間が造り出しだ毒物゙」【00/02/13】
昨年,NHK教育の人間講座において神奈川大学常石敬一教授の「20世紀の化学物質-人間が造り出しだ毒物゙」と題する番組があった。内容は,砒素,塩素,青酸,水銀,DDT,サリンといった古典的な毒物の話で,サリドマイド,AF2,チクロ,ベンツピレン,DES,フロンといった本当の化学物質の話はないうえ,浅薄で間違いも多かった。NHKのレベルの低さは,このように有機化学も毒物学も全くの素人である経済学部教授に化学物質の毒性の講義をさせたことにも現れている。

 

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