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●分析機器をブラックボックスのように考える風潮が瀰漫している。

昨今の分析機器の進歩により,測定装置をブラックボックスのように考え機器に表示された数字を書き写すだけの行為を「測定」と称する風潮が瀰漫している。1998年に建設省と環境庁の調査結果が発表した川や下水中の17-β-エストラジオールの測定値が誤りであり,実際にはその約10分の1〜100分の1であることもその典型例のようだ。

【00/08/27作成】

私はサルの撮った「写真」は写真ではないと考えている。
昔,写真を撮ることは大変だった。露光時間,露出,被写体までの距離などを設定する必要があった。現在は一眼レフでもこれらを自動的に設定してくれ,ピンぼけ写真を撮ることさえ困難になった。いまなら,シャッターの押し方さえ教えればサルでも「写真」が撮れる。しかし,如何に技術が進歩してもそれで優れた写真家が生まれる訳ではない。所詮,サルの撮った「写真」は写真とはいえない。

最近,測定のできない新人社員が配属されることが多くなった。機器に表示された数字を書き写すだけで,その数値の意味を理解しようという発想がないのである。それでは「測定した」とはいえない。

物理量の測定ではときに25.0℃といった正確な温度測定が必要となる。新人は,こんな場合でもごく普通の棒状水銀温度計の水銀だまりの部分だけを水槽に浸漬して温度を0.1℃の桁まで測定し,私を驚かせてくれる。温度計は全体を浸漬した場合に正しい温度を示すように設計されている。水銀だまりの部分だけを浸漬するのなら,毛管部分に存在する水銀が気温に等しいとして表示値を補正しなければならない。それ以前に,校正表の添付されていないような温度計で0.1℃まで測定することに意味がない。「60.0℃を示したときは60.2℃と読みなさい」という換算表が添付されているのが,本当の温度計である。

デジタル直示天秤の普及で重量(質量)測定は楽になった。測定したい試料を乗せれば6桁もの秤量値が現れる。新人はその数値をなんのためらいもなくノートに書き込む。しかし,4桁の精度でさえ重量を測定することが如何に困難なことか,ほんとうに精密な測定をした経験のない者には理解できないであろう。

私の学生の頃にはまだ下皿バランス型化学天秤が使われていた。いわゆるメトラー天秤もあったが,学生には使わせてもらえなかった。しかし,ブラックボックスのようなデジタル直示天秤ではなく原始的な化学天秤を使ったおかげで,私は重量測定での精度が実感できた。

化学天秤を使うには,まず,分銅に注意する必要がある。精密測定では分銅はすべて1級分銅を用いなければならない。1級分銅には表示値と実際の値との差が明示されている。そのような分銅を使わなければ100 gを1 mgの桁まで測れないことはいうまでもない。

次は温度の問題である。100 gを1 mgの桁まで測定するためには支点から皿をつるしている点までの距離が左右で100 mあたり1 mmの精度で一定でなければならない。化学天秤の前で少し座る位置が左右にずれると測定者の輻射熱で天秤の針が振れる。

重さを測る上で最も重要なのは空気による浮力補正である。空気は22.4 L(リットル)が空気の平均分子量に相当する30 gであるから,100 mLの水であれば130 mgの浮力を受ける。分銅も浮力を受けるが,ともかく空気の浮力補正なしに4桁の重量を測定することは無意味なのである。直示天秤での空気の浮力補正法は複雑なのだが,とにかく,4桁の重量を本当に測定した経験のない者が平気で7桁の「測定値」を書くのである。

最近,横浜国立大学の中西準子教授のHPで,1998年に建設省と環境庁の調査結果が発表した川や下水中の17-β-エストラジオールの測定値が誤りであり,実際にはその約10分の1〜100分の1であることを知った。その誤差の原因は測定にELISA法を採用したことにあるようだ。

免疫測定法の1つであるELISA法では交差反応が本質的に避けられない。用いたモノクローナル抗体の特異性により種々の交差反応が存在しうるのだが,抗体が認識する部位に似た部分構造のある分子を誤って検出してしまうのである。そのため,分析値は常に過大に評価されることになる。しかも,試料によっては夾雑物の交差反応の方がはるかに大きくなり,測定そのものが無意味となる場合も多い。

一般に,ELISA法はスクリーニングとしては有用である。即ち,ELISA法で検出されない場合は検出限界以下とし,検出された場合には機器分析で正確な値を測定する手法として用いられることが多い。殊に,農薬の作物残留分析のように99%以上の試料で検出されないような場合には迅速,簡便,安価な優れた方法である。しかし,定量に用いるには問題がある。

ELISA法には間接競合法と直接競合法があるが,どちらも最終的には溶液を黄色に着色させこれを比色定量する。しかし,定量すべき化合物の濃度が0のときにもっとも着色し,濃度が濃くなるに従って透明に近づくというやや不思議な検量線となり,精度よく定量できる濃度範囲は狭い。また,マトリックス効果という別の誤差の原因もある。試料に混在する種々の物質によって検量線がずれるのである。

とにかく,定量に用いるためには測定する試料の種類ごとに十分な予備検討添加回収試験が必要となる。そのあと,機器分析での結果と比較することにより,検証してからELISA法を採用するのが常識である。確かに,採取した水をなにも考えずに測定にかければ比色計につないだパソコンになんらかの数値は表示される。しかし,分析化学者ならその数値を定量値とはいわない。

建設省や環境庁がこのような杜撰(ずさん)な測定を大規模に実施した責任は重い。分析化学者に依頼すべき測定をサルに委託したのだから。

 
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