NHKインターネット公開中,
「インターネット討論,地球法廷-食料の安全性と環境」;雑感 (1)レモンの項目にみるOPPの発癌性の議論の欺瞞性【00/04/09】
NHKはホームページ(すでに削除)で「インターネット討論,地球法廷-食料の安全性と環境」を開催している。4月3日からは「ステーキセットからみた安全性と経済性」というテーマを具体的に示し,「サラダには環境ホルモンの疑いのある農薬が残留している」,「レモンには発癌性の危険のあるポストハーベスト農薬が大量に使われている」などと記載されている。しかし,そこに示された毒性などの根拠は専門家の批評にはとても耐え得ない素人だましのものにすぎない。ここでは,レモンの項目にみられたOPPの発癌性の議論についてその具体的な問題点を指摘する。
まず,NHKがアップロードしているレモンの項目のうちOPPの毒性に関する部分の全文を引用する。いままで文章の引用は避けてきたが,常識的にみてこの場合は許されると考える。
(OPPオルトフェニルフェノール)
1977年4月に食品添加物の指定を受け、東京都立衛生研究所は毒性試験を開始、ラットにOPP-Naを添加した飼料を長期間与え続けた結果、膀胱腫瘍が発生しました(1980年)。一方、厚生省はOPP-Na膀胱発ガンに関する専門家研究者による委員会を作って検討すると同時に試験を行い、発ガン性があると断言できないという内容の報告をしました(食品化学行政連絡報81年)。これに対し、都衛研が更に追試を行ったところ、高濃度のOPP-Na、OPPのラット膀胱に対する発ガン性が確認され、さらにDNA損傷の可能性が示唆されました。この結果は1983年、残留農薬基準値を決めるためのFAO/WHOの残留農薬専門家委員会に報告され、一日に人間が摂取しても良いとされる許容量は1.0mg/kg体重から1/50の0.02mg/kg体重に改められました。
現在、WHO(世界保健機構)の専門機関・国際癌研究機関(IARC)ではOPP-Naを人に対して発ガン性を示す可能性を否定できない物質としています。まず,私は現在もOPPとOPP-Naが食品添加物として使われていることに疑問を感じていることを明らかにしておく。系統的に調査したわけではないが,公表されている毒性データは現在の水準でみた場合にあまりにお粗末である。EPAのホームページにOPPとOPP-Naの記載がほとんどなく,R.E.D.にはおろかIRISにさえ項目がないのも気になる。
しかし,NHKの説明にはあまりに問題が多い。特に,基本的な論調である発ガン性があるから禁止せよとの主張は明らかな誤りである。
まずこのレモンの項目で最初に違和感を感じたのは,現在の残留実態に関する記載がないことである。特に,1983年にADIが引き下げられたのであれば,その結果として実質的にポストハーベストとしては使用できなくなった可能性もある。安全性は毒性と暴露量とにより評価すべきであり,暴露量に関する言及がなければ安全性の議論にはならない。はたして,現在OPPとOPP-Naはどのような作物にどの程度残留し,それはADI(一日許容摂取量)の何%程度になるのだろう。
次に奇妙に感じたのは,厚生省が食品添加物として指定した際に評価した毒性試験結果と都衛研の試験結果との関連が記載されていないことである。本来,食品添加物の指定を受けるためには安全性試験の結果が厚生省によって検討されなければならない。それをもとに安全性の問題はないとの判断が下され,食品添加物の指定を受けているはずである。その時点で,ラットの慢毒/発癌試験における膀胱腫瘍についてはどのように評価されていたのであろうか。そして,現時点ではどれだけの科学的根拠があるのだろうか。とにかく,「食品添加物の指定を受けたので毒性試験を開始し,その結果,問題点が見つかった。」という流れはあまりに不可思議である。しかし,これは厚生省の問題かもしれない。
もし,食品添加物の指定の際に検討した安全性試験に疑問があれば,厚生省は追加のデータをOPP製造企業に要求しそれを不備と判断すれば日本ではOPPの残留しているレモンの輸入は禁止すると判断してGATTに基づき通報すればよいのである。インポートトレランスのある先進国では常識である。もっとも,安全性評価の後進国である日本では実質的にこのような主張はできず,FAO/WHOのJMPRのお墨付きが必要となる。日本は,このNHKの主張にみられるように「発ガン性試験で陽性の農薬は禁止すべきだ」という幼稚な議論が罷り通っている後進国である。
次に,「厚生省が発ガン性があると断言できないという内容の報告をした」という部分である。文章からは,「都衛研の毒性試験での膀胱腫瘍の発生に対し厚生省がこれは何らかの原因による試験の誤りなどに起因しているのではないかとの理不尽な主張をし,これに反論するために都衛研は追試をした」と読める。しかし,厚生省の専門家がラットに膀胱癌が発生したという実験事実そのものを否定するとは考えにくい。「ラットに膀胱癌が認められたことがヒトに対し発癌リスクがあることを意味するものではない」との主張であったと考えられる。つまり,ラットという動物種に特有の事情により膀胱腫瘍が発生したものであって,ヒトではラットと同じ反応は存在しないから,ヒトに対する発癌リスクの存在の根拠とはなりえないと判断したのであろう。この部分はあとで補足する。
だとすれば,この厚生省の主張に対する反論は膀胱腫瘍の発生機序の解明にある。「追試を行ったところ発ガン性が確認され」では追試にはなっていない。「高濃度で発ガン性が確認され」という部分をみれば,もとの試験は濃度が低く膀胱癌の発生頻度についての統計上の有意性に問題があったものとも読める。しかし,もしこれが事実ならあまりにも試験設計が杜撰である。慢性毒性試験での用量設定は試験の最大の要諦である。しかし,1980年初期の試験であり,都衛研で行われたことを考えればその可能性も否定できない。
「さらにDNA損傷の可能性が示唆されました。」については意味不明である。どのような試験でどんな結果だったのだろう。言葉からは「DNA損傷修復試験」と思われるが,関連する試験はビトロおよびビボ染色体異常試験,小核試験,レックアッセイ,復帰変異原性試験など多岐にわたる。しかも,常にADME(吸収分布代謝排泄)を考えておかなければならない。OPPは体循環系に入ったのち速やかにフェノールのOHがグルクロン酸抱合および硫酸抱合を受け,尿として対外に排泄されるからである。エームス試験で陽性であっても発癌性を示さない化合物も多く,逆に非変異発癌の例も多い。
余談だが,かぜ薬の成分であるアセトアミノフェンも同様に代謝され排泄される。この場合,多量のアルコールを摂取すればグルクロン酸抱合による無毒化が阻害され毒性が発現する。これは代謝の教科書にもある常識である。しかし,これを殺人に応用し保険金をだまし取ることは非常識な犯罪行為であることはいうまでもない。
FAO/WHOのJMPRでADIが1.0 mg/kgから0.02 mg/kgに引き下げられたとの記載は正確ではない。安全性試験で問題が指摘されたので,その原因が解明されるまで暫定的にADIを引き下げるとし,必要とされる試験が列記されている。しかし,それに対する対応はなされなかったものと考えられ,その後,JMPRでOPPとOPP-Naは取り上げられていない。ちなみに,ADIの0.02mg/kgは農薬としてはごく普通の値であり,1.0 mg/kgというような値は異常に大きく私はまだ見たことがない。安全係数を1/100とするとラットに毎日100 mg/kg食べさせて何のアドバース・エフェクトも認められなかったことになり,不思議である。
ともかく,発ガン性を理由に極めて厳しい基準が適用されるようになったというよりは,あまりに甘い基準が普通の基準に改められたと考えるべきであり,「DNA損傷の可能性」が認められたとは考えにくい。
IARCがOPP-Naを「人に対して発ガン性を示す可能性を否定できない物質に分類している」というのも文章の流れからは矛盾している。もし,「DNA損傷の可能性」のある一次発癌物質なら「ヒトに対しておそらく発ガン性がある物質」に分類されるからである。
IARCは発ガン性を以下の5グループに分類している。
グループ1 ヒトに対して発ガン性がある
グループ2A ヒトに対しておそらく発ガン性がある
グループ2B ヒトに対して発ガン性があるかもしれない
グループ3 ヒトに対する発ガン性については分類できない
グループ4 ヒトに対しておそらく発ガン性がないIARCはOPPをグループ3に,OPP-Naをグループ2Bに分類している。では,動物試験で明らかに腫瘍が認められるのになぜ2Aとならないのか。IARCが「実験動物での発ガン性の証拠が十分であっても,その実験動物での発ガン現象のメカニズムがヒトでも同様に機能するという証拠がない」とみなしたためであろう。もし,その証拠がないことが十分に強力であればOPP-Naもグループ3に分類される可能性もある。しかし,グループ4に分類される可能性はない。動物試験で発ガン性が認められれば如何なる場合にも4には分類されない。
ラットの膀胱癌の特殊性に関してはサッカリンの例が有名である。サッカリンはラットに膀胱癌を発症させるがヒトの安全性には実質的に問題はない。ラット特有の物理的刺激による発癌の寄与が大きいためである。調べたわけではないがOPPの膀胱癌にも同様の機序が存在するのかもしれない。ちなみに,IARCはサッカリンもグループ2Bに分類している。
私は毒物学の専門家ではなく,この分野の知識は十分ではない。しかも,Medline等で一次情報を調査した訳ではなく大部分は容易に入手できるデータと記憶モードでの判断である。重大な誤りを犯しておれば,メールにて指摘していただけるとありがたい。しかし,これ以上のこの項目に関し再度評論することはおそらくない。ステーキやサラダのなどの事項についても指摘したいことが山ほどある。
最後に,私がこのOPPの例で主張したかった要点をまとめる。
- 「動物を用いた発癌性試験において陽性となること」と「ヒトに対する発癌リスクがあること」は異なる
- 発癌リスクは定量的に評価しなければ無意味である
- リスクは毒性と暴露量により決まり,毒性だけをいっても意味はない
余談であるが,英語のホームページにおいてレモン,ステーキ,サラダなどのページがどのように英訳されるかが楽しみである。英語ではNHKの得意技である文学的表現による論理のごまかしが通じにくい。しかも,毒性関連の部分を正しく訳せるだけの毒物学の知識のある者なら内容の誤りにも当然気付くはずである。
ところで,英語のページにもリンクにはremon,suteki,saradaなどを使うのだろうか。00/07/16:書式を若干変更
インデックス 目次 要点 トップ