●ダイホルタンのリンゴでの残留分析の問題点青森の板柳町が実施したリンゴの残留農薬分析で一部の検査機関だけから大量の「クロ判定(ダイホルタンの検出)」が出たという。私はカプタホール(ダイホルタンの有効成分)の残留分析の特殊性からクロ判定を出した検査機関の分析値の方が信憑性が高いと考えている。
【02/11/02作成】
青森県板柳町が独自に実施したリンゴの残留農薬分析で町が依頼した民間の4検査機関のうち,1検査機関だけから大量の「クロ判定(ダイホルタンの検出)」が出たようだ。あり得る話だ。カプタホール(ダイホルタンの有効成分)の残留分析はプロでないと難しい。
カプタホールは1982年に報告された発癌性試験では何ら問題は見つからなかったという。しかし,私はこの試験結果には疑問がある。この試験ではカプタホールを餌に混ぜて2年間ラットに食べさせたのだが,この混餌飼料を毎週調製し,調製後は冷蔵庫に保管して毎日餌を取り替えたかどうか疑わしいと思ったのである。当時の分析技術だと混餌飼料中での分解に気付かず,長期間室温に放置した可能性がある。このようなことでも発癌性試験の結果は左右される。おそらくカプタホールは餌中で安定ではない。
カプタホールはイミドのN-アルキルスルフェニル誘導体である。この化合物を>N-S-CCl2-CHCl2と表現すると,これは酵素蛋白質中のシステイン残基のチオール部分(R-SH)と反応し,R-SHをR-S-S-CCl2-CHCl2のように修飾して酵素を失活させる。この殺菌剤の重要な作用機作は,このように細菌の中での酵素反応を阻害することにある。
しかし,この反応は散布者にも起こる。カプタホールが皮膚に付着すると,皮膚の蛋白質を修飾する。身体はこの変性した蛋白質を異物とみなして免疫機構が攻撃を始める。これが,ダイホルタンでかぶれが多い理由である。
このようなカプタホールの反応性は残留分析でも問題となる。分析しようと試料を磨砕した段階で壊れた細胞から出た酵素がカプタホールを即座に分解(チオリシスという)してしまう。そのため,このような分析では抽出段階でSH酵素の阻害剤を用いる。今はNEMを使うことが多い。とにかく,カプタホールを分解させないように残留分析を行うには知識と熟練と装置(ワーリングブレンダー)がいる。他に,リンゴでは酸化酵素が多いことにも注意が必要である。今のリンゴは,国光,紅玉のように切り口がすぐに黄ばむことはないが,他の果物に比べて酸化酵素が多い。
リンゴという果実には別の特殊性もある。散布時に果梗基部(果実の上のくぼみ)に溜まった農薬が芯の部分に移行しやすい。同じバラ科のナシでは果梗基部のクチクラ層が厚いためにこのような現象はない。この原因に,リンゴが偽果でありカキのような真果とは可食部が異なることがある。カキの可食部は全て子房が発達したもので,リンゴでは芯の部分の種を囲むやや堅い部分に相当する。縦切りにしたときに中央部にある色の少し濃い部分で,その外側の可食部は花床の発達したものである。果梗基部から侵入した農薬はこの花床と子房の境目の上部に分布することが多い。公定法ではリンゴは芯を除き果皮はそのままで分析するが,その際,このような分布の特殊性によって,どれほど芯を除くかにより分析値が大きく変化することがある。リンゴには皮の部分に農薬の残留が多いと考えている方がいるが,実は芯の部分に多い場合もある。
農薬の残留分析にはいわゆる「公定法」が用いられる。これには環境大臣が定める「農薬取締法第三条第一項第四号から第七号までに掲げる場合に該当するかどうかの基準を定める等の件第一号イの環境大臣の定める基準」と,厚労大臣が定める基準がある。カプタホールは農薬登録がないため環境省の公定法はなく,厚労省の基準だけが存在する。この分析法については,現在,厚労省はインターネットでこの公定法を公開していないため官報を見るしかない。調べてみると,カプタホールの公定法は平成8年9月2日官報号外第198号の30〜31頁に「(21)カプタホール,キャプタン及びクロルベンジレート試験法」として記載されている。
この分析法の概要は以下のようなもので,検出限界は0.005 ppm(ECD-GCで)である。
・りん酸を加え,アセトンで磨砕抽出
・多孔性珪藻土カラム
・ヘキサン-アセトニトリル分配
・フルリジルカラム精製
・ECD-GC(GC-MS)分析この公定法通り分析すればカプタホールを分析できると考える方も多いだろう。しかし,公定法はあくまでもおおまかな基準を与えるものに過ぎない。この分析法でも「カプタホール,キャプタン及びクロルベンジレート」の「果実,野菜,抹茶及びホップの場合」の分析法が記載されているだけで,これを参考に「カプタホールのりんごでの分析法」を工夫するのである。公定法通り分析してまともな結果が得られることなど皆無といってよい。
カプタホールの公定法の最大の問題はすでに述べたチオリシス(磨砕時のチオール分解)である。公定法ではりん酸酸性とすることで分解を抑えているが,リンゴの場合これで抑えきれるか疑問である。また,作物由来の分析妨害物質を除くためのヘキサン-アセトニトリル分配もカプタホールでは危険な操作になる。カプタホールでは酢酸亜鉛を加えるなどの工夫しないと回収率が低下する。
異常なほど細かな点まで書いたが,結論は「リンゴではカプタホールの残留分析は難しい」である。しかし,もし同じロットのリンゴを2か所の分析機関で分析し,結果が異なったなら,大きな分析値の方が信憑性が高いと思う。勿論これはあくまでも一般論である。
「所沢ダイオキシン報道騒動」にも書いたが,分析委託者が素人だとまともな分析値は得られない。今回の分析結果の不一致も委託者が的確な指示を出さなかったのが原因と思われる。この分析の意図を考えると抽出時の分解を押さえることに重点を置き,リンゴは芯を除かず,果梗基部も除去せず分析すべきであった。しかし,問題点の存在すら認識できないがゆえに素人なのだろう。
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