●環境ホルモン濫訴事件(5) フォンサール教授の「環境ホルモンは母性を失わせる」の問題点環境ホルモン濫訴事件は,京都大学松井三郎教授が国際シンポジウムにおいて「ナノ粒子,脳に蓄積」との新聞記事をスライドに示したことが発端であった。このスライドの呈示は「ナノ粒子にも環境ホルモンの可能性がある」との誤解を流布したいとの策謀と理解されるが,その背景に米ミズーリ大フレデリック・フォンサール教授らの「環境ホルモンは母性を失わせる」との研究がある。この研究の問題点を論じ,松井教授の思考レベルを解析する。
【05/12/04作成】
環境ホルモン濫訴事件(「環境ホルモン濫訴事件:中西応援団」の命名に従う)は,京都大学松井三郎教授が「第7回内分泌撹乱化学物質問題に関する国際シンポジウム」において「リスクコミュニケーション」と称する講演を行い,その中で「ナノ粒子脳に蓄積,動物実験で判明;米,毒性評価を研究へ」との見出しの京都新聞の記事をスライドで示したことが発端であった。
このスライドを示した松井教授の意図は,すでに(2)松井講演に関する見解(各論)で議論した。すなわち,このスライドを見る役人とプロの市民に,「(真偽は怪しいが)環境ホルモンは脳に影響を与える。」,「ナノ粒子は脳に蓄積する。」,ゆえに「ナノ粒子も環境ホルモンである。」との三段論法で,「ナノ粒子にも環境ホルモンの可能性がある」と誤解させたいとの意図と解釈した。
では,なぜ,「環境ホルモンは脳に影響を与える。」との考えが流布されるに至ったのか。この考えは,立花隆氏(知の巨人だったらしいが,このころにはすでに老醜を晒していた)が大活躍をされていた「環境ホルモン黎明期」からあった。1997年頃,立花氏は,週刊誌に「立花隆「同時代を撃つ」,週刊現代97/11/01;人類を蝕む環境ホルモンの恐怖」といった類の記事を多く書き,東京大学でゼミも開いていた。週刊現代の記事の一部を以下に要約する。
父親が息子を金属バットで殴り殺した事件,神戸の連続小学生殺傷事件,「酒鬼薔薇聖斗」事件,オヤジ狩り,イジメやイジメ殺人の問題の増加,これらと感情障害,精神障害を誘発する環境ホルモンの関連が見逃せない。今まで見落とされていた環境ホルモンの問題が,いま大きな要因の一つとして浮かびあがってきている。
この当時の風潮は,安井至先生のホームページをみれば理解できる。例えば,「立花隆の環境ホルモン本ともう一冊」,「環境ホルモンの脳への影響−立花版NHKスペシャル」などである。中西先生の雑感(その154 -2001.11.27)「立花隆先生,かなりヘンですよ」も挙げておく。
この「お話」は徐々に忘れられていったが,環境ホルモン問題に対する疑念が広がりだした頃,悪名高い(毒性試験の餌に大豆を使ったことなどで)フォンサール教授の「環境ホルモンは母性を失わせる」との報道がなされた。たとえば,2002年7月14日の毎日新聞では「環境ホルモン:微量のBPAでマウスの子育て行動が減少」との記事が掲載されている。
その研究とは,米ミズーリ大のフレデリック・フォンサール教授らが,ビスフェノールA(BPA)を妊娠中のマウスに与えると,生まれた子に,子育てに熱心でなくなるなどの行動変化が生じるというものである。以下,毎日新聞の記事を中心に要約する。
フォンサール教授らは,妊娠中のマウスに体重1キロ当たり10万分の1グラムのBPAを5日間えさに混ぜて投与し,生まれた雌が成長して子を産んだ時の行動をBPAを与えていないマウスと比較した。その結果,母親の胎内でBPAにさらされたマウスでは,自分が産んだ子の世話をする時間が,BPAの影響がないマウスに比べ15%ほど少なく,逆に子育てをせずに休んでいる時間がほぼ60%長くなっていた。フォンサール教授は「中枢神経系が発達する時期に,環境ホルモンによる影響を受けた結果とみられる」と指摘している。
私は,この研究の最大の問題は現象の解釈にあると考える。即ち,繁殖毒性について多少の知識のある研究者なら,仮に子育てを放棄するという現象があった場合,子供の異常に母親が正常に反応したと考え,母親の異常,殊に母親の脳の変化とは考えない。
農薬の安全性試験に催奇形性試験がある。この試験では母親に濃度を変えて被検物質を投与し,出産直前に帝王切開により胎仔を取り出し,外表奇形,内臓奇形,骨格奇形等を調べるのだが,仮に,出産させて生まれた子供の奇形を調べたとしたら正しい結果は得られない。出産直後の子供に重篤な奇形があった場合,母親が子供を食べてしまうためである。重篤な奇形といっても手足がないといったものではなく,外表には何らの異常も見つからないことが多い。剖検してようやくわかる程度のわずかな奇形でも,母親が生存競争を勝ち得ないと「におい(化学的あるいは比喩的)」で判断すれば,その奇形のある子を食べて栄養を健康な兄弟姉妹の生存確率の向上のために使う。「利己的な遺伝子」の立場にたてば,これはごく「自然」である。もちろん,犬畜生にとっての「自然」である。
では,重篤とまではいえない異常の場合,母親はどんな行動をとるか。その場合,母親は奇形のある子供の子育てを放棄する。このような理由から,繁殖毒性試験において子供の死亡率が高い場合は催奇形性に注意を払わねばならない。即ち,母親が子育てを放棄するという現象があった場合,子供の異常に母親が正常に反応したと考えるのがごく一般的である。
では,フォンサールのいう,「母性を失う」との試験結果に信憑性はあるのか。仮に,子供の死亡率が増大する,あるいは,有意な体重増加の抑制が認められるといった客観的な指標に基づく評価であればであれば信憑性が高いといえる。つまり,仮に母マウスが育児に熱心でなければ,それは授乳行為に最も反映され,子の体重増加が抑制され,親の摂餌量が減る。繁殖毒性試験含め,毒性試験では摂餌量と体重変化は重要な毒性指標とされる。他の所見を含め子供に何の影響も見られないのであれば「母性の喪失」そのものが疑問視される。
次に,「自分が産んだ子の世話をする時間」や「逆に子育てをせずに休んでいる時間」が客観的な観察項目ではなく,恣意を伴いうることがあげられる。「ビスフェノールAは母性を喪失させる」と考えている観察者なら,無意識であっても「子の世話をする時間」を厳格あるいは甘く判断してしまう。さらに,統計的に有意かどうかの問題もある。「子の世話をする時間が,BPAの影響がないマウスに比べ15%ほど少ない」といってもその変動率が15%では有意にはならない。
しかし,最大の反論はビスフェノールAの安全性は低用量を含む多くの濃度で4世代にわたる繁殖毒性試験で確認されており,「母性の喪失」など認められていないことにある。繁殖毒性試験には性行動を含め客観的な行動観察項目が多くあり,「母性の喪失」に関連する項目もあるため,これは明確に捉えられる現象である。4世代繁殖毒性試験であることも重要である。母親の愛情を受けずに育った子供のそのまた子供の親となったときの影響まで見ている。
このように問題の多い研究であるが,これを報じた新聞記事は一部に反響を呼び(たとえば,団藤保晴の「インターネットで読み解く!」第123回「環境ホルモン問題は終わったのか」 (2002/09/19)),環境ホルモンの脳への影響を「再認識」させるきっかけとなった。私は,フォンサールの研究が今回の松井教授の京都新聞の記事を用いた策謀のきっかけになったと理解している。しかし,松井教授の著作をみると,立花隆氏の週刊誌の記事程度しか見ていない可能性も否定できない。松井教授の知識レベルは8年前で止まっている。
著者注)
以下もご参照下さい。
●環境ホルモン濫訴事件(1) 松井講演に関する見解(総論)【05/10/30作成】
●環境ホルモン濫訴事件(2) 松井講演に関する見解(各論)【05/10/30作成】
●環境ホルモン濫訴事件(3) 「環境ホルモン問題」は終わっている。【05/11/08作成】
●環境ホルモン濫訴事件(4) 松井教授の「環境ホルモン」の定義【05/11/20作成】
●環境ホルモン濫訴事件(番外) 非イオン界面活性剤オクチルフェノールとその分解物ノニルフェノールは環境ホルモンである。【05/11/20作成】以下は関連事項です
●なぜNHKは環境ホルモンの報道開始を1年間も延ばしたのか。【00/02/06】
この文章を作成した2000年当時の状況がわかります。
●NHK,「インターネット討論,地球法廷-食料の安全性と環境」;雑感(2)サラダの項目にみる残留農薬の議論の虚構性【00/04/16】
【01/05/18】 所沢ダイオキシン風評被害裁判(2)
所沢ダイオキシン風評被害裁判で摂南大学宮田秀明教授が測定したハクサイの分析値のお話です。本文と直接のつながりはありませんが,「著明な環境ホルモン学者つながり」としてお読み下さい。
時間ができれば,以下の事項についても詳しく論評したいが,あまり期待しないでいただきたい。これも予告だけの項目の1つになるかもしれない。
- 環境ホルモン学会は「ガラパゴス諸島」なのか。
- 環境ホルモン学会退会の勧め
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