●農薬の分類(2);対象分野分類とその問題点農薬には自然環境に負荷を与え,農作物を通して直接,あるいは呼気,飲料水などから間接的に人体に取り込まれて何らかの悪影響を与える潜在的可能性がある。しかも,一般消費者に直接の利益はない。この農薬の特徴である直接摂取,間接摂取,環境負荷,直接利益という4つの要素をもとに,農薬と食品添加物や家庭用殺虫剤などを比較し農薬の規制について考察する。
【02/02/10作成】
日本語の「農薬」には,Agrochemical(農業用化学品)とPesticide(防疫剤)という2つの側面がある。農業用化学品とは農林畜産業(Agro)に用いる化学品(chemical)をいい,防疫剤とは有害病害虫等(Pest)を防除する(cideは「殺す」意味の接尾辞)薬剤の意味である。この2つの側面が農薬の定義を複雑にしている。ちなみに,この2つの共通部分が植物防疫剤(Plant protection product)で,2つの和が最大限解釈した農薬かもしれない。もちろん,これは言葉の持つ本来の意味の議論であって,法律などの定義は別である。
たとえば,蚊取り線香は防疫剤だが農業用化学品ではない。イネの倒伏防止剤は病害虫を殺すわけではないので防疫剤とはいえないが,倒伏からイネを守る(protection)だから,植物防疫物質に該当し農業用化学品にも該当するだろう。
各国の農薬の定義は,この最大限に解釈した農薬(つまり,農業用化学品+防疫剤)の中で,どこまでを「農薬」とするかにある。そして,その判断の基準が後に述べる4つの要素である。なお,最大限の解釈だから「農業用」も最大限に解釈する。畜産業も林業も造園業も花卉生産も「農業」とし,街路樹も花卉も農産物と解釈する。
ほとんどの先進国は,農薬を他の化学物質と分けて定義し,異なる規制を設けている。では,なぜ農薬は農薬としての規制を受けるか。それは,農薬が自然環境に負荷を与え,農作物や呼気,飲料水などから人体に取り込まれ何らかの悪影響を与える潜在的可能性があるためである。しかも,農薬の使用は一般消費者にはなんら直接の利益をもたらせない。
各国での農薬関連の規定をみると,対象分野によって農薬が定義されていることに気付く。つまり,法律上最も重要な農薬の分類は対象分野分類といえる。この分類により,同じ殺虫成分が農薬であったり,家庭用殺虫剤(医薬部外品)や動物用医薬部外品であったり,ときには食品添加物や医薬品に分類されたりする。これは,対象分野によって農薬を特徴づける4つの要素の比率が変わるためである。
表で整理しよう。
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使用区域と使用対象 |
摂取 |
摂取 |
負荷 |
利益 |
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農耕地内で病害虫対象 |
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農耕地内で作物対象 |
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収穫物の保管輸送 |
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非農耕地 |
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家畜等の衛生害虫等 |
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家畜等の病害(投与) |
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食品添加物 |
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家庭用で衛生害虫等対象 |
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家庭用での一般用途 |
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医薬品 |
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○等の記号は概念的な摂取量や強弱を示し,☆◎○△×はそれぞれ甚多中小無を示す。
この分類は日本および諸外国での農薬の定義をもとに私がまとめたものである。
ここでいう直接摂取とは一般消費者が作物残留等により直接経口摂取することであり,間接摂取とは飲料水などから間接的に摂取することである。直接利益とは一般消費者が農薬が使われることにより直接的な利益を受けるかどうかである。ただし,家庭用品と医薬品については消費者と「農薬等」の使用者が同じと考える。もちろん,これらはごく大雑把な分類に過ぎない。種子処理剤は農耕地内で病害虫対象に用いられる農薬であるが,通常,作物に残留することはなく(水銀と有機塩素系殺虫剤は例外),環境にも負荷を与えない。「殺虫剤」の中には蛾のオスが交尾のためにメスを見つけるのを妨害し次世代の発生密度を抑える性フェロモン剤もあるが,これも同様である。たとえ農耕地内で病害虫対象に用いる農薬であっても,生産される農産物が食用であるか,花卉などの非食用であるか,飼料用のトウモロコシか,あるいは牧草かによって4つの要素の割合は変わるだろう。
これ以外にも例外的な場面はいくらもある。ただ,多くの先進国が使用区域と使用対象によって農薬を定義し,その定義の前提に上述の4つの要素が存在することは認識しておく必要がある。
この表の中で農耕地内で病害虫対象に用いられる物質が,最小限に解釈した農薬である。本来の防疫剤の意味からは外れるが,植物成長調整剤は農耕地の中で作物そのものに散布され,外見上は「最狭義の農薬」と見分けが付かないため農薬に分類するのは当然だろう。そう考えると肥料も農耕地の中で作物そのものに散布,施用される点で農薬と酷似している。
問題は非農耕地で用いられる農薬である。法規制上最も重要な農薬の特徴はADIの決定,つまり,ヒトが摂取しても問題のない量を定める点にある。慢毒/発癌試験に代表される多くの試験はADIの決定のために求められるといって過言ではない。しかし,種子処理剤のように一般人が摂取する可能性がなければADIは定められず,多くの毒性試験の実施が免除される。以前はクワなどの非食用作物栽培用の農薬や非農耕地に用いられる農薬はADIを定める必要はなかった。しかし,たとえ非農耕地用であっても飲料水や呼気などを経由して一般人が被曝することは十分に考えられる。しかも,非農耕地用農薬には素人が住宅地などの周辺で散布するなど,農耕地用農薬より危険な側面もある。今後何らかの対応が必要であろう。私はホームセンターなどで問題のありそうな非農耕地用除草剤が売られていることに危惧を感じている。
非農耕地であってもゴルフ場にはリエントリーの問題がある。一般人はゴルフ場農薬の環境に与える影響が問題にするが,水系汚染などの問題は水稲用農薬に比べればはるかに少ない。ゴルフ場農薬の問題点は,散布後に一般プレーヤーが散布区域に入り被曝すること,つまりリエントリーの問題にある。ミカン狩りや林檎狩りなどを除き,一般消費者は農耕地には立ち入らない。
畜産業でハエや蚊の防除に用いる殺虫剤は多くの国で農薬に分類されている。たとえば,牧羊では羊を殺ダニ剤を溶かしたプールの中を歩かせて付いたダニを防除するが,これは農薬である。日本では動物用医薬部外品に分類されるだろう。外国では鶏に経口投与される抗生物質も農薬に分類されることがあり,これらは農薬に農畜産業用化学物質としての側面があることに由来している。
ポストハーベスト農薬は日本では食品添加物として規制されている。これを農薬より厳しく規制されていると誤解している御仁が多いのには驚かされる。一般に,食品添加物の規制は農薬に比べて甘い。食品添加物は消費者にとっても長期間室温で保存できるなどの利益があるためである。もともと,食品添加物の毒性は食品そのものの毒性より十分低くければ問題はない。たとえば,ワサビの抗菌成分であるアリルイソチオシアナート(allyl isothicyanate)は農薬登録など到底不可能な危険な化学物質でほとんど毒ガスに近いが,これを含浸させた食品用ラップが発売されている。これで食品を包むと菌の繁殖を防ぐことができ,実質的に燻蒸用農薬として使っているのだが,農薬にも食品添加物にも該当しないために何ら規制を受けないのだろう。しかし,ワサビに含まれているだけで,アリルイソチオシアナートを安全で理想的な天然系の抗菌剤と考える素人の多いことに驚かされる。アリルイソチオシアナートは食品添加物ではないが,実際の食品添加物のリストにも毒性面から農薬登録は不可能と考えられる物質が散見される。私は,重曹(炭酸ナトリウム)すら農薬として登録することは困難[発癌物質を農薬としてはならないのか。]と考えていた。
蛇足だが,小麦に使われるポストハーベスト農薬の問題はパンよりむしろ牛乳や豚肉にある。海外から輸入される小麦は玄麦の状態にあり,日本で精麦されて農薬の大部分はふすま(麩;「麦ぬか」)として除かれる。たしかに一部は小麦粉に残り,さらに一部はパンにも残留するかもしれない。しかし,大部分は牛や豚の飼料になる。このように飼料に含まれる可能性のある農薬は,実際にヤギや牛に投与して乳や肉にどの程度残留するかが代謝物を含めて検討される。ポストハーベスト農薬も当然このような試験で安全性が確認されているだろう。食品添加物にこのような精緻な試験が要求された例を知らない。
家庭用殺虫剤などでは一般消費者が直接受ける利益を食品添加物より大きく解釈する。おそらく,厳しい農薬の基準をあてはめれば,衣類用防虫剤も蚊取り線香も電気蚊取りも禁止せざるを得ないだろう。不確実な記憶だが,農薬の基準を準用すると蚊取り線香は1日あたり2 cmしか使えなくなると聞いた。一般家庭用品に農薬並みの毒性試験を実施することは現実的に不可能だろうが,呼気などから摂取する量の多い物質は農薬の1/100程度(試験費用として)の毒性試験を行って欲しいものである。よく家庭用品に農薬に似た化学物質が使われていると非難する御仁がいるが,問題は農薬に類似しているにもかかわらず農薬のように厳しく規制されていない点にある。あまりにも危険な物質が使われ過ぎている。
安全性の基準をいえば,医薬品が最も甘いことはいうまでもない。医薬品は効果とのバランスで如何なる毒性も許容される。服用した患者の半数が死亡するエイズの特効薬を考えれば良いだろう。農薬では決して許されない催奇形性物質も,医薬品なら「妊娠の可能性のある方は医師にご相談下さい。」の一文を書くだけで済む。惨事を引き起こしたサリドマイドもいまだに有用な医薬品として多発性骨髄腫などに使われている。ちなみに,私は妊娠初期の女性は風邪薬を服用しないよう強く勧める。
ついでだが,化粧品の基準も極めて甘い。たとえば,口紅に含まれているレチノイン酸(正確には,all-trans-retinoic acid)は毒物学を学んだ者なら誰でも知っている有名な催奇形性物質で,極少量を妊娠ラットに投与しても胎仔に口蓋裂をおこす。もちろん,このような催奇形性物質を農薬に使うことなど絶対に不可能で,原体の不純物として0.1%含まれていても問題となるが,口紅には適度な光沢を持たせるために使われている。おそらく,反農薬の運動をされているご婦人方も愛用しているに違いない。昨今,狂牛病関連の報道で化粧品には問題となる物質が多く含まれることが認識されるようになったが,女性が自らを美しく見せるというベネフィットはかなり大きく評価されている。
農薬がなぜ農薬として規制されているか概観した。
農薬は他の化学品に比べれば異常と思えるほど厳しく規制されている。その意味で,農薬として定義される範囲を広くとるほど一般人の安全性は確保できると考えられる。受ける利益の大きい場合や厳しくする必要のない場合は法令の運営で対応すれば良い。すなわち,農薬に分類されていても一般人が直接,間接に摂取する可能性がなければ,「農薬」として規制する必要はない。形式的に農薬に分類されるだけで過大な試験を要求することは逆に反社会的行為といえる。人類が安全性試験にかけうるマンパワーに限りがある以上,それは有効に使わねばならない。逆に,たとえ農薬に分類されなくとも,農薬と同様の4つの要素を有する物質には農薬並みの毒性試験を求めるべきである。建築材料に含まれる種々の化学物質や,(解決済みだが)カップラーメンの容器から溶出される化学物質などがこれに該当する。
しかし,以上の議論にかかわらず私は本邦での農薬の定義はおおむね妥当と考えている。同じ化合物であってもその使用法によって規制が異なるのは当然である。私は,DDT入りのシラミ用シャンプーはいまだに有用な医薬品と考えている。要は,リスクとベネフィットを化合物と使用状況ごとに正しく評価する点につきる。日用品にも農薬と同じ成分が使われているなどといったレベルの議論は幼稚というほかない。
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