●標識化合物問題(1);炭素-14標識化合物を野外でも使えるようにしよう。農薬などの代謝や環境中での挙動の研究に14C-放射性標識化合物は欠かせない。14Cは安全性の高い放射性同位元素である。しかし,日本では放射線障害防止法により標識化合物を野外で使うことができず,農薬の安全性確保に重要な「本当の」植物代謝試験や環境化学試験はできない。これらは海外に委託するほかない。このように,日本では些細な「安全性」にこだわって全体の安全性を大きく損なう事例があまりにも多い。
【02/08/25作成】
農薬などの代謝や環境中での挙動を研究する際に放射性同位元素である炭素-14(14C)を分子中に導入した放射性標識化合物は欠かせない。14Cは液体シンチレーション計数法(LSC)といわれる分子種に依存しない方法で定量できるため,たとえば,ラットに一定量投与した場合,糞,尿,呼気に排泄される量を経時的に定量することができ,含まれる代謝物もクロマトグラフィーによって明らかにできる。しかも,ごく微量を定量できダイナミックレンジも広い。
放射能というとそれだけで恐れる方が多いが,14Cは外部被曝,内部被曝ともに危険性の少ない放射性同位元素である。自然界にも普遍的に存在し,われわれの身体にも含まれている。これを考古学での年代測定に応用していることをご存じの方も多いだろう。14Cはβ-(ベータマイナス)崩壊核種に属し,放射線であるβ線を放出するが,そのβ線の最大エネルギーは156 keVと低く,0.5 mmのアルミニウムで完全に遮ることができる。制動X線の問題も少ない。GMカウンター(ガイガーカウンター)であれば100 mCiの線源から1mも離れればほとんど検出できなくなる。
昨今の環境に対する意識の高まりから,欧米では実際の環境に近い条件で14Cを用いた植物代謝試験や環境化学試験が要求されることが多なってきた。また,登録時にその試験結果が要求される例が増えつつある。
たとえば,イネの株元に粒剤として施用された農薬が環境中でどのように移動し,どのような化合物に代謝分解されるかを明らかにする試験では,屋内でイネの苗に農薬を処理し5か月後に稔った籾に含まれる農薬を分析することは極めて困難であり,もしできても異常な栽培条件で稔った貧相な数粒の籾の結果しか得られない。
しかし,これを水田系ライシメーター試験といわれるコンクリート製の四角い容器に水田土壌を入れて屋外でイネを移植し,14C標識した農薬を処理して育て,収穫した籾や茎葉部や土壌や浸透水を分析すれば実験室内よりはるかに優れた環境化学や代謝に関する情報が得られる。海外では実際の水田や圃場で14Cを使える場合もあるが,たとえ,1平米程度のごく限られた閉鎖系に近いモデル水田の試験であっても,実際の環境に近い試験の意義は大きい。ついでだが,このような試験ではスズメなどに収穫物を横取りされぬよう注意が必要である。
光による分解の試験も重要である。たとえば,作物の葉に散布された農薬は植物に吸収,代謝されるほかに植物の表面上で太陽光により分解する。農薬は葉の表面上で薄膜状態となりこれに強力な太陽光が当たると分子が励起され空気酸化を受けることが多い。農薬の分解にしめるこの分解の寄与は大きいのだが,実験室内では如何に強力なキセノンランプを用いて光を照射しても,実際の自然環境とはほど遠い結果しか得られない。
米国やフランスでは実際の圃場の一角をフェンスで仕切っただけで野外で結構自由に14C標識化合物が使える。ドイツでは比較的きびしいが,外部とコンクリートの壁で区切った領域なら使えるようだ。おそらく,14C標識化合物を野外で全く使えない先進国は日本だけだろう。
即ち,日本では農薬登録のために「まともな」植物代謝試験や環境化学試験をやりたくとも法律(放射線障害防止法)の制限からできない。「まともな」試験はすべて海外の試験機関に委託するほかない。この異常かつ無意味にきびしい放射性同位元素の使用規制は日本の安全性試験の経費も押し上げている。農薬や化学物質の安全性試験という人類共通の財産になりうる試験が,日本では実施困難なのである。
堺屋太一は「官庁にとっての規制は一般企業の資本金に相当する。」という。これが, 文部科学省科学技術・学術政策局原子力安全課放射線規制室が無意味な規制をどんどん増やす理由だろう。もちろん,リテラシーに問題のある報道機関や無知な民衆の不安もその背景にある。しかし,ごく狭い視野しか持たぬ木端役人が自らの保身のために些細な「安全性」にこだわって全体の安全性を大きく損なう事例が日本にはあまりにも多い。放射性同位元素の異常な規制もその一例である。
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