
●標識化合物問題(2);奇怪な規制が放射性物質の管理を歪めている。農薬などの代謝や環境中での挙動の研究に14C-放射性標識化合物は欠かせない。しかし,日本ではその使用の規制には異常かつ無意味に厳しいものが多く,これが代謝試験や環境化学試験の発展を阻害する一因となっている。
【02/09/08作成】
農薬などの代謝や環境中での挙動を研究する際に放射性同位元素である炭素-14(14C)を分子中に導入した放射性標識化合物は欠かせない。このような密封されていない放射性同位元素を取り扱うには種々の規制があるが,放射能は危険なものだから規制は多い程良いと考える御仁もいるだろう。しかし,全ての書類に「最高機密」と書けば逆に秘密は守れなくなる。無意味な規制はかえって安全性の確保に障害となる。
放射線施設の規制には科学的に誤りであるものが多いが,その典型が14Cのような軟ベータ核種しか扱わない施設にさえ月に1度,事業所境界等での空間線量率の実測を義務づけていることがある。14Cの放出するβ線のエネルギーは低いため,100 mCiあったとしても1mも離れればGMカウンターで検出することはできない。一方,放射性物質は至る所に存在する。GMカウンターを使えば,青酸カリもテレビのブラウン管もめがねのレンズでさえ放射性物質であることがわかる。
すなわち,この規則は1m離れれば聞こえなくなるようなラジオの音を100 m離れた交差点の中で実際に測定せよといっているようなものだある。計算で十分に小さいことを示しても許されない。科学的には「十分小さく無視できる」と書くのが正しく,測定するのは科学者としての良心に恥ずべき行為である。しかし,文科省の役人は周辺住民からもし何らかのクレームがあった場合,科学的にみて問題はないというより,「この通り測定データがあります」といった方が説明しやすいと考えるようだ。かくして,木端役人のつまらぬ妄想と責任逃れ体質によって施設管理の実務者は毎月2時間あまりを全く無意味な測定に費やすことになる。
健康診断もこの科学的に無意味な規定の典型である。14Cを取り扱う施設では,たとえ1年間に使う全ての標識化合物を経口摂取したとしても放射能による血液像の変化はあり得ないが,健康診断が必要とされていた。この規定は,あまりにも非科学的なため放射線障害防止法では平成元年4月から省略可能となっていたが,旧労働省の横槍で昨年4月から完全な省略はできなくなった。
奇妙な規制は必要以上に立派な施設を作ることも要求する。ある施設では,放射線施設管理上,1日に使う放射性物質の全量が気体に変化し,空気中に拡散するという非現実的な状況がおこると想定し,しかもその事態に研究者が一切気付かず,種々の警報システムも全く作動せず,同じ状況がさらに3か月間連続するとの仮定を押しつけられたという。代謝試験では代謝物として気体(多くは二酸化炭素)も生成し得ることがその根拠である。このような「最大のイノシシでも山より小さいはずだ」という無茶苦茶な論理で排気中の放射性同位元素の濃度が規定の値以下となるよう1日の使用限度を低く押さえよというのである。その上,気体を想定しているから,タバコの煙さえ通さない排気系のヘパフィルターの効果は全く認めないという。この指示に対応するには換気回数を必要以上に多くしなければならないが,これにより大きな施設が必要となり,さらに冷暖房に余計なエネルギーが費やされ,地球の温暖化が加速される。
放射線施設には5〜7年に1度ほど立入検査が入るが,その中で最近指摘されるようになった事項にブラインドとカーテンがある。放射線施設の壁は平滑でなければならないとの規定があるのだが,ブラインドやカーテンは壁と同じとみなすべきであり平滑ではないため取り外せというのである。ブラインドやカーテンがなければ放射性物質の取り扱いに支障を生じ結果的にその安全性に問題が生じる。しかし,検査官にとっては法解釈が全てに優先する。検査官には放射性物質がどのような試験にどのように使われるかという基礎知識が見事なほど欠落しているため,机上の安全性をもとに本物の安全性確保の障害となるような無理難題を何の罪悪感も感じることなく指示できる。手元には(社)アイソトープ協会放射線取扱主任者部会が平成10年度の年次大会でまとめた検査時の指摘事項リストがあるが,教条主義的な指摘がほとんどで実質的な問題は極めて少ない。ブラインドとカーテンはこの典型である。
東海村臨界事故の際,当局(当時は科学技術庁原子力安全局放射線安全課)の検査態勢の不備が原因だとの報道があり興味深かった。この記事を書いた記者は「官」は偉くて何でもわかると考えているのだろう。時代錯誤も甚だしい。検査官が核燃料処理会社ジェーシーオーを査察した際,仮に違法な操作を行っている場面に遭遇したとしても,その違法性を認識できたとはとても思えない。作業現場の横で床や壁に亀裂はないか,入り口付近に「この部屋では食事や喫煙や化粧をしてはいけない」といった注意事項の掲示があるかをマニュアルに従って検査していたに違いない。検査官がチェックできるのは「マニュアル通り取扱っています」という書類の書式と捺印の有無に過ぎない。私の関係する施設にも何度か査察があったが,理科系出身と思われる検査官は皆無で,ごく初歩的な物理や化学の知識さえ怪しい方がほとんどだった。
放射性同位元素を取り扱うのに規制があるのは当然である。しかし,パーキンソンがその第一法則で指摘したとおり,公務員は無意味な仕事をつくって自己増殖を謀るものである。かくして,当局は「ライオン」を取り締まる法律で「子ネコ」も同じように取り締まり,結果的に「ライオン」の取り締りは甘くなってしまう。その一方では「ワニ」は「猛獣」に該当しないとの理由で放置されている。「ワニ」とは医療用の放射性同位元素である。
とにかく,文科省の役人の教条主義と不作為が放射性物質の管理を歪め,日本での代謝試験や環境化学試験の発展を阻害する一因となっていることは間違いない。私は,東海村臨界事故の遠因に多すぎる奇怪な規制があったと考えている。
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