●いわゆる「複合汚染の問題」は生物は元素で出来ていないという妄想の所産にすぎない。いわゆる農薬の複合汚染の問題とは「複合影響の問題」,すなわち,単独では安全性が確認されている農薬であっても複数存在すれば,何らかの毒性を発現する可能性があるのではないかという疑念であろう。換言すれば,「無毒性量以下の物質が複数存在することにより非可逆的効果(毒性)が発現する可能性があるか」だが,このような事例は1例もない。作物も元素で出来ているとの認識があれば,食品成分との相互作用に比べ,農薬の複合影響などは些末な問題であることが理解できるであろう。
【00/10/01作成】
いわゆる農薬の複合汚染の問題は存在するのだろうか。もちろん,現象として複数の農薬が食品などに残留することはむしろ普通で,その意味で複合汚染そのものは当然存在する。しかし,いわゆる「複合汚染の問題」とは「複合影響の問題」,すなわち,単独では安全性が確認されている農薬であっても複数存在すれば,何らかの毒性を発現する可能性があるのではないかという疑念であろう。
確かに何らかの作用を発現するような量以上であれば相互作用が存在することは十分に考えられる。2つの農薬を混ぜれば互いに反応することも多い。胃に硝酸塩が存在すれば,アミンの部分構造を有する化合物ならニトロソ化合物を生成するだろう。アルコールを飲めば,代謝が阻害され毒性を発現する薬物も多い。しかし,農薬の残留基準は慢性毒性の無作用量(無毒性量)から定められていることに注意しなければならない。「複合影響の問題」とは,換言すれば,「無毒性量以下の物質が複数存在することにより非可逆的効果(毒性)が発現する可能性があるか」である。この問題は,内分泌攪乱化学物質の問題がいわれて以来,多くの研究者が探求したがいまだにその事例は1例も見つかっていない。
もともと,この「複合影響の問題」の議論はどこかおかしい。それは,生物は元素で出来ていないとの前提でのみ成り立つ議論だからである。もし,作物も元素で出来ているとの認識があれば,「同じ農薬でも,ダイコンに残留している場合とお茶に残留している場合とタマネギに残留している場合とでは毒性は異なるはずだ。」と考えるだろう。可能性としては,この方がはるかに大きい。農薬の作物中の濃度はppmの桁であるから,ある農薬がその作物の成分と反応する可能性は,その農薬が作物中の他の農薬と反応する可能性より数万倍以上大きいはずだからである。
実際の作物残留分析でも作物をそのまま磨砕(細胞壁を破壊するまですりつぶすこと)すれば大半の農薬は作物の成分と反応して分解してしまう。酵素を失活させる物質を添加したり,pHを調製するなどの種々のテクニックを使って作物に含まれる化学物質との反応を抑えなければ分析などはとてもできない。特に,ダイコンなどのアブラナ科植物はイソチオシアネートなどの反応しやすい化学物質(正しくはその前駆体)が大量に含まれているので注意が必要である。
また,薬をお茶で飲んではいけないという常識がある。それなら,同じ農薬でもお茶に残留する場合と水に残留する場合では毒性は異なるというのも常識といえるだろう。これに比べれば,お茶に残留する2種類の農薬の複合影響などは考える必要すらない些末な問題といえる。
反応しないまでも,作物には血行を良くする,血圧を下げる,胃酸の分泌を助けるといったいろんな効果のある化学物質がもともと含まれている。これらは,実際に生物の生理機能に何らかの影響を与えるほど大量含まれており,通常の100倍量摂取すれば命が危ないような化学物質も多い。動物試験での無作用量の1/100から残留基準が設定されている農薬とは好対照である。たとえば,ネギやタマネギはアリシンに代表される病虫害防衛物質(天然殺虫剤)を含むが,これらはイヌなら死んでしまうほどの量になる。コーヒーに含まれるカフェインも一度に100倍量摂取すればヒトは死亡するだろう。
このように食品はもともと生体機能に何らかの変化を与える化学物質を多量に含むため,農薬をこれらと同時に摂取すれば,その毒性は変化すると考えるのはごく自然である。もちろん,実際にはこのような効果は農薬の残留基準を定める際の安全係数に織り込み済みである。
しかし,化学物質の複合影響を考えるなら,食物にもともと含まれる化学物質が他の化学物質の毒性を増強させる可能性の方がはるかに大きい。要するに,食い合わせの問題である。魚卵の食べ過ぎは胆嚢癌の原因となりうることはよく知られている。実際に,魚卵を多く食べる習慣がある地域では胆嚢癌の発生率が他の地域に比べて高い。おそらく,これは魚卵に多く含まれるステロイド類の代謝物の胆汁排泄に関連しているのだろうが,それならこの代謝機構に影響を与える食品は胆嚢癌の発症率に影響するだろう。「キャビアを食べたあとでグレープフルーツを食べると胆嚢癌になりやすくなる。」とか「数の子を食べたあとでザクロのジュースを飲んではいけない。」といった可能性は,農薬の複合影響の可能性より1億倍は高い。
よく複合汚染の問題はいまだほとんど手つかずで研究されていないという不思議な議論がある。私もその可能性が皆無であるとは考えていない。研究者であれば,公式には「その可能性も完全には否定できないため今後の研究の進展が待たれる。」というだろう。そして,それを真に受ける素人も多い。しかし,これは役人の「前向きの姿勢で努力する。」と同じである。「そんなのは素人考えで可能性などないよ。」と訳すのが正しい。
しかし,「複合汚染の問題」を論じる御仁は,具体的にどのような毒物学上の問題点があり,その問題を確かめるためにどのような毒性試験を実施しろと主張しているのだろう。おそらく,単に概念をもてあそんでいるだけで具体的には何も考えておらず,考える知識も能力もないのだろう。
私は職業柄各国の農薬の登録制度に詳しいが,「複合影響の問題」などが議論されているような国は少なくとも先進国には存在しない。米国では食品品質保護法で「同一のグループに属する農薬についてはまとめて基準を設定する」との動きもあるが,「複合影響の問題」といった低次元の議論はなされていない。「複合影響の問題」を意味する「複合汚染」に相当する英語は見たこともない。
結局,「複合汚染」は「生物は元素で出来ていない」と考える日本人独特の議論で,有吉佐和子女史の偉大な負の遺産なのだろう。農薬は得体の知れない「化学物質」で「けがれ」だから,複数存在すれば「けがれ」が重なって「ウルトラけがれ」が生まれるのではないかとの幼稚な疑念がその本質といえるだろう。
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