誤解編小ネタ集(農薬についてよく聞く誤り)
 毒性・安全性 

●変異原性,発癌性,催奇形性を特殊毒性という。
●農薬などは,たとえネズミで安全性が確かめられていたとしてもヒトで安全だとは限らない。
●父親が催奇形性物質に被曝したために奇形児が生まれた。
●殺虫剤は虫を殺すのだから人にも何らかの危険性があるに違いない。
●農薬は本質的に生物に対し何らかの作用を有する物質だから人に対しても何らかの影響があるはずだ。
●他の生物に何の影響も及ぼさない農薬など考えられない。
●毒性は物質だけの特性ではない!
●昔から食べてたから安全だ(1);昔って何世代ぐらい前ですか。
●昔から食べてたから安全だ(2);発癌性のある食品を歴史的に排除できますか。
●農薬の残留基準は大人では安全かもしれないが,体重の割に多く食べる子供では安全な量を超えてしまう。
●農薬の残留基準は健康な成人について設定されており,子供や老人や病弱者の存在は考慮されていない。
●ネズミは頭が痛いといわない。


●変異原性,発癌性,催奇形性を特殊毒性という。

【00/03/05作成】

「農薬には急性毒性のみならず特殊毒性の問題もある。」といった記載をときどき見かける。こんな本に限って「特殊毒性には閾値はない。」などといった世迷い言が記載されている。

特殊毒性という毒性など存在しない。存在するのは特殊毒性試験だけである。日本では毒性試験を便宜的に一般毒性試験と特殊毒性試験に分けている。特殊毒性試験には,一般毒性試験以外の毒性試験,たとえば,薬物依存性試験,皮膚感作性試験,眼粘膜一次刺激性試験なども含まれている。

どうやら,どこかの素人が特殊毒性という言葉を聞きかじって「特殊で恐ろしい」毒性で,きっと変異原性,発癌性,催奇形性のことだろうと考え,どこかの本に書いたのだろう。もちろん,これらの毒性試験も特殊毒性試験に含まれてはいる。

自然科学のなかで毒性関連ほど素人の書いた書籍や文献などが氾濫している分野もあるまい。これらの本を読む場合は,著者の経歴等を十分に考えて内容を判断する必要がある。

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●農薬などは,たとえネズミで安全性が確かめられていたとしてもヒトで安全だとは限らない。

【00/07/09作成】

農薬などは,たとえネズミで安全性が確かめられていたとしてもヒトで安全だとは限らない。」といった皮相的な議論がよくある。もちろん,この議論は完全に誤りとまではいえない。鈴木さんでは何の問題もない医薬品が,佐藤さんでは副作用をおこすこともある。しかし,このような議論には実際にどのような安全性試験が行われているかという実態の把握がない。それゆえ,概念だけを弄んだ不毛の議論といえる。

安全性試験の1つにウサギを用いた眼一次刺激性試験がある。一定量の被検物質を実際にウサギに点眼して眼の状態の変化を調べる試験である。さて,この試験で「たとえウサギの眼に全く刺激性のない化学物質でもヒトの眼で刺激性がないとは限らない。」といえるだろうか。ウサギとヒトで化学物質に対する眼の反応に大きな差はないと考えるのが常識であろう。安全性試験には種差があまり問題とならないものも多い。

たとえネズミで安全性が確かめられていたとしても」には,さらに重大な概念の欠落がある。毒性が量の関数であるという毒物学の常識に考えが及んでいないのである。

農薬の安全性試験にとって最も重要なのはラットを用いた慢毒/発癌併合試験である。ラットに一定量の被検物質を混ぜた餌をほぼ一生にわたる2年間食べさせ,2年後に屠殺解剖し病理所見をみる試験である。「たとえネズミで安全性が確かめられていたとしてもヒトで安全だとは限らない。」は確かに表面的には正しい。しかし,慢毒/発癌併合試験は最大無作用量(厳密には最大無毒性量)を求める試験である。つまり,この試験は「ラットで一生涯食べ続けても何の影響もなかった量の1/100であれば,たぶん,ヒトが摂取しても問題はないだろう。」という仮定に基づいて実施されるのである。多くの場合,ラットでの慢毒/発癌併合試験の最大無作用量がADIの設定に用いられるが,イヌでの慢毒試験などでの最大無作用量がこれより低ければ,これらのうち最も小さい値が採用される。

もし,農薬の安全性試験に問題があるというなら「たとえネズミで安全性が確かめられていたとしても」といった皮相的な議論ではなく,上述の仮説に問題があると指摘しなければならない。たしかに,農薬では医薬品と異なりヒトに投与できないという問題はある。しかし,その問題点を「無作用量に安全率を乗ずる」という手法で補っているのである。

農薬の発癌性試験については重要な実験事実がある。ヒトに発癌性を有する物質がラットでの発癌性試験において陰性となった例はいまだかつて一例もないのである。この事実も「たとえネズミで安全性が確かめられていたとしても」の最大の反論の1つといえる。

結局,「農薬などは,たとえネズミで安全性が確かめられていたとしてもヒトで安全だとは限らない。」も「文科系の人間は自然を機械的に捉えており,表面的な概念を弄んで機械的な結論を出す傾向が強い。」の典型例なのである。

 
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●父親が催奇形性物質に被曝したために奇形児が生まれた。

【00/11/12作成】

父親が発癌物質に被曝したためにその子供が癌になることはあるだろうか。遺伝子に直接何らかの影響を与える一次発癌物質が生殖細胞に作用すればあり得なくもないが,大量の放射線被曝などの特殊な場合を除けば考慮に値しない。少なくとも,常識のある者なら「私が癌になったのは父親が発癌物質に被曝したためだ。」とはいわないだろう。

父親が催奇形性物質に被曝したために奇形児が生まれた。」はこれよりはるかに非常識である。催奇形性とは「妊婦がその物質に曝露することにより,遺伝的には問題がなく本来なら正常に生まれるはずの胎児に奇形が生じる性質」である。この定義は分かり易くしすぎているため,正確な定義は成書などを参照していただきたい。たとえば,EPAのガイドラインには「催奇形性とは,胚発生期に永久的な構造的異常あるいは機能的異常をもたらす化学物質の性質である」と記載されている。とにかく,催奇形性変異原性とは全く異なる概念である。

催奇形性に関連する術語としては変異原性の他に奇形と変異,生殖毒性,発生毒性,染色体異常誘発能などがある。これらの術語を理解するだけのリテラシーのない御仁に化学物質の毒性を論じる資格などない。「ベトナムでは若い頃にダイオキシンに被曝した父親の子供にも奇形児が多い。」などの報道が平気で流される日本のマスコミの文盲ぶりには呆れるほかない。

 
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●殺虫剤は虫を殺すのだから人にも何らかの危険性があるに違いない。

【01/02/04作成】

殺虫剤は虫を殺すのだから人にも危険性がある。」といった場合,少し考えれば「ヒトに対する危険性」とは急性毒性ではなく慢性毒性をイメージしていることに気付くはずである。誰もリンゴの皮に残留した農薬で頭痛や下痢や貧血をおこすとは考えていない。食べ続けることによって,将来癌になったり胎児に悪影響を与えたりするのではないかと漠然と考えているのである。つまり,この議論は「急性毒性のある化合物は慢性毒性もあるはずだ」という誤った発想がなければ成立しえない。

もちろん,「虫に急性毒性のある化合物はヒトにも同様の急性毒性があるに違いない。」という議論ならある程度は成立する。「ピレスロイドやDDTは昆虫の神経伝達を阻害して虫を殺すのだから,ヒトの神経伝達も阻害して毒性を示すはずだ。」との推論は一応は成立する。実験事実がそうならないのには別の理由がある。

青酸カリは急性毒性が高いから毎日少しでも摂取していると癌ができるなどの慢性毒性を現すに違いない。」といえば素人の幼稚な議論である。急性毒性と慢性毒性に関連はない。「殺虫剤は虫を殺すのだから人にも危険性があるに違いない。」を「殺虫剤は虫に急性毒性があるから,ヒトに慢性毒性があるはずだ。」と科学の言葉に置き換えてみるとよい。この議論の奇妙奇天烈さを理解願えよう。

もちろん,農薬は農薬であるがゆえに慢性毒性が十分に研究されており,その危険性のないことが明らかにされている。「殺虫剤は農薬だからヒトに対する慢性毒性に問題はない。」のである。

日本ではある程度の科学的な見識を有する者さえ,「殺虫剤は虫を殺すのだから人にも危険性がある。」といったレベルの議論をしているのは一体なぜなのだろう。農薬は「けがれ」であるという奇妙な考えに無意識のうちに脳が蚕食されているのだろうか。

  
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●農薬は本質的に生物に対し何らかの作用を有する物質だから人に対しても何らかの影響があるはずだ。

【01/02/04作成】

これは「殺虫剤は虫を殺すのだから人にも危険性があるに違いない。」をさらに曖昧に言い換えただけで,同系統の机上の空論であることはいうまでもない。

生物に対し生理活性の全くない化合物は「石」のような無機物だけである。生理活性とは毒性関連だけにとどまらない。臭いや味のあることも生理活性である。そもそも,普通の食物さえ食べて栄養になる,つまり「何らかの作用」があるから食物として成立する。栄養にはならないマンナンゲルや食物繊維も生物に何らかの作用をもたらす。生物に対し何の作用も持たない化合物など考えられない。どのような化合物であっても,ラットに投与すれば何らかの病理所見を示す。

ただ,この議論にはもう一つ重大な問題がある。毒性が量の関数であるという大原則が忘れられている。つまり,農薬が生物に対し何らかの作用を及ぼす濃度人が何らかの影響を受けるかもしれない濃度が大幅に異なるのである。散布される殺虫剤の濃度とその殺虫剤が残留した農作物の残留濃度を考えて見るとよい。さらに,散布時に虫1グラムあたり何マイクログラムの殺虫剤が付着するか,人は体重1キログラムあたり何ミリグラムの残留農薬を摂取することになるかを考えてみるとよい。

もちろん,殺虫剤の散布液をそのままヒトにかければ,ヒトは何らかの急性毒性による影響を受けるだろう。しかし,「人に対しても何らかの影響があるはずだ。」といった場合,散布時の被曝などが想定されているわけではない。それゆえ「だから,農薬の残留した農産物には注意する必要がある。」といった文章が続くのである。

結局,この議論も農薬は「けがれ」だからどんなに少量でも危険だという誤った思想の表出に過ぎない。「けがれ」だから量を無視した議論ができるのである。

   
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●他の生物に何の影響も及ぼさない農薬など考えられない。

【01/04/01作成】

それなら,世の中には殺菌剤や殺虫剤は存在し得ないことになる。多くの殺菌剤や殺虫剤は作物に直接散布されるのだが,作物が枯死することはない。枯死しないどころではない。たとえばキュウリに散布される殺菌剤や殺虫剤ならキュウリの散布された部分がわずかに黄色に変色することすら許されない。もし,この症状,つまり薬害をおこせば作物の商品価値が失われるのみならず,その農薬の信用も失われる。

この選択毒性の好例が除草剤の殺ノビエ剤であろう。素人ではイネとヒエの区別すらつかないだろうが,ヒエを枯らしイネには何の影響もない除草剤は多い。もし,殺ノビエ剤がイネの収穫量に影響するなら除草剤として成立しえない。

結局,この議論も農薬について何も知らない御仁が頭で考えただけの空論に過ぎないのである。

   
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●毒性は物質だけの特性ではない!

【01/09/02作成】

イヌタマネギを食べさせてはいけないことはよく知られている。これはタマネギに含まれる硫黄化合物の代謝能力がヒトとイヌで異なることが原因で,タマネギを使ったハンバーガーはヒトには食事だがイヌには毒なのである。つまり,毒とは物質と生物との関係であり,物質だけで毒物かどうか決まるわけではない。猛毒のテトロドトキシン(フグ毒)もフグにとっては毒ではない。

ところが,多くの御仁が毒性を物質固有の性質のように,つまり,生物とは関係なく毒性が存在するかのように誤解している。ここから,「殺虫剤は虫を殺すから毒物である。毒物だからヒトにも危険である。」という自然食品屋さんのよく使う奇妙な論理が生まれる。

   
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●昔から食べてたから安全だ(1);昔って何世代ぐらい前ですか。

【01/04/01作成】

昔,人類は恐竜と闘っていたか。もちろん,恐竜は6500万年前に滅び,猿人ですら400万年から1000万年前に出現したのだから闘えるはずはない。しかし,別の説明もある。人類の出現は恐竜の滅亡により哺乳類が進化を始めた結果である。江戸幕府を倒した坂本龍馬が幕府開闢時の関ヶ原の戦いに参戦していないように,人類は恐竜と闘うことはできない。

どうも,昔というと1億年も1万年も百年も同じように「昔」にしてしまう御仁が多い。「昔から食べていたから安全だ」などという理屈は,原始人と恐竜が闘っている映画よりはるかに荒唐無稽である。

殺ダニ剤の開発では薬剤抵抗性獲得試験をよくやる。ダニに99%殺せる量の殺ダニ剤を散布し,生き残った1%の「強いダニ」を育てて,さらに99%殺せる量の殺ダニ剤を散布するといった淘汰を延々と繰り返すのである。実験室のスケールでは50世代程度でも全く抵抗性の現れないことが多い。しかし,この殺ダニ剤を販売すると数年で抵抗性のダニが現れることがある。これは多くのダニの1世代の所要日数は2週間程度で1年間に約15世代を繰り返すためである。その上,全国規模で使えば淘汰を受ける個体数がやたら多くなる。

昔から食べていたから安全だ」という議論は2種類に分類できるが,その1つが「耐性の獲得への期待」である。つまり,ヒトは食品を昔から食べているからその食品の持つ毒性に対応できるに違いないとの考えである。しかし,上述の殺ダニ剤の話をヒトに当てはめてみると,この期待の虚しさがわかるだろう。たとえ,その「昔」が北京原人の頃であったとしても無理である。「食物の安全性」は生死に直接かかわるほどの問題ではなく,淘汰圧としては極めて弱い。その上,発癌性物質のように生殖を終えたあとで個体死をもたらす毒物では淘汰圧にならない。

私は,「昔から」という説明を聞くたびに,「信二君も,美里さんも,麗ちゃんも,明日香ちゃんも持ってるから買って」という小学生の論理を聞く気がする。そのうち,その小学生も「私の家は昔からコンピュータのプログラマーだ」といいだすのだろう。

 

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●昔から食べてたから安全だ(2);発癌性のある食品を歴史的に排除できますか。

【01/04/01作成】

昔から食べていたから安全だ」という議論は2種類に分類できるが,その1つが「歴史的排除への期待」である。危険な食品であれば「食べてはいけない」という知識が長い歴史の間に広まっているはずだとの考えである。「フグは正しく調理さえすれば,昔から食べていたから安全だ」とか「ジャガイモは芽を取れば安全だ」がこの典型である。

もちろん,急性毒性であればこの説明は正しい。しかし,慢性毒性についてもこの説明が成立するだろうか。わらびは発癌物質を含むため日本人は「あく抜き」を発明して発癌物質を除いて食用にしているが,ニホンザルは発癌性があるのを知っているため決してこれを食べない,などといったお話は多いが,どう見てもこれらはあとづけの説明である。

果たして,江戸時代に「○○を食べ過ぎると50歳ぐらいになって癌に罹りやすくなるから食べない方が良い。」といった知見が広まるだろうか。癌など昭和初期でさえ重要な病気ではなかった。

そもそも「昔から食べていた食品」など穀物を除けばほとんどない。たとえば,ジャガイモやトウモロコシはアンデス原産であり,西洋に広がってから500年も経っていない。キャベツなどはフランス革命の頃はハーブであり,毒性が強いために大量には食べられなかった。日本人の食卓に並ぶ普通の食べ物も大部分は明治以後に広まったものである。アボガドやバナナやパイナップルやチンゲンサイはもちろん,白菜すら明治になってから栽培が始まっている。

ところで,「昔から食べていたから安全」というなら,「昔から吸っていたタバコ」はどうなのだろう。

   
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●農薬の残留基準は大人では安全かもしれないが,体重の割に多く食べる子供では安全な量を超えてしまう。

【01/08/26作成】

仮に,ある農薬の1日当たりの許容摂取量(ADI)が0.01 mg/kg/dayで,これを基準にホウレンソウの残留基準が2 ppmに設定されているとしよう。この基準値は大人を基準に定められており,体重の割に多く食べる子供にとっては安全ではないと考えるのなら,基準値を半分に減らせばよいだろう。つまり, ADIを0.005 mg/kg/dayとしてホウレンソウの残留基準を1 ppmに設定するのである。しかし,よく考えていただきたい。この基準値でも体重の割に多く食べる子供は大人の基準値を超えてしまう。もちろん,さらに基準値を減らしても同じである。この堂々巡りを避けるためには,ホウレンソウの残留基準を大人は2 ppm,子供なら1 ppmと分けるしかない。そうすると,八百屋には子供用と大人用のホウレンソウが並ぶことになる。農薬の空気中濃度や水中濃度の基準値なども大人と子供の値がそれぞれ必要になる。

もちろん,これは現実的ではなく,どこかに基準をおかなければならない。要するに,子供でも2 ppmなら安全だから大人を基準にした残留基準を2 ppmに定める。これが,残留基準の決め方である。もともと,農薬の残留基準は「一生涯食べ続けても安全な量」として設定されている。80歳まで子供であるヒトが存在しない以上,子供なら危険だという主張は意味を持たない。

残留基準のもととなるADIの設定根拠は,多くの場合ラットでの慢毒/発癌併合試験の無毒性量(NOAEL)である。この試験では餌に一定濃度の農薬を混ぜてラットにその一生に相当する2年間投与する。NOAELは一生にわたる投与量の平均値から算出されるが,成長期のラットでは体重当たりの摂餌量が大きいため,その時期の投与量は大きくなる。要するに,子供の時期に体重の割に多く食べることは,この試験に織り込み済みなのである。

ADIは通常NOAELの1/100が採用される。この安全率はヒトでの個体による毒性発現の変動幅が10倍あるものとして算出されている。安全率にも大人と子供の差異が組み込まれている。また,他の毒性試験において成長期の子供に対する毒性が高いとの知見があれば,安全率を大きくする,つまり,ADIを下げることにより対応する。この場合も,基準は成人であることに注意しなければならない。

畢竟,「農薬の残留基準は大人では安全かもしれないが,体重の割に多く食べる子供では安全な量を超えてしまう。」は批判のための批判に過ぎない。「では,どうすれば子供の安全性を確保できるのか。」との視点に立てれば,この議論の矛盾に気付くはずだから。

   
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●農薬の残留基準は健康な成人について設定されており,子供や老人や病弱者の存在は考慮されていない。

【02/02/17作成】

これはもちろん完全な誤りである。残留基準は子供や老人や病弱者も考慮して定められている。もし,健康な成人だけが対象ならすべての残留基準を現在の3.2倍にできる。

残留基準は動物試験での無毒性量(NOEL)に安全率を乗じた1日摂取許容量(ADI)をもとに算出される。ADIの算出にはNOELに安全係数である1/100を乗じるが,これは試験動物とヒトとの種差のファクターが1/10であり,ヒトの個体差のファクターを1/10と考えて設定されている。このヒトの個体差には子供や老人も当然考慮されている。もし,工場内での濃度基準のように健康な成人だけを対象とする場合は,このファクターを1/3.2に設定する。工場の作業従事者に子供や老人はいないからである。

もちろん,この1/100というファクターでは不十分との議論なら一応成立する。しかし,それは子供や老人への考慮が不十分との議論であり,「もともと考慮されていない」とは本質的に異なる。

おそらく,この誤った議論は日本では体重50 kgの成人を基準に想定して残留基準を算出していることに由来するのだろう。摩訶不思議な解釈のできる特異な才能に敬意を表しておこう。

   
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●ネズミは頭が痛いといわない。

【02/05/19作成】

「ラットやマウスを用いた毒性試験をいくらやっても,頭痛が起こるなどといった症状を見つけることができない。ラットやマウスは頭が痛いといわない。」という議論がある。もちろん,ネズミは頭が痛いといわない。しかし,頭が痛いけど気付かれないように平気に振る舞おうと考えるネズミもいない。頭が痛ければ行動が鈍くなり摂餌量や給水量が減り体重も変化する。これは毒性試験では異常として観察される。ネズミは頭が痛いといわないが,頭が痛くなることも毒性試験で検出できる。

   
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