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●不思議な言葉「化学物質」はNHKでどのように使われているのか。

化審法などの法律では化学物質とは有機合成化学物質をいっている。天然物でも合成あるいは調製されていれば化学物質である。しかし,NHKはそのような使い方をしていない。NHKでは化学物質を「元素で構成されたもの」あるいは「けがれ」として使っている。このような報道が,人々の安全性に関する意識を歪めている。

【99/12/25】

最近,NHKなどを見ていて化学物質という表現の使われ方が気になっている。もちろん,今までも化学物質という表現はあったが,この数年にNHKが新たな意味を与えたように思えるからである。そして,その意味とは「人間や生物にとって異質で得体の知れないもの」,さらにわかりやすくいえば「けがれ」である。そして,これが今後の日本の科学教育にかかわる重大事なのである。

化学物質とは,一般には物質を分子で構成されるものという側面から見た場合の表現である。分子構造で規定されているタンパク質,アミノ酸,炭水化物,脂肪,核酸などは化学物質といえる。天然物であろうと合成品であろうと,分子で構成されない物質など存在しないからすべての物質が化学物質であることは疑いようがない。

法律でいう化学物質はこれと異なり有機合成化学物質に近い。化審法(化学物質の審査及び製造時の規制に関する法律)では第2条で「元素または化合物に化学変化を起こさせることにより得られる化合物をいう」と定義している。この法律では特定毒物や覚せい剤,麻薬等は除かれている。労働省関連の法令も同様であるが,合成中間体も含むことが多い。

しかし,NHKはこのような使い方をしていない。そして,NHKのこのような表現が化合物の安全性評価を歪め,ひいては日本の科学の発展を阻害しているといえる。

平成元年度NHK制作のビデオ「NHK特集地球汚染(2)海はひそやかに警告する」には「北海のアザラシが150種類もの化学物質に汚染され、世界中のイルカから高濃度のPCBが検出されるなど海洋汚染は地球の隅々にまで及んでいる。」との概要が記載されている。150種類というのはダイオキシン類だけにさえ210種類あることを考えればあまりに少なく,低感度の分析方法が採用されたものと思われる。しかし,問題はここで使われている化学物質をNHKはどのように定義しているかにある。

ここでいう化学物質とは,存在していることが汚染と見なされるもの,つまりアザラシにとって有害と推定されるものである。逆に言えば,有機合成化学物質でも有害でなければ化学物質に該当しないことになる。そして,たとえ天然物であっても有害であれば化学物質になる。NHKなら「瀬戸内海で有毒なプランクトンが大発生し,これらの出す有害な化学物質がハマチを汚染している。」と表現するに違いない。最近では,NHKの使う「化学物質」に「得体の知れない」という意味が入りこんでいる。

幼児がリンドウの切り花を生けてあった花瓶の水を飲んで死亡するという不幸な事故があった。リンドウはジギタリスと同様に強心作用のあるアルカロイドを含んでいる。このときの両親の落胆は察するに余りある。母親は「リンドウが化学物質を含んでいるとは夢にも思わなかった」と嘆いたに違いない。しかし,フグを自分で調理して誤って死んでも,「フグに化学物質が入っていたとは思わなかった」というのは成立しない。フグ毒は得体の知れないものではないからである。

平成11年10月26日のNHKクローズアップ現代「海に潜む環境ホルモン」では,「TBT(トリブチルスズ)は自然界には存在しない人間の作り出した化学物質です。」とのナレーションがあった。わざわざ,「自然界には存在しない人間の作り出した化学物質」といっているのは,NHKが「自然界に存在する化学物質」も「人間が作り出したわけではない化学物質」も存在すると認識しているためだろう。

平成11年8月頃のNHK「生きもの地球紀行」でハダニの話があった。その中で,「ハダニは植物にとりつくと口から化学物質を植物に注入する。そうすると植物は異常な成長を初め変形して虫えいができる。」,「ハダニは物質を出してアリに攻撃されないようにしている。」とのナレーションがあった。前者は植物に対し悪影響を与えるために「化学物質」となり,後者は直接の悪影響がないため単に「物質」と表現しているのであろう。NHKが天然物であっても化学物質と表現していることも確認できる。

当初,NHKは化学物質として化審法などの法律での定義を採用していたと記憶している。化審法はDDTや塩化ビフェニルなどの難分解性有機合成化学物質を規制する法律である。そのため,問題とされることが多く,野生生物に検出されることの多い難分解性有機合成化学物質を化学物質と表記するようになったものと推測される。上述のアザラシがその例である。その後,これらの難分解性有機合成化学物質が野生生物に悪影響を与えているとの認識により,化学物質の定義は「野生生物に悪影響を与えると推測される化合物群」に変化する。このとき,「人間が合成した」という最重要事項が忘れ去られる。

その後,NHKでの化学物質の定義はさらに「人間や生物にとって有害で得体の知れないもの」に進化する。現在,これは本来の定義である「物質を分子で構成されるものという側面から見た場合の表現」と融合している。そして,「元素で構成される分子は,すべて人間や生物にとって有害で得体の知れないものである」という概念が生まれている。日本人は「生物や人間や作物は元素で出来ていない」と考えているため,この概念は広く受け入れられ,「化学物質はけがれである」という考えが一般化している。

本来,化学物質という表現は,身近な物質や生物などを分子という側面から捉えるために重要である。この表現こそ化学の基礎であり,科学の基礎といっても過言ではない。アリが仲間に餌の在処を教えるのも,道しるべフェロモンという化学物質の機能である。これには「本能である」という説明もある。しかし,この「神様がそのようにアリをお造りになったのだ」という説明を納得するのは科学的な態度とはいえない。私には,NHKはいままで多くの化学者が長い時間をかけて醸成した化学的考え方を破壊しているように思える。

 

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