©Webmaster Akira Asakura.
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■ Biotique ■ |
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久しぶりに大学の研究室へと足を向けた。 卒業してから五年がたち、佐久間は中小の食品メーカーの主任になった。いまだにここを訪れるのには理由がある。 数年ほど前、佐久間は仕事の壁にぶち当たり、長く苦しい日々を過ごしていた。それを打ち砕いてくれたのは、第二の故郷ともいえる大学の基礎研究室だった。安い酒をかっくらい、酔った勢いで「科学は人類共通の財産だ!」などと誰かの言葉を叫んでいたら、まるで目が覚めたかのように道が拓けた。それからというもの、気晴らしが必要なときは、気がつくと大学に足を向けているのだ。 彼が研究棟の前を横切ったとき、中庭の花壇にひとりの男が佇んでいるのを見つけた。すっかり汚れてすり切れた白衣に寝癖そのままの頭。中村である。彼は佐久間と同期であったが、そのまま大学院へと進み、研究室に残っている。秀才であり、容姿は端正であったが、貧乏で、気分屋で、風呂が嫌いなためヘソのゴマが多い。偏屈な彼は、いつも眉をきつく寄せてニヤリともしない。あまりにも無愛想なことから、これに目をつけた飲み屋のオヤジが「もしオレの前で笑わせることができたら、毎回ビール三杯を無料にしてやる」と言い出したほどだ。佐久間は悪友らとタッグを組み、自分の研究そっちのけで中村のデータを取り、なんとかビールをせしめてやろうと飲み屋に通いつつ奮闘した。だれもが貧乏であったが、研究することへの情熱と愛を持っていたものだった。そしてまんまとオヤジの商売っ気にハメられていたことに気づいたのは卒業してからである。 とにかく中村という男は、友人や恋人よりもミジンコが優先という具合であったが、しかしどういうわけか佐久間だけは気に入られた。佐久間にしてみれば、学者肌の気分屋を相手にするのは骨が折れる。だが頼られると悪い気はしない。それに卒業後も、中村のアイデアや基礎研究を拝借していることから、もちつもたれつ上手くやっていた。 その中村が、なにやら深刻そうな面持ちをして立ちすくんでいる。佐久間がひと声を掛けると、一瞬、中村の顔が綻んだ。 その直後である。せまい中庭に野太い怒号がビリビリと響いた。 「俺は我慢の限界を超えた! 復讐してやる。お前も手伝ってくれ!」 中村は神社の狛犬のように顔を強張らせた。どうやら本気らしい。世間ズレしている極端な性格はちっとも改善されない。 佐久間が苦笑を浮かべながら歩み寄ると、中村が手にしていた封書を差し出してくる。 「こいつを見ろ!」 彼の手には、社会保険庁から届いた国民年金の支払い督促状が握られている。ずいぶんと長いこと滞納しているようで、請求金額は30万を超えていた。しかも近日中に支払わないと「差押え手続きが開始されます」と太字で書いてある。督促というより脅迫である。 「そもそも年金を食い潰したのは役人どもだ。それを見すごしたのも議員と役人だ。なぜその尻拭いを貧乏学生にさせる。ふざけるな! バカにするな!」 中村が拳を振り回し、唾を飛ばす。それを尻目に、佐久間はため息をついた。たかがそれだけのことで、どうして復讐まで考えるのか、まったく理解できない。 「そんなにムカつくなら、役所に行って相談すればいいじゃないか。事情を話して頭のひとつでも下げれば、差押だけでもなんとかなるんじゃないか?」 「バカ言うな!」 中村はグシャリと通知書を握り潰した。 「なぜ俺が役所に行かねばならない。どうして小役人に頭を下げなきゃならんのだ。書類が欲しけりゃ持ってこい! 俺は絶対に性根の腐ったバカ官僚どもの老後の面倒などみないぞ! 死ね死ね、死んでしまえ!」 佐久間は額を覆った。手続きひとつですべてが済むのに、中村は厄介な正論を楯にそれを拒む。彼の言うことはあながち間違っていないと思う。だがそれでは問題は解決しないのである。一度社会に出れば、その理不尽さにも慣れるのだが――。 佐久間の心配を他所に、中村はふんふんと鼻息を荒げた。 「ついにこの時が来た。いいか佐久間よ。お前だけに俺の超#髢ァ兵器を見せてやる。これに比べりゃあ、核弾頭なぞヘッピリ虫だ!」 佐久間はイヤな予感を覚えた。天才となんとかは紙一重というが、中村の場合、少しばかり性質が悪い。彼の専攻は微生物だが、最近は病理学部と組んでなにやら怪しげな研究をしている。そこで悪質な細菌を育てているとも限らないのである。 さりげなく中村の横顔を覗き込んで、思わず背筋に悪寒を覚えた。まるで不動明王のように大きく剥かれた目が、地面を凝視して動かない。どうやら完全にイってしまわれたようだ。 言葉に詰まった佐久間も、なにげなく花壇に目を落とす。そこでようやくある異常に気がついた。 周囲の花壇に比べ、そこだけがとても華やかなのである。色とりどりの花が咲き誇り、大きな葉がのびのびと生い茂っている。胚に放射線でも照射したのであろうか? 「みーちゃん。おいでみーちゃん」 中村はその場にしゃがみ込み、地面に向かって呼びかけた。 「お、おい。中村よ――」 佐久間も腰を曲げて、色白で線の細い佐久間の顔をまじまじと覗き込む。 「お前、なにしてる?」 「呼んでんだ」 「なにを――――おい待て! お前、いったいなにを呼んでるんだ!」 いきなり猛烈な不安が過ぎり、あわてて退いた。なにせ中村は復讐を誓い、目を血走らせているのだ。細菌などで凶暴化した動物でも出てきたら堪ったものではない。 ところが中村は、女性的な上目遣いでこちらを見上げた。 「みーちゃんだ。みみずのみーちゃんだ」 「――みみず――みーちゃん?」 佐久間は呆気に取られ、バカみたいに大きく口を開いた。 「みみず――お前、みみずを飼ってんのか。しかもみみずを呼んでるのか? バカ言うな。犬猫じゃあるまいし、出てくるわけが――ひっ!」 花壇の縁の土が、小さく盛り上がった。 咄嗟に巨大化した怪物ミミズを想像した佐久間は、思わず中村の袖にしがみついた。しかし、やがてひょっこりと顔を出したのはごく小さなミミズだった。 「おいでおいで」 中村が大きな手を差し出す。ミミズは熱源の方に頭を向け、まるで匂いでも嗅ぐように頭を振る。すると驚いたことに、ミミズはにょこにょこと、自分から中村の手によじ登ってゆくではないか。 「おーよしよし。元気だったか?」 彼が指先で身体を撫でると、ミミズは頭をもたげて中村の指にすり寄る。挙句に「キュッキュッ」と小さな声で啼く。見るからにペットだ。その証拠に小さな赤いリボンまで付いている。なぜリボン? ――佐久間はたちまち混乱した。 「こ、これは断じてミミズではない!」 佐久間がかぶりを振ると、中村は「断固ミミズだ」と言い張る。 「いや、ミミズに耳はない。だから呼んでも来るはずがない」 「バカ言うな。ミミズは振動を識別できる。だからモグラなどの捕食動物から逃げられるんじゃないか」 「し、しかしミミズは啼かない」 「知らないのか? ギョロという種のミミズはやはり『キュッキュッ』と啼くんだ」 「だがしかし、たとえ百二十万歩譲っても、ミミズは頬ずりなどをしない」 「アホか。現にみーちゃんはしてるじゃないか。お前は相変わらず議論ばかりだな。どうして現実を直視しない。それじゃあ社会ではやってゆけんぞ」 すっかりお株を取られた佐久間は「ふざけんな!」と眉を吊りあげた。 しかし彼の手の上にいる、ややぽってりと太った線状の動物は、どう見てもミミズである。リボンが付いているが、その辺でよく見かけるミミズである。10センチほどの長さで、縞模様のある、ちょいと太めなミミズだが、リボンが付いている。目があるわけでもなく、足が生えていることもないが、リボンはある……。 佐久間はムムムと唸った。 いったい何から問い質そうか思案していると、中村がすっくと立ち上がった。 「おい。久しぶりに俺の部屋で飲もう。これから政府転覆計画の打合せをしよう」 佐久間は顔をしかめ、相手を見上げた。中村が正気か否か疑わしかったが、「政府転覆」という言葉には興味をそそられた。佐久間にしても、官僚たちには根強い不信感を持っている。なにしろ仕事で顔を合わせる経済産業省や厚生労働省の官僚たちは、エロで、陰険で、金と金券の種類にうるさい。特に人を小バカにしたような薄ら笑いを浮かべる中年官僚はことごとく撃ち殺してやりたかった。もしヤツラが本当に泣きを見る手があるのなら、一枚噛んでみたい気もした。
大学正門前から歩いて三分。築ニ八年、2Kの安アパートが中村の根城だった。 佐久間は窓辺に洗濯物が並ぶ六畳間に腰を下ろした。穴の空いた靴下や、擦り切れたパンツがひらひらと舞い踊る異次元空間である。 近所のゴミ捨て場から拾ってきたという安っぽいガラステーブルの上に、中型の水槽が置かれている。中には柔らかそうな土が半分ほど入っており、中村はその上にみーちゃんを放した。 「キュッキュッ。キュッキュッ」 みーちゃんは小さく啼き、見るからに嬉嬉として頭を土に突っ込んだ。やがて全身が隠れると、表土がほこほこと盛り上がる。なかなか活動的なヤツらしく、まるでモグラのような勢いで、ほこほこほこほこと土を掘り返してゆく。 「どうだ。意外とかわいいだろ?」 中村は、佐久間が買った缶ビールに手を伸ばし、さっそくプルタブを抜いた。 一方の佐久間は、太い眉根を寄せ、じっと水槽の中を睨み続けた。長い虫が苦手で、特にウネウネと動く姿が堪らなく嫌なのだ。ところが土を掘り返すみーちゃんを見ているうちに、なんとも言えぬ不思議な感慨がこみ上げてくる。可愛らしい赤いリボンのせいもあるだろうが、農耕民族の一員として、ミミズの存在に深い感謝の気持ちを感じるである。 そんな感傷にふける佐久間の横で、中村は喉を鳴らしながらビールを飲み、口元の泡を拭いながら言った。 「ミミズは偉大だ。なにしろ人間が土地を耕す前から耕作している。アリストテレスは彼らのことを『大地の腸』と評した。ダーウィンなど『世界の中でどんな生き物よりも重要な役割を果たしている』と賞賛した。実際、ヨーロッパでは昔から土壌開発にミミズを利用して成果をあげている」 普段は口数少ない彼が、珍しく饒舌に語り続ける。 そもそも微生物学の彼がミミズに興味を持ったのも、土中のバクテリアや細菌が、ミミズの活動やフンに依存していることが発端のようである。ミミズが土を耕すというのも、彼らがトンネルを掘ることで、地中に酸素を供給し、水はけを促す。この結果、土中の有機物の分解が促進されるのだそうだ。そしてミミズの老廃物は、細菌やバクテリアの格好のエサとなり、その生産物が植物を育てているのだという。 「さらに最近の研究では、ミミズにも知能が認められた。彼らには拙いながらも記憶と学習能力が認められ、条件付けの迷路踏破もできるんだ。どうだ、驚きだろう?」 佐久間は素直にうなづいた。 ミミズなどいままで気にも留めたことがない。あるとすれば雨上がりの日だ。道路の上で干からびているのを見て、「バカなヤツだ」と思う程度だ。 それを佐久間に聞いてみると、意外な答えが返ってきた。 「ミミズは移動するんだ。彼らは皮膚呼吸をしているから、皮膚が乾くと致命的だ。だから雨の日や霧の出たときを狙って移動を開始する。彼らは決してバカじゃない」 「なぜ移動をする? 自分で耕した土地の方が住み心地はいいはずだろ?」 「まあな。だが水はけが悪い土壌だと、雨水がたまって呼吸ができなくなるんだ。それにミミズにも好き嫌いがある。例えば植物の中には土のPhを極端に変えるヤツが多い。特に外国から輸入された外来種だな。すると環境がガラリと変わり、土がマズくなって喰えなくなる。そこでミミズは脱走するが、その土地は次第に痩せ細って荒地になる。そのほかにも……」 「ほう、ミミズに好き嫌いねえ。それでそのほかってのは?」 中村はニヤリと笑うだけで、質問には答えず、水槽の中を覗き込んだ。みーちゃんは奥底まで潜っているようであり、その姿も土の動きも見えない。 佐久間は残っていたビールを一気に呷り、「そろそろ本題を話せよ」と促した。 中村は仰向けに寝転がると、節だらけの天井を仰いだ。 「みーちゃんを増やす。そしてどっかの畑に放す」 「はあ。それで――?」 「それで半年後には農作物が喰えなくなる。三年後には大量のリン酸で植物は結実しなくなる。五年後には日本全土が鳥取砂丘になるだろう。だからラッキョウが主食になる」 「は?」 あまりにも予想外の話しに、佐久間はポカンと口を開き、しばし言葉を失った。 「お前、いつからJA鳥取の手先になったんだ。喰うに困ってラッキョウに釣られたのか? 悪いがラッキョウはカレーの時にしか食わん。カレーがないのならラッキョウは食わない主義だ。これは佐久間家の伝統だ。お前は全国の佐久間を敵に回すのか!」 すると一瞬、中村は驚いたように目を剥いたが、すぐに声を立てて笑いはじめた。彼は腹を抱えてヒーヒー言いながら転げまわる。 ――わ、笑いやがった。ついに中村が笑ったぞ! 佐久間は珍獣を観察するような好奇の目で眺める。ついに積年の夢が叶った瞬間だ。しかしながら嬉しいようで、気味が悪い。ビール三杯は欲しいが、いまはコイツの目的を知るほうが先である。 笑い続けていた中村が、息も絶え絶えに言った。 「なら、お前は何が喰えなくなったら困る? それだけは取っておこうじゃないか」 問われた佐久間は眉をひそめた。そんなこと、考えてみたこともなかった。 「……無論コメだろう。ジャガイモ類は好きじゃないが、荒地にも育つ貴重な食物だし、消費量も莫大だから無いと困る。究極は、やっぱり麦かな。こいつは実に面白い植物だ。これがなくなったら手も足も出ない。ウチの会社も潰れるが、それ以前に日本が潰れ――」 佐久間はあわてて言葉を切った。 中村の様子を窺うと、寝返りを打ち、うたた寝をはじめている。 ――危ねえ……。まさかとは思うが、上手く乗せられるところだった。コイツが酒に弱くて助かった…… 佐久間はそろそろ帰ろうと思い、席を立った。 ふと水槽の中を覗いてみたら、みーちゃんがひょっこりと顔を出した。上半身を出したみーちゃんは、ひょこひょこと左右に振ってみせる。 不思議なもので、一度愛着を覚えると、すべてのサインに愛嬌を感じる。 佐久間にはそれがバイバイしているように見えたので、何気なく手を振り返した。
それから三ヶ月後、佐久間はよろめく足取りで大学の研究室へと向かった。ひどい残業が続き、気力と体力が限界を迎えていた。 廊下で中村を見つけるやいなや、「この野郎!」と胸倉を掴んだ。しかし中村に軽く払われただけで、へなへなとへたり込んだ。 「どうした。大丈夫か?」 中村が心配そうに見下ろしてきた。 佐久間は情けない顔を向け、人差し指を突き立てながら「お前のせいだ」と唸った。 「ばかやろう――。政府から全品目検査を命令された。ウチだけでも851種の商品に、12,562品目の原材料の検査だ。研究員だけでは足りず、営業企画のオレまで駈り出された。みんな死んでる。オレも死ぬ。もう死ぬ。死んだ」 ガックリと肩を落とす。もう立ち上がる元気も残っていない。 やがて中村もしゃがみ込み、佐久間の肩に手を掛けてきた。 「だから言っただろう。俺は復讐してるんだ。議員や官僚は、国民や若者の力をバカにしてる。連中のすべてを駆逐して、新しい日本を創るんだ」 「うそつけ」 佐久間は中村の腕を振り払った。 「どうせお前は滞納金さえ払わずに済んだらそれでいいんだ。それぐらいオレがどうにかしてやる。だから何とかしろ。このままじゃ、日本はメロメロになる――」 事実、すでに国民の12%がメロメロになっていた。 はじめにメロメロになったのは、パンを好んだ人々である。ある大手メーカーの「国産小麦使用」と銘打たれた高級パンが飛ぶように売れた。彼らがパンにメロメロになったのはラリパッパになれたからである。それを聞きつけたラリ好きの若者たちは、こぞってパン屋に殺到し、奪い合いが始まった。そのパンには有機アルカロイドが多分に含まれており、いつでもどこでもラリパッパである。 給食制度も教育機関に甚大なる影響をもたらした。日本で消費される小麦は、その大半が輸入物で賄われていたが、教育的配慮ということもあり、学校給食にはやはり国産小麦が使用される。すると教師も生徒も、午後の授業はラリパッパである。どの教室からも爆笑が沸き起こり、陰湿ないじめがなくなった。なにしろラリっているので、いじめられる方も負けてはいない。麻薬成分で夢うつつになりながら、いじめっこをなぎ倒してゆく。なぎ倒された方もラリっているからよく分からない。ケタケタと笑いながら殴り合っているうちにラリ仲間になった。 これには政府も腰を抜かした。あわててパンの法規制を急いだが、すぐに頓挫した。なにせ次々とラリパッパ食品が頻出したのである。 すべての原因は麦にあった。 はじめに麦が変質し、それまでにない奇妙な有機アルカロイドを排出しはじめた。もともと変質しやすい麦は、環境の変化に合わせて様々な酵母やアルカロイドを生産するのだが、当然品質チェックは厳しく行われている。ところがそれをすり抜ける物質が見つかった。そして麦の酵母は様々な食品や医薬品に使用されることから、規制対象の捕捉は困難を極めた。 それが分かったところでもう遅かった。 日本の土壌自体が刻々と変化し、コメや野菜などもこの有機アルカロイドを蓄積するようになった。アルカロイドは主に実や葉先、根茎に蓄積されるが、なぜか人間はそれを好んで食べる。だから家族団欒の楽しい食卓は、もはやアヘン窟状態になった。 佐久間はすぐに「みーちゃん」だと察知し、自社の研究所にミミズの分析を勧めた。案の定、増殖したみーちゃんから排出されるフンの中に、問題の有機アルカロイドを生産する新種のバクテリアが多量に含まれていた。 この報告によって、経済省、農水省、厚労省が円陣を組み、ミミズの一斉撲滅が開始された。農薬を散布し、身体を引き千切り、集めて燃やす。 ところがどっこい、消えてゆくのは在来種ばかりであり、みーちゃんたちは死ぬどころか数を増やしたのだ――。 佐久間は中村の袖を掴んだ。 「ありゃあ、いったいなんだ。切り刻んでも死なない。あんなことはありえない――」 すると中村は満足げに微笑んだ。 「なんだ、お前もエリートどもも、そんなことも知らんのか。普通のミミズだって胴体を切っても頭さえ無事なら再生するぞ。だがみーちゃんの場合、異種のヤマトヒメミミズとハイブリッドしてある。ヤマトヒメミミズは三つ四つに身体を切断すると、その分だけ増殖するからな」 「じゃあ、なんで焼いても死なないんだ――」 「チューブワームの皮膚組織をハイブリッドした。ヤツは250気圧、水温300度の熱水の中で生活してる。それを三重に埋め込んだ。だから焚き火程度の熱では死なん」 「しかし、皮膚呼吸をしてるんだろ? 乾燥すれば死ぬはずだ」 「ああ。だから皮膚を三層にしてある。なにしろ元になったチューブワームは水棲だ。層の間でガッチリ湿度を維持できる。それに一時的に皮膚呼吸が止まっても、水分から酸素を分離して生きながらえることができる」 「くそ。やっぱりすべてを捕獲して、一匹一匹プレスで潰すほかないのかよ――」 「まあな。でもすべてのミミズを捕獲なんてできのか? みーちゃんたちの増殖力に追いつくつもりか?」 佐久間は力なくうつむいた。 みーちゃんは一般的なミミズと同じく雌雄同体で、相手と交接して増えてゆくことが分かっている。一度の交接で数十個の卵を産む。それも頻繁にである。人間にたとえて言えば、出会い頭に孕むようなものだ。やあこんにちは、ご機嫌いかが? あっはん、である。 こうして地表近くに産み落とされた卵は、動物や鳥の身体にくっついて広範囲にばら撒かれる。挙句に捕食動物に噛み千切られても、飲み込まれさえしなければ千切れた部分から増えてしまう――。つまり、要するに、際限がない。 「モグラだ! こうなりゃモグたんをばら撒くんだ!」 ヒステリックになった政府関係者らは、捕食動物たるモグラを総動員しようとした。すると全農連が目尻を吊り上げ、「それでは農作物が根絶やしにされる!」と猛反発した。 「ならばニワトリだ! これなら捕獲も簡単だし、卵も肉も食える!」 しかし今度は生産者連合からクレームが入った。「これ以上の価格低迷は死活問題」と、ついでとばかりに価格調整を要求してきた。まるでOPECである。 その後も環境団体や生産者組合から強硬な圧力を受け、捕食動物計画はぺしゃんこになった。 途方に暮れた政府は、最新技術と人海戦術を駆使したが、人間はミミズの敵ではなかった。みーちゃんたちはすでに富士の樹海から八ヶ岳の山頂にまで姿を現す。その勢力範囲の拡大は留まるところを知らない。 その反面、みーちゃんの行く先々では、植物が青々と生い茂り、可憐な花が咲き乱れる。もちろん、それを食べればラリパッパだが、食べなければ楽園である。そしてどういうわけでか、動物たちは大丈夫だった。その研究が急がれているが、成分分離だけでも数ヶ月を要する。さらに安全な薬剤精製となれば、それこそ何年かかるかわからない。その間、すべての食品を輸入に頼れば日本はたちまち破産――アメリカの新しい州になるか、中国の東京省になるか分かったものではない。 こうなると、世紀末論が飛び交うのがお決まりである。カルト宗教は「すべては分別の無い人間が悪い」と絶叫することでホクホクになり、「人間やめますか? それともご飯をやめますか?」という政府広報に、国民はふざけるなと問答無用でラリって見せた。パニックは目前だ。 一方、政府の高級官僚や議員らは、次々と外遊に出たまま帰ってこない。彼らの嗅覚は下手なイヌより利く。そして大地震が来るとなればネズミよりも早く逃げる能力を持っていた。 たちまち政局は混乱し、国民はヒステリックになった。こうしてストレスを溜めた連中も、片っ端からパンや野菜を食べて、お構いなしにラリパッパになった。 警察の代用監獄は軽犯罪者で溢れかえり、刑事行政もぺしゃりと潰れた――。
「言っただろ。ミミズは『大地の腸』なんだ」 中村は、すっかりしょげ返る佐久間に手を差し伸べ、ゆっくりと立ち上がらせた。 「佐久間よ。その環境システムを壊せば人間は自滅するだけだ。いま、それをやってる人間たちを見ろ。目の前の、自分の利益しか考えないエリートどもを――。あいつらこそ撲滅すべきなんだ。だから佐久間よ、駆逐する相手を間違えるな。これ以上政府になど協力するな」 佐久間はグッタリとうな垂れた。 相変わらず中村の言うことは正しい気がする。次々と海外に逃亡する官僚や、責任をなすりつけ合ってる国会は、やはり陳腐で、無様で、虫唾が走る。 しかしいくら中村が正しいとはいえ、やはり問題の解決には繋がらない。しかもどこかピントがズレているのだ。中村はそれに気づいていない。知識階級が陥るパラドックスだ。 佐久間はようやく顔を上げると、呻くように言った。 「お前の言いたいことはよく分かった。だからもう終わりにしよう。この委任状に署名してハンコを押せ」 「――――?」 中村は目を見開き、首を伸ばした。 佐久間はひらひらと書面をちらつかせた。 「そしたらオレが市役所に行って、お前の代わりに年金支払いの免除申請を受けてきてやる。そうすれば督促状も来ないし、支払う必要もなくなる」 「なんだと! そ、そんなことができるのか?」 思ったとおり、見事に喰らいついてきた。 「――ああ。会社の人事部に聞いたら可能のようだ」 「ま、待って。待ってください!」 中村の目の色が明らかに変わり、なぜか地団駄を踏み出した。どうやら興奮しているらしい。 「わたし、ずっと滞納してるから30万を優に超えてますけど。それでも可能なのでしょーか?」 「ご安心ください。人事部からやり方を聞きましたからね。言い訳の仕方も心得てますよ。それで差押えもなくなれば、中村さん。どうにか家賃は払えますよね。大家さんから追い出されずに済みますよ」 「そうか――本当に、そんなことができるんだ!」 中村は心底嬉しそうに佐久間の肩を揺さぶった。一方の佐久間は、やっぱり年金の滞納が問題であり、コイツはそれさえ済めば満足なのだと知ると、やるせない思いに駈られてガックリときた。 ――お前こそ、自分の目先しか考えてねえじゃねえか! 喉もとまで出かかった台詞をなんとか飲み込んで、すぐさま交換条件を突きつけた。 すると中村は二つ返事で「うんいいよ」と言った。 バカである。
国民と全国農業共同組合は狂喜した。 政府が茶葉や木の葉を一斉に買い上げはじめたのだ。 ゴミのようなカス茶葉も、雑木林に生えるカラマツ・カシ・ブナの枯葉などをすべて買い取った。高給取りの役人を動員するよりも、小銭で市民を動かす方が経済的だという判断である。役人というものは、そういう金の計算だけは抜け目がないのである。 ともあれ、集った膨大な葉っぱを巨大なタンクでお湯に通し、出てきたカス茶を飛行機から散布した。 すると二週間もたたぬうちに、みーちゃん一族は姿を消した。溶けて土に返ったのである。 みーちゃんは他のミミズに比べても、ポリフェノールやタンニンが極端に苦手なようだった。すっかり食欲をなくして身動きが取れなくなったみーちゃん一族は、自分たちが育ててきた土中のバクテリアに分解された。 その後、事前に農林試験場などで繁殖させられたフトミミズやシマミミズが放たれると、土壌の改良は驚くほどの勢いで進んだ。人間はなにもせずとも、ミミズたちがほこほこと土を耕し、大地を元に戻してくれる。 半年後、野菜はもとに戻り、野菜ラリパッパ族は姿を消した。そして学校や家庭から笑い声が消え、家族団欒の主役もテレビに戻った。 中村から秘策を授かり、国家の窮地を救った佐久間は英雄になった。佐久間は野党議員たちにそそのかされ、次の衆院選挙で当選を果たし、与党陣営を追い詰めた。 「政府は無駄な行為で莫大な歳費を浪費させた。この責任は重い。断固国民は立ち上がるべきである! 海外逃亡していた与党議員や中央官僚らは戦犯である!」 政権はグゥと言って倒れた。 ただちに新政権が樹立され、佐久間は厚生労働省と文部科学省の大臣になった。 新任大臣の記者会見で、佐久間は拳を振るった。 「科学は人間のためにある。しかしもっと足元を見つめるべきだ。ミミズは大地の腸である。それなのに、日本は著しく研究が遅れている。ダムやレジャー施設の建設よりも、もっと自分たちを育む仲間たちを知ろうではないか。ミミズ万歳! ついでにタバコ増税反対!」
佐久間は久しぶりに大学を訪れた。 研究棟の中庭に、薄汚い白衣を着た中村が、寝グセ頭をボリボリとやりながら立っていた。 事件のお陰で莫大な財産を築いた佐久間は、丸々半分を貧乏な中村に手渡した。彼はそれを見境なく研究につぎ込み、相変わらず安アパートに住んでいる。学者バカの典型である。 佐久間がひと声かけると、中村は「おお来たか」と手を振った。 だがその直後、例の野太い怒号が飛んだ。 「俺は我慢の限界を超えた。復讐してやる! お前も手伝ってくれ!」 そう言って一通の封書を突き出した。見れば裁判所の召喚状である。 これには驚いた佐久間が理由を問うと、中村は顔を真っ赤にしてツバを撒き散らす。どうにもバイオベンチャー企業から訴えられたそうである。 いまや「みーちゃん」は国民的アイドルになり、可愛らしい仕草とリボンが人気で、どこの家庭にでも棲みついている。いわゆる「ミミズコンポスト」というヤツで、例の事件で環境問題に注目が集まり、生ゴミの処理を自宅で行うためにミミズが飼われるようになった。その土を使えば、園芸植物が見事に花を咲かすことから、特に主婦園芸家から大絶賛を受けた。もちろん、植物には有害なアルカロイドが蓄積されるが、要は喰わなければいいのである。 「チキショウ、あのクサレ会社め。はじめは土下座までして提携を頼んできたクセに、途端に手の平を返しやがった。なぜボランティア団体にみーちゃんを分けてやるのが悪いんだ。ふざけんな! 科学者をバカにするな!」 「――おい。もしかしてお前、あっちこっちに無償で分けてるのか?」 「当たり前だ。なんのための科学だ! 科学はみんなのものだ。会社のものじゃない!」 佐久間はため息をついた。 彼の言い分はまったくもって正しい。だがそれでは経済原理が成り立たないのである。しかも彼は面倒くさいと提携契約書も読んでいないようだ。すると法治国家の下では、彼の主張は欠片も認められない。 中村は裁判所の召喚状を握り潰した。 「ついにこの時が来た。いいか佐久間よ。お前だけに俺の超#髢ァ兵器を見せてやる!」 中村が目の前に大きな手を差し出した。 佐久間はギャッと叫んだ。 「ダメだ。頼む。それだけは勘弁してくれ! 今度は俺が国民に吊るし上げられてしまう!」 思わず一歩退くと、段差で蹴つまずき、尻餅をついた。 「ま、前の閣僚を見ろ! みんな追い詰められたあげく、ストレスからボケ老人になってる。この歳でオムツ介護はイヤだ! 頼む。止めてくれ!!」 佐久間はイヤイヤをしたが、中村はズイと歩み寄った。聞きなれた「キュッキュッ」という啼き声が聞こえる。彼の手の上には、見慣れたみーちゃんがいた。 しかし可愛らしいリボンがない。 「リボンがなくなると、こういう芸当ができる」 中村はみーちゃんを地面に置いた。 みーちゃんは地面に置かれた茶碗によじ登り、野良仕事を終えたばかりの農夫がごとく、実に美味そうに緑茶を啜りはじめた――。
― 了 ―
(補注1: ミミズは光を嫌うので、手の上で呑気に頬ずりはしません) (補注2: ミミズは鳴くか? ――まだハッキリとした確証はないようです) (補注3: ミミズコンポストは実際に行われております。作者はやってません。ごめんなさい) (補注4: みーちゃんは現在、歌人であり作家でもある野山千路さんのご自宅でのんきに暮らしてます)
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