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■ Ch:ZNS ■ |

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薄暗い室内に緊張が走る。 メイン調整室の壁に埋め込まれた無数の液晶画面はスタジオ内の景色を写している。 タイミングを見計らい、ディレクターの鹿野がキュー・サインを出す。 その途端、全ての画面が一斉に人間の口元を映し出した。 アップにされた薄い唇が歪に動くと、均整の取れた白い歯が大きく剥かれた。 「皆さん今晩は。チャンネルZNSへようこそ!」 調整室に掠れたダミ声が響く。 「相変わらずひどい声だ。なんとかならんのか」 ディレクターの鹿野が苦笑すると、スタッフらも小さく肩を揺すった。 「しかしあのトーンが番組を盛り上げているのも確かです」 サブディレクターの三森が真顔で返す。彼女は優秀だが、その代わり融通も利かぬ。ジョークなどを言おうものなら、真っ向から反論してくるタイプである。何事も理論で押し切ろうとする彼女は、部下として扱いづらい人間だが、一流大学卒の優秀な頭脳だけは役に立つ。 カメラが引くと、白いタキシード姿の司会者が浮かび上がった。30代前半の彼は、気取った仕草で番組を進行させてゆく。売れないモデル出身の彼は、両腕を大きく振り回し、自慢の甘いマスクに笑みを浮かべながらスタジオ中を闊歩する。お決まりの番組説明に、彼は大して面白くもないアドリブを加えて楽しんでいる。 やがてタキシードの裾を軽やかに翻すと、ようやくメインステージへと跳び乗った。 「さて、今夜は特別番組ということで、3時間スペシャルでお送りしています。まずはここ一年に放送した中でも、特に人気の高かった名場面をお送りします。さあ、まだお食事をされている方、早めに済ませないと大変なことになりますぞ!」 鹿野がサインを出すと、画面がビデオに切り替わった。 ちょうどその時、内線電話が鳴った。 「ディー。編成局長から内線です。2番でお願いします」 すかさず三森が電話機を差し出すと、鹿野は上機嫌でボタンを押した。 受話器の向うから、50代とは思えぬ張りのある声が響いてきた。 「鹿野か。お前には一番に教えてやらねばなるまい。ついさっき、ビジュアルメディアサーベランス社の速報が出た。早くも視聴率が30%を超えたそうだ。この分だと、山場には40%を超えるやもしれん。奇跡だ。遂にお前たちは新時代を築いたんだ」 鹿野は受話器も押さえずに、局長の言葉をスタッフ全員に伝えた。 一同は歓声を上げながらヘッドフォンや進行表を放り投げた。 編成局長は続けて二言三言励ましの言葉を振る舞って電話を切った。 鹿野が「よし!」と拳を握り締めると、近くにいた三森が白い手を差し出してきた。 「おめでとうございます、ディー。これは全てディーの行動力の賜物です」 面と向かってそう言われ、鹿野は慣れない照れ笑いを浮かべながら、しっかりと三森と握手を交わした。 「いままでよく我慢してくれた。スタッフの中でも君が一番辛かったはずだ。これからひと騒動あるだろうが、それが落ち着くまで頼む。その代わりと言ってはなんだが、俺が局長に掛け合って、君を希望していた報道部門に推薦しておくからさ」 鹿野は三森の二の腕を叩くと、再びスタッフらに向き直った。 「よし! これからが本番だぞ! 今日は世界初の試みなんだ。機材や備品の最終チェックを怠るな!」 「オーケー、ディー!」 いつもの大合唱が上がると、一同は準備に奔走した。
20世紀末から、テレビの視聴率が極端に低迷した。日本人の生活リズムが多様化し、国民の嗜好や興味も変化したことから、視聴する番組が大きく分散した。大ヒットの指標となる視聴率30%をたたき出す番組は全放映番組の1%まで落ち込み、ヒット番組と言われる20%台の番組も僅か一割程度に留まった。 これが多チャンネル時代を迎えるとますます拍車がかかった。まず8%を超えるのがヒットの条件となり、大手企業もそれを目安に広告を出す。10%を超えればモンスター番組となり、海外からも広告希望が殺到し、局の株価も暴騰する。そんな番組は1000以上もあるチャンネルのうち、ホンの数%程度であった。 鹿野らが所属するチャンネルZNSは、その中でも弱小のローカル局であり、いままでは犯罪組織への潜入ルポや検死解剖番組という身体を張ったキワモノ番組で細々とやっていた。 それが最近、ある企画番組が注目を集め、視聴率が右肩上がりになった。 鹿野は犯罪ルポで協力してくれた情報提供者のネットワークを使い、戦争や犯罪に巻き込まれた身元不明の死体を買い入れ、それをマニアたちが好きに料理する番組を制作した。それまで屍姦アダルト番組やインチキ臭いスナッフ(殺人)番組などは幾らでもあったが、視聴者参加型の番組は業界初だった。その結果、興奮した素人の予想もつかない行動は、プロの構成作家も敵わぬほどの迫力を持っており、多くのマニア視聴者を魅了した。 しかし鹿野はそれだけでは満足しなかった。 密かに脳死した患者を買い受けて、特殊な技術開発に奔走した。 実験に必要な植物状態の患者は思いのほかスムースに買えた。半死半生の個人の尊厳よりも、みな自分が生き残ることで必死だった。局は家族に大金を与え、彼らを延命治療の借金地獄から救ったと自負している。それが次第に口コミで広がってゆくと、人間の倫理というのは面白いもので、他人がやってると知れば罪悪感も薄らぐのか、申し込みが続々と集まるようになった。なにしろ家族らは、自分自身が金融業者から自殺や臓器売買を詰め寄られている。そんな彼らにしてみれば、鹿野のシステムは最後の頼みの綱となった。 そして遂に究極のシナリオとシステムが完成した。 そのセンセーショナルな第一弾が、ついに公共の電波に乗る時が来た。
「おい、鹿野くん」 本番再開の10分前、調整室に初老のドクターが入ってきた。 白髪交じりで赤ら顔の彼は、落ち着きなく周りを気にしながら声を潜めた。 「本当にいいのかね? これは今までの死体相手とは訳が違う。ワシは責任持てんぞ」 鹿野は呆れたように額を覆った。その話は何ヶ月も前から飽きるほど話し合ったはずである。しかも彼の様子からすれば、処置はすでに終えているようだ。 「大丈夫だって言ったじゃないですか。心配いりませんよ」 鹿野は相手から顔を背けると、無数の液晶モニターに視線を這わせた。 「先生の存在は責任もって隠蔽しますし、上層部も全て了解済みです。顧問弁護士に聞いても問題ないと言うし、警察庁や政府の幹部にも確認済みです」 「し、しかし、医師会や医療倫理審議会はどうなんだ? それにインターポールやアムネスティが目を光らせているというじゃないか。ワシはこの年でジュネーブの国際法廷に立つのは御免だぞ!」 鹿野は思わず失笑すると、ドクターの肩を何度も叩いた。 「バカな。そんなことをしたら完全に内政干渉じゃないですか。先生の時代と違って、メディア機関は日本弁護士会と同様、国際法で完全な自治を約束されてるんです。たとえ国連が乗り出してきても、たちまちIMMO(国際マスメディア機構)に叩き潰されます。世界中のマスコミに戦争を売るようなバカな機関はどこにもありません」 「そ、そうかね。そうだといいんだが――」 「そうなんですよ!」 鹿野は力を込めてドクターの肩を叩くと、「さあ最後の仕上げを」とスタジオを指した。 そのステージ中央に、黒い布が被せられた大きな物体が運び込まれた。
「ディー! 準備が整いました。再開1分前です!」 スタジオからタイムキーパーの声が上がると、鹿野は「よし行け!」と渇を入れた。 不気味なほどの静寂と緊張が張り詰めるなか、カウントダウンが始まった。 司会者が慌ててネクタイの歪みを直し、咳払いを繰り返す。 スタジオADらは余計な機材や小道具を抱え込むとステージを駆け下りた。 間もなく、スタジオ内の照明が絞られた。 薄暗闇の中で、スタジオADの人差し指が司会者に向けられると、正面カメラの赤色ランプが灯った。 スタジオに全体に、J・Sバッハの無伴奏チェロ組曲が重く漂った。 30キロの白色ライトが誰もいないステージ中央を照らす。 司会者がゆっくりとライトの中に歩み出ると、マイクを口元に寄せた。 鹿野も三森も、調整室の画面を凝視したまま生唾を飲み込んだ。 今夜の放送は決して失敗できない。社運を賭けた大きな分岐点に立っているのだ。 司会者の、トーンを抑えたダミ声が響く。 「さあ、今宵あなたは歴史的事件の目撃者となるのです。あなたはこれからここで起こる一部始終をナマで目撃することになるのです。決して席を立たず、目を背けず、全てをその目で確かめて下さい。人間という存在の真実が、いま、ここに――」 いきなり電話が鳴った。 不意を突かれた鹿野と三森は思わず首を竦めた。 電話は一回だけ鳴ると、直ぐに黙り込んでくれた。 ――そうか。ついに40%を超えたな…… 鹿野は液晶モニターを眺めながらニヤリと笑った。 ステージでは、ついに黒幕が取り払われた。 その途端、司会者は生放送ということも忘れ、露骨にたじろいだ。 十字型のステンレスボードの上に、病院服姿の女性が拘束されている。 彼女は、つい先週まで彼のサポートをしてた女性司会者だった。
「い、いやあ。これは驚きました。白井アナではないですか。白井さん、いまのお気持は?」 彼女は目を開いていたが、口を僅かに動かしただけで何も言わない。 鹿野は膝を叩いて笑い転げた。 「バカじゃねえのか! 白井が『最高です』とでも言うと思うか!」 ゲラゲラと笑い続ける鹿野の袖を三森が引いた。 「ディー。もしかして彼になにも言ってなかったんですか? 彼女が先週事故で脳死したことや、今回の登場についてとか――」 「ああ、そうだよ。その方が面白いだろ?」 しかし三森は厳しい面持ちでかぶりを振った。 「それはマズいですよ。なにしろ彼女は仕事仲間です。必ず司会進行に支障を来たしますよ。ほら、言ってるそばから早くも行き詰まってるじゃないですか!」 鹿野がモニターを観ると、司会者は誰かに助けを求めるようにスタジオ中を見回している。途方に暮れた彼は「いや」「これはどうにも」「なにせ生放送で」と歪に笑いながら額の汗を拭っている。 その様子に鹿野は満足げな笑みを浮かべた。 「俺はリアリティを出したかったんだ。司会者の狼狽する姿は視聴者に生々しさを伝えるのに役立つ。なにしろ白井は看板アナだ。それだけでも視聴者は驚くだろうが、驚きを『戦慄』に変えるのには、やはり司会者の狼狽が効果的だ」 そうこうしているうちに、ステージに数名の施術スタッフが現れた。 モスグリーンの手術着姿で、真っ黒なゴーグルを掛けている。彼らはいままで番組に参加してきたマニアの代表だった。その発想や方法が飛び抜けていることから、いまやカリスマ的存在となっており、鹿野の推挙で今日の施術を任されることになった。 その彼らが様々な機材が乗ったステンレスカートを引いて中央までやってきた。 ついに幕が切って落とされた。
5台ものテレビカメラが一斉にステンレスボードを取り巻いた。 施術スタッフらは手分けして下準備に入る。 まずは白井のか細い首に手を這わすと、延髄の辺りに二種類の電極を挿し込む。 試しに低い電圧をかけてみると、小さな悲鳴が上がり、白井の華奢な身体が仰け反った。 「み、みなさんご覧下さい。いま白井アナに痛覚制御用の電極が挿し込まれました。いよいよ開始です」 司会者は戸惑いながらも進行を続けた。同僚の変わり果てた姿を見て、額には珠のような汗が浮かび、目が血走っている。そしてマイクを握る手が、小刻みに震えていた。 カメラはそんな彼の様子も克明に映し込む。 施術スタッフの一人が、彼にメニューのような小冊子を手渡した。 それを開くや否や彼はギョッとしたが、どうにか平静を装って司会を続ける。 「か、彼女は先週、交通事故によって脳死の宣告を受けたそうです。しかし最先端の医療技術によって、現在ではしっかりとした意識があります。しかし白井紀美子としての個性や記憶は死んでおり、彼女は誰でもない存在なのです――?」 スタッフらが彼女の病院服を脱がすと、彼女は反射的に悲鳴を上げて抵抗する。 彼女のキメ細かで豊満な肢体を見た途端、司会者の顔が上気し、口が滑らかになった。 「電磁波蘇生術によって再生された彼女の脳は、海馬、帯状回、側頭葉、前頭葉の一部が事故により損壊しております。従って全ての記憶を失い、そして新しい記憶も保持できません。ですが認識や運動機能の一部は回復されているそうです。ということは、これはまさに生命ある、美しきマリオネットなのです!」 四肢を拘束されても、なお暴れ続ける彼女に向かって、いよいよ解剖用のメスがあてがわれた。 豊かな乳房の付け根に刃先が押し当てられると、それだけで真っ赤な鮮血の珠が浮かび上がる。それを皮膚の流れに沿って僅かに動かすと、鮮血が刃先や白い肌を伝って流れ落ちた。 彼女の絶叫が響く。カメラが淡々と彼女の苦悶の表情を切り出してゆく。 刃先は弧を描きながら胸骨の上を走り、肉房の下部を通過して脇の下まで至る。 カメラが一斉に切断面をアップした。 ガーゼで拭うと、薄ピンク色の筋肉繊維や、蜘蛛の巣状の青黒い門脈が覗けて見える。 やがて房の脇から深々とメスが刺し込まれると、その塊を剥離しはじめた。 彼女は全身を駆け巡る激痛で痙攣し、声帯が千切れそうになるまで悲鳴を上げ続けた。 片方の剥離が終ると、もう片方の作業に入る。 やや黄ばんだ脂肪質や肋骨までが露わになると、今度は鳩尾の辺りにメスが立てられる。 このとき、彼女の脳髄に新しい電極が挿し込まれた。 偏桃体と視床下部の下垂体に電圧が加えられると、彼女の態度が豹変した。 呼吸が深くなり、目が虚ろになってゆく。 さらにスタッフらは、彼女にアドレナリンとβ―エンドルフィンを静脈に注入してゆく。 開腹処置が進む度に、彼女の口から喘ぎ声が漏れる。痛覚を、薬物と電気刺激で快楽刺激に置換された。 更に下垂体に挿し込まれた別の電極に電圧がかけられると、彼女は空腹を訴えた。 スタッフらは、いま全摘したばかりの腎臓を彼女の口に運ぶ。彼女はそれに歯を立てて、幾度となく咀嚼を繰り返す。口角から、組織の断片や様々な内容物が泡を立てて溢れ出た。それでも彼女は音を立てて咀嚼を続け、内容物を啜り上げる。 司会者は思わず口を覆い、背中を波打たせた。こんなシーンは台本にない。 彼は慌てて舞台の袖に下りると、用意されたバケツに頭を突っ込んだ。 その合間にステージの彼女は全てを嚥下すると、甘えた声で「もっと欲しい」と要求した。スタッフらは、摘出した様々な臓器や組織を彼女に与え、彼女はそれを自らの中に取り込んでゆく。 調整室でも、口元を押さえて駆け出す者が続出した。 しかし鹿野と三森は画面を凝視したまま、次々とスタジオスタッフに指示を繰り出す。 主役の白井が、やがて失血で意識が朦朧となりはじめると、鹿野が施術スタッフに指示を出し、アドレナリンや電気刺激で無理やり覚醒が繰り返された。 側頭葉の言語野を刺激されると、彼女は四肢を切断されながら、か細い声で童謡を歌い始めた。 "かーごめかごめ かーごのなーかのとーりーは、いーついーつでーやーるぅ……" それが途切れると、延髄の痛覚神経核を刺激され、絶叫を上げる。 1時間ばかりすると、身体のほとんどが解体された。 メスはゆっくりと彼女の顔に向かってゆく。どことなく少女の面影を残した愛らしいマスクに、冷たい刃先があてがわれる。ちょうどその時、彼女の心臓が鼓動を止めた。 しかし作業は中断されることなく、淡々と進められてゆく。 顔面の表皮がゆっくりと剥離され、やがて別の面持ちが姿を現した――。
ステージの袖では、医療班が忙しげに動き回っていた。 白井から採取された組織を特殊な容器に詰め、ラベルを貼って搬送班へと渡す。 「こっちは日赤の臓器移植部門へ。これは視聴者プレゼント。――おい、これはどうする?」 男が剥離された白井の乳房を掲げた。 問われた女性ADは、腰に手を当てて首を捻った。 「確か営業本部の取締役が白井紀美子のファンだったでしょ? 彼にあげたら死ぬほど喜ぶんじゃない?」 「確かに。でも、もしコレが奥さんにバレたらどんな言い訳をするんですかね」 「そりゃあ見物だわ! アンタからディーに企画を出せば? ディーは大喜びするわよ」 男は「いいですね」と笑うと、手元のモノを脂質固定剤の入った薬瓶にしまい込んだ。
放送開始から2時間が経過したとき、突然、放送用モニターの一角がブラックアウトした。 「ディー! 放送電波が強制排除されました!」 調整室に戦慄が過ぎった。 政府や放送協会が強制介入してきたことは明らかだった。こんな事は前代未聞である。 中でも最も泡を喰ったのは鹿野だった。 各機関への根回しは完璧だったはずだった。しかし唯一頭になかったのは、この「強制排除」である。改正放送法などで規定されているのは、「国家の存亡に関わる事由」に限られ、内乱・騒擾誘発や外患引致などでしか適用されぬはずである。つまりそれが適用されたとなれば、国家がチャンネルZNSを敵対分子とみなした証拠に他ならない。 「ま、まさか――そんな馬鹿な!」 鹿野はヘッドフォンを床に投げつけた。 慌てて近くの内線電話に手を掛けるが、いくら掛けても局長に繋がらない。編集局ばかりか、どこに掛けても話し中である。 鹿野がパニックに陥っている横で、三森が静かに指示を出し続けていた。 「スタジオ。撮影はそのまま続けて。進行表のメニューは全てこなすのよ。他のスタッフも予定通りに進めて」 連絡を済ませた三森は、近くに居た男性スタッフを捕まえた。 「いまから報道部へ行って部長と掛け合ってきて。放送再開後の臨時ニュースにコレを使って欲しいと伝えて」 三森が数枚のDVDを差し出すと、スタッフは急いで駆け出した。 鹿野が「なにをしてる!」と怒鳴り声を上げると、三森は珍しく顔を上気させていた。 「やりましたね。大成功です。これで大衆は全て掌握できます」 彼女が手を差し出すと、鹿野は訝しげに彼女の目を睨みつけた。 「お前はなにを言ってるんだ。大衆? いまは政府への対応が先決だろう!」 三森は差し出した手をゆっくりと引っ込めると、作業が続くモニター画面に目を向けた。 「ディーもご存知の通り、政府が前代未聞の強制排除に乗り出したということは、我々全員に対しての宣戦布告です。身柄を拘束し、法廷にかけて、恐らく見せしめのために極刑にするでしょうね。増長するマスコミを叩くいい機会ですから」 「そうだ! お前、それが分かってて、なぜ――」 三森は何度も小さく頷いた。 「考えて見てください。強制排除は直ぐに発動できません。ということは、政府は事前に準備してたんです。ディーが根回しをしている時に、各方面から情報を集めて、この時を狙っていたんです。根回しをしている時、ディーは言いましたよね。『みんなイヤにスムースで協力的だから驚いた』とね。政府側の目論見としては、最悪の電波放送をワザとさせて、この事件を取っ掛かりに全マスメディアを掌握しようとしてる――」 鹿野は唖然とした。 三森の言うことは確かに的を得てるように思えた。 IMMO創立後、マスメディアは政治機関から完全に独立して自治権を得ると、政府はメディアの行為に介入しずらくなった。とはいえ、それも法律の保護があってのことであり、世論が反対して法改正がされれば独立もクソもなくなる。 三森の推論が正しければ、政府は国民の感情を煽って、一気に法改正を進めるつもりのようだ。 「ち、ちきしょう! 俺は利用されたのか! この俺が無能な政府に踊らされたのか!」 鹿野は制御盤を叩くと、足元に落ちていたヘッドフォンを踏み潰した。 「ですから私たちも政府の動きを利用します。彼らは自分の首を絞めたんです」 「ど、どういうことだ?」 鹿野が三森に向き直り、彼女の華奢な肩を掴み上げた。 「お前、いったいなにを考えてる? 俺の知らないところでなにをやってた! 大体お前はこの番組を毛嫌いしてたじゃないか! 良心の呵責に耐えかねて自殺まで考えたんだろ? お前は――上層部はいったいなにを企んでるんだ!」 「ディー! マズいです!」 スタッフの声が割って入った。 「検察庁と警視庁の機動隊が強制捜査に入りました!」 「検察? なんで検察が一緒なんだ! どういうことだ!」 三森が言った。 「もちろん最重要捜査ですから。なにしろ法制度上、前代未聞の逮捕劇になります。検察が陣頭指揮を執らないと格好がつきません」 「く、クソ! とにかくスタジオの中を全て隠せ。白井は燃やせ! 捨てろ! 他の不利になりそうな証拠は急いで滅却しろ!」 「もう遅いです」 「遅いもんか! とにかく処分できるものは処分しろ! 聞こえないのか! これは業務命令だ!」 その時、ドアが開け放たれる音がした。 「ディー! や、ヤツらが――」 スタッフが慌てふためく中、ダークスーツに赤いネクタイ姿の検察官が歩み出た。 「鹿野文裕さんと三森圭子さん。その他スッタフ全員に逮捕状が出ています。改正放送法強制排除に伴う付随的逮捕執行となります」 彼の後ろから制服警官らが雪崩れ込んでくると、スタッフ全員が拘束された。 検察官は鹿野の前に立つと、蔑むように睨みつけた。 「良かったじゃないか。いままでは裏方だったが、これから貴様も表舞台に立てるぞ。今度は俺がディレクターをやってやる。他局の連中を集めてやったし、劇的な訴追のシナリオも創ったんだ。貴様の大好きなキワモノ大衆に、せいぜいサービスしてやるんだな」
それから一週間後、鹿野は保釈された。 捜査は続行されているが、局が保釈金を出してくれた。 外に出た途端、鹿野は大勢のマスコミに囲まれた。 彼らは矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくるが、鹿野には全く理解できなかった。 警察の代用監獄内でも新聞は読めたが、ZNSに関する記事は全て排除されていた。従って、いま世間でどんなことになっているのかは全く分からなかった。 鹿野の身請けに来た局の連中と弁護士が、マスコミ陣を掻き分けて鹿野を車の中に押し込んだ。その合間を縫って、ある女性司会者がマイクを向けた。 「鹿野さん! 同僚の三森さんについて一言! 彼女は正義ですか、それとも犯罪者?」 「な、なんだと? 三森が――なんだって?」 運転手がクラクションを鳴らしながら車を発進させた。 鹿野は慌ててウインドウを下ろすと、彼女に向かって問い直した。彼女も人並みを掻き分け必死についてくる。 「鹿野さん。もしかして貴方は何も知らないんですか? 三森さんはいま新しい番組をやってるんです。それが世界中で大きな反響を呼んでいて――」 車がスピードを上げると、遂に彼女は振り切られた。 鹿野はウインドウを上げると、隣の弁護士に向かって「どういうことだ!」と叫んだ。 「彼女は俺より先に保釈されてたのか? しかも新しい番組ってなんだ!」 初老の弁護士は、腕を組み、うつむいたまま何も言わない。 鹿野が猛然と喰ってかかると、弁護士は露骨に顔を顰めた。 「あんた方は人類の敵だ。人類の良心の敵だ。――それがどういう訳か世論の一部が君たちを迎えた。精神論だ存在哲学だなんだと、バカどもが煽り立ててる。そして政府はIMMOの対応に追われ、アンタの低俗番組の対処など、もうどうでも良くなってる。信じ難いことだが、実質的に君らは放任されたも同然になった」 弁護士は背広を掴む鹿野の腕を振り払うと、窓の外に視線を走らせた。 「まあ、それもいましばらくの間だけだ。すぐに世論も熱が冷める。そうすればきっと元通りになってくれる。私はそう願いたい――」 鹿野には、彼の言葉の背景が全く理解できなかった。 ただ、そこはかとない不安だけが胸を掠めた。
鹿野が局に戻ると、入り口では役員をはじめ、末端のスタッフまでが出迎えてくれた。 彼らは口々に美辞麗句や賞賛の言葉を送る。 鹿野は呆気に取られながらも、社長をはじめ、並み居る役員らと握手を交わしながら辺りを見渡す。そこに三森の姿はなかった。 ようやく自分の組にいた若手スタッフを見つけ、三森の居所を問うと、彼女は新しい番組の収録中だという。 鹿野は迎えに出てくれた一同に謝辞を述べると、早々にスタジオへと向かった。
「彼女は凄いです! ディーが目を掛けてただけはあります!」 廊下を歩きながら、若いADがのべつ幕なしに経緯を話した。 あの劇的な逮捕の後、チャンネルZNSは臨時ニュースを放映した。当然、政府と国民はこのニュースに注目した。 そのニュースで使われた画像は、全て三森が"事前"に用意していたものだった。 その一部に、遺族らのインタビュー映像があった。 冒頭で、三森は延命処置医療に対する疑問を投げかけ、残された家族の苦悩や悲惨な生活を描き出した。 そして家族らは、本人が事前に延命処置拒絶文書を作成していたこと、医師が脳死を判定したこと、そして脳死体の「所有権」が家族にあることを主張した。事実、民法上も刑法上も死体の所有権は遺族にある。 最後に、15秒だけショッキングな映像を流した。白井が自分を貪るシーンだった。 その途端、世論が紛叫した。 大部分がZNSに対する抗議だったが、それによってZNSに対する国民とマスコミの目が向いた。 全世界のマスコミも、この大騒動の行く方に注目すると――政府は途端に及び腰になった。なにしろマスコミ凶弾の思惑が露見することだけは避けねばならない。しかしZNSに対する異常なほど早い対応と「強制排除」の手段を使ったのが災いした。IMMOが露骨に日本政府批判をはじめ、一斉に「なにかがおかしい」と騒ぎ出した。 そんな騒動が続くなか、三森は混乱に乗じて新たな番組を放映した。 国民と政府が浮き足立てば、その間に好き勝手が出来る。その「空白の時間」を利用して、彼女は問題番組を連発し、ZNSを最大限に広告した。 彼女の新しい番組は、壮絶かつ不快極まりないものであり、国民は呆気に取られ、怒り狂った。 一方、政府は抗議をするだけで、強制排除は発動しなかった。なにしろ前の案件が全く片付いていないうちに、伝家の宝刀を立て続けに振るうことは出来ない。 国民は嫌悪と罵声を上げながらも、ZNSを監視するために番組を見続けた。 「猟奇的な行為に対し、興味と興奮を覚える者は『正常』である」 20世紀末に台頭したこのテーゼは、ZNS事件で見事に証明された。 監視をしているはずの人間が、僅かながらも徐々に切り崩されてゆく――。
収録スタジオのある調整室に入った途端、鹿野は唖然とした。 三森が「お帰りなさい、ディー」と微笑んだが、鹿野が何気なく収録中のモニターを一瞥すると動けなくなった。 「こ、これは――まさか――」 鹿野は喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。 いままで散々残酷な画像を見てきたが、これほど惨いものは目にしたことがない。 蘇生術を施され、中途半端に生き返った女性の身体から、昆虫や寄生虫が溢れ出てきている。彼女がむせ返り、喘ぐ度に、身体のあらゆる穴からゾワゾワと溢れ、皮膚を喰いちぎって中へ戻ってゆく。 むかし見たB級ホラー映画のシーンが、いま目の前で、特撮なしで映し出されている。 「無闇やたらに壊すだけでは、いつか飽きますよね」 三森は鹿野の横合いに立つと、一緒に画面を眺めながらコーヒーを飲んだ。 「しかし、これは――」 さすがの鹿野も画面から目を逸らした。 三森は小さく笑うと、鹿野の肩を叩いた。 「ディーのおっしゃりたいことは分かりますよ。でもね、これもまだまだなんです。出来るだけ長く存命できるようにコントロールするのが難しくて――。望むらくは、視聴者が感情移入できるように何年でも撮影できる主役が欲しいと思いません?」 鹿野は胸が悪くなった。 しかし持ち前のプロ意識が彼を頷かせた。 「まあな――。しかし視聴者はいつだって先の見えないギリギリのラインを彷徨いたがってる。これに改造移植や病原菌まで重なったら、きっとハプニングが起きるだろう。そうした未知な要素がなければ、番組はすぐに飽きられる。闇雲にコントロールすればいい訳じゃない。勘違いするな」 「――そうか! ハプニングをワザと起こして、それを上手く演出するんですね。主役は現実に生きる必要はなくて、インパクトのある死をもって視聴者の中で生かす――か。勉強になります」 鹿野は小さく肩を竦めた。 「ところで、お前。俺たちはこの先どうなるんだ?」 三森は自分の企画書に鹿野の言葉をメモすると、後ろ頭を掻いた。 「はい。政府から内々に打診がありましてね。今回の件について局側が譲歩するなら、適当なところで矛を収めると言ってきたようです」 「適当なトコ?」 「ええ。まずは責任者に執行猶予付き有罪判決を出して、私たちも社内処分を受ける。そして番組からの政府批判を抑えて、国に対する損害賠償などの提訴はなし。さらに今後の患者買い受けも自粛すると」 「おい。それだとまるで向こうの言いなりじゃないか! どこが適当なんだ!」 「でも、向こうにしてみれば相当譲歩してると思いますよ。上層部もそれで手を打つことにしました。その代わり――」 三森はコーヒーを啜った。 「局やマスコミ関係の人間を使う分には良いそうです。内部の人間を使う限り、出来るだけ黙認すると言ってきました。但し、合意契約などの法的手続きだけはしっかりやれと」 「なるほど。マスコミ同士が潰し合う方向に仕向けてきたか」 「はい、ディー。その通りです」 「まあ、それでもいいか。どうせこれもお前のシナリオ通りなんだろ?」 「はい」 淡々と答える三森に対し、鹿野はその才能に恐怖を覚えたが、すぐに持ち前のテレビ屋根性が疼いた。彼は含み笑いを浮かべながら彼女の顔を覗きこんだ。 「ところで、なぜお前はこんなシナリオを描いた。何が狙いだ?」 すると三森は肩を竦め、なぜか照れ笑いを浮かべた。 「あたしは権力もなにもないタダの小娘です。ですけど、世の中や人間を切り刻んでゆくなかで、いったいなにが飛び出してくるのかを見極めたい――」 鹿野は「やっぱりそうか」と笑った。 彼女は気づいていないが、誰もがそう言うのである。そうして知らぬ間に自分を深遠の縁に追い込んで自滅してゆくのだ。 大衆娯楽製作には、報道部門にはない大きな落とし穴がある。 視聴者の反応を観て、彼女は自分が大衆を操作していると勘違いをしているが、それはただ彼らの黒い欲望に呑まれているだけである。 鹿野は、そうして大衆に踊らされ、最後には狂気に走った多くの先達たちを想った。 だが、三森にそれを伝えるつもりは全くない。 彼女には狂気に走ってもらわねばならないのだ。 鹿野は早くも彼女をモチーフにした企画に想いを馳せた。きっと白井アナなどとは比べ物にならぬほど見物になるに違いない。なにしろ三森は天才で、局の英雄でもある。 鹿野は期待に胸を躍らせながら三森の肩に手を掛けた。 「じゃあ、お前の企画書を見せてくれ。お前は政治経済には明るいが、大衆娯楽は分かってない。いいか、これからの時代、人間性はますます崩壊してゆく。その崩壊をセンセーショナルに楽しませるにはな――」
―了― |