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YOUNG TURKS! “日活第4の男”和田浩治

INTERVIEW!

1980年(昭和55年)8月1発行 ムービーマガジン No.23 より紹介致します。



★市村様より、資料として御提供を下さいました。心より感謝申し上げます。

★熟語以外の数字は漢数字から算用数字にしました。
★表記の不統一は多い方に統一、明らかな誤りは修正してしてあります。それ以外は原文どおりです。


●和田浩治インタビュー 高平 哲郎

 和田浩治が日活に入ったのは昭和34年11月。15歳であった。入社して約2年間の彼の主演したアクションは、日活アクションのパロディ的性格として語り草になっている。そのあたりは小林信彦さんの「笑う男・現代の道化師」(晶文社・刊)や、渡辺武信さんのキネマ旬報連載の「日活アクションの華麗なる世界44・45」にくわしい。

 入社3年目(昭和37年)からアクション・コメディ自体を会社が嫌い主演が急速に減り、日活崩壊の直前の44年に3本の主役を最後に、テレビ主演が多くなる。47、48年は映画が1本もない。その後も映画は年2、3本の出演で仕事場は、ほとんどがテレビということになる。53年暮の東映『水戸黄門』以来、映画はない……。

 その和田浩治のインタビューが、昼の2時から銀座で始まった。



 赤坂で生れました。父はジャズのピアニストです。親父の仕事場へですか……どっちかっていうとありますね、何回か。ただ、中学まで疎開先の水戸にいましたんで、親父の仕事にはあまり行けませんでしたけど……。

 まあ兄弟の内一人はピアニストにしたかったんでしょうねえ。ぼくは小学校の時にピアノやってたんですけど馴染めなくて、中学に入ってからドラムをやりだしたんです。わりとドラマーになろうかなんて思ってました。それと車が好きだった。ドラマーっていうと当時はジョージ川口さん、白木秀雄さん、ジミー竹内さん……ぼくはジミーさんについていましたし。中学時代のアルバイトはバンド・ボーイやってましたから……。スイング・ジャズですね、主流は。そうですね、丁度、アート・ブレイキーが流行りだしたころだけど、ぼくは、モダン・ジャズって聞き方はしてなかったですね。

 15歳で芸能界に入ったんです。ええ、長いですねえ(笑)。日本テレビに、照明の偉い人がいまして、やっぱり和田さんていうかたなんですけど、このかたが親父と懇意にしてまして。高校1年生のときに、アルバイトないか聞きましたら、エキストラにおいでよって話になったんです。伊豆肇さん主演の番組でした。そのときのスポンサーがトーハツというオートバイだったんですけど、そこの宣伝部の広瀬さんというかたが、ぼくのこと見て、トーハツのカレンダーやってみないかということになったんです。裕ちゃん全盛のころでした。15のときですから、小遣いくれんの? じゃあやってみるかくらいでやったんです。

 カメラの人が杵島(きじま)隆さんというかたで……。そのカレンダーを日活のかたと松竹のかたが見たんですね。杵島先生が全部やってくれたんです。丁度、松竹では鰐淵晴子の相手役を捜してたんで、カメラ・テストを大船でやってから、築地の本社に行かされたんです。

 社長室に通されまして……城戸(四郎)さんだったんですね。応接間で、ぼくはテーブルに置いてあった煙草盆から何気なく、煙草を出して吸ったんです。そしたら城戸さんが「いくつ?」「15」「お前、15で煙草吸っていいのか」「そいじゃ失礼します。帰ります」って言って帰って来たんです。

 そしたら日活から話が来たんです。当時常務だったかな、江守(清樹郎)さんに会ったとき、とても雰囲気がいいんです。撮影所も若い人たちの集まりで、なんていうか……。裕ちゃんのファンでもありましたし……そんなわけで日活へ行くことになったんです。



 1作目の『無言の乱斗』は、ネリカンらしき少年鑑別所を舞台にした不良少年ものである。主題歌は、すぐに発売禁止になったが、守屋浩の“ネリカン・ブルース”であった。和田浩治、実生活も不良だったのだろうか。

 良くなかったですね。いつも、この(銀座)界隈に来てました。東京と水戸の両方に家があったんですが、土、日は中学のときから必ず、銀座に来てました。トレアドールって喫茶店、そこがぼくなんかの溜り場で……。あと、リズっていうみゆき通りにあった喫茶店と……。わりかしと身体が大きかったでしょう。だから、あまり最年少という感覚がなくて……いちばん威(え)ばっていたし……。

 21、2年前っていうと5百円あれば……。神保町から電車に乗って――神保町に家があったんです――コーヒー飲んで、フライパンで食事して……電車、あのころ、15円くらいだったですよね。ただ喫茶店に集って……特に悪さっていうのはねぇ……人に迷惑を与えるようなことはしてなかったような気がします。仲間というのは、この辺のせがれとか……リズは立教の連中、トレは暁星の連中が集ってた店でしたね。

 神保町に“さぼうる”って喫茶店があったんです。いまでもありますか。家から歩いて2、3分だったんです。あそこでグジュグジュしてまして、近くの映画館に行ってたんです。日活の映画館です。映画、ただでしたから……脅して……。中学のころでしたね。『嵐を呼ぶ男』とか『風速40米』とか裕ちゃんの映画をずいぶん見ました。

 学校をサボり出したのは中学2年くらいからでしたね……。グレるというか……成人になんなきゃしてはいけないことってあるでしょう。煙草、酒、無免許で車に乗ったり……女の子に関してはわりかしとしなかったほうですね。中3のときは、学校でまとまんないことがあると、なんでも引き受けてやったほうですからね。

 ええ、ダンス・パーティーね。よくやりました。パー券売ってもうけるほうです。バンドはやってません。ずいぶん、もうけましたよ。でも、やられましたね、恐いおニィさん出てきたりして……。葉山の森戸海岸で――あの辺一帯は夏になると遊びに行くとこなんですけど――あそこじゃもめなかったか。江ノ島の湘南ホテルでしたっけ、そこでパーティー開いたときは凄かったですよ。太陽族が全盛のころでね。パー券売れまして。始まってしばらく経ったら、おニィさんがたが来ましてね。あんとき、警察に呼ばれましたね。会場、滅茶苦茶になりましたよ、ええ、喧嘩でね。その弁償して、全部払ってももうけが出たんですからねえ。とにかくバンド集めて。バンドったって高校の仲間でね。ジュースなんかつけて売ったんです。やたらもうかったですね。



 (映画出演の)最初ですか? そりゃテレましたよ。日活へ入って、契約して3日目くらいにクランク・インしたわけで……。これはお前のために揃えた台本(ほん)だって渡されて、クランク・インして2日目に清水まゆみとベッド・シーンやらされましてね。この前も、ぼくの20周年のパーティーにまゆみが来ましたけど「ぼくが、いちばん最初に唇を奪われた女性です」って紹介しましたよ(笑)。

 まず、映画っていうのは大変な仕事だと思いました。こんなに苦労して作るとは思ってませんでしたからね。出来上った映画は、見てられなかったですね。まったく、くだらないことをやってるなっていう……。まだそこで、この道で行くとは思ってなかったですね。ただ、金はもらえるし、普通のアルバイトより率いいし――これで飯喰ってこうなんて考えてはいませんでしたね。

 わりかしとウチは、小さいときから自分のやりたいことは好きにやれ、みたいなとこでしたから。その代り、あんまり手を貸さないよって。だから中学のころからアルバイトして稼いでました。水戸では近所の自動車工場にいたり、バンド・ボーイもやりました。映画に入って、新聞なんかで紹介されてから、水の江(滝子)さんなんかから、「なんだ、あんた和田さんの息子さんだったの」って。みんな親父のこと知ってたんですけど、ぼくがその息子だなんて思ってもいなかったんでしょうね。

 誰を目標っていうのはなかったですね。あの人のとこまで近づこうとか、そういうのもなかったです。これ以外、飯喰っていけないと思ったのは、日活に入って主演から脇にまわされたときからです。そのときに、いろいろと自分を見つめる時間ができて……。寂しい想い、くやしい想いした、そんときですね。21、2歳のときです。それが、ぼくは若いころにきたから良かったと思うんです。年に4、5本しかなかったっていうのが4、5年続いた。五社協定があるから他社へも出られない。テレビも出られない。他社では20歳くらいのアクション・スターを欲しがってたんですからね。ぼくなんかのあと、加山雄三、松方弘樹、北大路欣也とかの若いのがでてきたんです。

 松竹がまたぼくに色気出していましたけど……。日活では(吉永)小百合=浜田(光夫)という青春路線になって、赤木(圭一郎)が死んで(高橋)英樹がでてきたころですよ。同じ年代でも、あいつ(英樹)のほうが大人に見えるし、ぼくがピストル持つより(宍戸)錠さん、二谷(英明)さんが持つほうが似合ってましたしね。ぼく自身は、裕次郎さんのパロディなんて気がないけど、まわりは、そうみてたようですね。

 25、6歳のとき、日活でテレビの青春物やったんです。松原智恵子とやった「ある日わたしは」(日本テレビ・昭42〜43)なんですけど、あれが異常に視聴率取ってくれまして、そのころ、高校生や中学生に「和田浩治さんは、テレビ出ですか?」って言われまして……それくらいブランクがあったんです。こっちが20歳くらいのときは、その人たち小学生ですから見てませんしね。それが新鮮に写ったんでしょうね。まったく、いままでと違ったファンがドサッと来たって感じがしますね。ぼくが映画界でデビューしたときの映画界の熱気と同じ熱気がありましたね



 若さで、まぎらわせた5、6年だったから良かったんで、これが27、8歳ころからの5、6年だったら、もっとシンドかったんじゃないかなあ。自分が、まわりから認められるって感じがするのは30過ぎてからじゃないですか。ぼくは、そのころから、そういうこと口に出すほうじゃない。楽天家ですから。内心ではショックでした。見栄張ってるわけじゃなく、そういうとこがあったから、ブランクを乗り越えたんでしょうね。あすこで「クーッ、みじめ」って見えたらもう駄目だったでしょうしね。

 デビューしたとき、ファンにキャーキャーいわれるってことはもちろん、気持が良かったですよ。ウチが芸能関係だったので、自然にそういうものに入ってけました。自然に身についていたんでしょうね。

 そうですね、デビュー以来。西河克己さんの作品が多かったですね。とても柔らかくて。鈴木(清順)さんと西河さんの違いというのはね、西河さんの場合には……なんていっていいのかなあ……。鈴木さんは、一緒にモノを作ってるって感覚を与えるんで、西河さんはスタッフだけで作っているというか……難しいんだけど……。西河さんだと「ヒデ坊(本名・和田ト(ひで)夫)台詞、覚えてきたかい」「ハイ」「じゃ喋ってごらん」――監督に作られてるって感じある。鈴木さんは「ヒデ坊だったら、この台詞どう思う?」って質問を投げかけてくれる。「じゃ、それでやってごらん」――一緒にやってるって感じがありますね。ただ、鈴木さんは、突然、わからないことをおっしゃる(笑)。「ここに寝てくれ」「なぜでしょう?」「いいから!」――なんなんだろう?ってそれを捜し出すのが、面白かったですね。

 現場の明るさという点では西河さん。それとスター作りの上手さは西河さん。鈴木さんは、役者作りの上手い人。西河さんは、だから、いまだに三浦友和・山口百恵の映画作りが上手いわけですよ。日活は、スター作りのほうが役者作りより上手かったですね。マスコミ的考えかたで映画を撮ってたんじゃないですか……。裕ちゃんは、1日何本ビールを飲むとか、股下が何センチとか、裕次郎刈りとかをパッと流行らせる。そういうのが非常に上手いでしたね。

 やっぱり『闘いつヾける男』『百万弗を叩き出せ』『俺は死なないぜ』……このへんからですね、自分でこの仕事が面白いと思いだしたのは。

 自分で好きなのは『素っ飛び小僧』とか、まったくの大コメディ『俺の故郷は大西部(ウエスタン)』かな(笑)。ロケーションに御殿場に行きましたら、入口に「大川牧場」とあるんですよ(笑)。最高の作品じゃないですか。この映画は考えてみりゃおかしかったです。よくこういうもの撮りましたねえ。理屈抜きで楽しかった。いま、こういう形が全部、時代劇になっちゃったわけでしょうね。

 歌手のかたが出る映画も多かったですねえ。でも、とくに向うが歌い手とかいう意識はしません。ただ、ぼくたちより派手だなっていうのは感じてました。守屋浩全盛だったときも、ぼくの外に対する人気は、守屋と五分五分でしたからね。いまだったら、きっと歌い手さんのほうが七分ですからね。考えてみりゃ日活入ったときは、いまの親衛隊みたいなのいっぱいいましたからねえ。



 脇を初めてやったのは3本目の『やくざの詩』ですけど、このころは脇も主役も、どっちの意識もなかったですよ。やっぱり、脇だって感じだしたのは『青春の海』とか『二人の銀座』とかのあたりですね。日活やめるころ『夜の最前線』で久し振りに主役をやってますね。日活、最後が……『女番長・野良猫ロック』ですか……どんな役やってたかも覚えてませんよ。テレビに色気を出してきたころでしょう。

 やっぱり、一所懸命やってもお客が入ってくれなくちゃなんにもならない。批評家がいいっていっても、娯楽ですからね。(44年ごろ)映画館に人がこないんですから。日活映画館の直営が半分以下になったときですから……それからポルノになっていく。……自分のホーム・グラウンドがなくなるというのは寂しいでしたね。日活は、辞めるとも辞めないともいわないで、ただなんとなく辞めていました(笑)。他の人たちもそうだったですね。

 とにかく、いま最高に面白いのは時代劇ですね。9時開始だと8時に入って、化粧台前に坐って、ドーラン、羽二重してだんだん自分じゃなくなっていく面白さがありますね。現代劇と違って、そのままの自分がでないでしょ。それが魅力なんですね。勝(新太郎)さんだって座頭市の勝さんと普段の勝さん、違うでしょ。遊んでいるとき、仕事しているとき違うしね。あのかた大好きなんです。京都で会ったりすると、朝まで酒を付き合わされるんで……店に入って「いるな」と思うとさっと逃げたりして(笑)。

 いわゆる、やくざ映画ですか? 『男の紋章』なんかね。ああいうもの、あわないですね。どうも五分刈りが肌に合わない。同じ男っぽさでも、ああいう男っぽさってぼくにないと思うから。やくざっていっても現代やくざならね、やくざもんでも、まあまあ自分の中にもある部分かなってあるんでしょうけど。役者なんていうのは自分の中にそういうもんがないと……だから、いま36歳だから26歳の役やらせると出来ると思う。でも、役者さんて、それ当然だと思うんですよね。

 あのね、ぼく、さっき言った通り、映画なんて、本当、娯楽でお客さんが見てくれないとしょうがないと思うんですよ。大作、大作っていうけど、大作じゃなくてもいい映画いっぱいありますでしょ。そういうふうにしないと客がこない……あと宣伝とね、自分たちでそうしちゃったんですから。角川さん……あれが最初ですか……。『影武者』なんかも逆に、ああいう宣伝一切して欲しくなかった。それでも客が入る。黒澤さんが撮ってるんだから宣伝しなくてもマスコミにもノる。あそこまでテレビ使わなくても入るっていうのを見せつけて欲しかったなあ。

 『影武者』? まだ見てません。『クレイマー、クレイマー』も。いま京都行きっぱなしでしょう。週に4日ですから、なかなか映画見る機会ないですよ。月に1回くらい、好きなゴルフも行きたいし。

 映画っていうのは金かければ、いいってもんじゃないでしょう。『酒とバラの日々』なんか、外と、あと部屋の中だけ。金なんかかかってないけどお客さん入りましたでしょう。そういうやりかたまだあると思うんです。映画って画(え)を見に行くのと話を見に行くとがあると思うんですけど、いまの大作は画を見に行くみたい。でもテレビであれだけ宣伝やられちゃうと見る画もなくなっちゃう。とってもそういう気します。

 歌はねえ、ええ、日活はみんな歌わされるんです。『若い突風』ですか、最初は。その前にも劇中で歌ってますけど。ええ、まあ一応、譜面は読めましたから……。今度の歌は“男のタンゴ”っていうんですけど……。そりゃまあヒットしたほうがいいと思う。まわりの動きかたでね、まわりが一所懸命動いてくれりゃ面子にかけてもやんなくちゃって、歌い手さんがこれだけ芝居の中に入り込んでいるんだから、逆に役者さんも歌い手さん中に入り込みゃいいんですよ(笑)。

 歌は気持がいい。一人舞台ですからね。だから売れると勘違いしちゃう。自分一人でって。でも本当そうですもん。(だから歌手は独立したがるんでしょうかね?)……(笑)。森進一の結婚式のボイコットね。日本の音楽界もちっちゃいね。仕事ボイコットするならわかるけど披露宴くらいいいじゃないの。

 日本の映画の作り方って問題あるでしょうね。アメリカなんか1本、映画に入ったら他の仕事しないでしょう。それだけのギャランティとる。それが当り前ですよ。芸能界全体がしっかりやるべきですよ。これからマネージメントやる人にはしっかりやってもらいたいですね。でも、いまの日本の役者さんは、主役、脇役にかかわらず異常な忙しさですよ。



 8月か9月に、元日活の連中で映画をやろうって話あるんですが……スケジュールとれるんでしょうかねえ。確かに元日活の仲間のつながりは強いでしょうが、20年前もいまも同じような意識でいるから、いつも話が持ち上ってもバラバラになるんですよ。20年前の感覚でいるから、ぼくらのこと15、6歳の感じでいる。そのへんが、うまくいかない理由でしょうね。英樹と前、話したけど「映画作るなら勝手に作ればいいじゃない」みたいな話が出て来ちゃうわけですよ。もうねえ、ガキじゃないんですから、27、8歳のときと15、6の間はかなりの差でしょうけど、45、6歳と35、6だとそんな差は出てこなくなりますからね。そういうこというと「俺たちは、お前たちを大人だと思って扱ってるよ」って。現場行くと違いますから。飲んだり食べたりするときは、いいつながりですけど、ただ仕事っていうと……これでメシ喰ってますからね……。

 スキャンダルね……しょうがないんじゃないかね。そりゃあ腹立ちますよ。立っても立つだけ損になるし……しょうがないですよ。いまはとくに、これだけの数、週刊誌が出てりゃね。いかに上手くやるかですよ……すべてを。ケツまくったところで、それが納るわけないんだから……。書かれ損てありますけど、これくらい氾濫していろいろあると、人の噂もなんとかって言うか、覚えてないですよ。松方くんの顔みたって、もう思い出さないでしょう(笑)。スキャンダルって言っても刑事事件じゃなきゃ大丈夫ですよ。ただ、テレビやってるとスポンサーとかありますから気にしなきゃなりませんから。離婚すると使わないなんてスポンサーありますからね。



 ぼくは、いま36歳。40歳くらいまでは時代劇勉強したいですね。いま現代劇やっても、このくらいの歳の人は、いっぱいいますでしょ。時代劇だと、まだ若手でやってける。昔みたく、若くなくちゃいけないというのなくなったでしょう。20代で一本立ちで主役張れてんの松平健くらいじゃないかって、この前も話したんですけど。あとは30代から40代の人ですよね。

 だから、40過ぎて男っぽくなったら、アクション・コメディやりたいですね。ケーリー・グラントがやったようなね。『泥棒成金』とか『シャレード』とかね。それまではね、ぼくは人生に対しての目標はと聞かれたら「ぼくはない。毎日毎日大事にしていければいい」って答えます。それを積み重ねていけば、目標でなく、自分ができてくる。夫婦の仲でも、どうやって仲良くしてくのかって言われたら、毎日毎日を大事にしていければいいんじゃないかって、よく言うんだけど……。

 和田浩治は、いい顔をしていた。この顔は40代になると、もっといい顔になるに違いない。和田浩治の強味は、そのことを自分がいちばんよく知っているということだろう。