第2部

(会場、拍手!)

佐藤利明さんの登場です。




佐藤さん: ――どうも、佐藤利明でございます。今日はこんなに皆さん、満員のお客様に来ていただいて、『夢がいっぱい暴れん坊』、如何でしたでしょうか
 
(会場、拍手!)
 
佐藤さん: …昭和37年の小林旭さん、“銀座の次郎長”ですよ!、カッコイイですよね!。で、ツイストを歌って踊る。というわけで今日は、DVDで出ております『東京の暴れん坊』、『でかんしょ風来坊』に続く、『夢がいっぱい暴れん坊』をご覧いただきました。

…今回のこの映画、1962年(昭和37)。旭さんが銀座を舞台にした「銀座旋風児(ギンザマイトガイ)」シリーズ、それからこの「暴れん坊」シリーズがありまして、ちょっと下りまして60年代末には「女の警察」シリーズ、これの“篝正秋”も、銀座の夜のナイトクラブの保安部長”ということで、銀座とは縁の深い小林旭さん。

…そろそろ、皆さん、お待ちかねだと思いますが、旭さんとトークショーが出来るだなんていうのはですね!、僕も本当に―――、小林旭ファン歴30数年でございますけど、こんな日が来るとは!、思っていませんでした。これも一重に皆様が、ご支持いただいて、この50周年を盛り上げて下さっているおかげだと思います。本当にありがとうございます。
 
(会場、拍手!)
 
佐藤さん: …そろそろ、旭さんの方の、ご準備が宜しいようであれば、お呼びしたいですが、“銀座の次郎長”、そして“ギンザマイトガイ”、「女の警察」の“篝正秋”が、再び銀座に戻ってきた!!…こういう気持ちで、お迎えしたいと思いますが、ご準備の方が宜しければ!。…芸能生活50周年を迎えて、ますますカッコイイ!、マイトガイ・小林旭さんをお招きしたいと思います!、どうぞ!!、小林旭さん!!!
 
(会場、盛大な拍手、「わああ〜〜!!!」という喚声)


“ギンザマイトガイ”の音楽と共に小林旭さんご登場!!
 
小林旭さん: どうもこんにちは、小林旭です。…会場を拝見してると大体、同い年ぐらいの方が多いと(笑・場内もドッと受ける)、いいですね。安心して昔話が出来そうですけれども――。ようこそお集まり下さいました、ありがとうございます。
 
(会場、盛大な拍手。お二人座る)
 
佐藤さん: 旭さん、今、登場が“ギンザマイトガイ”のイントロで、登場されたんですけど。
 
小林旭さん: ああ!?、そうですか?!、全然聴いてなかった(笑)

佐藤さん: もう、本当に“清水次郎”さんが、(ステージに)入ってきたみたいなんですけど、この映画(『夢がいっぱい暴れん坊』)がちょうど昭和37年・4月1日封切りなんですよ。となると今から43年前の、まさに今、…っていうことになりますよね。

小林旭さん: (相槌を打ち)今朝もね、なんとなく、そんな話がチョロっと出て。それで相手の人が、たまたま、「昭和で言うと、今年は72年ぐらいかなア」なんて呑気なこと言ってて、それで僕は、自分のデビューした年を知ってたから、何言ってんだと。俺がスタートしたのは1955年、昭和30年からだ。今はお前、50周年やってるということは、昭和で言やぁ80年じゃないか、と言ったら、「ああ!、そうかあ?」って言ってましたけどね(笑)。



佐藤さん: 昭和80年!すごいですねえ。
 
小林旭さん: 改めて昭和の話をすると、なんかえ〜らい、時間が経ったような感じがするんだけど、でも、そん〜なに気になりませんね。

佐藤さん: 旭さんの中で、おそらく時間が持続されてると思うんですよね。昭和で言う、30年代があって、40年代があって、50年代の歌の時代があって、ずーっと…年齢ではなく、“小林旭齢”っていうんですか、もう今は“平成の小林旭”として、ずーっと“現役感”というか
 


小林旭さん: うん、別にね、意識してないですよ。昭和13年に生まれましたよ、だからこうですよ、とかっていうのを丸々意識してないし、まあ、なるようになるだろうと思うし。ただ時々ね、歌を歌ってる自分の声、最近の声と、昔の声を、例えば今の映画の中のね、歌ってる声なんかでもそうだけども、やっぱり若い時の声っていうのは、♪ハァ〜〜〜〜〜!、…っていって澄み切ってるんですよね。その話をこの間、さるところで船村徹さんに出会った時に、「船村さん、やっぱり年齢的なもので、ある程度のところになってくると、ちょっと声が、くぐもってきますよね」って話をしたら、「そりゃあー! 旭さん、しょうがないですよ。煙突だって何十年も経ちゃあ煤も溜まる…」、そんな話をしてましたから(笑)、ああ、成る程って言って聞いてたんですけどもね。
 
佐藤さん: そして僕、先日、船村徹先生にお目に掛かって、お話をしたら、船村先生が、「旭さんに宜しく」と。
 
小林旭さん: ああ、そうですか、それはどうも。
 
佐藤さん: 「煙突の煤払いをさせてほしい」と。
 
小林旭さん: ああー! いいですねえ。…煤払いっていうと、ブラシの太さはどれぐらいなんでしょう(笑)
 
佐藤さん: 船村先生といったら、最初の「ダイナマイトが百五十屯」、「女を忘れろ」と。――今年がロックが誕生して50年になりますよね。あの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」、“ビル・ヘイリーと彼のコメッツ”…。それで旭さんがデビューして50年、ロックと同い年ですけど、日本で最初に、ロックって何かなって、ずっと考えたら、やはり旭さんの、あの“ダイナマイト”じゃないかなと。
 
小林旭さん: ああ、そうかもしれないですね。まあ僕が“ダイナマイト”歌った31、2年ぐらいの頃っていうと、流行歌で…ああいうテンポで出てた、林伊佐緒さんのね、♪わぁ〜たしゃ〜〜真室〜川〜の …っていうの、あれぐらいのもんですよ。
 
佐藤さん: 「真室川音頭」。
 
小林旭さん: ええ。…それで(「ダイナマイトが百五十屯」の音を口で)♪ズンズンチャンチャン! チャンチャンチャンチャン!って早いテンポのやつっていうのは、そんなになかった。で、それがたまたま、「♪ダイナマイトがヨォ〜! ホホ〜ホオー!」っていうのが出たから――(会場、笑う)――だいぶ、良かったんですけどね。
 
佐藤さん: その、「真室川音頭」の民謡と、「ダイナマイトが百五十屯」のロックが融合した形が、要するに、ポップスと民謡融合の“アキラ節”ということになりますよね。
 
小林旭さん: そうですね。まあ、当時、フィルムの世界からスタートしたにも関わらず、節モノで、要するに自分の名前を付けて、レコードを入れさせてもらえたっていうのは、有り難かったことですね、今考えてみると。
 
佐藤さん: 「ズンドコ節」、「ダンチョネ節」と、「ツーレロ節」とありますけど、そのいずれもが、要するに俗謡なんだけれども、いわゆるマンボだったり、新しいリズムを入れて。それと、今日は上映された『夢がいっぱい暴れん坊』では、主題歌が「ペパーミント・ツイスト」、挿入歌が「アキラでツイスト」。これは今までの民謡と違いましたよね。
 
小林旭さん: うん、ま、ツイストっていうのがね、たまたま昭和36年に僕がロサンゼルスへ仕事で行った時に、向こうで、なんかカッコイイ、レコードが売ってたんですよ。それでお店で掛けてた。(佐藤さんが関連雑誌を手に話し掛けて)あーあー、当時の《明星》の。別冊ですよね。
 


小林旭さん: ――なんかあの、それで、お店で、こう、♪ジャッジャッジャッジャッ、ジャッジャッジャッジャッっていうの掛かってて、表紙をポッと見たらば、えらいカッコのイイ、子供がね、乗ってて。オオ、イイなあ! こういうのも面白そうだなあ、と思って、そのレコード買って帰ってきたんです。そしたら、マブちゃんが――
 
佐藤さん: 馬渕玄三さん。
 
小林旭さん: うん、玄三さんが…“艶歌の竜”と云われた、才能のあるディレクターが、ずっと僕の担当でいたんだけども、そのマブちゃんが、「これは旭さん、ちょっとタイミングが早いから、もう少し待とうよ」と! 言って、そのまんまレコードを自分の机の引き出しに仕舞い込んじゃった。それで、いつやるのかなあ、と思ってたら、翌翌年だかなんかですか?
 
佐藤さん: 昭和37年の4月1日の映画です。
 
小林旭さん: うん…(レコードを)出してきてねえ。当時、読売新聞の記者だったのかなあ…、水島哲さんという作詞家に、「哲ちゃん、なんでもいいから、適当に書いといてよ」…ってな関係でね(笑)。そしたらまた、その水島氏も、「ああそうですか、それじゃ適当に書いときます。なんとなく音に合えばいいですねえ」って、そんな感じで、♪好きだァヨォ〜〜、死ィぬほどォー、なんていうのを書いてきた。そしたら、それをそのまま、「ヨシ!」ってんで、レコーディングですよね。
 
佐藤さん: (レコードを見せ)それが、これですよね。
 


小林旭さん: ああ…、「アキラのツイスト」っての……。あ、そんなのもあるンですか。
 
(会場、笑う)
 
佐藤さん: これは当時の…(レコードです)
 
小林旭さん: ああ〜〜〜、……これは古いですねェ、また。
 
佐藤さん: これは古いですねえ。
 
小林旭さん: (レコードジャケットのご自分に向かって)立ってる奴は誰ですか、ソレ
 
佐藤さん: これは〜〜、あのぉーー(笑)、なんか、小林…………
 
小林旭さん: アアーー
 
佐藤さん: ……アサヒさんです(笑)
 
小林旭さん: あーあー(笑)、アサヒさんね。コバヤシ・アサヒさんね、知ってる知ってる(笑)
 


(会場、笑う)
 
佐藤さん: …ですから、これで洋楽、いわゆるロックンロールの、船村徹先生が和風ロックンロールの“ダイナマイト”を作りました。「地獄船」ですとか、そういう変わった、パンチのある曲を作ってこられました。それで、アキラの民謡がありました。そこで初めて洋楽がこう出てきますよね。
 
小林旭さん: あの時分はね、マブちゃんも模索の最中だったと思うんですよ、いろいろと。だから、小林旭の本当の歌の味ってのは、どこから出てくるかっていうんで、いろんな曲を書いてくだすってた。だから僕としてでは、当たるも幸いなぎ倒しじゃないけども、まあね、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるなんていって(笑)、とにかく来るものを拒まずにやって行こう! ということで、バンバン吹き込んでててね。そうだなァ、一回、撮影の合間のスケジュール合わして、当時、「第2大蔵ビル」って、あの……
 
佐藤さん: コロムビアのスタジオですよね。

小林旭さん: あったあった、コロムビアのスタジオ―― に入るとね。夕方から入るでしょう、朝方までにね、10曲ぐらいやっちゃいましたよ。

佐藤さん: 10曲っていうと、当時のSPという10インチのアルバムの、「A面・B面」10曲分ですよね。
 
小林旭さん: うん。それはねえ、初めの頃のね、“ダイナマイト”が出た頃には、録音の装置っていうのが、まだ蝋盤(蝋缶式ワックス原盤)っていう、こんな分厚い、でっかいロウソクのオバケみたいなやつで
 
佐藤さん: 蝋を削るんですよね。



小林旭さん: うん、あの、温めて平らにして、どういう仕組みになってんのか知らないけども、竹針みたいなやつでグッと固定。それで「ハイ、スタート!」って言うと、回すのね。ビーッ(というブザー音)、「どうぞ」なんて言って(笑)。音も同時でね、バンドを入れっぱなしでもってやってるもんだから、そのバンドの人が、やってるタイミングをじーっと見てて、バンドの指揮者が「ハイ!」ってやった時に、スッ!と声が出る時はいいんですけど(笑)、「ハイ!」ってやられて、(自分も)「はい」って(返事を)しちゃってから、(声が)出てくると…(会場爆笑)…もうNGなんですよね(笑)。それで一回NG出すとね、その(ワックス原盤を)削った分以上をまた、全部平らにして。それでまた(録音装置に)乗っけるもんだから…
 
佐藤さん: イレースするんじゃなくて、溶かして…

小林旭さん: 溶かして。だから要するに型を作るでしょ、型を作るのに平らにするためにね、30分ぐらい待ってる。それで「出来ました。また行きましょう」と。今度はまた、それでNG出してると、相手は蝋だから、どんどんどんどん減っていくんですよね(笑)。そうすると、だんだんだんだん、あの、ミキシングの人の顔つきがね、変わってくるんです。初めのうちは、ニコヤカに(笑)…やってたのがね、

「………。」(旭さん表情を作ると会場爆笑)

「どうしちゃったの。」

「(悲痛な声で)小林さん……。旭さん……。あと、このぐらいしかないから、これだけで終わらないと、今日、全部終わんないんだから、なんとかひとつ……、頼みますよ」

――なんて言われて、やるんだ。そうするとこっちも力入っちゃってね!、余計NG出したりして。
 
(会場笑う)



小林旭さん: …まあ、そんなこともよくあったんだけど。それがある日、マブちゃんが「旭さん〜〜!、今度は大丈夫!」と! 「今度は、なんべんNG出しても何しても、“テープ”っていうのが出来たから!」って言う。その時はね!、なんか、いかにもいかにも嬉しそうだった。それで、その時にはミキサーの人が、細いテープで何かやってるんでね、何やってるのかと思って、覗きに行ったの。そしたら、当時は、細〜いね、テープを、カミソリで切ってね、それで、こっからここまではダメだから、これは使わないで、ここを違うのの新しいテープくっ付けて…なんて、セロハンテープでくっ付けて。それで「また行きましょう」なんて。こんなことやってたの。
 
佐藤さん: 今みたいに、モニターで波形を見て何とかじゃなくて、指の勘で、あのリズムとか、旭さんのフレーズを繋いでいったっていうのは、これ、すごいですね!
 
小林旭さん: それでもね、レコードの吹き込みとしては、もう“画期的”なね、
 
佐藤さん: “最新”ですよね。
 
小林旭さん: うん、蝋盤の時代より、ちゃんと入るんだから。
 
佐藤さん: だって蝋缶(蝋缶式)でねえ…、「ダイナマイトが百五十屯」をお聴きになれば分かるんですけど、導火線に火が点いて爆発するまでに、一連を全部、音出してやって。そして、♪チャ〜ンチャ〜ンチャ〜ン、って始まるわけでしょう。
 
小林旭さん: …船村さん自身も、あの時は気に入らなかったんでしょうけどね、ドラムラグでね、ジャ〜〜〜って導火線の音、出してさ。あれをね、まあ〜〜〜!! 本番始まるまでに何十回やったか!! それでこっちは、その時は同録だから、スタジオに居なきゃいけないでしょ。だからまあ、こうして椅子に座ってポケ〜っと待ってるんだけど、「さあ、テストにいってみましょう、もう一回やってみましょう」って船村さんが、バ〜ンとキュー出すと、ドラマーが、「キュ〜〜〜〜〜〜 …」っとね、やるんだけど、ダメだね…。もっとこう、導火線に火が点いて「シャ〜〜〜ッ!」っと燃えてくように…、って言って(笑)。「燃えてくように」って言ったって、本人ねえ、バチ持って、「ギュワギュワギュワ〜〜〜!」って(笑)。そのおじさんが、我々よりも、十も二十歳も上のおじさんが、汗水滴らして、やってんだから(笑)。この国のオーケストラでは、当時はねえ、超一流だったんだけども――
 
佐藤さん: そうですねー。
 
小林旭さん: まあ、ずいぶん、骨折ってましたよ。
 
佐藤さん: それで出たレコードが、78回転のSP盤ですよね。“ダイナマイト”のあたりは、まだSPですよね。
 
小林旭さん: 落っことしたら割れちゃうレコードなんてね、当たり前にあった時代で。だから、78回転の、こんなでっかいレコード盤は、しょっちゅう見慣れてた雰囲気があったけど、ドーナツ盤とかが出た時ね!
 
佐藤さん: これがそうですね、これが、『東京の暴れん坊』の主題歌ですね、ドーナツ盤の。(と、現物を見せる)



小林旭さん: それ、「ドーナツ盤、ドーナツ盤」って言って、最初、見たことがなかった時には、ドーナツ、食えるドーナツかと思って、ねえ(会場、笑う)、とても楽しみにしてね、それで吹き込みしに行ったんですよ。それで、「ドナーツ何処にあんの、何処にあんの」って聞いてたんだけど、「これがドーナツ」って見せられたとたんに、ガッカリしちゃった(笑)。
 
佐藤さん: (ドーナツ盤を手に持ち)ところがこれは、昭和30年代というのは、“シングルレコード”、このドーナツ盤の時代で、数々のヒット曲が出てきましたよね。
 
小林旭さん: これねえ、この指が入ってる、でっかい穴があるでしょ。そこにちゃんと、レコードの機械の中で、半分ね、カートリッジみたいなのがあって、それを使わない時には、SPの普通のやつが掛かると。そういうふうになってたんですよ、当時のレコードの機械は。



佐藤さん: そういう時代に、映画ですが、多分、『渡り鳥北へ帰る』を撮り終えて、すぐにアメリカに視察旅行というか、行かれたと。
 
小林旭さん: あの頃は、コロムビアの歌やなんかが、アメリカでやっぱり、在系の日系の人が、だいぶ買って下すってて。で、印税が向こうの会社にも、だいぶ貯まってる。どうしてかっていったら、“MGMのコロムビア”って言ってたんですよ、その当時。
 
佐藤さん: 洋盤と提携しながら
 
小林旭さん: MGM、“メトロ・ゴールデン・メイヤー”という、あの、タイトルに「ワオォー!」ってライオンが出てくるやつが、あの会社がやってて、その地下に「日本コロムビア」っていうのが付いてたわけなんですね。だから印税なんか全部、向こうで入ってるんで、日本へ持ってくるには為替法があって、何百万しか年間取られませんと。だから、「小林さんのやつは、まだ向こうに大変、たくさん残ってますから、長いこと掛かりますよ」って言われて。そんなもん、人の金なのに、金なんか貯めといたってしょーがねえじゃねえかー!(ああー、と客席)って言ったら、「いや、お使いになりたかったら出掛けて下さい」って話になって(笑)。それで、「なんですか」って言ったら、向こうに行って使うぶんには使えると。「日本の方に来るのを待ってると、年間500万ずつぐらいしか送ってこられません。だから10年先ぐらいにならなきゃ、無くなりません」。…でも貯金しておいた方が良かったけどナ(会場、笑う)。今考えるとね(笑)。

佐藤さん: でも、向こうで公演をなされまして、サクラ劇場でされました。そのお土産、手土産が、このツイストになったと。で、この映画(『夢がいっぱい暴れん坊』)が出来上がったと。これがもう、すごいですね、今考えられないですね! 歌を入れた…その歌に合わせた映画を作ろう! と。その映画が、またヒットしてしまった。これがやっぱり“シリーズ男”と呼ばれたね

小林旭さん: ああ〜、片っ端からやってたね、日活のね。“安くて丈夫な小林旭”っていって(笑)
 
(会場、笑う)
 
佐藤さん: 今日、旭さんにお願いがあるんですけど、“マイトガイ”、マイトガイ”ってね。「ダイナマイトが百五十屯」、これが映画『二連銃の鉄』の中で歌われて、流れますけど、昭和34年の1月に旭さんのニックネームが“マイトガイ”といいます。これは英語表記すると、“MITE−GUY”と。これは辞書調べて頂ければ分かると思うんですけど、ちょっとね、“MITE−GUY”って外人から見ると「え?」ってなるようなね(笑)



小林旭さん: ……(虫の)“ダニ”?
 
佐藤さん: “ダニ・ボーイ”
 
小林旭さん: ♪お〜〜、ダァ〜ニ〜ボォ〜〜イ…ってのは、アレは良い曲だね(笑)
 
佐藤さん: ええ(笑)
 
小林旭さん: “ダニ・ボーイ”はいいけど、“ダニ男”?
 
(会場、笑う)
 
佐藤さん: そうです(笑)。ところが今回、このDVDをプロデュースさせて頂いているんですけど、『東京の暴れん坊』を、当時、外国で、海外でも上映してるんですよ。その表記を見ますと、『THE TOKYO MIGHTY GUY』って! 本当! カッコイイじゃないですか! 「マイティーマウス」の…
 
小林旭さん: 「マイティーマウス」とおんなじで。だからね、僕は昔からよく言ってたんだけど、“MITE”ガイっていうよりも、“MIGHTY”ガイっていうをずっと、その発音をしないとダメなんだって言ったんだけど、やっぱり“MIT”になっちゃってたんですよね。でも、それはそれで、日本語英語でいいかなーと。



佐藤さん: で、今日を境に!
 
小林旭さん: ハイ
 
佐藤さん: 公式に、“マイトガイ”の英語表記は“MIGHTY−GUY”にさせていただく。
 
小林旭さん: まあ〜、あの〜
 
佐藤さん: (観客席に向かって)皆さん、証人で。宜しいですか。
 
小林旭さん: まあ〜、あの〜、“MIGHTY”はね…(会場、拍手!)…ありがとうございます(笑)。“MIGHTY”だと、“GUY”いらない、うん…、問題外だ(笑)
 
佐藤さん: 問題外!(笑)
 
(会場、笑う)
 
小林旭さん: だから、“マイティー・アキラ”ということで、「元気なアキラ」ということから、覚えてもらえればいいんじゃないかな。