
佐藤さん: そうですよねえ…。でも、そのマイトガイね、映画、毎月59年、60年、(年間主演作が)12本、13本とね、すごいですね。 小林旭さん: やりましたねェ〜〜、……。
佐藤さん: ほとんどの共演が、今日も、秀子さん役で出た浅丘ルリ子さん。 小林旭さん: ウン〜〜、……。 佐藤さん: もう、ゴールデン・コンビですよね。 小林旭さん: あの当時ねえ、俺、不思議に思うんだけど、俺とそれだけ共演しててね、その他に、赤木だとか! それから〜、裕次郎とか、他の人とも共演してるんだ、ルリ子は。そうすると1年間で30本か40本ぐらい撮ってんのね! すごいもんですよ、だから… 佐藤さん: 大抵、そういう映画でのルリ子さんっていうのは、耐えて、忍んで、船を見送る、アキラさんの馬を見送る、という役が多かった… 小林旭さん: いや、いや、それは俺の映画の中ではね、俺の映画の中では浅丘ルリ子は清純派。ところが、石原裕次郎だとか、赤木だとかの行くと、キャバレーの女だとかぁ…(会場なぜか笑う)…いかにも「頑張ってます」っていうような… 佐藤さん: “拳銃無頼帖”じゃあ、そうでしたね。 小林旭さん: ウン…。それで〜、あの〜ラブシーンがあったりするのね! …羨ましかったわぁー! (会場、爆笑)
佐藤さん: (笑)。ところが、この“暴れん坊”シリーズっていうのは、その“渡り鳥”シリーズの監督の斎藤武市監督がお始めになって、浅丘ルリ子さんがね、あまりにも、その旭さんの映画のヒロインでね、そういう、“堪え忍ぶ”(というキャラクター)でね、ちょっとキャラクターと違うんじゃないかってことで、彼女の個性と旭さんの地の良さを生かそうと思って作ったのが、この次郎さん(清水次郎)、次郎さんですね。 小林旭さん: そうです、そうですね。まあ、僕自身の中にある、三枚目というか、それから、コミカルな部分というのも引き出したし。それからルリ子の本質みたいなね、軽妙なところも引き出した映画ということでは、『東京の暴れん坊』っていうのは、面白かったですね。 佐藤さん: そうですよねえ、今見ても。DVDで販売しておりますので、是非お買い上げ宜しくお願い致します。――で、もう、50周年!ですよね。
小林旭さん: そうですね、なんかね。いつの間にか経っちゃいまして。 佐藤さん: 去年、東京国際フォーラム、(観客席に向かって)この中でも、行かれた方が大多数かと思いますが (客席から拍手) 小林旭さん: ありがとうございます… 佐藤さん: で、ちょうど今度、この(東京国際フォーラムの)ライブDVDが、発売になると。 小林旭さん: はあ… 佐藤さん: しかも!、日活さんから…!!これはすごいことですよね。
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小林旭さん: でも、50年てさ、口でポッと言っても、大したことないなと思うけど、例えば、その時に子供が出来たとしたら、50歳(ああー、そおよねえ〜と湧く客席)。今一緒に、側にいたら兄弟みたいなもんだな(笑)。ねえ、ひょっとすると、相手の方がおじさんに見えたりして(会場、笑う)。「お前は〜、成長しないなあ」なんて逆に言われたりして(笑)。――佐藤さん、幾つになったの? 佐藤さん: 僕は42で… 小林旭さん: あー 佐藤さん: この映画(『夢がいっぱい暴れん坊』)と、あまり変わらないぐらいですよね。 小林旭さん: 同い年ぐらいに見えるもんネ。 (会場、笑いと拍手)
佐藤さん: いや!、僕が生まれた時には、旭さん、もうおじさんでしたよ。 (会場、笑う) 小林旭さん: お兄さん! 佐藤さん: お兄さん! 小林旭さん: うーん。そっかー、40代! 佐藤さん: 40代です。 小林旭さん: いいとこですよー。俺、40代の時、すごかったよ! バリバリだったよ! 毎〜晩、飲んだくれてたもんね。 (会場、笑う) 佐藤さん: もう、旭さんのこと、一生懸命、頑張らせて頂いておりますんで… 小林旭さん: もう〜、このへんの銀座の界隈は、もうね、次郎長以上に歩き回っていたから。 (会場、笑う) 佐藤さん: 次郎長以上(笑)。でも、どっちかっていうと、篝正秋の方が近いかもしれないですね、『女の警察』の、 小林旭さん: ネ。“女の警察”(シリーズ)の時っていうのは、ほんとに僕の友達がねえ、銀座で女の警察をやってた、現実の友達がね、ずいぶん、(役作りの)勉強させてくれましたよ。
佐藤さん: あれは特殊な職業ですよね。 小林旭さん: ホステスさん達が…、まあ最近はないですって、ほとんど。だけども、あの頃の時代では、やっぱり身の上相談とか、周りの整理とか、それから借金の精算とか、あるいは借金をしたりとか、そういう生活環境の相談相手っていうのは、ずうっとやってたんだそうですよ。だから“部長”と云われる立場っていうのはね、とっても良かったらしい、…ウン。 佐藤さん: アクション映画なのに、今まで見たことない職業で、見たことないタイトルで、仕事なのに、…カッコイイっすよね(笑)。とにかくカッコイイです。 小林旭さん: いや、現実にね、銀座でその当時、俺の友達で務めてた、“部長”をやってた人間、何人かいたけど、かあっこイイんだわ。それで、やっぱり商売は商売だから、変な話だけど裏も表も全部、付き合いがあって、銀座の中では、ぜんっぜん、恐いものがない。だから、女性のことに関しても男性のことに関しても、自分のテリトリーの中にいるウェイトレス、ウェイター、それからホステス、なんでも、お店の商売とか、そういうものに関しても、もう全部! 一手に引き受けちゃう。だから、すごい人だよね。まあ最近、その中で最後まで残ってた奴でも、今はもう……(トシ取った演技)(会場、笑う)……でも元気でいるんですよ、まだー。
佐藤さん: 一方では、銀座といえば、“銀座旋風児”。 小林旭さん: あれはねえ、あれは作られたもんだから、何とも言いようがないけど―― 佐藤さん: カッコイイですよね! 小林旭さん: あんな私立探偵がいたら、面白いだろうね。 佐藤さん: あんな目立っちゃってね… 小林旭さん: う〜ん…。カッコよがってね。 佐藤さん: 若いのにヒゲ付けちゃって(笑) 小林旭さん: 一人で粋がってね。誰も褒めない…(笑) (会場、笑う) 佐藤さん: そういう、その時代から、ずっとやってきた旭さん。これが今年の1月に出た、「50th Anniversary 全曲集」ということで、この間、国際フォーラムのコンサートで歌った歌を集めた、アルバムでございます。
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小林旭さん: あー 佐藤さん: これは、良い歌、ありますねえ〜。「昭和恋唄」も掛かってましたけど…阿久悠さんの。 小林旭さん: うん。 佐藤さん: これは、まさに、今日の掛かってる映画の時代の、旭さんとかルリ子さんとか錠さんとか郷^治さんが、若かった頃の時代の、思いもある、「昭和恋唄」。それから、50周年記念曲の「翔歌」がありますね。
小林旭さん: ただ、なんていうんだ、「昭和恋唄」の…ドアタマでね…僕は、とっても阿久さんに…、「どうしてこっちをこうしなかったの」って言ったら、それが、作詞家のイメージの表われなんだ、っていうのがね、♪いのちある〜〜ああ恋に〜〜生き〜花の咲く……っていう1番でしょ。それが、♪ときは〜昭和の〜真ん中に〜ってこれ、先に行きたいですよね、ほんとは。素人で考えたら。ところが、作詞家というのは、それの「昭和」という言葉を2つ目(2番)に持ってくるところに、意味があるんだな、と。ハア〜って言ったけど、最後まで意味わかんないからね(笑)、いまだにわかんないんです(笑)。(会場、笑う)…俺なんかだったりすると、やっぱり、♪ときは〜昭和〜の〜真ん中〜に〜吹いた〜嵐も過ぎた〜頃…って行きたいですね。その頃に生活してたから。 佐藤さん: そうですね。その、吹いた嵐が過ぎた頃に、地球が痺れツイストだと、やってたわけですから。
小林旭さん: ああ…だけど、この間、戦後60年のなんかで、東京のね、……供養してるのがニュースになってましたけど、本当にね、自分ちの屋根の上で、空襲警報のサイレンが鳴って、真っ暗の空の中で見てると、始めは音だけね、ボ〜〜ン… ボ〜ンボン〜…って聞こえるんですよ、B29が。そのうちに探照燈がパ〜〜〜っと当たってるのがね、ギラン!…と出てくんだよ。それでそれが、「おお!、きれいだなあ、かっこいいなあ」と思ってるうちに、(B29の)お腹の辺りからから、ポロポロポロポロポロポロ………って音がして、出てきて、途中からブオーン! って打ち上げ花火みたいに火が点くんですよね。焼夷弾。それでもう、家から100メートルぐらいのところまで落っこってて、それで、まあ、おもしろくて、走ってって見に行ったら、鼠花火のでっかいやつ。あの…、こんなねえ、八角形の鉄の棒がねえ、火ぃ吹いて回るんだわ、ダーーーーーっ!って。それでまた、その火がすぐ、パッと燃え付いて、火事になるじゃないですか。焼夷弾、焼け野原に数弾、落っこってくるわけだから。そうすると、その火を消そうと思って右往左往する人達の中に、まあ! 次から次から、バタバタバタバタ落っこってきてねえ。あっりゃー! すごいもんだったですよね。でね、(地面に)刺さったやつなんてのは特にね、ブスン!…と刺さって、もう、そのまんまの角度で、10メートルぐらい(火が)吹き出す!
佐藤さん: ああ… 小林旭さん: シュウウーーーン! って、火が。これがまた、かっこよかったのね。 (会場、ああー) 佐藤さん: “かっこよかった”っていうのは、素直な、子供の――― 小林旭さん: うん。わーせー! わーせー! って…(消火活動?)。なん〜〜だか知らないけど、アメリカって国もわかんなきゃ、日本っていう国もわかんないんで、全然、事情も。…ただただ、ねえ、ガキンチョとしては。戦争も、本当の人間も、何も解かってなかったですから。なんか知らないけど、すげえなぁ! なんか知らないけど、やってるな…って。
――こんな真っ昼間にB29が来るようになったらね、厚木の飛行場からね、豆粒みたいな、銀蝿みたいなのが、ピュウーーーン!と上がっていく。要するに、まあ日本の飛行機なんですけどもね。それが、こう、B29に向かって、ピュウーーーン! と上がっていくことあるんだけど、もう途中から、ヨタヨタヨタヨタヨタ…って見えるぐらい、まあ感じで上がってく。でも今考えると、5、600メートルか、800メートルぐらいあるんですよね、高さは。ところが、その高さまでも上がらないぐらい日本の飛行機は、だめだったのかな…。それで、途中まで行って、いよいよB29に近づく。もう少し! もう少し! と思ってたら、ボン! って黒い煙があがって、今度、シュウ〜〜〜〜 …って落っこってきちゃう。これが〜、あの〜、幼心には、ひとつの空中ショーにしか見えてなかったっていう…。“戦争”っていう雰囲気は無かったですよ。
――だから、最近の戦闘フィルムを…昔の戦争のフィルムを、“今の”年齢で見てると、ああ〜、下らないことをしたんだ…人間同士がこんなことする必要が、何処にあるのかなと、思うようなことをやってましたけど――あの時の(子供の)自覚としては、“空中ショー”。…すげえなあ!って、飛行機が、飛んでる物に…すげえもんだなあ、と。それからあの、銀紙のね…
佐藤さん: ええ… 小林旭さん: ハタキの頭みたいなの、オバケみたいなのがあって、それがね、やっぱりあの、高圧線やなんかに、ポッと触れると、ギュワーッっとショートして、高圧線が切れちゃうの。要するに、工場街の電圧を止めるとか、あるいは、電線を切るとか、そういうことが目的で、B29は落っことしていたんだけども、それが落ちてくる時がまた、きれい〜なんですよ、真っ昼間。キラキラキラキラ光ってね、音もね、シャラシャラシャラシャラ…シャラシャラシャラシャラ…っていって、落っこってくるんですわ。だからやっぱり、ガキンチョとしてはね、熱〜〜い、トタン屋根の上にいるのにねえ、それも忘れてたの。ずっと見てた…。
――そしたら、ある日ある時、突然、…モゴモゴモゴ(〜玉音放送〜)…こんなのが聞こえてきて、それで大の大人達が…ううう(号泣)…ってやって、炉端で、しゃがみ込んで泣いてるんですよね。な〜〜に、しちゃったのかなあ?? …って思って。それで学校行ってみたら今度は、先生が、「日本は…、負けたんですー!」なんて言いながら、壇上で泣き崩れるの。
――だから、「負けた」とか「勝った」とかっていうのは、なんなんだろうな…っていう。それぐらい自覚が無いの。…だから、こういう話をポッと、「戦争体験なんですよ」とは言いながら、してみると、現実に例えば沖縄の人達なんていうのは、どん〜〜〜なに、辛かっただろうか、悲惨だっただろうかと思うと、我々は幸せだったなぁと思うんです…。佐藤さん: (小さく)そうですね…
小林旭さん: ただ、食う物がね、これはやっぱりねえ、なんにも無かった、ええ…。水団だとかね、そういうのばっかでね。それで、まあ、(戦争)やってる最中の時っていうのは、買い出しに行ってね。田舎へ行くと、田舎の人は、お米も、芋も、野菜も、いっぱい持ってんのね。で、都会の人は何も無い。それでなんか、リュックサック持って、お袋や親父がね、一生懸命、買い出しに行くんですよ。満員の汽車に乗っかってね。で、(汽車から)振り落とされそうになるけども〜、必死んなって、掴まって…。窓から、放り込まれて、押し込まれて、乗っかって行くとかね。結局〜、後のアクション・スターの、基礎を築いてた(笑)。 佐藤さん: そこでね(笑)。――それから60年。昭和は80年だと旭さんおっしゃったみたいに、現役! そして、まだ! 歌手としても…! (会場、盛大な拍手) 小林旭さん: はっはっはっはっはっはっ…!(笑) 佐藤さん: これから、ますます、“50周年”で、旭さんは、これからもドンドン行ってしまいますから!(客席に向かって)みんな、一生懸命、付いて行きましょう! ねぇ!! (会場、盛大な拍手) 小林旭さん: へへっ…(笑) 佐藤さん: それで今日はね、せっかくですから、旭さんが、お約束通り! 映画があって、トークがあって、そして歌!…ということで、これから「自動車ショー歌」を。そして“50周年記念曲”の「翔歌」を歌っていただきますが、
(会場、わああああ〜〜〜っ!!…と湧く) その前に、マスコミ関係者によるフォトセッション・タイムを設けるという説明が入る 小林旭さん: (小声で)何…、何すンですか? 佐藤さん: (小声で)写真タイムということで… 小林旭さん: アアー! (会場、笑う) 佐藤さん: 写真タイム…要望ということで。 何十人ものカメラマンが、ステージに近付いて行って撮影開始。フラッシュの嵐 小林旭さん: ――まあ〜〜〜、なんとなく(笑)…持って…まあ…(笑) (会場、笑う) 佐藤さん: (写真タイムが続けられる中)それで、「自動車ショー歌」なんですけど、昭和39年の、10月5日に発売になっているんです。
小林旭さん: あー! そうスか 佐藤さん: ですから、昭和39年にね、あれだけのね、歌、諧謔(かいぎゃく)精神の溢れる、コミックソング…
小林旭さん: …あのねえ、今考えてもねえ、やっぱり星野先生にも僕、この間、言ったんだけど、「あの頃は冴えてましたねえ」って言ってね。あれだけ、合い言葉的にね、うまいこと語呂合わせをして、詞を作れるっていうのは、日本広しと言えども、星野哲郎さんしかいないですよねえ。 佐藤さん: そうですよね。もう、諧謔精神っていうか、折り込みソングとね、その後、沢山の歌が作られましたよね、でもやっぱり「自動車ショー歌」よりも勝る物はない!! …と。 小林旭さん: ウン、あれはまた、「替え歌云々…」って言って、ずいぶん、替え歌を作ろうとする人がいたけども、無理ですね。…大体あの、パッと見たって、トヨペットも喜んじゃうぐらいねえ、「あの娘をペットにしたくって」なんて…
佐藤さん: ほとんど、無い車が多いですね(笑) 小林旭さん: 今、もう最近は“ペット”っていう、なんか料理の機械まで出てきたみたいだけど。それもとにかく、語呂合わせで、キチンと入ってるなんてのはね、大変なもんですよ。 佐藤さん: そうですよねえ。それで、叶弦大先生の、あの良い意味での、すっとぼけた曲調!! 小林旭さん: そうそうそうそう。あの、弦大さんがたまたま、叶弦大…、歌歌いだった、コロムビアの時には。これは、歌はお前ダメだから作曲家になれって言われて、馬渕さんに。それで作曲家になって、一発目で「自動車ショー歌」っていうのを作ったっていうのに…。なんか〜、ちょうど、うまいタイミングでね、あの人の無責任さが、曲になってて…(笑) 佐藤さん: 馬渕玄三さんのような、大きく凄くという…
小林旭さん: だから、「弦大」というのはね、自分の中で…、夢が叶うようにということで、「叶う」。それで、マブちゃんのような、大きな人物にということで、マブちゃんの「玄三」の“玄”を貰って…。馬渕玄三さんという人は、そういった意味では、船村さん、星野さん、遠藤実さん、みんな歴代の大先生の歌を、売り出しているっていうね。 佐藤さん: “アキラ節”というのは、本当にそうですね。日本の戦後の歌謡曲の、作家を排出していった… 小林旭さん: 素晴らしいです、素晴らしかったです。 佐藤さん: そして“50周年記念曲”の「翔歌」は、阿久悠先生の作詞、宇崎竜童さんの作曲ということで。「自動車ショー歌」の“ショウカ”って言われているジャンルが、今度は本当に羽ばたく歌、“翔ぶ歌”ってなって、今度はパロディが正当なものになっていく、これもすごく、素晴らしいケースだと思うんですよね。
小林旭さん: そうですね。――まあ、考えてみると、ああいう、詞を書いたり曲を書いたりする状態の、ムードっていうのは、良いですね。ロマンがあって。俺はー、ずうっと長いこと、そういうことに携わっていながら、現実に詞を書いたりなんかをするのも好きなんだけど、いざ実際に歌にしていくためのものを書いたりしようとすると、まとまんなくなっちゃうのね。曲もそうだし。まあ、大変な才能だと思いますよ、あれは…
佐藤さん: 旭さんの座右の銘で、いつもおっしゃることで、「そこにロマンはあるかい」っていう言葉、僕は大好きなんですけど――、やっぱり、そこですよね。 小林旭さん: そうですね。 ****** 写真撮影タイムが終わる ****** 佐藤さん: というわけで、本当に! この“芸能生活50周年”の中で、旭さんが、こうしてトークショーをね、しかも、これだけの長時間に渡ってしていただく、なんていうことは、まさに僕らファンにとっては、夢だったんです。 小林旭さん: ああー … 佐藤さん: それで更に、これから歌を! 披露していただけるという… 小林旭さん: まあ〜、ね…、あの〜、なんとなく………なんとなく歌います(笑) (会場、拍手) 佐藤さん: (笑) しばらくですね、ちょっとセッティングがございますんで、ちょっとこの、セットを… えーと、片付けて、旭さんには、ご準備いただくということで、 小林旭さん: このまま歌わないの? (会場、笑う) 佐藤さん: (笑) ――小林旭さんでございます! どうも!
(会場、盛大な拍手)
小林旭さん: どうも! (いったん退場される)