ムービーマガジン1980年8月号掲載の、和田浩治作品を多く手掛けた脚本家・山崎巌氏の回想です。
あくまでも和田浩治さん再評価を目的とした重要な資料としてここに紹介しますが、
関係者の方々よりご指摘をお受けした際にはすみやかに削除、訂正等を致します。
| 日活アクションの栄光 山崎 巌 |
昭和34年 日活映画は、石原裕次郎のムードアクションシリーズ、小林旭の「渡り鳥シリーズ」「流れ者シリーズ」、赤木圭一郎の「拳銃無頼帖シリーズ」を中心に、男性アクション路線が花ざかりだった。今では信じられないが、旭の封切作品は初日になると、劇場の前に早くも若い入場者の列が出来たものである。その大部分は、映画の中の旭同様、ウエスタンスタイルをしていた。 その年の秋 月1本の割合で、それ等シリーズの脚本を書いていた僕は、プロデューサーから1通の少年の写真を見せられた。 「ピアニスト和田肇の息子です……名前は和田浩治……16歳です……主演ものを考えて下さい……封切は12月です」 僕は、頭を抱えてしまった。写真の少年は、いかにも育ちが良さそうで、たんせいな容貌だが、とに角、年が若すぎる。第一、演技も未知数な少年を支えるバイプレーヤー(敵役)は、裕次郎、旭、圭一郎達に対する御存知・日活ギャング(金子信雄達)と言う訳にはいかない。一人の少年に、大の中年ギャング達がキリキリ舞いをすれば、荒唐無けいに輪をかけてしまう。なんとか、他のシリーズには無い、新鮮なストーリイを設定しなければ…… と、日夜考えたと言いたい処だが、他の仕事に追われて、うまい知恵が浮かばない。そのうち、タイムリミットが迫って来た。苦しまぎれに思いついたのが、非行少年もの、いわゆる少年鑑別所(ネリカン)ものである。これなら、仇役も少年で済むし、ストーリイもリアルになる。そう決定すると、スラスラ書けた。 出来上がったシナリオの中に、和田が仇役の少年達と無言の乱斗をするシーンがあった。当時、日活の常務だった江守清樹郎氏は『無言の乱斗』と言う題名をつけた。少し無責任ではないか! とに角、映画はその年の暮れに封切られた。不敵の新人・和田浩治のデビューは、倖い好評で、引きつづき、次回作の注文が来た。 僕は、つまった。第一作はなんとかでっち上げたが、二作目もネリカンものと言う訳にはいかない。やはり、仇役には御存知・日活ギャングを使わなければ、ストーリイが成り立たないのだ。それに、二作目は題名だけが決まっていた。 ――六三制愚連隊 僕は、その愚連隊と言うのを、相手の悪だと解釈した。僕は、ヒデ坊(和田浩治のニックネーム)を日本の高校に転校したアメリカの二世にした。そのヒデ坊にからむ日活ギャングには、機動性を持たせた。あげくの果てに、妙ちきりんな映画が出来上がった。 何しろ主演は16歳の少年だから、日活ギャングが凄めば凄むほど、そんなバカな、と言うナンセンスな笑いが随所にある。かくして、僕達が意図しなかった劇画タッチのハッタリがそこはかとなく漂いこれも、ヒットしたのである。劇中、当時としては珍しいヘリの追跡やスタントをふんだんに取り入れたのも、若い客を引きつける要因になった。 (――当時の日活は、常に時代を先どりしていた。僕達が意識した訳では無い。会社が好きな事をさせてくれたから、若いスタッフ達がのりにのって仕事をしていたのである。) この二作の成功で、会社はヒデ坊を第三の新人として売出す事に決定した。その矢先に、赤木圭一郎が事故で死亡。ヒデ坊は、新人どころか、裕次郎、旭、高橋英樹、二谷英明、宍戸錠に加え、ダイヤモンドラインなる名称で、一月一本の劇映画を連打しなければならなくなった。 こうなると、書く方もヤケになる。まともな事は考えられない。ヒデ坊を、馬にのせて銀座のメインストリートを歩かせたり、拳銃の名手にしたり、ハチャメチャな設定をした。 最初は、荒唐無けいになるのを極力さけた結果が、これである。だが逆にそう言う八方破れのストーリイが、若い客に増々うけた。デビュー作一年にして、ヒデ坊はおしもおされぬスターの座についたのである。 いま数えてみると、ヒデ坊の作品を(助演も入れて)僕は20本書いている。日活時代、ヒデ坊が出演した84本のうちの20本だ。 その中でも、もっとも記憶に残るのは、昭和36年の正月に封切られた『俺の故郷は大西部』である。僕は、ヒデ坊を、OK牧場でクライトン一家と決斗、皆殺しにした保安官、ワイアット・アープの子孫にした。 1880年 テキサス で始まるこのストーリイは、アープの子孫であるヒデ坊を、クライトン一家の子孫であるE・H・エリックが日本へ追って来て、宿命の対決をするのがクライマックスだった。場所はOK牧場ならぬ、大川牧場。シーンは全てジョン・スタージェスの『OK牧場の決斗』からいただいたパロディだった。ナンセンス無国籍もの、ここに極まれりと言ったこの映画もまた、若者達に爆笑で迎えられた。今でも僕は、この映画が、ヒデ坊の若さに一番マッチしたと思っている。 だが、かんじんの日活が劇映画の制作を中止……にっかつロマンポルノに転向し多くのスタッフキャストが散って行った。 その後、テレビに仕事の場を移すようになってからも、僕はヒデ坊と時々会う。かつて16歳の美少年も、いまや36歳の中年小父さんだ。だが、36歳と言うのは年令だけで、相変らず若々しいその顔を見ると、僕自身の青春を見る。 あの華やかで、活気に溢れていた日活時代の青春を…… 山崎 巌(やまざき がん) 〜1997(平成9年) 脚本家。「渡り鳥」「流れ者」「拳銃無頼帖」シリーズなどの脚本を手がける。著書に『夢のぬかるみ』(新潮社、1993年) (詳細調査中) |