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ビクトリアンハウスとガルベストン
ガルベストンの豪邸、BUSHOP'S PALACE
ビクトリアンハウス:19世紀末〜20世紀初頭の家々
アメリカで、19世紀の家を紹介する雑誌などで「ビクトリアンハウス」という言葉をよく目にする。
さまざまな「ビクトリアンスタイル」の家は、ニューオーリンズやガルベストンなどの観光の名所にもなっている。
ビクトリアンハウスは、一般的に複雑な装飾をもつスタイルで、例えば多様な外面の塗装、カラフルな壁の色(ピンクやブルー、黄色など)、左右対象でない正面、急勾配の屋根、また小塔などの装飾を用いている家、とされている。
しかし、ビクトリアンスタイルの語源となった、イギリスのビクトリア女王の在位は長く(1840〜1901年)、その間に色々なスタイルの相違が見られるために、ビクトリアンスタイルという分類は、ほとんど意味がないものだ、という意見もある。一方で、これまでは意味のない遺宝とみなされていたが、現在は賞罰を受けるに値する評価である、ともいう意見もある。少なくとも日本の「建築大辞典」にはこのスタイルについては載っていないようだ。
*でも「ビクトリアンスタイル」という分類が存在しないのなら、この「派手派手」な家々を一体何と分類すればいいのだろう?「ビクトリアンハウス」とう言葉が学術的に意味がないものだとしても、これらの家々に対して「ビクトリアンハウス」以外の言葉は思いつかないのだが...個人的には。
さて、ヒューストンでは、THE HEIGHTS(ハイツ)と呼ばれる地域(現在
MEMORIL DR の北、45の西側)に、19世紀末から20世紀始めの家々がいくつか残っている。ここは古くから線路の敷かれていた地域で、当時の労働者階級の家々のある地域であった。
現在のTHE HEIGHTSは、昔の労働者階級の人々や中米およびメキシコ系アメリカ人、相対的に安い家を求めた若い家族などが混在しているところであり、そして芸術家(住居、アトリエなど)が多く住んでいるところである。
この地域を南北に走る、HEIGHTS BLVD沿いに、19世紀末の建物をいくつか見ることができる。
また、ヒューストンで現存する最も古い家並みが見られるのは、この区域の南東、ダウンタウン寄りにある、Sixth Wardという地区である。
この地区は、MEMORIAL DR.と HOUSTONの交差しているあたりから西側、
LUBBOCK、KANE、DECATURいう通りのあたりである(MEMORIAL DRを走ると小さい看板がある)。ここには、19世紀末から20世紀初頭の、さまざまな色、形のビクトリアンハウスが現役で(なかには空き家もあるが)、ひっそりと建っている。ここは人の住居であり観光施設ではなく、中を見ることはできない。
先に述べた、THE HEIGHTSは労働者階級の住居が多いため、敷地も小規模の家が多いが、この地域とは対称的に、当時のお屋敷街も少しばかり残っている。
19世紀末、ダウンタウンの路面電車のルートは、郊外の方にも少し伸びていて、今のダウンタウンの少し西側、MONTROSEを北に、59を超えて右側(西側)のあたりにまで来ていた。そして、その区域に今も20世紀初頭の古い家々が少し残っている。
MONTROSEをW.ALABAMAで西側に行き、GARROTを北側に曲がり、WESTMORELAND
(W.ALABAMAから2本北側)の通りにくると、お屋敷街の”お決まり”である、道幅が広く、敷地が広く、道から家までの距離がある、という区画がある。そして見るからに古い大きなお屋敷が建っていて、なかなか雰囲気をかもしだしている、と一瞬思うのだが、よく見れば廃屋もあり、まわりの雰囲気も荒涼としている感がある。
角にある建物、201 Westmoreland Avenue(1905年)は、Wilmer Waldoによるもので、かつてRusk AV.とCaroline st.のところにあった1886年建造の彼の母親のビクトリアン様式の建物をここに移築したものである。移築する際に、高い塔をはずし、木を用いたポーチとアーチのある煉瓦作りのロッジア(少なくとも一方が吹放しになっている廊下)で近代化させたという。Waldoの家族は1960年代までここに住んでいたそうだ。
その隣の、やや廃虚になりかけている白い建物、215 Westmoreland
Avenue(1907年)は、コロニアルリバイバルの壮大な建物で、この2軒
が、この通りでは大きな建物である。家の前の歩道には、乗り物から降りてくる時に使われたステップもあり、当時の暮らしを感じさせる。
この付近には、他にもビクトリアンスタイルの古い建物や、新しいものでも町並みを意識して、ビクトリアン風に建てられたものがある。
また、この少し北側のLOVETTという通りの両側、COURTLANDT PLACEに、20世紀初頭の家が多く残っているが、この通りには1988年に柵と門が設けられており、残念ながら入ることはできない。
正直にいうと残念ながらヒューストンでは、この時代のまとまった町並みをあまり楽しむことはできない。
しかし、19世紀末のビクトリアンハウスを楽しむ絶好の場所が近くになる。車で南東へ1時間、ガルベストンまで行けば、超豪邸から小さいものまで多くの建物が現存し、BROADWAY沿いの豪邸は一般公開されている。時代はヒューストンよりやや古く、1950年代のものから存在している。
上の写真の建物、BUSHOP'S PALACEは、ガルベストンにあるお屋敷の中から、アメリカ建築協会によって「屋外の建築物100選」の1つに選ばれた、BUSHOP'S PALACEである。
1886年に、ガルベストン基金、コロラド&サンタフェ鉄道を援助した
会議の代表的なメンバー、裕福な弁護士であったCOLONEL WALTER GRESHAMに
よって、およそ250000ドルをかけて建てられ、当初、GRESHAM'S CASTLEとして知られていた。
有名な建築家、NICHOLAS CLAYTONによるデザインで、あらかじめカットされ形成さた、テキサス産のグラナイト(花崗岩)、白いライムストーン(石灰岩)、そして赤いサンドストーン(砂岩)が使われている。
また、多くの珍しい木材、ローズウッド(紫檀)、サテンウッド(東インド産のシュスボク)、白いマホガニー、アメリカンオーク(樫)、メイプル
(楓)がインテリアに使われ、手作業による加工がされている。
大きく重いスライディングドアがユニークで、めいめいのドアの木の表面素材を部屋にマッチさせている。
COLONEL GRESHAMは、世界中から購入した暖炉、マントル(暖炉前の装飾)を用い、そのまわりに部屋を作ったそうだ。
ボールルーム(舞踏の部屋)のマントルは、1876年のフィラデルフィアのワールドフェアで一等をとったものだそうだ。
ミュージックルームのマントルと暖炉は、純銀で作られている。
また、輸入されたすばらしいものとしては、ベニスからのクリスタルのシャンデリア、ロンドンからのダマスコ織の壁カバー、イタリアからの大理石の暖炉がある。
1923年、この家は、ガルベストン・ヒューストンの主教管区、BISHOP
CHRISTOPHER BYRNEに購入され、BISHOP'S PALACEとして知られるようになっ
た。
BISHOP CHRISTOPHER BYRNEは1950年に亡くなるまでここに住んでいたという。
サムヒューストンパークに残る、ヒューストンで一番古い家
サムヒューストンパークに残る家
SAM HOUSTON PARK(サムヒューストンパーク)はダウンタウンの西側、バ
ファローバイユーのほとりにある、19世紀の終わりに出来たシティパークである。
現在ここには、THE HERITAGE SOCIETYがあり、ヒューストンあるいは近郊からの歴史のある建物が移築されており、ガイドツアーで建物の中も見学することができる。また、ミュージアム、売店も併設されている。
8つの建物があるが、うち1つは、移築でなく、オリジナルサイトにある。
*KELLUM-NOBLE HOUSEは、1847年に建てられた、この公園のなかで、オリジナルサイトにあるヒューストンで現存するもっとも古い家である。白い建物で、室内も質素に飾られている。冷房のない時代、暑いヒューストンでの風通しを考えた設計である。当時の家によく見られるように、階段が外につけられている。(節税の関係らしい)
*NICHOLS-RICE-CHERRY HOUSEは、1850年にニューヨーカーの
EBENEEZER.B.NICHOLSによって建てられた、グリークリバイバル(正面の柱が象徴的)の黄色い建物である。
1856年から1873年まで、ライス大学の創始者、WILLIAM MARSH RICEの家となった。
もともとダウンタウンのコートハウスの近くにあり、超お金持ちなのにあまり大きい家でないのは(と言っても広いのだが)、すでに都心部の住宅の悩み、土地の狭さをかかえていたからだという。ガルベストンなどの豪邸にあるような広いボールルームはなく、来客のあるときには間仕切りをはずして使う、といったフレキシブルな使い方がされていた。外階段が節税になるのと同様、窓の数も課税対象になるので、一階の窓には工夫がされ、ドア扱いして節税できるようになっていた。
1959年に、ここに移築された。
*STAITI HOUSEは、1905年に建てられた、石油パイオニアの家。
かつての豪邸街WESTMORELANDから移築された。17室ある豪邸で、暑さ対策で風通しのいい半屋外(ベランダ)の夏用寝室もある。移築前は庭も広くすばらしかったそうである。著名な建築家フランク・ロイド・ライトの雰囲気のような(と案内のおばちゃんが言っていた)独特のデザインを持っている。
1986年に移築された。
*YATES HOUSEは、JACK YATESという人が自分で建てた家である。彼は、プランテーションで働いていた黒人奴隷の子供であったが、そこの主人の子供と同年代であったこともあり、教育を受ける機会に恵まれたそうである。奴隷解放後の1870年、この家を建て始めた。この家は、黒人人口の増加と繁栄の様子を表している。彼は、ヒューストンにおいて、宗教的なリーダーでもあり、南北戦争後は、彼の民族の弁護人でもあった。歴史的地区FOURTH WORDから、1994年に移築された。
*その他の建物
ST.JOHN CHURCH(1891年、ドイツの農民たちによって建てられた協会
)PILLOT HOUSE(1868年にPILLOTによって建てられたビクトリアン中期のものである。98年の洪水で床上浸水し、壁や家具などに
損傷があったため、一時公開できなくなってしまった)THE OLD PLACE、
(1823年に建てられた小屋)、SAN FELIPE COTTAGE(外観は水色、シンプルな6部屋の小屋で、SAN FELIPE通りの南西の角に1868年に建てられたもの)である。
詳細はThe Heritage Societyのサイト(英語)に記載されている
The Heritage Society
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