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テキサスメディカルセンターの誕生
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スペイン建築の影響をうけたハーマンホスピタル
*HARMANN HOSPITAL(6411 FANNIN ST)
現在、病院や研究所としては世界最大級のテキサス・メディカル・センターには、病院や医科大学、看護学校など40余りの医療関係機関が集まっている。そして、なんと一日平均11万人近くの患者が来るということである。
センター内には日本人を含め、世界各地からの研究者が働いている。
また、敷地内には、手入れの行き届いた庭や教会があり、また周辺には、病院に通う患者や家族のためのホテルが数多くある。
上の写真の、ハーマンホスピタルのCOLLEN PAVILIONは、この地域にある最も古い病院で、1925年の建物である。
当時、ヒューストンには、スペイン建築の影響をうけたものが数多くみられた。この建物も、外観の装飾、白い壁に赤っぽい屋根、と、典型的なスパニッシュの影響がみられる。エントランス内部は、色彩を多く使ったタイル張りの装飾になっている。
そして、この地域が、大きなメディカルセンターとして発展していくのは、1940年代からである。伊藤誠 著「アメリカの病院」(鹿島出版会)によると、綿商人で財をなしたM・D・アンダーソンが、利益を社会に還元したいと考え財団を設立したのが1936年、MDアンダーソンがんセンターが発足したのが1942年、また、同じころ、ダラスにあったベイラー医科大学のヒューストンへの移転計画が具体化したこと等が述べられている。

お屋敷を改築したレストラン
1920年代のヒューストンの家
この時代には、メインストリートから垂直方向に、かし(OAK)の並木道が計画され、その近隣を発達させることとなった。今も、ライス大学のまわりなどで、大きなかしの並木が、夏の日差しを和やらげてくれている。
これらの道には、公共の通路ということとは違う空間の役割もあった。単に「通り抜ける」という目的ではなく、住む人の「コミュニティ」の空間としての役割である。住宅地においてはコミュニティスケール(地縁的な地域社会、住宅地の大きさ)が考えられ、住宅の計画がされていった。
MAIN沿い東側(美術館とライス大学の間)のREMINGTON通りに、その時代のまとまった家々があるが、柵や塀にかこまれていてあまり見えない、そ
こからもう少し北の方向に行くと、道路から当時の家々の町並みの残る所がいくつかある。
メインからBISSONETを東に進み、BISONETTとMONTROSEの角をもう少し東にいくと、南側にWEST 11TH PLACEという道がある。プライベートストリートの看板が出ていて、そこから南側に覗くと、その道の両側には家が数軒並んでいて、さらにその先は行き止まりになっているのがわかる。これはコミュニティスケールを考えた計画によるもので、この細いプライベートストリートをはさむ住宅地は、1920年、J.W.NORTHROPという建築家によるものである。
プライベートストリートの入り口すぐ左の 1 WEST 11 PLACE(1925年)は、1920年〜50年代に見られた、フレンチ・プロビンシャル・スタイル(FRENCH PROVINCIAL STYLE)である。
フランスのカントリースタイル(小さい農場の家など)がベースになっていて、傾斜のある寄棟(よせむね)の屋根、フランス戸や窓(FRENCH
DOOR,FRENCH WINDOW:ガラスの入った両開きの戸、または窓で、一階の窓の場合は、縦長いので人の出入りができることもある)などが特徴であるが、残念ながらこの家の戸にはシャッター(鎧戸)があるために見ることはできない。
この、WEST 11 PLACEをもう少し東にBISSONETを進むと、南側(左手)に
SHADOWLAWN CIRCLEがある。ここも11TH PLACEのような、コミュニティを考えたもので、その道に入っても他の道に通り抜けはできず、丸い土地をかこんだ道を回って戻ってくるようになっている。
その丸いアイランド状の土地と、その円の周りには、ゆったりした個性のある家々が並んでおり、現在は、1920年代の当時のものから、アメリカのカントリースタイルのもの、お城のようなもの、最近のポストモダンな家まで色々ある。
アイランドの中の一軒、17 SHADOWLAWN CIRCLE(1926年)の、JOHN
F.STAUBという建築家によるフランス風の建物や、円周にある、11 SHADOWLAWN CIECLE(1926年)の、ネオジョージアンスタイルの家などが、当時のものである。
ジョージアンスタイルは、18世紀中頃のスタイルで、基本的に左右対称、家の中心に凝った古典主義の玄関などを持つものである。
そこをさらに北の方にいくと、大きな並木道があり、その道の中に煉瓦の歩道がある、とても贅沢に空間を使った道路が、南北に平行してある。北側がNORTH BLVD. 南側がSOUTH BLVD.、その両脇には大きな家々がある。
1924年〜28年頃に建てられた豪邸が並んでいて、1405 NORTH BLVD.のうすい緑の壁の家は、当時豪邸の設計を手がけたJOHN F.STAUBが、ヒューストンでの最初のデザインしたものである。
STAUBは、後で述べるBAYOU BENDを設計した人で、この近郊のお屋敷を数多くてがけている。この建物は、コネチカットバレーコロニアルスタイルだが、STAUBは他にこの通りだけで、1505NORTH BLVD.のネオジョージアンスタイルの家(1927年)、1317NORTH BLVD.のフォーマルフレンチマノリアルの家(1930年)、1400SOUTH BLVD.の家(1929年)など、色々なスタイルを手がけている。
この時代の住宅の中に入るチャンスは滅多にないが、この時代の豪邸をレストラン&プチホテルに改築した建物がある。
上の写真の「La Colombe d'Or」で、、Montrose と Harold の角、3410 Montrose Boulevardにある。この建物は1923年に建てられ、現在は1階部分がレストラン(何部屋かある)、メインの部屋には大きなマントルピース(暖炉の前の飾り)があり見応えがある。また、2階には宿泊できる部屋が5部屋ある。さらに3階はペントハウスで、パーティ、宿泊が可能ということだった。
インテリアも各部屋工夫してあって、宿泊、パーティ希望などを検討していることを申し出れば見学させてもらえる。
もっとHouston!
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