サーキットへ行こう!
時は1980年代初期。
カローラレビンTE71でとあるショップに通っていたころ。
当時はラリーに興味があり、ラリーもどきなルックスに車を仕上げていました。ただ、本格的にラリーをするには資金が圧倒的に不足していました。そのころショップでサーキット走行会をするので参加しないかと誘いを受けました。
当時はお金は無かったけど暇だけはあったので、何とか資金を調達してサーキット走行会へ参加することにしました。サーキットは鈴鹿で西コースでした。ポルシェなんて考えもしなかったころです。
走ることと車をいじり倒すことは当時からすごく好きでしたので、ショックスプリングを変えたりして、峠を走っていました。そのころは峠を走り回る人も少なく割りと気楽に走りまわってました。
サーキットに誘われたのも、峠で限界がわからずだったので、ちょうどいい機会と思いました。今から考えると結構無謀でしたね。
サーキットを走ることがどういうことか何も分からず、限界がためていいやってな感じだったのです。
あろうことか、走行会当日は朝から雨が降っていました。友人とふたりでサーキット集合場所にいってみると、そこで見たものは・・
ずらーっとならぶポルシェをみました。その姿に圧倒されてしまいました。何だかすごく場違いなところにきた気分でした。
そのポルシェ軍団は名古屋のとあるポルシェショップの走行会のために来ていました。今思うとSCとかSやナローだったはずなんですが、当時はポルシェを見るだけですごくエポックメイキングな出来事だっただけに、かなりの台数を見ただけで恐れをなして逃げ出したくなりました。
ちょっと安心したのはその走行会のあとに、わたしの走行会があって同時走行じゃなかったってことです。
でも、バッバッバってポルシェ特有のエンジン音はそのとき初めて聞きましたし、チューニングしたポルシェというのもそのとき始めてみました。
今でも覚えてますが、アルミのロールバーが入ってバケットシートになってて、消火器から管が伸びて室内に這い回ってました。排気は4本出しですごい爆音だったのを覚えてます。
すげーなと思うとともに、こんなん反則やんっていうのが印象でした。
というところで、ポルシェの走行会が始まりました。
初めてみるポルシェの走行シーンは、何か圧倒されるものがありました。すべてが爆音ではなかったのですが、ヘアピンでみていて、立ち上がりでアクセルオフ時にババっと火を噴いて、グっとテールを沈ませて加速していく姿が妙に印象的でした。今考えると大した加速ではなかったかも知れませんが、当時はスゲーなぁと思ったものです。
ただ、そのときから感じていたのは、何故かステアを大きく切ったまま大アンダーを出しながら走っていくポルシェが多かったってことです。大体スピードが出ているポルシェは大アンダーでしたね。
やっぱ操縦が難しいんだなぁと思いました。雑誌でも徳大寺氏がポルシェはアンダーステアの強い車であると書いてましたから、まさにその通りでした。
でも本当は、そんなことより走ってる姿がすごく格好よかったです。いつかは自分もポルシェでサーキットを走りたいなあと感じていました。
今では20歳代でポルシェに乗ってるなんて珍しくないですが、当時は本当にお金もちの道楽って感じでした。ポルシェ持ってるだけでもすごいのに、チューニングしてしまうなんて・・
今でもサーキット派にとってポルシェは格好のチューニングターゲットですね。そのような宿命なのでしょか、そうさせるものがポルシェにはあるんですね。
そうこうしているうちにポルシェの走行会が終了し、いよいよ自分の番がきました。
初めて走るサーキットは、なんと小雨交じりのウエット状態!おまけに薄暗くなってきてます。大丈夫かな?と不安になってきます。コースインを待っている間、本当に心臓が飛び出すんじゃないかと思うぐらいのバクバク状態でのどカラカラでした。
同じセッションで走る車の中ではわたしのレビンは一番遅い部類でした。当時最速のソアラやRX-7当時では大人気のBMWなどが混走でした。
こんなメンバーと走るのか。一瞬止めとけばよかったかなぁと・・でも、もう後戻りは出来ません。
コースに入る前のミーティングで聞いた旗の説明やらコースインアウトの仕方を復唱して、人に迷惑をかけないようにしようと頭の中はいっぱいでした。
西コースパドックに車を並べて、いよいよコースインになりました。
係りの指示にしたがって気分を落ち着かせながらコースインしました。ただ、困ったことにコースインするころには薄暗くなってきました。おまけに路面はウェット。そうはいっも時間はまってくれません。
完璧な条件ではなかったですが、初めてのサーキットを楽しむこに決めていよいよ走り出しました。最初は例によて慣熟走行なのですが、何だか緊張であまりよく覚えていません。結構視界がよくないなぁということは覚えてます。ゆっくりピットにもどり、再度走り出します。
最初は怖いので、速そうな車に先に行ってもらいます。それからゆっくりスピードを上げることにしました。路面がウェットだったこともありおっかなびっくりでちょっと速めって程度で様子を見ます。
慣れてる人はビュンビュン行ってしまいます。それでもストレートで勇気を振り絞ってアクセルを全開にすると175キロほどでました。それからちょっとなれて抜かれかたも分かってスピードを徐々に上げていきました。ところが、西コースのUターンするところでそれは起こりました。
なんといきなり前を走っていたソアラがハーフスピンをするじゃないですか?ひえーって感じでした。そのころはまだカウンターステアってなに?って感じの運転技術でしたから。ソアラがカウンターをあてたのにはびっくりしました。
そのソアラはハーフスピンしながらも姿勢を立て直して何事もなに走行を続けたのですが、目の前に近づいてくるソアラを見たときには本当にやばいと思いました。どきどきがしばらく収まらなかったですが、なんとか気分を落ち着けて走行を続けました。
ちょっと余裕が出てきたので速い車を観察すると、初代RX7の2台がすごく速いのに気づきました。わたしが3週する間に2回抜かれたような・・
んー速い人がいるもんだと思って走ってヘアピンに差し掛かかったときまたまた事件が起こりました。
何かちょっと雨足が強くなったかな?と思いながら慎重にブレーキを踏んだつもりだったんですが、いきなりフロントがロックしてコースアウトしそうになりました。なんとかスピードが落ちてコースアウトはぎりぎりのところでしなくて済んだのですが、何か完全にビビってしまいました。おまけに次の周ではヘアピンの立ち上がりでアクセルオンしたとたんにテールがズルっといきました。
このとき初めてカウンターステアというものを当てましたが、初心者にありがちなステアリング動作の遅さとアクセルを戻してしまっているので、完全にたこ踊りをしてしまいました。
またまた、冷っとした瞬間でしたが、このときは何だかへたくそ過ぎて、恥ずかしかったです。
そんなこんなで、ちょっと危なっかしいところもありましたが、なんとか無事に走行を終えることができました。雨で薄暗いなかでの走行だったので、楽しいってことはあまりなかったです。
限界を知るなんてこともあまりなかったですが、自分の腕をもっと上げなければと学んだことが収穫でした。やっぱ車を自在にコントロールできなければダメだ、それにはやはりラリーだ!と意を決したのでした。
さて意を決したところで、のめり込む性質のわたしは、本格的なラリーの道に進むのでした。ラリーもどきだった車両も本格的なラリー車へと様変わりをし、タイアもラリータイアとなったのでした。
なぜラリーかというと速度がサーキットほど高くないとことでカウンターステアなど車をコントロールする術が学べるんじゃないかと思ったことと、当時回りの友人は誰ひとりととしてラリーをしていなかったのでちょと自分のアイデンティティを確立できるかもと思ったからです。なんでも人と同じなのはいやだったのです。
ラリーを本格的にはじめるにあたって中部地区の重鎮であるK氏のお店にいってラリークラブに入れてもらいました。夜な夜な愛知県の山奥へいっては走り回ってました。広いダートを見つけては8の字旋回か360度ターンなのど練習をしていました。
ときにはコースアウトや田んぼへの転落、橋の欄干への激突などを経験しながら、コントロールを習熟していきました。このころになるとコーナー入り口手前から車を横に向けながらコーナーのRを想定しながらカウンターで駆け抜けることもある程度できるようになりました。ただ、払った代償は大きかったですけど・・
ラリーも年間かなりの数出場し、色んなことを経験しましたが、あるとき衝撃的なできごとが発生しました。
なんとある年からラリー規定が大幅に変わって、基本的にミッションなどノーマルじゃないとだめになってしまったのです。なんでもどこかでラリー車が捕まって違法に車検が通ってるとか?でJAFとしても黙って見過ごすわけに行かなくなって規定が変わってしまったのです。
そのころのわたしには元に戻す気力はもうなかったです。ちょっと残念でしたが、決まったことはしかたないので、一時ラリーから身を引きました。競技役員としては出てましたが・・
今考えるとこれはよかったかもしれません。現在では外圧からとはいえかなりの改造が認められてますから。ただ競技に参加するためのコストは確実に高くなりましたね。
ラリーを退いたわたしは、当時どんどん勢力を伸ばしつつあったカーボーイやオプションという雑誌の影響からかエンジンチューンに走りました。
エンジンチューンはかなりカリカリにしました。当時であったグループA規定の部品を使いました。マーレーの短足ピストン2本リングピストンや軽量ロングコンロッドなどを使って160馬力くらいありました。AE86としてはかなりパワーがあったほうだと思います。
ただ耐久性はちょっと難ありでしたけど。
そのころはラリー車がベースだったので、ピロ足、クロスミッションやボディ補強もしてあり足を変更するだけで、かなりストリートでは速くなりそうでした。
マフラーもジレットの爆音仕様でしたし、オーバーラップの大きいカムだったのでアイドリングもバッバッバとうるさかったです。近所迷惑でしたが、そこは若気の至りということで・・
その仕様で峠などを走り回ってましたが、あるときその仕様ならサーキットを走ってみないか?と生涯2度目のサーキット走行に誘われました。
そのサーキットは富士でした。当時は幻の天才レーサー高橋選手が最終コーナーでなくなったあとで、300Rにケインが出来たばかりのころです。
どうしようかちょっと考えましたが、やはりスピードへの欲求は絶ちがたく、行くことにしました。
久しぶりの走行会でしかもFISCOです。当時はサーキット用の足なんて全然よく分かってなくて、スプリングのレートも笑ってしまうほどやわらかいものを使ってました。当時ラリーで使っていたレートっていうのが2.2-1.8キロくらいなんです。それでもショックは硬かったので乗り心地は悪かったです。当時からショックはビルシュタインを使ってました。いつも行くお店には現在のエナペタルの社長さんもそこの工場長で働いていました。
サーキットを走るにあたってすこしくらいはスプリングを硬くしないといけないかな?といことで当時としては思い切って4-5キロのものを使いました。当時から直巻きスプリングはあったのですがまだそこまでお金が回らなかったので、荒巻のノーマル形状でTRDから出ているものを使いました。
次にブレーキですが、当時はブレーキのことは今ほど考えてなかったので、ノーマルにパッドを当時気鋭のエンドレスのレース用ってやつを使いました。ブレーキ液はダッカムスのDOT4でした。
当時は何故だかダッカムスが高級でいいオイルということになってましたが、今考えるとそのお店のスポンサーだったこともあるでしょう。
ということで、それなりの準備をして前日から泊まってFISCO走行会にそなえました。
つぎの日は朝から、晴れていて一安心でした。フジはよく雨が降るときいていたので・・ゲートで入場料払ってピットへいきました。そのとき始めてFISCOを見ました。なんだかすごくストレートが長いサーキットだなぁってのが第一印象です。当時はF-1が唯一行われたことのあるサーキットだったので、なんだか感慨深かったです。
ピットに車を並べていよいよコースインです。今回は前回の鈴鹿と違って割りと身近な車たちが多かったのでちょっと気が楽でした。まずは慣熟走行をします。やっぱり久しぶりのサーキットは気がすこし楽とはいえ緊張します。ピットに戻ってひと呼吸してからいよいよ走行開始です。
当時からなぜだか臆病なのでいきなり全開にせず、ゆっくり様子をみながら走り出します。早く行く車は先にいってもらいます。そこから徐々にペースアップします。
FISCOはストレートが長いのでブレーキングがどこからかいしていいか全然見当もつきません。最初はかなり手前からしてましたが、もっとつめれることが分かり徐々につめていったつもりが、スピードが高いせいか、オーバースピードだったりしました。ブレーキも効くのか効かないのかよく分からない感じでした。このとき始めてブレーキは大事だなぁと感じるようになりました。
1コーナーもよく分からないし次のコーナーもかなりスピードが乗ってGが高まるのが分かりました。まだAコーナーなんてない時代です。
グーンとGが高まって次に左コーナーになってヘアピンになります。
このときのことはよく覚えていないのです。ヘアピンはまあそれなりに上手く走っていたと思うのですが、次の300Rが強烈ですごく怖かったのを覚えてます。ここもすごくGが高くなっておまけにシケイン入り口は下ってたので、いつもテールスライド気味に進入していました。ここもブレーキがすごく難しかったです。
シケインを出ると最終コーナーなんですが、上りであまり加速しないなぁと、ただノーマル86よりは全然速かったのですが・・
当時はエンジンだけが速くて足とブレーキは全然速くなかったです。FISCOを走ってみてブレーキの大切さを理解しましたし、足もサーキットを走るには全然役不足だということが分かりました。
この走行会はサーキットに目覚めされられた始めての機会でした。
サーキットから帰ってきて早速本格的にサーキット走行するには何が必要か調べました。当時はTRDからサーキット走行用のパーツが出ていたので、まずこの足にすることにしました。
取り寄せて見るといろんなことが、分かりました。まずショートストロークになっていて、ケースも短く加工してありました。おまけに極太のフロントストラットになってオイル容量も多くしてありました。おまけに短くなったケースを補正するために、ストラットとロアアームの間にはさむアルミ削りだしのスペーサーがありました。これで車高をおとしてもちょうどよいロールセンターになるようにするものだと思いました。
スプリングの硬さもいろいろ種類がありましたが、8キロ程度のものを使ったと記憶してます。当時としてはかなり硬い部類だと思います。
当時はショートストロークショックってあったのですが、ここまで本格的なものは無かったです。今では当たり前のようになってますが。
問題はブレーキだったのですが、当時なかなかいいものがなくて足にお金を使ったために、パッドを交換するしかなかったです。それでも足を交換したらブレーキの効きもすこしよくなった気がしました。
それで、しばらくしてまたFISCOの走行会がありました。
2度目の走行会も運良く雨は降らずでした。最初走り出してすぐにロールが少なく前回より走りやすくなっていることに気が付きました。アンダーステアがちょっと強くなった気がしましたが、タイアが温まってくるころにはそれも気にならなくなりました。
タイアはブリジストンの14インチのsタイアです。なんていう銘柄だったかは覚えていません。当時からサーキットにはSタイアがいいということは分かっていたので、そのときもSタイアでした。ただ現在ほど空気圧に真剣に考えていなかったです。当時は温間で低めの圧っていう認識しかなかったです。どれくらいに設定したのかも覚えてないですが、多分温間で2.0-2.1程度だったと思います。
足を変えてかなり気持ちよく走れるようになってはいたのですが、スピードが高くなると今度はやはりブレーキに負担がきます。4-5周したところで明らかにフェード傾向になってきました。
こうなると全然楽しくありません。コーナー進入でブレーキを確かめながらになりますので、思い切ったことが出来ません。そのうち苦痛にすら感じるようになってきたのです。このときサーキットでのブレーキ重要性に気づかされました。このとき以来ブレーキには人一倍神経質になるようになりました。
そして雑誌なんかで読むポルシェのすばらしいブレーキっていったいどんなんだろうなぁと思いました。
その後FISCOを数回走りましたが、大学卒業とともに仕事の関係で平日休みがあまり取れないのと忙しさのためサーキット走行からはしばらく遠ざかりました。
それでも思い切って944を買って、なんてバランスのいい車なんだと思いました。ブレーキもよく効くなぁと思いました。いまからみると全然スペック的にはたいしたことないブレーキなんですが、踏んだときの制動感がすごくよかったです。
その後、当時はやっていたBMW ALPINA B6-2.8へと乗り換えましたが、ブレーキはポルシェのほうがよかったですね。ただ、排気音や雰囲気がすごくレーシーでよかったです。この車は3シリーズに無理やりビッグ6を載せた車だったので、エアコンがありませんでした。別に気にならなかったのですが、時々見るポルシェ911はいったいどんなんだろうと想像してました。
あるとき911に乗る機会があってすごく剛性のあるブレーキと制動力に感激し、これでサーキットを走ったらどんなにいいだろうと思いました。
しばらくしてALPINAから待望の911に乗り換えました。当時はまだサーキットを絶対走りたいという意識はありませんでした。機会があれば試したい程度でした。当時はルーフCTRが世界最高速を記録したことで一挙に注目が集まって、ミーハーなわたしはその格好に憧れ、いろいろルーフパーツをつけてました。
そしたら、お店の人がPCJのジムカーナがあるからいかないか?と誘ってくれました。もともとモータースポーツ大好きなのですぐに行きますと返事をしました。
その当時は足はショックはビルシュタインのスポーツでしたがとくにモータースポーツを意識した仕様ではなかったです。でも久々に走るそれもポルシェではしるジムカーナはすごく楽しみでした。それにいろんなポルシェが見れそうだったこともワクワクさせる一因でした。
でもやっぱ前日は久々なのでちょっと緊張しましたね。場所はキョウセイ自動車学校でした。この場所は当時からよくジムカーナに使われてました。
当日はお店のお客さん数人と待ち合わせて現地に向かいました。現地についてみるとそこで見た光景は・・・
思わずおおっとうなってしまう光景でした。なんと959SPORTやRUF CTRまであるではないですか!959は雑誌に載った車そのものだし、一生みることなどないと思っていたCTRまであるとは・・・なんか場違いなところへきてしまったのか?ちょっと不安になりました。
当時はまだ964カレラ2が出たばかりで、930が大多数をしめていた時期です。964も珍しかったですけど、メンバーのかたはほとんど930で一部の方がターボやクラブスポーツにのってました。
中でも松浪さんは930クラブスポーツで足を変更してこの日にのぞんだということでした。さすがにジムカーナでも速くて一番時計でした。
ジムカーナはAE86ですこしかじったことがあるのですが、あまり得意とはいえませんでした。どうもチマチマした小回りは性分にあってないようでした。
ちょっと不安だなぁと思いながらも、順番が来たのでスタートしました。
やっぱり競技のスタートというのは緊張するものです。上手くクラッチをつないだつもりが、何故か失速、エンストはしなかったもののちょっとビビリました。
すぐに1-2とシフトして右旋回でしたが2速が離れているのでまたまた失速状態に・・なんだかわけが分からなくなりそうでしたが、ミスコースはしないようにと走りました。ちょっとはしると左のスピードの乗るコーナーがありました。ここぞとばかりに踏んではしりましたが、つぎの左直角ターンでお尻がズルっていきました。
本当に早くズルっていったのでなんとハーフスピンをきっしてしまいました。アクセルを急激に抜いたのとやっぱオーバースピードだったのでしょう。ポルシェ本来の特性をはじめて経験しました。
すごく恥ずかしくて赤面してしまいました。それでもなんとか立て直して完走だけはしました。
2回目も慎重にいったつもりでも同じようにスピンしかかりましたがなんとかごまかして完走しました。
結果は無残なものでしたが、やっぱりモータースポーツは面白いなぁと思いました。ここで方向転換してポルシェでモータースポーツをしようと決心しました。
930でモータースポーツといってもサーキット走行が主ですけど、それまでのCTRもどきは止めにしました。手始めに簡単にできる軽量化をしました。2シーターにして内装はがしに取りかかりました。そして効かない後付けのクーラーも配管を含めてすべて取り払いました。
内装をはがしたあと外見はブルーメタだったので似たいろで塗ればいいものを、やっぱ白が好きなせいか白で塗ってしまいました。お約束のレカロSP-Gを付けてマターのアルミロールケージ(当時はアルミが使えたんです。)を付けました。それだけでかなりレーシーになりました。さらに当時でたばかりの964RSをまねてドアの内張を自作カーペットで作り直しました。
さらに当時出たてのビルシュタインショックのクラブスポーツというのをオーダーしました。トーションバーもリア29ミリフロント23ミリというものを付けました。リアの作業はかなりめんどくさくてほかの作業と併せて実質1ヶ月近く馬の上に乗っていました。
車高も低くしてかなりビビッドなハンドリングになりました。ルーフのくそ重いホイールも止めて16インチアロイにしました。ただいいタイアを買う余裕がなかったので、懐かしいピレリーP-7にしました。
鈴鹿南コース走行会もPCJメンバーの方との走行になりました。
走行前のブリーフィングで松波さんより、なんと このコースはブレーキにきついので気をつけるようにいわれました。特に930のノーマルブレーキはきついですから、注意するようにとのことでした。そのときは、そんなこともあるだという認識でした。
ポルシェのブレーキでもきついなんてことがあるなんて、どうもあまりぴんときませんでした。いまではそんなこと全然考えもしなかったです。
ブリーフィングが終わって、30分づつ4回に分けて走行することになりました。わたしは2、4回目の走行になりました。最初の走行をみていると全部のポルシェが速く見えてきてちょっと不安になります。すごい改造をしたポルシェや964RS,CUPなども走ってました。CUPなんて当時2000万円くらいしましたからねぇ。びっくりしました。当時速いひとは1分切るかどうかのレベルでした。今からみると飛びぬけて速くはないですが、当時は速いなぁと思いました。
そんなことを考えていると自分の番が回ってきました。
例によってパドックに車を並べて、スタートします。南コースは奥のコーナーがかなり難しうと聞いていたので、慎重に様子を見ます。よく観察すると4つのストレートを細かいコーナーでつないだようなレイアウトでいわれたようにブレーキにきつそうでした。
徐々にペースをあげていきます。ペースをあげていくとわたしの車はなんだか他の車より限界が低いというか早くテールがブレイクするようでした。タイアのせいなのか、足のせいなのかはよくわかりませんでした。それでも結構たのしく走ることができました。
やっぱりポルシェは国産と違うなぁと思いながら、ガンガンいっていました。そのときです、きなりブレーキが奥までまで入ってしまって完全にフェードというかベーパーロックを起こしてエアをかんだようになりました。危うくコースアウトしそうでしたがなんとか立て直してゆっくり戻ってきました。
やっぱり松波さんのいうとおりなんだ、と初めて気づかされました。でも松波さんの930クラブスポーツは何事もなくはしってるんですよね。不思議でした。パッドの変更とローターに穴があいてるのが違いのようでしたが?やっぱ私が下手でブレーキを酷使しすぎたようです。
それからはなんだかブレーキへの信頼が一挙になくなりました。ああこのままでは次も怖くてはしれないなぁとちょっと落ち込んでました。
いやちょっとまてよ。早く走らなければいいんだ、もう少し別の方法で楽しむことにしようと思い次も走ることにしました。その方法とは・・
南コースを楽しむ秘策は、極力ブレーキを酷使せずに済めませる走りをすることです。それは、おきて破りかもしれませんが、ドリフト走行に徹することでした。南コースはブレーキにきついので、コーナー手前から車を横に向けてブレーキの代わりにすれば、楽しめるんじゃないかということです。
わたしの930は限界がそんなに高く無かったし、なぜだかコントロールもしやすかったので、このドリフト走法も比較的容易にできました。
周り込んだコーナーでは本当に入り口から出口まで深いドリフトアングルを保ったまま走行できたのです。久しぶりにそんな走りをしましたが、昔ラリーをしていた経験がおもわぬところで役立ちました。
こういう走りではブレーキもそんなにきつくなく、直線もわざと全開にしなかったので、最後までもちました。
久しぶりのドリフト走行でしたが、自分ではかなり楽しめました。タイムを狙うのとは全然違いましたが、かなり充実感がありました。そんな走りをしていたのは、私だけでしたが、驚いたことに走行後戻ってくると、ギャラリーの女の子が拍手をしてくれたのです。自分の走りで、他の人が楽しんでくれていたなんにてビックリしましたし、すごくうれしかったです。後にも先にも拍手してもらったのは、この時しかありません。
南コースはピットから比較的コースが見やすいのもよかったんでしょう。ポルシェでもいろんな楽しみ方ができることが分かったので、かなり充実感がありました。ただ、やはりドリフトは邪道かなぁとも・・
南コース走行会のあと、ポルシェのブレーキが案外プアのことにショックを受けていたのですが、一般道ではやはり国産とは比べようのないほどいいブレーキだと思います。
それでもこのままでは収まらないので、パッドをPAGIDのRS4-2というやつにしました。当時PAGIDは国内に紹介され始めてころで、すごく高かった記憶があります。今思うと930ではRS4-2でも役不足なんですけどね。当時はこれで結構いけるのではないかと考えていました。
しばらくして鈴鹿フルコース走行会の案内がきたので参加することにしました。これで南コースのリベンジができるかなとそのときは思いました。
フルコースの走行会は当時あまり多くなかったようで、PCJメンバーがたくさん遠方から来ていました。当時はバブルのころでしたので、すごいなぁと感じるポルシェがたくさんきていました。ただ、何回も目にしているとちょっと見慣れてきて以前ほどの驚きはなかったです。
そのときは2時間の走行でしたが、2区切り1時間づつの走行になってました。今回はなんとか大丈夫かな?と思いながら、出走を待ちました。
コースインして徐々にペースをあげていきます。速い車にはどんどん抜かれましたが、以外に冷静でした。ブレーキの感触を確かめながら走っていましたが、案外というか結構いけるかなと思いながら走ってました。
鈴鹿フルコースは南に比べるとブレーキにやさしいようです。
それでも周回を重ねると少しブレーキが深くなるのが分かりました。当時はハンドリング云々っていうレベルではなかったのでひたすらブレーキに注意してました。
あるとき位置コーナーでCUPに迫られ道を上手く譲れなかったのでちょっとスピードオーバー気味になったことがありました。2コーナーでテールスライドが起きてしまいましたが、何とかドリフトを維持しながら上手く回ることができました。そんときはなんとCUPが少し離れているではありませんか!危険を察知してスピ^ドダウンしたのかもですが、こっちは気分がよかったです。
気分がいいまま1時間の走行はあっという間に終わって次のセッションに入りました。
サーキット走行がこんなにも楽しく走れたのはこのときがはじめてだったのですが、やっぱり長く周回を重ねるにはブレーキが非常に重要であると思いました。
次のセッションではもう少しブレーキを使って、ラインも考えながら走るようにしました。1コーナー、ヘアピン、130Rの進入はどうもブレーキが難しく、思い切って踏めません。ロックさせると怖いので、やっぱり慎重になってしまいます。
そうこうしている内に恐れていたブレーキの調子がやっぱり今一になってきて踏み代が深くなってきました。こうなると楽しむどころではなくなります。サーキットで長く楽しんで走るためには、ブレーキを何とかしないといけません。でも、当時はブレーキキットなんてのは出ていませんでした。唯一RUFからでていましたが100万円以上の代物でした。そんなもの到底買えるものではありませんでした。
ポルシェでもっと楽しくサーキットを走りたいけど、ブレーキがなぁなどと考えすぎて、何だかトラウマになってしまいました。
それで、2回めのセッションは1回めほど楽しくはなかったのです。こうなると当時最新の964RSが気になってしかたありません。ブレーキも見たこともないような大きなキャリパーで、おまけにブレーキに穴があいていてレーシングカーのようでした。
ビデオや本で絶賛していたRS一度は身近に感じてみたいなぁと思いました。あるときディーラーから案内が来てRSが展示してあるということをしりました。
早速ディーラーへ見に行くと、そこには当時広報車(たぶん)として活躍していた赤いRSがありました。足元に目とやるとそこには見たこともないようなデッカイキャリパーがついていました。ブレーキローターもでかくてホイールいっぱいまで大きくしてありました。このブレーキには本当にびっくりしました。
これはすごいなぁきっとサーキットでは無敵なんだろうなぁと思いました。室内に目をやると皮製のバケットが2脚ありドアパネルは簡素化されてましたが、凄みのある雰囲気がプンプンしてきました。
リアシートはなくカーペットがはってあるだけで、CARRERA RSと赤い刺繍がしてありました。ドアは異様に軽く窓は薄いものに交換してあるということでした。
ぱっと見た感じ異様に低い車高と足元に覗くブレーキになんともいえない感動を覚えました。こんなんでサーキットを走れたらすごく楽しいだろうなぁと思いました。
それは以外に早く訪れました。
964RSなんて当分買えないだろうと思っていたら、1年ほどすると結構中古車が出てきました。なんでもスパルタンすぎて買える年齢層の方にはきつかったようです。
それで白のRSの中古車がでたときに思い切って買い換えることにしたのです。964RSを手にしたときの喜び、それはもう天にものぼる気持ちでした。かっちりしたブレーキ、シャーシなどどれをとっても理想のレーシングライクカーに思えました。
無敵の速さ、耐久力を手にいれたと感じました。早速当時出たばかりのPZERO Cに履き替えて鈴鹿西コースへ走りに行きました。
西コースでの964RSは信じられないくらいの耐久力がありました。
真綿を締め付けるような剛性の塊のブレーキ、シュアなハンドリング何周走ってもへこたれないポルシェは、サーキット王様に思えました。
ピレリーP ZERO Cもそれまでのラジアルとは全然違ったグリップ力を発揮しましたし、なによりコントロール性がすごくよかったです。当時、1分36秒程度で西コースを走ることが出来ましたので、かなりいけてると思いました。
いままで経験したことのないようなスピード、減速感、耐久力には本当に驚きました。これを知ってしまうと他の車には乗れないなぁと思いました。サーキット好きにはたまらない一台ですよ964RSは。
その後964CUP,993RS/CSなどにも乗りましたがどれも素晴らしかったです。乗り味は微妙に違いましたが、楽しめることは間違いないです。何より何周でも楽しめるのがうれしかったです。車より先に人間がへこたれてしまうのです。こんな車はポルシェしかありません。
ノーマルな964ではちょっとブレーキがきついですが、993ならスタンダードでかなりしっかりしたブレーキが最初から付いてますのでサーキットでも十分ノーマルでいけると思います。
サーキットを楽しむのに一番大切なことはブレーキが最後まで効くことだと思います。これがないと怖くて走れません。ですからフェラーリの市販車はすべてペケです。サーキットではポルシェとは比べられないほど情けないです。数周は速く走ることができるかもしれませんが、耐久力は??なのです。
わたしは964RSという車がなければここまでサーキットへのめり込むことはなかったでしょう。その後に乗ったレーシングライクポルシェはどれも最高のものでした。それほどまでにポルシェは素晴らしいと思ってます。
ここをみているみなさんは、ポルシェの素晴らしさは分かってるはずが、他の人も誘って、ポルシェでサーキットへ誘いましょう。