ところで、今回の件で得をしたのは誰? 何か騒動がある度に誰もが思いがちなことではあるし、毎度耳にするお馴染みのフレーズ。この疑問を根気よく追求することで、例えばマイケル・ムーア氏なんかの場合は、それこそ体力の続く限りガンガンに仕事ができるに違いない。がしかし、仕事熱心故か、すべての戦争の目的はそれを続けることにある。とか、ほとんど絶望的とも言える結論に至ってしまうのはいかにも残念なことだ。同様に、<フラット化>とは、私たちの住む世界が限りなく熱死状態に近づきつつあることを示す兆候にほかならないという、悲しすぎるロジックに沿った事象の解釈が可能である。認めたくはないが、果たしてこれらは真実なのか? 馬鹿を言ってはいけない。神戸三宮駅前に丸井が出店しようが、西と東のファッションが似てきたことを朝日新聞の記事が指摘しようが、そんなことは金輪際あり得ない。フラット化をネガティブに捉え無意味に畏れることなく、ここはひとつ、大胆に行われつつある宇宙のシャッフルに身を任せたい。と言うより、私たちにそれ以外の何ができるだろう?
例えばここで、昼と夜の均衡にちなみ、<正義>という観念を今一度解剖してみるのはどうか? アニメ特撮戦隊ものやある種のSF・神話ファンタジーの類で培った倫理観の影響下から逃れることが困難な諸姉諸兄の場合は、少なくとも、まず、そのことを自覚した上で。例えば、アラブの大富豪オサマ・ビンラディン氏にしたところで、それがいかに破壊的で迷惑なものであれ、彼なりの<正義>を貫いていることは、ほぼ間違いないように思われる。では、その<正義>を「間違っている」とする側の<正義>はどうなのか。結局のところこのへんの検証がフニャフニャでしかあり得ない様を目の当たりにしてしまった以上、まっとうな判断力をカケラ程度でも留めている者なら、もはや<正義>というコンセプト自体の有効性を疑わざるを得ない筈だ。即ち<マアト>とは、仮面をつけて<おしとやか>している<エリス>にほかならないのではという視点※。彼女が「バケラッタ!」と叫んで仮面をとりギンギンに踊り出した姿こそエリスなんじゃないの? とか。マアトの羽根だって、実は机の上をキレイに掃除する為にこそあるのかも知れない。と考えてみる。この均衡から、更に望ましい次の均衡に至るための、身も蓋もない、人間レベルのロジックを超えてほとんど意味の分からない無茶苦茶なシャッフル。今、起こっていることについての大雑把な理解とともに、MAGICKAL WORKとして個人的に行っておきたい方向を少しだけ示すなら、それは例えば、トートタロットkey8「調整Adjustment」を題材にした瞑想と、エリスを主神とするオリジナルりんご放り投げリチュアルの創作/実践を同一視すること。 或いは、厳密に調性に則ったクラシック音楽とフリージャズのインプロヴィゼーションを等しく<音>として聴くということ。
女神エリスが客席に投じる素敵に不穏な黄金のりんご目指して、キャーキャー叫びながら群がってみるのもまた楽しそうな秋です。