2.樹における3種の影響力
生命の樹の形成については『形成の書』に、また、旧約聖書に由来するという各セフィラーの名称についてはその筋の文献に譲るとして、フラター・エイカドが、まず最初に取り扱った10の<セフィロト>とは、次の通り。
(1)<ケテル>は「誉むべき、あるいは秘密の知性」と呼ばれる。
(2)<コクマー>は「光明の知性」と呼ばれる。
(3)<ビナー>は「聖別する知性」と呼ばれる。
(4)<ケセド>は「測定の、結合の、あるいは受容の知性」と呼ばれる。
(5)<ゲブラー>は「急進的な知性」と呼ばれる。
(6)<ティファレト>は「影響力を調停する知性」と呼ばれる。
(7)<ネツァク>は「隠れた知性」と呼ばれる。
(8)<ホド>は「究極的な、あるいは完全な知性」と呼ばれる。
(9)<イェソド>は「純粋な、あるいは明晰な知性」と呼ばれる。
(10)<マルクト>は「輝く知性」と呼ばれる。 −P51−(8)
10のセフィロトをつなぐ22の<小径>には11から32までの番号が振られ、それぞれがヘブライ語アルファベットの各文字に照応している。番号/位置/照応するとされる文字(片仮名表記失敬)/呼称は次の通り。
<第11の小径>/(1)ケテル〜(2)コクマー/アレフ/閃光の知性
<第12の小径>/(1)ケテル〜(3)ビナー/ベース(ベト)/透明の知性
<第13の小径>/(1)ケテル〜(6)ティファレト/ギメール/統合の知性
<第14の半径>/(2)コクマー〜(3)ビナー/ダーレス/光明の知性
<第15の小径>/(2)コクマー〜(6)ティファレト/ヘー/構成の知性
<第16の小径>/(2)コクマー〜(4)ケセド/ヴァーウ/勝利者もしくは永遠なる者
<第17の小径>/(3)ビナー〜(6)ティファレト/ザイン/処理する者もしくは処理の知性
<第18の小径>/(3)ビナー〜(5)ゲブラー/ヘース(ケト)/感応力の宮の知性
<第19の小径>/(4)ケセド〜(5)ゲブラー/テース(テト)/霊的存在のすべての活動の知性
<第20の小径>/(4)ケセド〜(6)ティファレト/ヨッド/意志の知性
<第21の小径>/(4)ケセド〜(7)ネツァク/カフ/調停の知性
<第22の半径>/(5)ゲブラー〜(6)ティファレト/ラーメド/忠実の知性
<第23の小径>/(5)ゲブラー〜(8)ホド/メーム/安定の知性
<第24の小径>/(6)ティファレト〜(7)ネツァク/ヌーン(ナン)/想像力の知性
<第25の小径>/(6)ティファレト(9)イェソド/サーメク/試練の知性もしくは試みる者
<第26の小径>/(6)ティファレト〜(8)ホド/アイン/刷新する者
<第27の小径>/(7)ネツァク〜(8)ホド/ペー/刺激の知性
<第28の小径>/(7)ネツァク〜(9)イェソド/ツァダイ/自然の知性
<第29の半径>/(7)ネツァク〜(10)マルクト/クォフ/物質の知性
<第30の小径>/(8)ホド〜(9)イェソド/レーシュ/集中の知性
<第31の小径>/(8)ホド〜(10)マルクト/シン/永遠の知性
<第32の小径>/(9)イェソド〜(10)マルクト/タウ/管理の知性 −P52−(9)
この調子で大量に書き連ねていき、ああまたか、まったく生命の樹を学ぶということは途方もなく大変なことなんだねー、と読者諸姉諸兄をブルーな気分に陥れることは容易い。が、差し当たってもう一つだけ、色彩について。各セフィラー個有の色彩は次の通り。
(1)<ケテル>:白
(2)<コクマー>:灰色
(3)<ビナー>:黒
(4)<ケセド>:青
(5)<ゲブラー>:赤
(6)<ティファレト>:黄
(7)<ネツァク>:鮮緑色
(8)<ホド>:橙
(9)<イェソド>:紫
(10)<マルクト>:淡黄色/オリーヴ色/小豆色/黒 −P34−
何やら幼児向け知育玩具を思わせるカラーリングだが、「知育玩具」という呼称自体は、そんなに大はずれでもない気がしている。もちろん「魔術修行者向けの」だけど。それにしても、ここまでの内容ですら、ゼロから覚えるとなれば結構骨に思えるかも知れない。ところが、実際はそうでもない。色に関して言えば、何でそうなるのか、セフィロト間の関係に着目しながら【口絵1】のカラー図版を眺めれば、実は、これらの色彩の素は、<ケテル><コクマー><ビナ>の魔術的三原色にあり、その後の展開は自ずからそうなるかのように理路整然と見えてくるからで。すべてはTwiggy+Iggy Pop=Ziggy Stardustのように素直に納得できる(10)。すなわち、
----<ケセド>の青は<コクマー>より、<ゲブラー>の赤は<ビナー>より、そして<ティファレト>の金(ママ)は<ケテル>よりである。・・・<<ケセドの青>>は<<ティファレトの黄>>と混合して<<ネツァクの鮮緑色>>を生み出す。<<ゲブラーの赤>>は<<ティファレトの黄>>と混合すると、<<ホドの橙>>を生み出す。・・・<<ケセドの青>>と<<ゲブラーの赤>> と混色し、<<イェソド>>の紫を生む。・・・<<ホド>>と<<ネツァク>>は<マルクト>の上部に反映し、混色して <<淡黄色>>となる。<<ネツァク>>と<<イェソド>>はその領域の<<オリーヴ色>>を生み出す。<<ホド>>と<<イェソド>>は<<小豆色>>となり、そしてすべての色の混合は下部の<<黒>>となる。−P31−
なあーんだ、関係に着目すればカンタンじゃねーの。残念ながら、事はそれほど単純でもない。何せ、場合によってはこれから森羅万象をぶち込むことになるやも知れない対象に没入しようというのだから。とても有り難いお話を、セフィロトの数に相当する多重音声で同時に聞かされた状況を想像されたい。聖徳太子でない私たちに、そこから喧しさ以上のものを汲み取ることはできない。
「ホーンセクションがちょっと薄い感じかな」
「?」
多様な楽器のアンサンブルとして成り立っている同じ音楽を聴いても、単なる音の塊にしか聴こえない人がいる(わざわざそういうふうに聴かせようとするトーンクラスター理論なんてのもありましたが)。どの楽器がどんな音色を持っており、今の場合、全体の中でどのように響いているか・・・訓練されていない耳には、さっぱりわからない方がむしろ当たり前なのである。
こんな状態で関係などに気を取られていたのでは余計に頭がこんぐらかるばかりか、かつて経験したことのないイメージの大洪水に押し流され、あっと言う間にどこかへ運び去られてしまいかねない。こりゃあマジで危ないぞ! そこで「3種の影響力」ということになる(ふー、やっと辿り着けた)。
割合知られているところだが、生命の樹の図版には何種類かのパターンがある。大まかに言うと、(1)3つの三角形と字余りセフィラーから成るもの−p27−、(2)1から10までのセフィロトが1本の線で順番にジグザグに結ばれているもの(The Hermetic Order of the Golden Dawnで美しい画像を見ることができる)−p28−、(3)10のセフィロトが22本の<小径>で結ばれているもの−p55−。これらは、そのまま「影響力の種類の違い」を表していると見ることができる。
まずは、(1)の影響力について。<ケテル>−<コクマー>−<ビナー>から成る<<至高の3つ組>>は、深淵を挟んでシンメトリーに反映し、<ケセド>−<ゲブラー>−<ティファレト> から成る<<第2の3つ組>>を生む。ティピカルな日本的自然美のイメージに沿って言うなら、富士山が湖面に自ら姿を映し、「逆富士」の像を形成するようなもの。ちょうど至高の三角形にように、富士山が湖面に対し絶大なる影響力を刻印したのである、とも言える。この影響力は、実体のないかそけきもののようでいて、実は、問答無用なまでに根本的だ。
何がしかの映画や本などに出会ったのを機に、それまでの世界観なり人生観が一変してしまった、なんて経験、おありだろうか? とは言え、その映画を観たから、その本を読んだからといって、必ずしもその日の夕食のメニューや翌日の行動予定に劇的な変化が生じる訳ではない。にも関わらず、その影響力は何よりも大きく、ある意味根元的でさえある。(11)
次に、(2)の影響力について。「稲妻の閃光」「炎の剣」などと呼ばれる影響力の特徴は、まず、「ケテルからコクマーへ」といったように、出発点と着地点=影響を与える者と影響を受ける者がはっきりしているということ (12)。影響力は上位のセフィラーから下位(※価値の高低ではなく、川の上流・下流ぐらいの感じで理解されたい)のセフィラーへと伝わり、その逆はない。ここを押さえておきさえすれば、「能動のセフィラーの受動的なはたらき」などと一見矛盾した言い回しに出くわしたとしても、もう困惑するには及ばない。
もう一つの特徴は、順番抜かしは有り得ないということ。例えば、ケテルの影響力は、コクマー〜イェソドを抜かして直接マルクトへ作用することはない。ある程度以上の規模を持つ企業の場合、社長から末端ぺーぺー社員のところへ直接内線が入り、「なあキミ、明日から我が社は××○○ということにしようじゃないか」なんてことはまず有り得ない話で、社長の意向は、多くの場合他の取締役や部長を経た後、悩める中間管理職である直属の上司から若干のタイムラグをもって伝えられる。「何を今頃!」と抵抗してみても、たいがいはせんないことだ。
そして(3)の影響力。これは、<小径>を通じて2つのセフィロトが相互に影響し合うというもの。つまり、かつて進歩的なメディア論を語った多くの学者や評論家が、未来のコミュニケーションを歌ったロックミュージシャンが夢見て止まなかった、その割にある意味あっけないほどカンタンに実現してしまった感のある“インタラクティブ”な影響力である (13)。
「まあ、お嬢ちゃん、お父さん似ね」とは、よく耳にするお約束気味のフレーズだが、その逆はあまり聞かない。ところが実際は、身近な所で生活している者同士は、相互に何らかの確かな(たぶん物質的な意味でも)影響力を及ぼし合っている訳で。例えば、“ペットと飼い主は、しばしばよく似ている”というアレ。筆者もかつて、ブルドッグ顔で脚の短い男が、ちゃんちゃんこを着せられたパグを連れて歩くさまを目撃したことがある。誓って言うが、彼らは本当にそっくりであった。
という訳で、以上3種の影響力をしっかり区別しながら感じ取ることで、イメージの大洪水に押し流されてどこかへ行ってしまうという事態も、無事、未然に防ぐことができる。かも知れない。