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今夜の番組チェック
フラワーロード 〜ちんこの花道
・・・なぜならば、むなしい外観を前にして呻吟するわたしは、この瞬間に輪郭ができる真の光景には手がでない。それを観察するにはわたしの人類としての段階ではいまだ必要な感覚能力を具えていないのであるから。数百年後には、この同じ場所で、わたしと同じように絶望した別の旅行者は、わたしが見ることができたはずでありながら、わたしが見ないでしまったものがすでに消滅していることを嘆くだろう。
クロード・レヴィ=ストロース
1/A
ずっとずっと昔のことかも知れないし、ずっとずっと先のことかも知れない。南北にまっすぐ延びる道があって、アスファルトの路面が、よくキャラメルと間違えられた。道の両側には定期的に市が立った。月が満ちてくるとポツリポツリ、出店が姿を現す。ポツリポツリの間隔は、降りだした雨がほどなく土砂降りになように日ごと狭まり、やがて色とりどりの屋台が道の両側をびっしり埋め尽くす。丘の上からだと、天幕の列港まで線路みたいに続いて見えた。
日が暮れるとそれは、蛍を思わせる光の列になった。光源は露店に灯るカンテラ、労働者の一群が暖を取る焚き火、火喰い男が食べる紙切れの炎などなど。露店の数が増すにつれて、人の数も増えていった。
満月の晩は、いつもたくさんの人出で賑わったものだ。群衆は、川沿いに北から南へ流れた。どこの川か?
およそ<道>なんてものは、大雨になると決まって<川>になりたがるものだ。暗渠の復讐だと説いて聞かせる者もある。地下に封じ込められた川が、時折怒りを爆発させるんだそうだ。時折な。川の水は、いつも茶色く濁っていた。<暗渠の復讐>説によると、怒った川が大量の土砂を運ぶせいだが、実際のところそれは、どろどろに溶けたキャラメルだった。つまり、<アスファルトの路面がキャラメルと間違えられた>のは、<キャラメルがアスファルトの路面に成り済ましていた>からにほかならない。
キャラメルの<川>は、市が立つ頃じわじわ溶けはじめた。人間たちが撒き散らす熱や二酸化炭素、外は黄金色で中はドドメ色の置物をつかまされヤラレタ! と引き返してみたところ売りつけた男の姿は影も形もない、そんなやり場のない憤りも、キャラメルを溶かすのに一役買ったことだろう。火喰い男が燃やす小さな炎だって馬鹿にならない。こうして、<人々の熱気がキャラメルを溶かし、川をつくった>という解釈が生まれた。
まだある。<人々の動きが、あたかも川が流れているかのような光景をつくった>というものだ。子どもの頃、走る電車の窓から、筋を引いて流れる外の景色をいつまでも飽きずに眺めていた、という経験がおありだろうか。あのとき目の前で起こったことを、あんたは今ここで正確に想い起こすことができるだろうか。
<川>は、南から北へ流れた。南に海がひろがり北に山並みが連なる地形からすると、妙な話だ。<川>が流れていたというのは案外嘘っぱちで、ただ、人の波が北から南へ移動していただけのことかも知れない。どちらが本当か? どっちだっていいじゃないか。あんただって本当はそう思っとるだろう。外は黄金色で中はドドメ色の置物? 気になるかね。このあたりではかつて、観音さんや阿弥陀さんなど小振りな純金のホトケたちが数多く鋳造されていたらしい。贋作も出回ったが、中がドドメ色のは粗悪品だ。本物は? 誰がどこに隠したか? 慌てるな。隠したんじゃなく、溶かしたんだ。溶かされた純金はどうなったか? どうでもいいが、その脅迫めいた物言いは何とかならんかね。私もたいがい天の邪鬼でね、そうガツガツされると喋る気が失せてしまう。別に謝ることはない。それにしても、自分の足で調べるのは骨だから、手っ取り早く全部聞き出してやろうって腹かい。あんたも相当ムシがいい。恐れ入るよ。
何年か経つと満月市もだんだんと寂れてしまったらしく、アスファルトが溶けるとか溶けないとか、そんな話をする人は誰もいなかった。ボロを着た髪の長い人たちが、地べたにひろげたベルベットの上に手製のアクセサリーを並べて売っていたとか、売りながらギターを弾いていたとか、そういうのも昔話としてしか知らないし、火喰い男なんて一度も見たことがない。けど、かつて賑わっていたというエリアのたぶん真ん中あたりに小さな屋台があって、そこで小さな木の板を相手にせっせと図工している小僧がいた。小僧には親方がなったから本当は理屈に合わないけど、多くの人は、なぜかその少年を<小僧>と呼んでおりましたとさ。そいつがパピィだった。
手作りの木製スツールに腰掛けて、目を凝らすのは、工作台の上の小さな茶色い四角。それを左手でしっかり固定して、右手でゆっくりゆっくり細工していく。とてもていねいに仕事していたのかも知れないし、単に不器用だったのかも知れない。
工作台の下は引き出しになっていト、開けると中央に仕切りがあった。左側の半分には、木でできたアファベットの文字が<A>から<Z>まで。右側には、彫刻刀、ラジオペンチなどの工具類、いろんな色のマーカー、ねじ、鎖、接着剤なんかがきちんと整頓して入れてあった。
「ふーん。AからZまで全部あるんだ」
屋台を挟んでパピィと差し向かいに置いてあったスツールに、タイトスカートの中でパンパンの腰を載っけながら、意味のないことを話しかけてきた人がいた。パピィは曖昧にうなづくだけだったからなかなか会話にならず、結局その人は注文した。口の方は黙っても、カラダのお喋りは最後まで止まなかった。パピィの屋台がちょっとずつ繁盛しだしたのは、その頃からだったと思う。
「部屋の入口に掛けるから、名前入れて。アキヨっていうんだけど、アキでいいわ。A/K/I、短か過ぎるかな」
「大きい板をお選びですから」
「“AKI’S ROOM”とかの方が収まりいいのかしら」
「はい、たぶん」
「じゃ、それでお願いしまーす」
簡単なやりとりのあと、板の上に文字が並びはじめる。
「こんな感じで」
「うーん。アーチ型ってあんまり好きじゃないのよね」
「…こんな感じで」
「オーケーよ」
「色は…」
「おまかせするわ。ただし暖色系は使わないでね。涼しくしたいから」
「わかりました」
「できたらこんな感じでグラデーション入れてちょうだい」
と、サンプルの一つが指し示されてカラーリングへ。作業の流れは、だいたいそんな感じだった。鑿や彫刻刀が使われることもあったけど、そっちの方は、わたしの知る限り喜ばれたためしがない。それでもパピィは彫るのを止めなかったので、何でだろうと不思議な気がしたものだ。
理由はそのあたり一帯の空気にある。と、したり顔で説明してくれた人がいた。わたしは違うと思う。確かにパピィは、どちらかと言えば不精者の部類に入ったけれど、同時に割と頑固な面もあったから。そんな訳で小僧は、来る日も来る日も件の木の板を、何枚も何枚も無駄にし続けましたとさ。暇だったんでしょうね。
それでも、日に一度か二度は、いわゆる黒山の人だかりができることもあって、
「ねえ、早くしてよぉ」
「は〜い、ただ今」
といったやりとりを、よく聞いたものだ。もっとも、<ただ今>にしては時間がかかったけど。
屋台には、通りがかりの人たちからよく見える位置に、
<スグできます! 五分でできます!>
と書いた紙切れが貼ってあった。大きめの板もあれば小さめの板もあったし、細かい細工もあれば大まかな細工もあったから一概には言えないけど、注文したプレートができあがるまでには、平均すると三十分ほどかかったと思う。要するに、その貼り紙は大ウソだった。
時間がかかり過ぎる。客の前でガムを噛むのは止せ。くわえ煙草もだ。シャツの釦は上まできちんと留めろ。彫刻刀は要らん。ろくでもない連中にかまうな。何かと小言を言うのが、日に一度見回りにやって来るマネジャーの仕事と見えた。客が途切れたら、こっちから声をかけて呼び込む。そら、気合を入れてやってみろ。謝るでもなく逆らうでもなくニヤニヤしていたパピィの胸もとで、でっかいペンダント型のゲーム機(ピイ〜ィィィィパピィ!って知ってます?)が、左右にぶらぶら揺れていた。
屋台のまわりには、いつもだいたい決まった顔ぶれが集まり、和やかな雰囲気だった。お互いを何だかおかしなニックネームで呼び合い、何が楽しいのか、いつも誰かがクスクス笑っていた。ふらっとやって来ては、けたたましくサックスを吹き鳴らす<ハナザカリくん>。子どものくせに昼間から酔っぱらっている<ブッディ>。ヘラヘラしている<ぎっちょのルーク>。小生意気で可愛らしい<ジェニー>。チューリップを植えたがっていた髪の長い<グレース>。みんな、どう見ても日本人だったが。妙なあだ名の極め付きは<サボテン若大将>だ。聞いた瞬間ヘナヘナと腰の力が抜けてしまい、俺は、その場にへたり込むしかなかった。
顔見知りになった頃、彼らのほとんどは、まだ小学生だった。サボテン若大将だけは、他の子どもたちよりも幾分年長で、クソ生意気に髭など生やしていたが。彼はそれほど頻繁には顔を見せなかったが、来るときはいつも独特の存在感を伴って現れれた。力で子どもたちを束ねる訳でもなく、特に際立った話術でみんなを笑わせる訳でもない。なぜか、その場に居合わせた人間を、温泉に浸かってでもいるように楽ちんな気分にしてくれるのだ。その頃俺は、実家を離れて通いだしたばかりの大学に早くも失望し、などと言えば偉そうだが、講義には顔を出さず毎日ぶらぶらしていたから、なおさらそう感じたのかも知れない。
入学して一ヵ月を経ても、この街の知り合いといえば、語学で同じクラスの人間や大家を別にすれば、下宿の向かいにあった喫茶店のマスターとアルバイトのウエイトレスぐらいのものだった。親父に知れていたら、間違いなくその時点で呼び戻されたことだろう。だがしかし、家を継ぐのだけは御免だったから、帰る訳にはいかない。かといって、どこへ行く当てがある訳ではない。どうして? どこへでも行けるのが学生の特権じゃないのか? 言っただろう。俺は地方の山村から出て来たばかりで、この街の知り合いなんてまったくいないに等しかったのだ。講義に出ない以上、語学のクラスメイトは知人リストか
ら削除しなければならない。大家さん遊びましょという訳にもいかない。麻雀は、入学前
からとにかく断ることに決めていた。趣味らしい趣味もない。で、入学後一週間目から、一日じゅう部屋でだらだら酒を飲んで過ごすようになった。ところが、三日も続けるとますます気持ちが腐ってくる。気分転換に大学前通りの店で飲んだりしてみたが、これにしたって毎晩続けるだけの経済力があるはずもない。そんなところから今度は外で、つまり屋外で飲むようになった。学生の姿を見るのがうっとうしいので、キャンパス界隈は避けた。浮浪者に話しかけられたり(からまれたり)、浮浪者でない人間から冷やかな目で見られるのが堪らないので、公園からも逃げ出した。で、最終的に落ち着いたのがここだっ
た。ここでなら、座り込んで缶ビールや日本酒カップを飲りつつ、何をするでもなく、何の気兼ねもなく、日がな好きなだけだらだらしていることができた。日曜日が歩行者天国なら、平日は飲んだくれ天国である。おまけに、ブッディと呼ばれている酔っぱらいのガキがいた。こうして、見事志望校に合格した俺は、昼間から小学生相手に酒を飲むまでになっていた。
しかし、小学生にもいろんなのがいる。ことに女の子は侮れない。これじゃあ、ときどき変な気を起こす奴がいても不思議ないな、と思ったものだ。誤解を恐れずに言うと、その頃の俺は、すんでのところ変な気を起こしかけていたのかも知れない。たとえば、切ない花柄のドレスを着てひらひら踊るジェニーを見ていたときのこと。ふいに、その子に座薬を入れてやる場面が脳裏に浮かび、ギョッとしたことがあった。
ある日、俺は思い切ってジェニーに声をかけた。座薬の件じゃない。例の、サボテン若大将の不思議な存在感について、ひょっとすると何かわかるのでは、と期待したからだ。
「さあ。ソンザイカンの服着てるからじゃない」
返事は素っ気なかった。サボテン若大将のことを話すだけで、空間の理屈が少しやわらかくなるようなところがあったのは確かだが、おちょくられたのか、ちゃんと答えてくれたのか、そのときの俺には判断のしようがなかった。
思わず、ここだ! と叫んでレアに急ブレーキを踏ませた。
「ちょっとぉ危ないじゃないのぉ。でも、このロケーションは悪くないかも知れない」
きっと彼女も、屋台のまわりにたむろする子どもたちが放っていたオーラのような何かを感じたに違いない。この場所で、彼らのために服をつくり、そして売る。考えただけで心臓の鼓動が速くなった。同時に、根本的な不安も感じていた。果たして、受け入れてもらえるだろうか。
「何考えてるのよ、小学生相手に商売するつもりな訳?」
BGMのザ・フーを圧倒するボリュームでレアの裏返った声が響いたとき、気持ちは既に固まっていた。小学生だって、ずっと小学生ではあり得ない。同様に僕だって、ずっと今の僕を続ける訳にはいかない。フェッ、フェイ〜ダウェ〜、とロジャー・ダルトリーがシャウトする。よし、まずは頭の中のユニオンジャックを焼き払おう。帰ったら、窮屈な千鳥格子のスーツを脱ごう。自分でミシンを踏みこしらえたジャケットも、馬鹿げたタイも、全部捨ててしまおう。てんこ盛りの古着たちも、新しい目でチョイスし直そう。よーしUターンして。
「もう帰るの?」
あの日、レアと一緒に乗り込んだバン。奇しくも、あれはカリフォルニアというクルマだった。
「信じられないよ。いつもぴっちぴちのパンツで、座敷の宴会には不参加。バーのカウンター席に腰掛けてるときでさえ脛が飛び出すからって、絶対膝を曲げようとしない。ギネスもののモッズ馬鹿だったお前がね」
仲間から驚き呆れられつつ、三日後には、僕は通りの住人になっていた。
初日から、パピィの屋台でちょっとしたいざこざがあった。原因はマネジャーだ。彼が見回りに来て二言三言話すと、アラブ系の客が激昂しはじめた。アラーを冒涜した訳じゃない。突然、一方的に売値を変更したのだ。金額の交渉はとっくに済んでいる。今頃になってどういうことか、と当然客は抗議する。マネジャーは急激な円高などを理由にたどたどしい英語で弁解を試み、見事にしくじった。その日の朝刊は、円高の進行が一段落し、これからはむしろ円安傾向に拍車のかかる懸念があると報じていたのだが。男の声はますます大きくなり、既に英語ではなかった。かわいそうにマネジャーは、苦笑しながらイッ
ワザジョーを繰り返すばかり。さして暑くもないのに、全身汗みずくだった。
窮地を救ったのは、サボテン若大将だ。哀れむような視線をマネジャーに注ぎながらおもむろに男の方へ進み出ると、彼は流暢な英語で話しはじめた。ミスター、どうか怒らないでほしい。これは、まったく意味のない話なのだから。この男、教材テープを買って英会話の学習をはじめたばかりで、とにかく実際に外国人と話してみたかったのです。知っている言い回しに、知っている単語を当てはめて行き当たりばったりに喋ったら、どうもとんでもないことになってしまったようですね。円高の話は、教材がつくられた頃のホットニュースだったんでしょう。びっくりなさったでしょうが、馬鹿な日本人の学習に付き合ってやったのだと思って許していただけませんか。もちろん、あなたが支払うべき代金は最初に契約した額を超えていいはずがない。発音はマズイけど、本人もジョークだと言ってます。
あるときは坊主頭の中学生たちが、屋台の小僧を殴ってやるんだと騒いでいた。パピィの店には、卒業旅行でやって来る学生なども含め女性客が多かった。いつも男ばかりでつるんでいる不良中学生から見れば、よほど羨ましかったのだろう。こらお前調子に乗るなよ、十年早いぞ。因縁をつける様子も、ほのぼのと微笑ましかった。だがそのうち、ついに一人がポケットからナイフを取り出した。このときも、事態を救ったのはサボテン若大将だった。もちろん僕とて、ただ手をこまねいて見ていた訳ではない。結果的に向こうの方が速かったのだ。速いのは好きじゃないなどと言いながら、風のようだった。おまけにタイミングまで小憎らしいほど完璧だ。それに引き換え僕はといえば、携帯から警察へ特急でコールしても、あいにく留守番電話。メッセージを入れる前に、彼は行動を起こしていた。
屋台の陰でリュックを開けると、サボテン若大将は中学生の一群を手招きで呼び寄せた。そうして、取り出した白いタブレットをいくつか、グループのリーダー格らしい少年に手渡し、片目をつむって見せた。それだけで充分だった。中学生たちは、おどおどしながら互いに目配せしていたが、結局この和解案を受け入れた。明らかに嬉しそうだった。
並んだ坊主頭の後ろ姿を見送りながら、サボテン若大将は小声で
「おなか大切に」
と、付け髭をはずした。
仲間の子どもたちは一斉に笑った。
ひとしきり笑ったあと、称賛を込めてパピィが言ったものだ。
「クールな若大将!」