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今夜の番組チェック

5/B



 赤ん坊の握り拳ほどの白いふわふわを吸い込みながら、天井のない部屋の床を電気掃除機が通過する。テーブルの下から、裸の男の子が指をくわえて盗み見ている。掃除機を掛けているのは部屋の主。ホースから手を放すと、Zライトをテーブルの下へ向けて微笑する。そうやって息をひそめてチャンスをうかがっているつもりなんだろうが、ご苦労なことだ。お前の考えていることなど、全部お見通しだよ。そんな微笑だ。
 天井のない部屋は円形をしており、ぐるり三六〇度めぐらされた壁は高い。高い壁の中程には、黒っぽい手摺りがある。手摺りの位置は、異常に広い入口から見て正面がいちばん高く、こちらに近づくにつれなだらかな稜線を描きながら低くなっている。目の高さまで下がってきた手摺りは、金属らしい質感をうかがわせながら入口の左右、扉の一メートルほど前方で床に届いている。階段ではない。正面に見える頂上を目指して、入口の両側から幅一メートルほどのスロープが続く。スロープの表面は荒いコンクリートで固められており、そこだけが奇妙に粗雑な印象だ。
 手摺りの向こう側、突き当たりの壁はクロス張りのような不自然な肌合いで、手摺りよりやや低く木の腰壁がめぐらされている。スロープの頂上つまり正面のあたりに、本棚らしいものが置かれている。目覚まし時計、砂時計、懐中電灯、ボンゴ、軍手、積み重ねた雑誌類、バインダー、ファイルボックス、ペン立て、写立て、鞄、飲みかけのウイスキー、薬瓶、トロフィー、木の、紙の、ブリキの大箱、小箱。本らしい本は見当たらず、得体の知れないガラクタばかりが乱雑に詰め込まれている。本棚の左右には、少し間隔を置いて木の扉がシンメトリーに並んでいる。さらに手前にも、左右対称に二つの木の扉がある。吹き抜けを囲んで張り出したスロープ状の廊下に面して、四つの部屋が配されているらしい。上から見ると、バームクーヘンを五等分した形になっているはずだ。一切れだけ、既に食べてしまった箇所がある。そこが入口だ。
 床が坂。と、パピィは呟く。あるいは、スキップフロアというのだろうか、部屋の真ん中あたりに小さな階段があるのかも知れない。いずれにせよ、手前側の部屋と向こう側の部屋とでは天井の高さが違っているはずだ。仮にフロアの面積が同じでも、とパピィは考える。天井の高い部屋の方が、その分開放的で気分がいいだろう。
 掃除が終わる頃には、すっかり夜になっていた。Zライトが消されると、星々の眩さが一際目立って見える。星空を見上げながら、部屋の主が呼びかける。おーい、いい加減で降りて来たらどうだ!



 「ジャズの方に行っちゃったのは、留学生宣教師の影響?」
 「関係なくはないだろうけど、自分で気づいている影響なんて、どっちみちたいした影響じゃない」
 「気色の悪いこと言うんじゃないよ」
 「気色悪いと言われても、気づいてないものは仕方ないだろう。あとで、ああそういうことだったのか、ぐらいには理解できることもあるだろうけど。それでも、自分が影響を受けたのか、逆に与えたのか結局わからずじまいさ」
 ハナザカリくんは、一升瓶の焼酎を自分でコップに注ぎつつ、以前読んだというシェルドレイクだか誰だかの説を引き合いに出した。
 「ちょっといかがわしい話なんだけどね。ロンドンのドブネズミが、地下の迷路を上手く通り抜けたとしよう。するとその瞬間、他の国の他の都市でも、ドブネズミたちは迷路くぐりが上手くなっているというんだな」
 「誰か確認したのか」
 「そんなこと知る訳ないだろう。でも、似たような例ならいくらでもある。ニューヨークのセシル・テイラーと東京の山下洋輔とかね。俺の場合だってそうだ。確かNHKのニュースでも取り上げられたんだけど、アメセルを持った小学生が日本中で同時多発した時期があったてね、俺が自分の楽器を手に入れて喜んでいた時期とぴったり重なるんだよ、これが」



 「おや、お帰りでございますかあ?」
 扉を開けると、欠伸混じりの大儀そうな声がした。門は開きっ放しで、ポーチには楽士たちがたむろしている。両足を抱えて座っている者、片肘をついて寝そべっている者、みんな思い思いの姿勢でくつろいでおり、誰一人動こうとしない。二人の兵士も鎧兜を脱いで石段に腰掛け、ポーカーをしながらのん気に煙草を吸っている。ボートは向こう岸にもやってあり、水上の音楽は聴こえない。来たときとはあまりの変わりようである。
 声と欠伸の主は、さっきボートに引き上げてくれたチェロ弾きだった。待機している間、存分に腕の筋肉を休ませていたのだろう。すっかりリラックスしてしまって、起き上がろうともしない。パピィは自分から申し出る。あのォ僕、水着持ってないんで、よかったら送っていただきたいんですけど。
 「時間外手当は前金でお願いしますって、ラケルちゃんに言ってきてくれよ。今戻れば着替えてる最中かも知れない」
 片肘をついた別の男が、柱に吸殻をなすり付けながら口を挟み、ケケケケケと下品な笑い声をポーチに響かせた。
 「嘘だよ。タイムレコーダが壊れたままなのは、何もあんたのせいじゃない」
 ラケルさん、直してくれないんですか? 誰も答えない。
 チェロ弾きは上半身を起こすとボートに向かって呼びかけた。
 「お仕事ですよー」
 反応は、ない。楽士たちは、全員ヘッドホンをしたまま仰向けに転がっている。水のようなこおろぎの声が、汚れたガラスを拭くみたいに夜空の透明度を高めているほか、わずかに樹林の囁きが聞こえ、湖面にさざ波が立った。しょーがねーなと苦笑しつつ、男はジッポーをカチャリと鳴らし、炎を揺らして合図を送る。
 眠たくなるような調べとともに、ふらふらとボートがやって来た。ポーチにたむろしていた使用人たちは、のそのそと立ち上がり、それぞれに屈伸運動をしたり、両腕をひろげて伸びをしたりしながら出迎える。服の裾で洟をかむ者、あーあと大きく欠伸をする者、ゴールドブレンドのコマーシャルの曲弾いてみろなどと余計なことを言う者もある。夜の湖上。びいどろの館の白いポーチに、白い服を着た男たちの姿が浮かび上がり、ざわざわと蠢いている。そんな下界の怠惰と規律のなさを、三日月が迷惑そうに照らしていた。
 「いい加減になさい!」
 館の女主人(?)が顔を覗かせ、鋭く一喝。派手な音を発ててヒステリックに扉を閉める。
 「へいへい。それじゃあ皆さん、頑張ってもうちょっとだけ、お客様のわがままに付き合ってあげようじゃないですか」
などと誰かが言い、男たちは首をすくめながら、それぞれ所定の位置に着く。
 「今の言い方、聞き捨てならないね。お客様の苦情は、もっと真摯に受け止めるべきだろう。オーバーワークになっているのなら、それこそ交代制にしてでもサービス向上に努めるべきじゃないのかね」
 「まあまあ、結果的にお小言のシーンをお膳立てして差し上げることができたんだし、第一、お客様のお客様の前で舞台裏を晒してどうするんだ? そんなことより、さっさと船を出そうじゃないの」
 議論が白熱しかけるのを故意に妨げるかのように、パピィは尋ねる。
 ところで、小便小僧はどこへ行ったんでしょうか。
 「この湖にも噴水ぐらいあってもいいのかも知れませんね。しかしながら、目下のところ小便小僧の予定はございません」
 腕を休ませていた楽士が、船上から手を差し延べながら答えた。しらじらしい男だ。パピィは相手を睨みながら、差し出そうとした手を引っ込める。うっかり余計な力仕事をさせてしまおうものなら、また、しばらくの間筋肉が使えないなどと恨み言を言われかねない。筋肉の方は大丈夫なんですか? 引っ張り上げてもらう前にパピィは、もう一度気遣いを見せておいた。だが、返ってきたのは、慇懃無礼を遙かに凌駕する小馬鹿にした台詞だった。
 「ご心配には及びません。最初から、私は楽器の演奏などできないのです」
 すっかり不機嫌になったパピィが舳先の指定席に腰を下ろすと、演奏がはじまった。荒々しいタンゴだった。バンドネオンがリードする不安定な和声に乗せて、別のチェロ奏者が鋸で木を挽くように音を出す。その方がスピードが出るのだそうだ。なるほど、ボートの通った跡に白い泡ができていた。
 胸のポケットをさぐりながら、パピィは、エプロンを着けたままだったことに気づく。
さらにまずいことには、ポケットにしまったはずの金と銀の彫刻刀がなかった。




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