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西洋系東洋人の読書と修行
西洋系東洋人の読書と修行


It was "Zen" I think.
When I was in high‐school, I was interested in John Cage's Music
and Beat literatures.
One of those days I saw the name of Dr. Daisetsu Suzuki
and his book "Living by Zen" in Cage's Interview.
It was my first interested in Magick I think.

Now I don't like Cage's music.
But He and his music made me thinking about Musick and Magick.

(Sorry for C.S.English)



 高校生をしていたある日、現代音楽シーンの巨星(と言って特に問題ないであろう)ジョン・ケージ氏のインタビュー記事を読んでいた折りの話。偶然性(チャンスオペレーション)の音楽の創造に関連して、やたらと<禅機>なる単語が出てくる。原語は何なのか分からないが、おかげで音楽家というよりは宗教思想家のインタビューを読んでいるような心地にさせられた。釈然としないまま尚も読み進むうち、実はケージ氏、禅学者(もちろん実践的禅者でもある)の鈴木大拙氏に師事していたのだということが分かった。…とりあえず読むしかない。私は、『禅による生活』1)という、メーテルリンクを思わせるタイトルの1冊を入手した。
 ドクター“ダイセツ”スズウキィについては、既に名前は知っていた。いわゆるビートジェネレーションのカリスマ(あるいはアイドル)的存在だったという話である。ビート文学については、その頃ケルアックの『路上』しか読んでいなかったが、これがまたクルマを飛ばす/酒を飲む/葉っぱを吸う/ライブ演奏を聴きに行く/セックスをする/ホットチョコレート(“熱いチョコレート”という訳がお茶目さんであった)を飲む/盗みをはたらく/突然座禅を組む/いきなり“午後の偉大なプルースト”について論じはじめる、といったスピーディかつ何だかよくわからないエネルギーに満ち溢れた小説だった。登場人物は、いずれも実在のビートニク(ビート族の連中)がモデルであるという。そこに描かれていたのは、いかにもいかにもなインスタント禅であったが、彼等の中からゲーリー・スナイダーのような人物が出ていることもあり、頭から単に不謹慎なインチキと決めつけるのもどうかと思う(余談だが、ジャニス・ジョプリンは生前、自らを“ヒッピー”ではなく“ビート”であると語っていたそうだ)。
 さて、もちろん「読めた」とは言わないが、とりあえず字ヅラを追う作業を終えた自分は、引き続き同著者の手になる何冊かの書籍に手を伸ばした。そして、自分なりにある結論を得た。
 「こんなもん、なんぼ読んでも読むだけじゃしゃーないわ」。
 自分は、座ってみることにした。
 線香に火を付け、ケッカフザ(いわゆる座禅を組むと言うヤツ)が苦しいのでハンカフザ(別名“吉祥座”〜組まずに、折り曲げた片方の脚の上に、もう片方の脚を重ねる座り方)の姿勢をとり、眼は半眼(ソフトアイ)、焦点をゆるめた視線は前方約15センチに落とし、呼吸は深くゆっくりと…。ものの3分でスヤスヤ即寝成仏である。

 何がマズかったのか。覆水盆と正月とは言え、とりあえず考えられるのは、
 1.眠り込まないよう、痛いのを我慢しつつケッカフザの姿勢をとるべきだった
 2.眠り込まないよう、他の方法を工夫すべきだった
 3.他の修行体系の実践を検討すべきだった
 4.現代音楽にも、ビート文学にも、神秘行にもかかずらうことなくテニスを続けるべきだった
といったところか。
 禅に興味を持つようになったきっかけが、毛唐の文士や音楽家だったとは、“アメリカ人のカレシの影響で書道を始めた女子大生”と同様に滑稽である。しかしそれは、予てより当たり前になっていた、いかにもありがちなエピソードの一つに過ぎない。

 ケルアックもケージも知らない頃、よく、かっこいいレコード(今にして思えば、ポピュラーな70年代ロックだが)を貸してくれた(当時)大学生のお兄さんがいた。インセンスの煙たゆたい、グレイトフル・デッドが鳴り響く部屋で「来週も来ていい?」と問えば、
 「ああ。…いやアカンわ、来週から俺2ヶ月ほどインドやねん」
との返答。お兄さんがたくわえていた髭は、どことなくジョージ・ハリスンふうであり、本棚には、(たぶん)マハリシ・ヨギの『超越瞑想法』などがあった(に違いない)。

 ビートルズのアルバムジャケットに登場した<魔術師>2)とやらに、並々ならぬ関心を抱く。ドアーズを聴きながら、カスタネダ<ドンファン>シリーズ3)を読む。ティモシー・リアリー教授の言動に興味を持った挙げ句、<チベットの死者の書>4)を探しに本屋へ走る。どれもこれもポピュラーな現象。しかし、多くの場合それらは、本場での動きとの間に若干のタイムラグがあったと言っていいだろう。結局、みんな“遅れて来たヒッピー”なのである。

 さて、自分を含め、各人各様の経緯を経て、ともかく西洋魔術の修行を開始するに至ったという一群の人たちがいる。では、なぜ西洋魔術なのか? この問いに答えなければ、この駄文は完結を見ないだろう。が、ひとまずここでストップすることをお許し願いたい。
 中途半端な状態のままUPすることにしたのは、あたかもカンフーの修行者が「きっかけはブルース・リーの映画でした」と告白するかのような馬鹿話にも、いくらかの価値があろうと信じるからにほかならない。


(2001年5月13日)





1) ちなみにこの書、もともと外国人向けに英語で書かれた“Living by Zen”の訳書だったというオチまで用意されている。
2) アレイスター・クロウリーを指す。
3) 瞑想道場で出会った仲間を中心に結成されたという変なバンド=ドアーズは、歌詞にもサウンドにもインディアン文化の影響が顕著。“カリスマ・ボーカリスト”ジム・モリソンは、一時『ドンファンの教え』の映画化を画策していた。
4) Dr.リアリーは、同書を<トリップ>のガイドブック用にアレンジした<サイケデリックバージョン>を発表している。



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