[PR]牝綾
Infoseek 喨涓截

2004年夏のスーパーフラット関連発言



 村上の売り口上を東が理論化し、それをまた浅田が批判 (敬称略)・・・みたいな流れがとりあえずあったり、そん なもん関係なく盛り上がったりしてますが、 私が苦手なのは、ネーミングとは裏腹な、内容の雲散霧消し た内面へのノスタルジアみたいなノリです。 「現在のスーパーフラットに足りないものはスーパーフ ラット性である」みたいな。
よそでつくってた饅頭の真似をして営業始めときなが らしゃあしゃあと「本家○×屋」を名乗るというか、 そんな感じでスーパーフラット的にやっていこうと思 います。

 さて、内面の奥の奥の深い深い深い階層にある秘密の部 屋、もしくは神殿の内陣にのみ鎮座まします霊性が、気が付 けば、ほとんど無防備とも言っていい様子で当たり前に、絶 対のリアリティとして今「そこに」在る。
 ちょっとは喜んだらどうなん? ということで、これを 可能にしている条件、あるいはそのことに気付いている状態 を仮に「ハイパーフラット」と言ってみた訳ですが。
 こんな時代に「まじゅつ」かなんか言ってる人に要求されるモラリティがあるとすれば、もはや戒律や教条主義的な 教えでは有り得ず、むしろ<神経スポーツマンシップ>とでも呼びたい自主的で明朗な美意識なんだろうなとイメージ してます。



 以下、追記。
 フォローを兼ねてというか、自分の思いも他人の悪口も、 モスコ氏ハッキリ言いましょうということで、何回かに分け て気が向いたときここに書いていこうと思います。



ハ  まずは、美少女フィギュアからinochiくんへという最近 の村上作品の感想みたいなとこから。
 村上隆という人については、ずっと、何だかヤな感じの 作品をつくるヤな感じの人ぐらいの認識でした。 それに、村上隆も好きじゃないけど、村上隆がネタを引 っ張ってくる世界はもっと好きじゃなかった。 村上隆、まあ売れてる人なんだから当然だけど、好き嫌 いに関わらず何となく目に耳に入る。けどまあ、美少女フィ ギュアがいくらで落札されたとか聞いてもヘエてな感じで した。
 が、これ、私は広告批評7月号で初めて知ったんですが、 明らかに従来のものと違う。化け物チックであると同時に、 そのへんに普通にいそうな子ども(型ロボット)でしょ?  スーパーフラット・ジャパンの申し子と言うべきキャラで、 しかも生きているという設定。まあそれを戦略的にやる訳だ からシニカルというか相変わらずのあざとさは強く感じる けど、何だここへ来て遂に自分の開き直りをまともに認める んか? という、ちょっとへんな世界で。この人、次は何を するんだろうという感じです。 彼(※inochiくんのこと)にはたぶん、<幼稚力>しかないんでしょうね(笑

 浅田彰氏によるテクストhttp://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/te cho11.htmlよりコピペ。
 ----1987年にアメリカで行なった「子供の資本主義と日 本のポストモダニズム」*[10]という短い講演で、日本のポス トモダン文化においては、超越的な価値を奉ずる老人も、価 値を内面化した主体としての大人もおらず、ただ相対的なゲ ームに狂奔する子供たちがいるだけだ、そして、資本主義が 幼児化を伴うとすれば、そのような日本の子供のポストモダ ニズムこそ世界の未来を先取りするものだということにな るだろう、と論じた(また、それと関連する文脈で、それが 〈想像界〉〜しばしばユング的な〜への退行を伴うことも指 摘した)。



 なぜ、現象としてのスーパーフラットがスーパーフラッ ト性を裏切ってしまいがちなのかということですが、説明さ ぼってすみません。 浅田氏の上記の言説は、「魔術」という言葉が持つ 何と なく優しげな雰囲気がキャッチィにアピールし、場合によっ ては、フラットなパースペクティブを曇らせてしまう力として働くことを示唆していると、C.S.的には読める。  Abrahadabraの中でロドニー・オルフェイスが言い切っ ていた <聖守護天使とは自分以外のすべてである>が、今 更にちょーリアルな夏です。



 単に「平面性の追求」という点については、平成日本の スーパーフラットよりも、かつてのミニマルアートの方がず っと徹底していた。なんて言われる「ミニマリズム」は、絵 画以外のジャンルでどうだったのか。

 まず建築。
 「この柱なくしちゃうと建物が崩れて中にいる人が下敷 きになってしまう」
 そんな性格の<必要>が否応なくついて回るせいか、建 築におけるミニマリズムは、思想的にはこれと言って新しい ものを生まなかったように思う。スタイルとしてのミニマリ ズム流行の遙か以前に、20世紀3大巨匠の一人ミース・フ ァン・デル・ローエが
"Less is more."
と言った時点から、何ら進展が見られない。
・・・なんて言うのは、素人の浅はかさでしょうか?

 次に音楽。
 少なくとも
 「これ取っ払うと人が死んじゃうからダメ」
という禁じ手のないとこからスタートできる 音楽の場 合、建築とは違って、ハイパーフラットな地平の発見が、ず っと容易だった。表現におけるどんな「最小限」も「過剰」 以外ではありえないことに気づきつつ、それを前提に自発的 に何らかの音を出した(聴いた)訳だから。

 いずれにせよ、それらはすべて実験の段階を経て、実用 段階に入ってから久しい。

 <見通しのいい地平に、過剰な霊性が噴出する豊かな世 界>で、<新しいかたちの空間認識に基づいて、そこに立ち現れ る霊性と交歓する> というのがC.S.的ハイパーフラット・イメージ。
 「しかたねーだろ?」という(現)スーパーフラット的 な開き直りではなく、この、かつてない見通しの良さを積極的に肯定したいと いうことです。
 まずは、せっかくの「見通しの良さ」をダメにしている と思われる「のべつまくなしの発情とノスタルジア」を制御 することから、行ってみよう!

(つづく)








(2005.2.5 ※bbsへの書き込みを抜粋・繋ぎ合わせたものです)




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