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キリンとドロボウへ進む
一杯目・無線手と海兵隊とクソ壺について 二杯目・タマフグとパンツと渦について 三杯目・ワチさんとデンキとタコ電球について 四杯目・ゾーンと瀕死の金魚と無精ヒゲについて 五杯目・エターナルフレームと浮上と漂う錆汁について 六杯目・酒と煙草と男とヴィレンについて 七杯目・少尉と俺と泥酔について 八杯目・修理とめしと不気味なアバターについて 九杯目・ツノジイラと個人的領土とトリュゴンについて 十杯目・淵とオアンネスと最上級のウソ話について 十一杯目・いまだかきかけ。 十三杯目・かさぶたと修羅場と少尉の強引な非論理的理屈について 十四杯目・大漁旗とイカ踊りとスワムフィスクについて 十五杯目・脱出とほぼ自爆と地獄のクランク回しについて 勘定
深海潜行
一杯目
ばあさん、酒二つ。海兵隊のこの小僧にゃシュナップスだ。俺ぁコニャックでいいよ。
なあよ、ふられた、だの何だのぐれぇでどう思うことすらねえんだ。恋愛だ? ありゃ全部嘘の話さ、あたりまえだろう? おまえ本気でそんな話を信じてるのかい? 世の中に愛があるだの恋があるだのそんな寝言が何になるね。いいか、世迷言をほざくのは止めて世の中と人間というもんをよく見てみろ。恋愛なんぞ所詮性衝動の態のいい言い訳か何かにすぎねぇんだ。それか自分の理想を人に押し付けてるだけだからな。てめぇのつらのまずさを他所に置いてヒトには美男美女を求めるたぐいの願望さね。
暖かい人間関係? ヒトとヒトの信頼関係? 愛情?……すまないがちょいと便所にいけよ。クソ壺の中で探してみた方がマシだな。
そしておまえにゃクソ壺に頭をつっこむような現実が足りてねぇし、うだうだ話すだけ時間のむだだとは思うがね、それじゃちょいと俺の昔話をきかせてやるよ。どれだけクソッタレな話かな。さもなけりゃ、酔っ払ってなけりゃあ、おまえを娼館にでも引きずってってくだらねえ説教なんぞよりも現実的な解決法を教えてやるんだがな。ずいぶんちっこいグラスだな、こりゃまるで玩具だよ。ばあさんめ、これでどんぐらい稼いでやがるんだ? まぁいいや、酒のせいで話す気になっちまった。けっ。
ろくでなしめ。思い出すだにどいつもこいつもろくでなしのクソッタレだが特にひどかったんなぁ二二五六年の北部噴流の戦だ。あそこはでかい渦が巻いてやがってな。まるで水洗便所の底無し穴へ引きずり込まれるように強い潜流が流れていた。あっちこっちにすり鉢状の海盆があって、しかもまわりにゃ海底火山があるからよ、亀裂から漏れ出した溶岩がビチ糞のなれのはてみてぇに固まりやがって、馬鹿でかい岩塊がごろごろごろごろあーなんだ、俺の語彙じゃ適当なことばが出てこねえんだがいわゆるクソ壺をだな、擦り動いていやがる。岩塊は、大きさ数百メートルのでかいすりこぎみたいなやつさ。比重の関係で重たい成分が下になり、軽金属が上に行くんでな。そいでもって噴出するそばから高圧冷却されるもんだからすりこぎみたいな形になりやがる……そんなもんが火山から湧き出る毎時八〇ノットの強烈な熱水噴流に乗ってぶん回ってやがる。底までは平均八万メーター、ようは八〇キロだ。底まで一挙に持って行かれたらよう、さすがに深宇宙航行で使ってるシェルフレームでも水圧に耐えきれねぇ。そこで撃破されたヤツらの打ち上げられた残骸な、ありゃ隕石にも耐える頑丈な設計のシェルフレームなんだが、もの見事にグシャグシャに潰れてた……死体なんぞのこりゃしないよ。みんな底棲生物のエサだ。ヒルみてぇな環形渦虫の類がみっしりくっついて骨の髄までしゃぶっちまう。
俺たちはそこで潜って戦わざるをえなかった。敵も出張ってきちゃ引きずりこまれていた。俺たちのフネはU−333、深宇宙航行用のシェルフレームを流用した頑丈な潜水艦だった。いいフネだったよ。機械の話なんざどうでもいいだとこの野郎? どうやって俺たちが深度一〇万メートルの地獄、水圧にして一平方センチ当たり一〇トンの重圧に耐えてたのか興味がねぇのか? 女のケツばかり追ってるから軟弱な話ばかり聞きたがるようになるんだちっとは我慢しろ!! 酒を飲め!! ばあさん、こっちにコニャックを二つ持ってこい! 氷はいらねぇ。
水は重い。岩盤みてぇにな。だが、潜れないことはない。圧縮率がほぼゼロだからだ。だから、押し詰まったあげく、水中でドリルをつかってむりやりもぐりこむなんてことはしなくていい……コインを投げれば底まで沈むってこった。ただべらぼうな圧力がかかる。一〇メートルで一平方センチ当たり一気圧、一キログラムだ。八〇〇〇メートルも潜れば、普通の潜水艇ならグシャグシャにつぶされちまう。わらってんな、俺たちがどんな所でどんな目にあったか、おまえにわかるもんかよ。
思い出すぜ……僚艦が、何の前ぶれもなく、小さなあぶくを吹き出し、つぎの瞬間に背骨もきしむようないやぁな音を立ててめきめきと圧壊していくのを。畜生め。ティッシュの紙箱を押しつぶすみたいに、空き缶でも捻り潰すみたいに、フレームがねじれてつぶれてった。まともな世界じゃない……いつも、壁のなかの世界だ。地獄の圧力がつぎの瞬間、いつ、何の保証もなしに雪崩れこんでくるかもしれん……脂汗をかいて俺は僚艦の断末魔をみつめてた。U−333のフレームについてる光ファイバーのカメラが俺の目だった。爆風みたいな速さで艦内に水が浸入していったんだろう……もう、水流なんて呼べないだろうな、天然の水圧カッターが内部の構造材もろとも切り飛ばし押しつぶす。人体がどうなるか? ショットガンで撃たれたようにボロボロにひきちぎられた後、空気分のあるところはのこらず潰れるな。ただ救いなのはまだ水気のあるところは、潰れず残るということだ。運よく、底棲生物に喰われなかったらな。陸戦の爆撃食らったみてぇに骨も残さずぶっとんで行方不明になるなんて話ではない。救いかどうかわかんねえけどな。
残骸は闇に沈んでいく……燐光が水中にぼうっと光る、電気放散虫が青白く光ってフレームにまとわりつく……発光信号みたいに揺らめいて、はるかな闇の奥へと沈んでいく……艦の龍骨の折れる音が下からひびいてきて、俺たちを心底ぞっとさせた。悲しげな、鯨の断末魔のような、長く音を引く断裂音だ。泣きながら深海へ、深みへ引きずりこまれていく。その音は、悲鳴みたいに遠ざかって、やがて消えた。俺たちは一部始終を見ていた。見ているより、手がない。酸素が無くなったとか、タンクがいかれたとか、電磁推進装置が動かないとかなら、ワイヤーをかけて海面までひきずりあげられる。だが、あんなふうに見る間に潰れてしまっては、どうしようもなかった。俺たちは茫然として、そこで動けなかった。艦橋でフネを動かす男たち全員が、六人とも、恐怖ですくんで目だけ動かして息を詰めて黙りこんでいた。
艦長やってた少尉が、かわいそうに、もうたすからない、といった。たすかる道理がない。フレームが潰れたらもうおしまいだ。並みの構造材じゃとても耐えられない。卵と同じで、最初の殻だけが一番固い。あとの中味は全部、フレームに比べりゃ紙細工だ。それぐらい、フレームは頑丈だ……飲めよ。素面じゃ話せん。聞いても面白くなかろ。俺が知る限りじゃ、フレームは地上じゃ作れない……オービターファクトリーでしか作れん。無重力下で、ナノ分子工学を用いて作る。原子と原子の結晶構造を、分子レベルで極めて密に、電子殻まで厳重に連結したものだ。熱、酸、圧力、すべてに強い。まず、電子の交換が起こらない。だから酸化しない……構造が密で、宇宙に偏在するあらゆる電磁波を通さん……有害な、高速の重粒子線でも弾く。チタンのように軽く、劣化ウランなんか足下にも寄せ付けないぐらいに頑強だ。U−333のシタデルは、そのナノアーマロイの複合装甲で、最厚で一メートルあった。薄いところでも五〇〇ミリの装甲で船体をつつんでいる。それでもだめなんだ……潰れるときには潰れてしまう。俺の見たとおりにな、空き缶でも巻いているかのようにぺしゃぺしゃとひねりつぶされてしまう。
俺たちは僚艦について絶望していた。ショックから立ち直りかけたときだ。今でも忘れない、海底に沈んだはずの僚艦から、鐘の音が聞こえた。そして、かぼそい何か、人の呼び声のようなものがきこえた。哀願するようなかぼそい声だった。追尾していた解析ソナーが微音を拾ったんだ。
少尉が宙を見据え、たちの悪いいたずらか何かか、と顔色を変えて、震える声でつぶやいたが、測探手が、もっとずっと青い顔をして、決して冗談ではありません、実際に音が出ています、とモニターを指してじっと少尉を見つめかえした。
水中では、音は本当によく伝わる。密度が高く、音速が空気中よりはるかに早い。減衰も少ない。固体をおすのと空気をおすのと、どちらが伝わりやすいかといえば、密度の高い方がよく伝わる。そういうことだ。飲めって。海兵隊さんよ。俺の顔を見てたって酔えねぇだろ。
少尉はな、勇敢な男だったよ。勇敢なうえにいまいましいほど律儀だった。だからヤツは、底まで行って、確かめにゃならん、とこう主張するわけだ。冗談じゃない。やめてくれ。あれに乗ってる連中はもう死んじまってるに決まってるんだ。あのあたりの海盆の最深部がのきなみ八〇キロを超えるのが少尉にわかっていないはずはなかった。俺たちまでそんな潰れるような目にあうのはごめんだ、ああ、しかし、でも、俺にも想像できちまったんだ。畜生め。どこのどいつかしれねぇが、赤い非常灯の明かりに包まれて、いまにも砕け散りそうな艦の最後の一室に閉じ込められて、電気仕掛けの死刑を待つばかりのラットみたいに血走った目で、ひきゆがんだ口で、必死に配管を叩き助けてくれと哀願している様子が。
ほっときゃいいんだ、いずれ死ぬに決まってるんだから! 酸素不足で死ぬか潰れて死ぬか、ほどなく決着がつく。少尉め。勇敢でアホウな少尉め。手のとどかない過去の記念物め。畜生。飲め。
俺たちはもぐっていった。いそがにゃならん。単位時間あたりの限界沈降速度など無視してな。空気がなくなれば向こうがアウトだ。海が荒れはじめれば、つまり熱水噴流が湧き起これば、俺たちがアウトだ。嵐の中の木の葉のように弄ばれる。そして、艦は、フレームが圧縮され、歪んで、内部の構造材ときしみあって例えようもないほどいやな音を立てつづけた。泡よ出るな、出てくれるな、見えるような巨大な泡がぜったいに出てくれるなと、俺はあちこち光ファイバーの監視カメラをのぞき、船体を見て祈っていた。見えるような泡が出たら最後だ。この巨大な水圧のなかで、泡は凄まじく圧縮されている。だから、見えるような泡が意味するものは、致命的な損傷がフレームに走り、膨大な量の空気が漏れ出したということだ。そして数十秒を経ずして俺たちも水に粉砕される。電磁推進器の噴射量が徐々に減っていった。やはり底にもぐるにつれて水も硬くはなる。そしてはげしく強い、驚嘆すべき自然の力が、巨人の渾身の握力が、俺たちのあらがう潜水艦にかけられているのを感じた。無言の圧力というものが、艦のすみずみまでみなぎり、緊張で張り裂けそうだった。四〇キロメートルの深さから、毎秒四〇メートルで俺たちは潜っていった。時速七七ノットだ。何? キロメートルじゃねぇとわからねえだと? 一.八五二をかけろ。それでキロメートル毎時になる。一四〇か。おまえ頭いいな、電卓がねえと俺は暗算じゃわからん。ほぼ全速だよ。それでも下につくには一七分はかかる。
下からは、繰り返し、繰り返し、周期的に、鐘の音がきこえてくる。俺たちを待つみたいにな。音は、だんだん大きくなる。確かに、だれかが、何かを呼んでいるんだ、みんなそう思った。歯を食いしばって、どこまでも陥ち込んでいく無重量の生理的な嘔吐を伴う恐怖に耐えながら、垂直に潜っていった。果てしない一七分だった。
海底はほの明るかった。微量な電気虫が漂い、海流を利用して発光していた。ゆるやかな海流があり、底棲の微生物を捕食する、外見がシダに似た動物たちが、扇状枝肢を伸ばして優雅に揺れていた。白く、やや緑のかった明るさの中に、僚艦は沈んでいた。軟泥に半ばうずもれて。
少尉が、操作盤のスイッチを入れ、投光器を旋回させた。返事をしろ、生きていたらなにか返事をしろ、そう呼びかけた。返事は、ない。こっちはやきもきしていた。フレームが耐えられる限界寸前のところをふわふわ浮いていたからだ。おまけにそこらの海は気まぐれで、いつ海流が湧き起こるかわかりゃしない。湧き起こったら最後、クソ壺へ引きずり込まれる。
返事をしろ、返事をしろ、そう少尉は律儀に何度もくりかえした。もし生きている連中が、ハンマーで船体を叩けばすぐにわかる。何をしてほしいかいってくれ、はやく、こんな状況は俺もあんたらももううんざりだ、俺たちはそう願い続けた。しじまを破って、ついに返事があった。
死んでいたよ。やっぱり、中の連中は全員死んでいた。死んでいなかったのは目覚まし時計だった。歪んだ鐘の音がディンドン、ディンドン、ディンドン、ディンドン……その瞬間の雰囲気はなんともいえない。壊れかけたアンティークなぜんまいじかけの目覚まし時計が、海底で、二度と目ざめない持主のために鳴っていたのさ。ブラックジョークがブラックなのは結局実際じゃねぇ他人事だから笑えるんだ。こっちは現実だ。少尉は静かに、もういい、ソナーを切れ、と命じた。
それから少尉は浮上を命じた。俺たちはうえへ上がって、U−453が事故により失われたことを司令部に報告した。
……なにをしゃべってんのかよくわかんなくなってきちまったな。酒がへらねぇよ。俺に喋らせてばっかでおまえ聞いてるだけか? 面白いからもっと聞かせろ? 困った海兵隊だな。恋と愛と女の話ならそっちが得意だろ。こっちは一回海にでりゃ数ヶ月は帰ってこねえんだ。そんなにネタはねぇ……まあ、少尉の顛末は最後まで聞かせてやるよ。飲み干せ……俺も飲み干すから……。
ああ、……少尉は律儀な男だった。だから戦局がどたんばで引っくり返されそうになった最後の夏のときも、よせばいいのに、結婚ほやほやで本部に呼び出されて、結婚休暇をすっぽって帰ってきちまったんだ。
少尉は逃げちまえばいいときにも逃げずに踏みとどまる大変結構な上官ぶりをいつも発揮していた。俺からいわせりゃロクなもんじゃないね、ヒロイズムも責任感も義務もみんな放り投げてやばいときゃあ逃げなきゃダメだ。死んだら終わりだからだ……記憶の中の記念物になっておしまいだ。クソったれ。
何だってああいう律儀な人間は礼服で帰ってくるんだろう? 嬉しげな顔をしてな、結婚式で着てたそのまんまの格好で、顔を上気させて、床屋に行ってきたばかりのつるりとしたきれいな顎で、今もどってきた、みんな、なんて幸せに満ちた若々しい声で言うんだ……まるで信念と努力でかえられないことなんて何一つないんだ、と全身で主張してる。もっと嫌ったらしいことに少尉は一言だってそんなことはいったりしなかった。元から信じきってるから言う必要がないのさ。こっちゃあ、げっそりしたね。もっとも、少尉は世慣れてないわりに腕のいい指揮官だったから文句はない。いい指揮官か悪い指揮官に関しちゃ、俺たちにはいつでも簡単な線引きがあった。俺たちを生かして連れ帰ってくれるやつがいい指揮官だ。生かして帰れないヤツは無能だ。自分だけ帰る野郎は最悪だ。そういうバカは艦からおっぽりだした方がいいし事故という形で結局そうなる。
ただもうちょっと部下をいたわる気があるんなら休暇をとっていただきたかった。なんとなれば戦局が急に逼迫するまで、指揮官不在の俺たちにあてがう艦長がいなくてよ、少尉殿のハネムーンがおわるまでは俺たちもドックをぷらぷらお散歩してていいってことだったからさ。それが、新妻に乗って子作りでもしてりゃいいものを、何でわざわざなじみのうすぎたねぇボロ潜水艦に乗りに帰ってくるのか、よくわからん。ほんとに謎だ。ばあさん! コニャック持ってこい。二つな。
二杯目
俺たちゃアーケロンの北半球、「夏の海」で作戦行動やってた。まあアーケロンでまともな陸地があるのは極地だけだ。あとは島ばかりだよ……陸がない。海陸比が九対一にもなる星だからな。神のいたずらか思し召しか、よくわからん。他のところじゃ、俺たちはニ、三度、もっと北へ行って氷洋で撃ち合いをやったよ。まだ浅くてあそこらはよかった。浅いつうても水深一万はあるけどな。西部の「魔女の割れ鍋」だの「淵」だの、それに南でみんな恐れていた「かさぶた」よりマシだった。話か。少尉のな。
少尉が急いで呼び戻されたのは、戦局だけでなく、輸送艦トリュゴンが墜ちたのも理由にあった。トリュゴンは重力制御のできる恒星間級のフネで、揚陸機能がついてる。つまり誰にもたよらず星から星まで自分のあんよをつけられるフネ、まぁ海兵隊の方がよく知ってるよな、揚陸艦にしょっちゅう乗ってんだから。そいつはこともあろうに俺たちの受け持ちの海域のすぐそばに不時着しやがった。それでこいつが生きてるか死んでるか様子を調べてこいと、礼服を着替える間もなかった少尉とお散歩中の俺たちに命令が下ったわけだ。
輸送艦といってもバカにできん、なにしろトリュゴンは大気圏に突入できるし、たいていの惑星の過酷な条件に耐えて作戦行動ができるからだ。そこらの戦艦の方が、皮は固いが作りとしちゃあ、やわだ。だからトリュゴンはまだ生きのびている可能性はある、と、本部と少尉は信じてた。俺か? 俺は半信半疑だったさ。何しろアーケロンはまともじゃない。トリュゴンが運よく海山の山頂付近に降りられれば、持ちこたえるかもしれないが。
まあ、御役御免でうきうきしていた俺たちは、五人揃ってヘバリモヅルみてぇにバーのカウンターにくっついてたところを、憲兵にみつかって本部へひったてられ、トリュゴンを見つけて来いとどやされて、しょんぼりしながらU−333をドックから離して出撃させたわけさ。
少尉はいつもどおりだった。俺たち五人の下っ端は寝ぼけてた。前の深夜に、ドックの高い外壁にくっついてて、波風で錆びて剥がれそうな飲み屋の「絶壁」で、犬舌酒をしこたま飲んで酔っ払ってたんだから、狭苦しい艦橋はもうアルコールの臭いでむんむんしてた。少尉まで酔っ払いそうでたまらなかったんだろな、しばらく水上航走させてたよ。重たくでかい「栓抜き」をズリあげてな、司令塔から顔だけ出して辺りを眺めてたっけ。「栓抜き」てのはハッチだ。艦の上面フレームが、七〇センチくらいの厚みがあるから、ハッチがさしこみ栓みたいになっていて、二トンぐらいあるそれを油圧で押し開ける。宇宙なら開閉に何の問題もねぇが、アーケロンじゃ重力が、正確にゃ〇.九九六二G……ようは地球と同じぐらいの重さがかかる。手で開けるならうんざりするほどクランクを回さなきゃならない。
海は凪いでいた。太陽の光が強く海原を照らし、白い大きな雲が、青にやや緑のかった空を流れていた。いくつもいくつも並んで、東に向かってなびいていた。雲の影と光のコントラストが明瞭に見えるぐらい、視界はよくすみ渡っていた。アーケロンの空気は水素が少し多く、酸素と二酸化炭素の量は地球の空気と変わらない。有毒な成分は含まれていない。マッチをすれば普通に燃えるし爆発もしない。大気圏が地球より大きいから地表にとどく光は、波長が青よりもうちょっとずれてる。そのせいで空の色がちょいと時間によって変わる。そのときは昼下りで、青に緑の絵の具を少し足したような深い色だった。波の緩やかで落ち着いた音とともに、気分よく爽やかな海風が吹いてた。
フネのハッチのまわりには、手摺のかわりに溝が切られてる。少尉は溝に手をかけて、あたりを見張ってた。航走時の規定通り、俺も双眼鏡もって背中合わせにあたりを監視した。ありがたいことに、ほんとうに平原みたいに凪いでいた。フネは、順調に電磁推進器のノズルから水を送り出し、時速一八ノットで進んでいった。
波が荒いとハッチの周囲に遠慮なく波濤が押し寄せてくる、ハッチの周辺は申し訳ぐらいに一段高くなってるが、ちょっと高い波は関係なく突き進んで乗り越えていく。とどのつまりずぶ濡れになる。U−333は荒天を水上航走するには向いてない。浮きみたいに遠慮なく揺れる。ローリングがひどいと、ころげまわって、寝ることもできん。
U−333がどんなフネかって? ベースの形は球に似てる。センサーロッドがごちょごちょトゲみたいに突き出している。ゆで卵にあちこち爪楊枝刺したみたいにな。爪楊枝は寝かせたり立てたりできるし折りたためる。その先には温度や音波、電磁波、圧力、流量なんかを測定できる各種センサーがついてる。艦尾には大出力の電磁推進器が四基マウントされている。
あとはそうだな、タマフグって知ってるか。アーケロンでよくつまみに出てくるんだがピリピリしてうまいやつだ。いや、正確には地球で考えるような魚じゃない。くえるけどな。球状の体に、空気のかわりにアブラをたくわえてて、その体積量を変えて釣り合いをとる層流魚だ。魚じゃないって。目が六つついてるし、ひれが八つ申し訳程度につきだしていて、口は開けっ放しだ。アゴがない。で、体の中に海水を通してデンキを起こし、ついでに濾過した微生物を食べてる。愛嬌があってかわいいぞ。あれによく似てる。U−333はベースが球体のわりに速く動ける。それは艦の表面に電磁力をかけて、流体と船体の界面に層流をおこし、摩擦抵抗を極力少なくしているからだ。タマフグよりも凶暴な面がまえになってるのは、艦の前面に三十二門配置されたレールガンを換装して、誘導魚雷の弾倉をくっつけてるからさ。前は四角っぽいが徐々に後尾に行くに従って球形になり、電磁推進の強力な四つのノズルが盛り上がっている、ま、そういう外形だ。方向転換は球形偏向ノズルで水を噴射し、横舵を使う。ついでにいうと深海ではタンクでトリム、ようするにフネの重さのつりあいだが、そいつはとれない。高圧の水を出し入れできるタンクも動力もない。そのかわりに、偏向ノズルをふかして、揚力を得て浮かんでる。だからメインタンクはないし、フネの重さやつりあいには浅海で補助タンクを使うだけだ。いうなればU−333は気球じゃなくて、飛行機と同じだ。媒質が違うだけで飛ぶということと潜るということは同義だ。もとが航宙駆逐艦のフレームを改装して潜水艦にあつらえてるからいろいろ不具合はあるが、仕方がねえ。
だがその日はよく晴れていたし問題はなかった。俺も寝ぼけ面で空と海面を見張ってたが結局何もおきなかった。
問題が起きたのは潜ってからだった。U−333は航宙駆逐艦と同じように六人で勤務するが、操縦と索敵で二人いれば問題なく動く。八時間で三交替制さ。俺の勤務のときに衛星乗りのブルー・グリーン・レーザー通信が来てな、トリュゴンは海底流に乗って相当流されちまってることがわかった。
俺たちはBGL通信のとどく浅海で、ビーコン右手、ソナー左手に平泳ぎしながら悠長に探し物をする気でいたんだが、クロールで泳いでいかねぇとまにあわねぇらしい。トリュゴンが競合地帯に流れ出たら敵に拿捕されてしまう。それより……もっと恐ろしいことに、「ゾーン」に入り込んじまえば、もう、絶対に生きては帰れない。「ゾーン」が何か、か。知らないよな。「ねばり水」や「滞留死海」のことかって? あれとはちがう。「鬼押し出し」? 怖くねぇな。波乗りに最適だ。「ねばり水」はマントルから湧き出す熱水噴流に重金属が混じっている重い流れのことだ。水に金属分子が大量に混ざりこみ、コロイド化している。つかまったら容易にぬけ出られない。ねっとりしていて比重が重く、潜流になっているから、どこまでも深みに持っていかれて潰されちまう。「滞留死海」は、海盆や海溝に、王水が沈留している地獄の水域だ。はまったら最後、溶かされてフレームだけ残る。それにくらべりゃ「鬼押し出し」なんてたかだか時速二〇〇ノットの高速噴流にすぎん。月の満ち干とマントルの潮汐、それに海の潮汐が作用して生まれる一種の高潮だ。あれに呑まれてやられるのは潮目のよめん素人だけさ。
「ゾーン」は、わけがちがう。あれは、南で悪名高い「かさぶた」だの、俺たちが潜ってた北部噴流の「メールシュトローム」だのと違う。自然に生まれた脅威じゃない。「ゾーン」についちゃ、おいおい話してやるよ。まあ、俺にもちょいと飲ませろ。そんなに一気に話しきれやしない……。
俺たちは増速した。小型の核融合炉「トカマク」に水素をぶちこんでヘリウムに変え、膨大な電流を作り出す。電流を電磁推進器が海水へ通電し、磁力と電力をかけて加速し噴射させる。その水流が、ぐんぐんとフネを加速させていった。少尉は艦長席に座り、天井からヘッドセットを下ろして、内蔵のモニターをみつめている。あれをかぶると海中の様子が四方八方よくわかる。視覚、聴覚、流量、温度その他海中の状況が入力され、艦の兵装から機関まで全ての情報が一目瞭然でわかる。通常勤務じゃ二人いればフネが動くが、戦闘となればやはり六人全員が持ち場に着いていないと、性能が充分発揮されない。艦長は索敵と指揮、操舵手は艦の操縦、雷撃手は艦の兵装の操作、測探手はソナー操作と情報の分析、機関士はエンジンの世話だ。それに俺がやってる無線手がいる。だが、このクラスのちゃっこい潜水艦に乗ってるなら、フネのどこについても一通りのことはこなせなくちゃならない。
乗組員がどんなやつか? まあ少尉は少尉だな。それにベテランの機関士のおっさんがワチさんつった。雷撃手は俺より歳が上のヨネヤマさんつう人さ。あとノギ、この測探手が一番若かったな。操舵手の名前? やつは俺の同期で中島サトシって名前だ。けどこういうちっこいフネの中じゃ、操舵手はだいたい誰でもカジで通っててな、やつもカジで呼ばれてた。で俺がギンジだからギンさんて言われてたよ。
俺たちは、ぐいぐいと水をおし分けながら増速していった。潜行角は三〇度、一秒あたり一〇メーターで潜っていく。
おびただしい数の、層流魚の群れがキラキラと発光する中を突き抜け、深度を増していく。
トリュゴンの不時着したあたりのことはよく知れてる。俺たちの持ち場のことだしな。水深は最深八〇キロメートル、海盆と海山の連なる激しい起伏がある。一番浅い山頂付近は水深四、五〇〇〇程度でたいしたことはない。問題は、トリュゴンがどんな流れに乗って、どっちへ行っちまったか、だ。もっと南へ行くと、ひときわ大きく盛りあがった海嶺を越えて競合地帯に入ってしまう。そこはもう、味方と敵が激しくシノギを削っているところで、敵の潜航艇や、聴音ブイだの自律機雷だのがうようよ泳いでいる。
測探手が、あたり一帯に指向性の高い音波を放ち、聴音結果を三次元的に解析して、水域地図に回した。俺も無線手席を立ち、中腰になって、ヘッドセットを天井からひっぱりおろし、かぶった。モニターが内蔵されてる。海の音がきこえてくる……海中生物の鳴き声、海流の重く粘る深い音、ごろごろと雷鳴のような海底火山のうなり……目の前の液晶のモニターには、切りたった海嶺、塔のように海面まで突き出した擬放散虫の柱島、深く忌々しい恐怖に満ちた海盆や海溝、そういった地形図が表示されていた。それに微細なドットの集合で、海の複雑な流れが表示され、ところによっては速く、またところによってはのろのろと、海流が海盆にわだかまったり、山脈の間を抜けていったりしている様子が表示される。危険な徴候を示す噴流や潜流はなかった。ただ、強い帯状の層流が生まれていた。山あいを通り、底の方へ徐々に沈みながら、海嶺の切れ目へ入り、競合地帯へ抜けていく、力強い流れだった。そして肝心要のトリュゴンはやっぱり、流れにのってどっかにいっちまってた。
少尉はうなって言ったよ。しかたがない、単独潜行で海嶺を越えよう。無線で本部につなげてくれ。とな。簡単に言ってくれるが、水中で通信をしようていうのは並大抵のことじゃない。水はほぼほとんどの放射エネルギーを吸い込む不透過な物質だ。
俺はULFの長い曳航索をのばしはじめた。極超長波を出入力するための四〇〇〇メートルはある長いひらひらした単分子ワイヤーで、たまにコイツに食いつくバカな肉食魚がいやがる。クラゲみたいにふわふわしているのが気に入るんだろうな。かじられたんじゃたまらねぇから電気を流して追っぱらう。一度、しつこくまとわりつくんで強力な電気ショックをくれてやったらな、いざ巻き取りにかかったら途中でひっかかってどうしても巻き取れない。仕方ないから浮上して確かめたら、なんともでかいスナダマシがかかっていた。六つ目で、扁平な鋭い鼻づらから吸い付き牙が張り出してる。それにケーブルが絡んで暴れてるうちにぐるぐるに巻きついたんだ。がんじがらめになってやがって、そんときゃほどくのにえらく手間どったよ。
少尉は意を決して、海嶺の向こうまで足を伸ばそうという気になったらしい。通信を終えると、少尉はヘッドセットを押し上げて、俺たちを見た。俺や機関士、雷撃手も少尉の方を向いた。さすがにアルコール漬けでくまの出ている顔だが、みな真剣そのものだった。競合地帯は、死ぬ確率が跳ね上がるところだ。
少尉もみんなを見回して言った。聞いてくれ、これから海嶺を越えて競合地帯を捜索する。トリュゴンは主機関に損傷をきたして不時着し、水没したものの、圧壊は免れたようだ。そしてこの帯状の流れに乗って競合地帯へ向かったと考えられる。だから、ベストを尽くしてトリュゴンを探し出し、できたら海嶺のこっち側に誘導するか、もしくは競合地帯の比較的安全なところで着座沈底させよう、ってな。
U−333は海嶺を越えていった。なるべくエンジン出力を絞り、静かに、そっと入っていく。無音潜行さ。消磁措置をとりながら、力強い海流にのって、海嶺の切れ目をぬける。俺は手持ち無沙汰だったから見張りに精を出していた。実のところ無線手なんて潜っちまえばあんまりやることがない。僚艦と艦隊を組んで頻繁に通信しあうとか、電子戦をやろうとかいうときには手が足りなくて、操作盤の前でタコ踊りするはめになるけどな。
音にはみんな神経質になった。特に、海嶺を越えると、虫酢の走る索敵パルスがどこからともなく、コツ、コツと聞こえてきた。遠いノックみたいな音だった。これが近くなると危険な徴候だ。敵の索敵ブイが発しているもので、探知されると回遊してる自律機雷や潜水艇がたかってくる。
海嶺の先は、平らな海盆が続いていた。潜流はおとなしく海嶺をくだり、忌まわしい「ゾーン」へと延びていく。あそこへまでトリュゴンが流されていなけりゃいいが、と俺は思った。U−333は、依然として、力強い層流の中にいた。もとが熱水の噴流だから暖かい。艦の中もいささか暑苦しくて湿ってる。だが、層流から出るわけにはいかねえんだ。温度差のある水の層は音波を弾いたり弱める性質がある。だからこの層流の中で静かにしていれば、敵の聴音装置はアクティブだろうとパッシブだろうと、なにであれごまかせる。俺たちは、しばらくはこの流れに乗って、敵のうようよしてる海盆の中を探ろうというはらでいたのさ。
ところが、心細いことに、あれだけ太かった層流がだんだんと痩せ細ってきやがった。どういうことだと思ったらよ、気まぐれな海底火山が噴流を流すのをやめちまったらしい。とてもこれじゃトリュゴンどころか、俺たちだってはこべやしない。胸くその悪い層流は、それから二、三時間したら不意に消えちまった。
とにもかくにも、新しい隠れ蓑を探さなきゃいけなかった。少尉はちゅうぶらりんになってまごまごしてるU−333を、垂直潜水させた。潜流を探し、そこにもぐりこもうとしてな。俺たちは、なるべく温度差のある層流の残骸、水たまりみたいな陰に、ようよう身を隠した。あっちこっちへごそごそと這い回り、海盆や海溝、あるいは海山の山肌をなめるように捜索した。磁気と音波、電磁波、それに艦載のBGLをときおりすばやく探射してな。結果はやっぱり同じさ。トリュゴンはいない。最後の怪しい場所を探査したあと、おかしなことに、まるで潜流が見当たらなくなった。ぴたっと、凪いだかのように、海底火山の震動もやんでしまっている。少尉は、もうしょうがない、エンジンを切って静かに惰性で潜らせろと操舵手に指示した。
俺たちがじりじりしていると俄然海中が騒がしくなってきた。音の通りがよすぎる。
コッ、コッという音が、遠慮がちなノック音から、あからさまなゴン、ゴンという連打に変わってきた。じりじりと音が上がり、フレームを叩いて跳ねていく。ヘッドセット内のモニターに出てる、危険な音波帯域を示すグラフが、青から黄色、さらに黄色からオレンジ、オレンジから真っ赤な帯域まで跳ね上がった。もうそうなると便所のドアをたたくような連打さ。いくらこっちがドアの中でがんばってようが関係ない、とうにばれちまってる。敵が大挙来襲してくるのが目に見えるようだ。
果たして、二時・十一時方向に感、三時・十時方向に感、六時・十時方向に感、と測探手が押し殺した声で告げる。そうだな、潜水艦戦は戦闘機の戦いに似てる。だが俺たちの水域の方が空よりでかく、そして速度はゆっくりだ。だから水平方向、垂直方向の順に、十二分割された文字盤の方向で敵の位置を言いあらわす。敵が正面の同深度にいりゃ十二時・三時てぐあいによ。
さらに水平八時のずっと上に索敵音源があった。やつら上から降ってくる。少尉はヘッドセットを持ち上げるとみんなに戦闘準備を命じ、静かにおろした。ソナーはさらに敵を探知した。こちらは一隻だというのに、敵は六隻もたかってくる。数にまかせて探深音波でこっちを探知してきやがる。測探手がヘッドセットをにらみながら、敵がビン玉を投射したと鋭く告げた。ビン玉は沈み込みながら拡散し、音に反応して食いついてくる誘導機雷だ。音を立てればモーターで近寄り、射程内に入ってからロケットに点火、つっこんでくる。敵は、俺たちをこいつで足止めしておいてから、魚雷でしとめる気だった。
低速で、忍び歩く猫みたいに、必死に逃げ回ったよ。だが、このまんまじゃジリ貧だ。少尉は無線手、電子戦用意と命じた。少尉は律儀なこった、重たいヘッドセットごと俺の方に首を向けてよ、なに首むけたって俺の方が見えるわけじゃねぇんだ、気分の問題でそこが少尉のバカ真面目な気質さ。俺はあのでか長いヤツメウナギの首みたいな、ぬめった形のヘッドセットが重くて嫌いだからしょっちゅうつけちゃあ外しちゃあしてたんだがな。それで少尉はデコイに音波を仕込んで投射するよう命じた。デコイは深海用に調圧してあって下へ潜らせることもできれば上へ浮かばせることもできる。もちろんプログラムどおり走らせることもできる賢いやつだ。ビン玉の沈降速度からして、もう危険範囲内に入ってきていた。敵は上にいて、ゾーンディフェンスみたいに、俺たちに圧迫を加えさえすればよかった。底まで達すればもう逃げられないし、動こうにも動かれない。やつらが持ち前の魚雷の射程に達したら、悠々とそいつを俺たちに撃ち込みさえすればいい。
なんともろくでもない罠だった。冗談じゃねぇ、んなことで死んでたまるかよ、俺は即座にコンソールを動かして、データアーカイブから音波一覧を引っぱり出し、U−333の加速から最大速度までの音声データをデコイに注入した。ハードディスクのカリカリという音が無機質にひびいて、ほどなく準備完了と俺がささやいたとき、測探手が魚雷発射音、と鋭くうめいた。射数六、推定命中まで三六秒、と続いて告げる。デコイ投射、ただし音を立てず浮かばせろ、と少尉がささやいた。それにもう一つ、アブラを流せと命じた。油は水より軽く、徐々に浮かぶ。さらに重要なことに音を反射し虚像をレーダー上につくり上げる。
雷撃手がしずかにコックを捻りボタンを入れる。ブシッという重苦しく圧迫された音がした。デコイが六基放たれて浮き上がる、わずかな感触がひびく。少尉は操舵手を呼ぶと、反転、スプリットS、とささやいた。U−333は横舵を利かせ、くるりと腹を見せてひっくりかえり、惰性で沈下しつつ、今度は潜舵をきかせはじめた。U−333の軌道は潜るに連れて今までの方向と逆への半円をえがき、再度天地が元通りになったあかつきにゃ、今までの進路と真逆に進んでいるわけだ。さらに最低限に電磁推進器をふかし微速で遠ざかる。
雷撃手、雷撃用意、と少尉は続けてささやいた。ヘッドセットを介して近づく魚雷音が聞こえる。プロペラの回転音にモーターの唸り、そして突進する金属塊の猛烈な水中擦過音だ。電動馳走中はたかだか五〇ノットしかでない旧式な兵装だが、標的に三〜四キロまで近づくとロケットに切り替わり俄然はやくなる。
魚雷音が近づいてくる。命中まで十六秒と測探手が告げる。ぐんぐん接近してくるがこっちはまだ動くに動かれない。俺たちは死にかけた金魚みたいにただよっている。俺は必死になって、海中の発光層を見張っていた。アーケロンの深海は、暗黒の世界ではない。浮遊する電気放散虫が、海流を導電体として発電しながら発光する。その光を細胞膜に当て、二酸化炭素を酸素と炭素に分離固定するのさ。いわば太陽によらない、海流による生態系だ。発光微生物の、大規模な層のまん中にいると、明るい時には本当に、太陽に照らされている様に明るくなる。
海は、電気放散虫の群れが雲のように漂って、白く薄明るかった。
雷撃手が測探手の捕まえた、敵潜水艦の推進音を魚雷のシーケンサーに覚えこませた。静かに、魚雷弾倉の扉をごくゆっくりと開く。
雷数六、至近と測探手が告げた。くるぞ、と暗いヘッドセットの中でヘッドホンから少尉の声がささやく。海は静かだ。しゅるしゅるしゅるしゅる、蛇の舌のように執念深い魚雷音が俺たちへ向かってくる。さらに三秒後、俺たちのおびえた猫のように神経質になった耳へ、あからさまなロケットの轟音がとどろいた。魚雷がラストスパートをかけたのさ。同時にデコイが一斉に全速前進の猛烈な噴射音を立てはじめた。
操舵手、微速前進、面舵。雷撃手、魚雷、六線投射と少尉が指示した。そのあいだにも魚雷音が凄まじい勢いで近づく。モニターにも、魚雷が上からすっ飛んでくるのが見える。さらにあちこちからロケットに点火する音が沸きあがり、急にあたり一面沸騰したような騒ぎになった。ビン玉が目ざめて殺到してくる、おびただしい射線が白い小粒の泡を吹いて狂ったねずみ花火よろしくぶっ飛んでくる。数瞬後、今度は花火大会みたいな爆裂音がとどろいた。デコイ周辺にちかちかっと白い閃光が連続して輝き、同時に強烈な爆発音と衝撃が潜水艦を叩いた。魚雷のひときわ大きい炸裂の波動が、真っ白く球状に広がる。俺たちはたたき回される薬缶のように上下左右まんべんなく激しく振りまわされた。ずんがらがっしゃんと固縛し忘れた私物のナベだか食器だかが落っこちる音がひびく。ずひゅんと一発、U−333のおそろしく至近を、魚雷がかすめて過ぎていき、そのまま深海へと消えた。ばっ、ばっと閃光がさらに二、三発とどろいて止んだ。
少尉の声が静かにヘッドセットにひびく。無線手、圧壊音。雷撃手、ボルトと。俺はアーカイブから圧壊音を選択して、フネの外へ派手に放送してやった。雷撃手はアブラとぼろ屑を「宝箱」から吹きださせた。船外にくっつけているボロいドラム缶を開けて、あらかじめ詰め込んどいたゴミだのアブラだのいいかげん着古したパンツだのを放出するわけだ。
音を聞いていると、やがて敵があわてだした。直下の派手な爆発音を抜けて、俺たちの放った魚雷が迫ってくるのに気づいたらしい。全速を出し、振り切るにはもう遅すぎる。数頼みに、派手に探深音波を打ち、音を慎まず推進していたつけだ。敵はしっかりと音響照準されていた。上からはデコイを撒いたり音を消したり、あるいは急激に推進音が増加したりと、あわてている音がひびいた。雷撃手が、命中まで約六秒、と告げる。
やがてさっきよりはやや控えめな爆発音と衝撃が伝わってきた。測探手が、命中音と圧壊音がすると伝えた。
一隻撃沈すると、索敵のノック音は唐突に消えた。向こうが消したのさ。音波は敵味方関係なく全て方向を筒抜けにしてしまう。ことにこんな、コップの中の水のように静まりかえった状態じゃな。俺たちは沈んだふりを続け、深度五〇キロの緩い斜面へフネを沈底させた。しかし敵はこっちが沈んだと信じちゃいない。静かに迫る推進音は消えず、怪しいノイズも増える一方だった。
こうなったら根比べさ。何が何でも見つからずにやりすごそうと決めた俺たちは、海の底で石ころみたいにだまりこんだ。炉の出力を最低まで落とし、艦内灯まで切ってエネルギーのノイズを減らした。上からは、推進音がひびいてくる。ときおり、俺たちの上を、静かに、橇でも引くような音を立てて通り過ぎていく。動いていないし、音も立てない潜水艦を見つけるのは難しい。深海の発光層は強くひかっていたが、一時間ほどすると徐々に明るさを弱め、反応が鈍くなって、ついには真っ暗になった。こりゃ都合がいい。あぶくひとつも出さずにじっとしていると、やがて敵の推進音が弱まっていって、ついには消えてしまった。けれども、推進器を切って、まだその辺に待ち伏せている可能性もあった。だから、真っ暗な艦橋のなかで、全員、耳と目をこらし、闇の向こうに神経をとぎすませて、時間がたっていくのを待っていた。こういうとき潜水艦乗りに必要なものは、時間にたえてじっと待つ根気のよさと気の長さだ。それに忍耐力と神経の太さがいる。かれこれ四時間もそうしてたらよ、ヘッドセットから、地面の中からの太くて大きなうなる音が聞こえだした。いままで黙りこんでいた海底火山が、ふたたび活発に動き出したのさ。あちこちから熱水流が沸き出し、力強い流れを作りはじめた。しめた、これで騒音にまぎれて逃げられるとほっとしたよ。のがれたと思ったみんなの間から、緊張の解かれた綱のようなぐったりした雰囲気がながれた。
だが、どうも様子が変だ。夕暮れの積乱雲が、ぽつぽつと雨粒を降らし、あっというまに滝みたいな流れを降り注がせるように、ホットスポットからのながれも、ぐんぐんと強まり、ついに沈底しているU−333をズリ動かすほどの激流になった。海底もぶるぶる震えが止まらなくなっている。
少尉もこいつは緊急事態だと悟って、敵よりもアーケロンの気まぐれの方に対処することに決めたらしく、機関手、エンジン全開、操舵手、全速で浮上と命じた。測探手が敵をほっぽって、一番強烈な探深音波を放ち、あたりの水域地図を解析している。音波だけじゃ情報が足りない、測探手は索敵用の強力なBGLを照射した。レーザーが暗黒の水の中をつんざき、薄く淡い青緑の閃光を放ってはるか彼方へ消えていった。水域地図のデータが量子コンピュータによって解析され、モニターに出てきたときにゃあ、「指揮官ハ常ニ冷静デアルヲ以ッテ可トス」を信条にしてる少尉でさえうめいたぐらいだ。俺は手を伸ばしヘッドセットをひきおろした。現時点からの予測海圧図が画面に映し出されている。海流が、粒子の集まりで水域地図にあらわされる。複雑に流れ、絡みあう蛇の巣のように、一見無秩序で混沌としている海盆全体の流れが見えた。食い入るように見ていると、海底から上昇する乱流と、海面付近の寒流が、相互に縄のようによじれ、海面まで達するような巨大渦の初期状態が形成され、やがて海面全体がすり鉢状にへこんでいき、ついに破滅的で巨大な「メールシュトローム」が出現した。頭の芯まで痺れるような恐怖が、俺を呆然とさせた。
U−333ができかけの渦のド真ん中にいると気づいたときにはもう、遅かったのさ。これまでで潜った中じゃ、一、二を争うような潜流が渦まきだしやがった。火山は鳴動し、地鳴りを上げて熱水を噴出している。敵はとうにおさらばしてる。俺たちは乱流からのがれようと必死だった。だが、ダメだ、俺たちは下に潜りすぎていた。フネが潜流に運ばれ、轟音に包まれながら木っ端のようにもてあそばれる。流速があっというまに八〇ノットを越えた。一番俺たちが恐れていたことが現実になりやがった。俺はコンソールにしがみついて、いつかの悪夢がついに本当になったと震えていた。無性に喉がかわいて仕方がなかった、喉一杯に塩が詰まったように感じられたもんだから、一杯だけでいい、飲みたくてどうしようもなかった。……あれを思うと今目の前に酒があるのがありがてぇよ、ちょいと飲ませろ……。
ああ、……海盆の斜面には、あちこちに溶岩の冷えた塔が立っていたが、それがのきなみ潜流の抵抗に負けてへし折られ、すりこぎみたいに海底を駆け下ってくる。寒流と暖流の複雑な渦が、上になり下になり、螺旋を描いてすべてを深みにひきずりこんでいく。操舵手がたまりかねて声をあげた、もっとパワー、パワーをあげろ、舵が効かない、てな。圧力が徐々に下がり、過流が寄り集まっていくにつれて、海山そのものが鳴動しているような吼え声をあげた。バケツの中の水を思いっきり回したことはないか? ふちからあふれそうなほどに、水が回って中央がへこみ、下がるだろ。それと同じさ。圧力が下がっていくのは、渦がどんどん形成されている証拠だ。海底を驀進するすりこぎが、海盆の坂を螺旋移動しつつ底へ殺到してくる。
操舵手は持てる経験と天性のすべてを舵にこめてU−333を操っていた。賭場でも見ねぇ必死な顔をしてたな、あんときのあいつは。流れにフネを立て、全開に電磁推進器を噴射している。潜舵を思いっきり下げた次の瞬間には、フネが突き上げられて逆の方向へ回ろうとする、そんなのはふつうありえねぇ機動なんだが、それを横舵でおさえつけながら、横滑りするフネを全開噴射でなだめてまっすぐ走らせようとする。フネはもうろくに反応しない。タテに横に吸い上げられ、つきとばされ、押し流される。ふっと横波が緩んだと思ったらこんどは逆からの強い流れがさしこんできた。洗濯機に投げこまれた金魚みたいなもんだ。操舵手が焦れた口調で、またモニターが砂嵐になった、しっかり解析しろと測探手にわめくと、測探手も激しい口調で、ぼくのせいじゃない、エコーがめちゃくちゃに響いて解析がおっつかないとわめいた。俺も錯乱気味に喉の奥でうなりながらコンソールにへばりつき、激しい揺れにたえていた。座席にベルトで固定されていたって、いきなり倒立したり横ざまに九〇度ひっくりかえったり、胃がおかしくなりそうだ。少尉が揺れるヘッドセットを両手でとっつかまえて、強い口調で、測探手、音波はだめだ。こう乱流がひどくては使い物にならない、BGLを十二時へ照射してデータ解析に専念しろ、そう指示した。
そのとき機関士が少尉に言った。機関士はおとなしい男で、もう長いこと乗り組んでいる先任下士官だった。ひごろぼそぼそ物を言う、ぬぼっとした妙な雰囲気のおっさんなんだが、その物言いをここでも出したもんだから、外の轟音がうるさくてまるで聞こえない。少尉が、何だ? 聞こえないぞとわめくと、ヘッドセットの音量が上がった。さすがにだれも平静じゃいられない、機関士が息をせわしくしながら言った。少尉、渦というものは、底へと駆け下る表層流と、底から出て行く底流があります、ここはひとつ潜りましょうと。ぞっとする話さ。底ではすりこぎがえらい勢いで中央へ迫っている。先任、潰されちまうぞ? と少尉が驚きの疑問形を返すと、機関士もきっぱりとこたえた。わかっています、しかし底に谷があります、その谷に隠れて東へ抜けましょう、このまま浮いていても渦が完成すれば中央へ吸い寄せられ、砕かれますと、そういったのさ。東だって? 俺がおもわずうめいた。なにせその谷は、「ゾーン」へまっすぐ伸びていたからだ。
みんな少尉の方を向いた。どの顔も不安と恐怖と長時間の疲労で汗まみれになり、いやに油がういて生気がなかった。そのくせ目だけは、青白い艦内灯の照明の中で、生きながら亡霊じみた、憔悴してギラギラした目つきになっていた。少尉はみんなの顔に視線を走らせて笑ったが、どうにも口の端が神経質にひきつってたな。ニ、三秒、轟音だけがフネの中を支配していた。まばたきすると、機関士のほうを見て、うなずいたよ。よし、もぐろう。そう言うと少尉は続けて指示を出した。操舵手、渦が完成するまえに谷へ入れ、測探手、前をよく照らせ、機関士はフルパワー維持、他の者は見張りだ、てな。
操舵手は操縦桿を押し、過流に逆らわず全速力で流れに乗せた。今まで正面に流れを受け、力ずくで浮き上がろうとしていたのに対し、今度はとてつもない速さで海を駆け抜けはじめた。速度を見てたまげたよ。一五〇ノットを越えてた。電磁推進の理論限界値が一〇〇ノット近辺だというのにそんなのを軽く越えているんだからな。ひときわ大きい衝突音が響いてフネが揺れ動いた。渦に乗っている石くれか何かがぶつかったらしい。平気だ、それぐらいじゃ壊れやしない、傷一つつかないとわかっていても気が気じゃない。ことにでかいすりこぎに正面衝突したら、フレームは無事でも俺たちが死ぬ。
操舵手は思い切りよくU−333を突っ走らせ、底まで螺旋を描いて降下した。底流はものすごく強い。あらぬ方向へ引きずられたら谷にもぐりこめない。底流は、同心円状に底を走っていく。螺旋運動から解放されたU−333は、底まで沈むと外へ押し流されていった。操舵手は苦労して底ギリギリを走らせたよ。表層流に吸い出されたらまた渦に弄ばれる。ところが底流は、底へと押しつけるように強力な圧力をかけている。底流を出ないように、しかし腹を底で擦らないように、推進器を噴かしてバランスをとらなきゃならなかった。すりこぎの群れはまだ海盆を駆け下ってるところで、俺たちはすんでのところで中央からぬけ出した。操舵手はフネを谷へもって行った。本格的に渦が荒れ狂いだし、谷に底流がなだれこみ、ホースのなかみたいに強い流れになったから、俺たちはあっというまに運び去られた。渦を遠ざかるのはいいさ。その先が問題なんだ、「ゾーン」に入っちまったらどんな目に会うかすらわからない。操舵手はフネの速度を落とし、最後には推進器をとめた。それでなお、電磁推進を止めても七〇ノットはゆうに出た。
そのときさ、クソッタレなすりこぎの野郎が、しかも特大のやつが上から降ってきやがった。普通のときなら音でわかるが、なにせ今はレーザーで照射している前方しか様子がわからない。うわっと思ったときには目の前一杯に降ってきて迫っていた。少尉が魚雷発射とわめく。雷撃手が一発、ロケットモーターに点火し、眼前のすりこぎに叩き込んだ。爆圧が海域をゆらし俺たちを打ちのめす。潜水艦が至近距離の爆圧ではじき飛ばされた。ものすごい震動と衝撃音、炸裂音で俺たちはゆすぶられた、艦内灯が砕けたのまでは瞬間的に把握したのを覚えている。だがそのあとのことは、俺にはわからない。全員覚えてないからわからないんだ。何がどうなったかな。フネは、おそらく、全員失神した状態で、落ちてくるすりこぎの下をすり抜け、ホースのなかを流れるように運ばれていったんだろう。俺は意識を消し飛ばされて暗黒の中に沈んでいた。ばあさん! ここの提灯が消えるのはいつまでなんだ? そうかい、長い話になりそうだからよ、ヴルストと卵でも焼いたのをつまみにくれねぇか。腹へった。いやぁいそがなくてもいいさ、こいつにゃお上品にザクスカでも頼む。
三杯目
さてよ、夜、悪夢にうなされて飛び起きたことはないか? 何かに追われる夢を見て、必死に走ったあげく目を覚まして、そのとたん周囲が暗闇であることに気がつく、本当に真っ暗闇だ。目がつぶれたんじゃないかと恐怖にかられ、手を伸ばし回りのものに触れてようやく自分が寝床にいることがわかる……そんなことさ。何たいしたことじゃねぇ、灯りをつければいいんだ、灯りさえともせば、いつもの俺のきたねぇ寝床から這い出て、とりあえずなんだかわからんこの状態からぬけ出られる……俺はもがいた。うごかねえ。体がどっちむいてるのかもわからん。顔がなんだか固いものにねじられて、おまけに足がありえない方向に投げ出されてる。なんで腹の上へ足が引かれ、投げ出されてるのか理由もわからん。あちこち痛かった、締め付けられてむくんでた。腕が両方とも動かない、痺れててな。だらりと吊られてる。うめいて、弱々しく体を動かそうとしたが、俺は動けなかった。また意識が遠のいた……。
あれこれ夢うつつをさまよっていると、ふっ、と何かを思いだした。鉄のさびた扉がきしんで開くような音だ。俺の生まれたボロい工場の扉の音みたいな……いや、思ったわけじゃない……空き箱に似てな、ひっかき回しているとどうでもいいものがひょいと、何の気なしに出てくる……幾度も、きしむ扉の音がかすかに、俺の頭によみがえった。過去が浮かんでくる……あれは、言葉じゃないんだ。頭の中に浮かぶ記憶とかそんなものでもない、声でもなく絵でもない、それらが心のうちから流れ去ってしまった後に残ったかすかな残照、ほのかにのこった温度……そんなものが、やさしく朧に流れ出てきた。
そのやさしいあたたかみをもたらしたものを俺は、淡い意思をふるって何とか探り出そうとしていた。そう、目の色は茶、髪は漆黒だった。笑うときゃらきゃら鈴の転げるような、はなやかな声がして、ぱっと周りの雰囲気が変わった。俺が酒を飲んでるのを見つけると必ず取り上げに来たし、あれこれと好き勝手に世話を焼いて、俺が食い詰めて潜水学校に行くと告げたときにゃ、目に涙を溜めて、次の瞬間俺をぶん殴って行っちまった。吊目でショートの娘だった。それきりわからなくなってしまった。
あいつと暮らしていたらどうだったろうか? どうなっていたんだろうか? 写真一枚すら残っちゃいない。
俺はあいつのことを思い出そうとした、だがだめなんだ、肝心なことは何一つ出てこない、なぜならそれは記憶じゃなかったからだ。しまいこんでおいたはずが、いつのまにか揮発し、脳の最後の最後に残っていたイメージの残照に過ぎなかったからだ。
徐々に、感覚がほのかに湧き上がり、いたみを思い出し、それに押し上げられて俺は完全に目覚めた。
とたんに、あちこちがぶん殴られたように痛んだ。顔がヘッドセットに押しつけられてむくんでいる。真っ暗で、右手と、左手を、無理やりに動かし、わずかづつ力を入れて持ち上げた。ヘッドセットに手をかけると、顔が楽になるように押しやった。真暗だった視界に、コンソールの緑に光る発光ダイオードが見えたんで、俺はいっそう力を込めてヘッドセットをぬいだ、フネが引っくり返って、頭の下に天井があるのが気配でわかったよ。ベルトで締められて苦しくてたまんねぇ。おまけにむし暑く、空気がよどんで重苦しく、頭痛を感じた。俺はカジの名前を呼んだ。死んでるわけねえ、俺が生きてるということはあいつだってのたくってる。果たしてしつこく呼んでいると、うう、とか、ああ、とか、コンチクショウとかぼんやりののしる声が艦橋のあちこちから聞こえてきた。みんながもたもた手足を動かし、寝ぼけている音がする。カジの、デンキをつけろ、デンキ、どこだ? とうめくのが聞こえた。あれ、つかないよ。艦内灯割れた? とヨネさんが言う。誰かがベルトをはずし、のさっと予備のダイオードランプを引き出しから引っ張り出す音がひびく、ついでにがしゃがしゃと引き出しのなかのものが落ちて天井へちらばる音がした。ぱっと白い光が輝き、ワチさんのもさっとした顔が照明の中に浮かび上がった。それから彼は天井を歩いて、手許をごそごそやっていたら艦内灯がついた。
ぼそぼそとつぶやくことにゃ、艦内灯の予備も割れてるからこいつで我慢してくれぃとさ。よく見たら眼下の艦内灯のところにゃ、でかいタコ電球がついてやがった。あ? タコ電球て何か、てか? まあようするに電球にタコのカタチしたやけにファンシーなぼんぼりがくっついてんのさ。俺も上手くいえねえ、そりゃ私物けぇワチさんとカジが言うと、うぅ、俺のむすめが送ってきた。学校の宿題で作ったらしいとワチさんが返事したよ。
ノギが、少尉、無事ですか? と呼んだ。やがて長くうめく音がして少尉が現実に帰ってきた。わたしは大丈夫だ、全員、無事か? と聞くから、カジが、俺たちは無事ですがフネがどうなっているかわかりません、ちょいとフネを起こして各部を点検しますとこたえた。やってくれ、わたしの右手がねじあげられて、しびれてかなわないと少尉が言った。
システムが緊急停止して落ちてる、再起動しなくちゃいけない。ワチさんがゆっくりと「トカマク」の出力を上げ、カジが推進器を立ち上げなおして、球型偏向ノズルをふかした。二度、三度ふかしてやると、ふわりとフネの浮く感触がして、天地がゆっくりと普通の状態にもどっていくのがわかった。ノギがヘッドセットのメインフレームを再起動し、なじみの液晶の光が戻る。時計を見ると、あの渦のさわぎから五、六時間経っていた。
モニターに、海中の状況が弱く映し出された。発光層の活動は弱くあたりはごく薄暗い。光ファイバーのカメラでフネの様子を見て驚いたね。どうもフネは、相当に流され引きずられてきたようで、船体にごちょごちょついてた爪楊枝みてぇなセンサーロッドがほとんどもぎとられてしまっていた。シェルフレームに、こすれてついたアザのようなものが何本も走り、通常鋼板の部分は激しく擦過傷がつき、歪んでいた。推進器のノズルもいたんでやがる。いちばんまずいのは舵が歪んでいたことだ。航行に大きな支障があった。俺の持ち場じゃ、浮上したときに使う無線通信用のアンテナが、ちぎれて持っていかれてしまっていた。そいつにはIFFの送受信器がついていたから、敵味方識別信号が出せないし受け取れなくなった。ようは味方にも敵にも容赦なく撃たれちまいかねない不審船になったわけだ、だが、まぁ、それは浮上して予備のをつければなんとかなる。
フネはあちこちぶっこわれていた。内部の部品じゃ艦内灯のほかに、空気循環補器類が衝撃でケースごと割れ、二酸化炭素を抜気する苛性カリの容器と送気パイプがもげちまってた。こいつは一番深刻な破損だ。二酸化炭素の空気中濃度が高すぎると頭痛を引き起こし、やがて中毒作用を起こして死に至る。
少尉は損害状況を知ると渋い顔をした。それから気を取り直し、天井をあおいでタコ電球を見るとまた渋い顔をした。非常事態でありまして少尉、というとやっこさんは咳払いして、やむをえないが可能な限り早急にあの頭足類を模したシャンデリアはとりかえたまえと律儀にいったさ。まあ結局そのぼんぼりは、過酷な戦闘に雄々しく耐え忍び、頭の上でつねに燦然と輝いてたけどな。軍の運用をも超える頑丈な照明器を製作せる、機関士の小学生のむすめに敬意を表し、飲め!……ああ。たまにゃおまえが頼めよ好きなのを。ラムか。ばあさん! 一杯くれ。
四杯目
……俺は昔から酒はコニャックだ、人すきずきさ、俺の場合はコニャックだ。こいつをのむとどういうわけだか頭がすっきりする。余計なことが全部取れて集中できる。フネの中で飲むわけにはいかねえがな、闇の中でひとり落ち着きたいときには最適だ。
センサーロッドがもぎとられたおかげでフネの外の状況がよくわからねえ。特に受動型のセンサーがねこそぎやられ、ヘッドセットのモニターに、未解析の砂嵐がひどく多くなった。海域の地形も海流も様子がさっぱりわからない、圧力計のしめす外部静水圧によれば深度は四四.二キロ。ともかくあの「メールシュトローム」の水流は、相当遠くまで俺たちを押し流したらしい。
通信が効かない。エーテルの中に電波が満ち満ちて、歌っているようだった。俺のヘッドセットの中に表示される、どの電波帯域の中にも強い電波の圧力がかけられていて、表示指数が真っ赤に跳ね上がっていた。水質データを調べると、電波胞子の微細な群集が、海水に大量に混じっていることがわかった。通信不能だ。
壊れたセンサーで周りの音を聞いていても満足な情報が得られない。浮上すれば衛星のGPSで位置がつかめるんだが、敵の支配水域にいるのか味方の支配水域にいるのか、見当のつかないところで、やみくもに動くとろくなことがなかった。情報を得るには止むを得ず、少尉は測探手に指示して探深音波を放たせた。測探手は火山の活動音に似た、波長の長いのをえらんで、音を放った。
しばらくしねぇうちに、まて? 遠くに、なんか聞こえるよ、そう測探手がいった。ヘッドセットをかぶった操舵手もいぶかしみ、雷撃手は今まで聞いた事のない音だなとつぶやいた。もう一度、音を出して調べますか? と測探手が少尉のほうを向いたが、彼はちょっと黙ったあと、少し様子をみよう、解析が終わったら海底地図を見せてくれ、そう言いつつヘッドセットに手をかけ、引き下ろしてかぶった。俺もどこにいるのか知りたいからヘッドセットを引き下ろした。しばらくするとモニターに海底地図が出てきたよ、地形照合から割り出した緯度と経度を見た瞬間にまさか、と思ったね。みんなもそう思ったらしい、雷撃手が低くなにごとか悪態をついた。少尉がきっぱりと、どちらにせよ浮上して換気しなきゃならんし、上がればGPSではっきりするさ、操舵手、浮上、微速前進、と命令した。
早急に舵を修理しなきゃならんことがわかった。なにせ進みはじめてちょいとしたら、U−333はよれよれと回転し、唐突に腹を上にむけはじめやがった。いよいよいかんなぁと機関士がつぶやいた、操舵手はだましだまし操縦桿とフットバーを使い、左手のバルブ操作盤で各部の噴射流量をこまかく変え、なんとかフネを上昇させてる。それでも八ノット以上が出ねえ。ほんとに瀕死の金魚よろしくフラフラ泳ぐのがせいいっぱいだ。
そのときさ。不意に、聞いたことのない嫌な音が、これ以上ないほど大きく響いてきた。浮上して位置きめる世話なんざねえ、いままで抱いていたかすかな希望が全て消え失せて、ここがどこなのか一発で決まっちまった。「ゾーン」のド真ん中でなきゃこんな音を出す化け物がいるものか。
ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎと、鉄の歯をきしらせるような嫌な音がきこえてきた。俺たちは全員、そのとたんにおびえあがった。雷撃手が艦内灯を消し、機関士が炉出力を最低まで落した。操舵手が推進器を切り、全員がひそともせずに黙りこんだ。全部、少尉に命令されずにやったことだ。
少尉だけは、様子がのみこめず、真っ暗になった艦内に戸惑っているらしかったが、勘がいいからありがたいことに一言も口をきかなかった。フネはゆっくりと底へ沈み、やがて岩の露出した海底に着座した。
ぎぎぎぎぎぎるぎるぎると長い、尾を引くような音は、ひどく近づいてくる。あたりの水域は発光層がすくなく暗い、その晦冥を抜けて、きしる何物かがゆっくりと近づいてくる。俺たちを心底おびえあがらせる恐怖の的になっているものが。巨大で長いそいつはまっすぐにこっちを目指してきた。
……見つかった……、雷撃手が静かに、おびえと苛立ちをこめて低くうめき、誘導魚雷のトリガーカバーをはずす音がした。指をかけているのを視覚でなく聴覚で痛いほど感じた。俺も気持ちは同じだ、だがそれをやったら、おそらく俺たちはおしまいだ。俺は雷撃手に必死にささやいた。うつな。……うつな。たのむから……そっと、ささやいた。ヘッドセットの回る音がして、雷撃手が、ゆうっくりとこっちを見るのが闇を伝わってわかった。ねじのこすれ音一つも出さないように、ゆうっくりとだ。少尉が、ささやくように、念を押した。雷撃手、わたしの指示なく国家の所有物を撃ち出すなよ、それから、あれは、なんだ、と。
「ゾーン」のオオヘビウオを、少尉は知らなかったらしい。異常変化を起こした生態系の、狂ったような進化を遂げた生物の成れの果てをな。
オオヘビウオは、体長五、六〇メートルの、長ったくて縦に平べったく、軟体質の黒びかりする体をくねらせ、U−333のまわりをいぶかしむように泳いでいた。ぎるぎると警戒吹鳴音を出し、大きく裂けた三裂の食い付きあごをかたく閉め、高圧電針を青白く光らせながらな、こっちを睨んでいる。生きた心地がしなかった。ヒレに生やしてる、根元が八〇センチはあるでかい骨針をU−333に射込まれたら、熱雷並みの高圧電流で魚雷が誘爆する。
やつの、大きな六個の皿みたいな目が動き、フネを見ていたよ。オオヘビウオは、下腹についた四つのヒレと、体側に沿って並ぶ大ヒレを、ガレウス船のオールのように緩やかに波うたせ、近くでしばらく旋回していたが、やがてまたニ、三度、U−333の周囲を回って、やがてふいと方向を変え、遠ざかっていった。
「ゾーン」の生物は概して、異常に攻撃的だ。普通の船は「ゾーン」に入るや否や奇形の生物に襲われる。巨大な弾頭を頭にしこんだ自爆魚がピラニアよろしくあっという間にむらがってくるし、「漂う錆び汁」がうようよしているところに入り込めば、シェルフレームですら三十分でボロボロに腐る。誇張じゃねぇぞ。鉄でも引き切る単分子ワイヤーの触手を張り巡らしたワナクラゲが浮遊しているし、甲殻類と頭足類を体のまん中で足したような地獄の化け物、もうアーケロンの生物のカテゴリーでは見られない、考えられないほど異様に変化した、名もない新種の巨大生物までうろついている。まるで神さまが酔っ払って、ありとあらゆる気まぐれをおこし、アーケロンの生物の個々の部品を、でたらめに、めちゃくちゃに引き当てて接合したみたいな、そんな化け物がいやがるんだ。星の、多細胞生物が生み出される初期の過程には、捕食圧や淘汰によってある一定の秩序や階層を作り出される以前の、恐るべき悪夢のような奇形生物がうじゃうじゃ蠢く混沌とした生態系の状態がある。「ゾーン」はそれだ。
改正国際人道法で今じゃ禁止されてんだがな、アーケロンで戦争をおっぱじめた初期のころ、ナノマシンを応用した分子生物兵器が投入された。ナノマシナリーバイオウェポン、略してNBWだ。ナノマシンは原子を材料に組立てられ、分子間にはたらく静電気や磁力を動力源に駆動する、分子級の小さな機械さ。細菌や、それよりも小さいプリオンは、一種の炭素や水素、リンでできたナノマシンといえなくもない。そういう意味じゃナノマシンは機械細胞だ。ナノマシンを設計した分子工学者達は、機械細胞に、兵器としての破壊力と、生物としての進化を与えた。世代を経て、単細胞から多細胞へ、確率でランダムに変異を起こし、たまたま環境に適合すれば生き残る……ダーウィンプログラムと同時に、遺伝子の盗み取りの能力もNBWには与えられた。その星のこたぁその星の生き物がいちばんよく知ってるっつうわけさ。NBWは生物に寄生し、遺伝子を複写した上で模倣を開始する。そうして効率よく、数段とばしに変化・複雑化を遂げ、その生態系にいちばん適応し、いちばん強く、いちばん多く繁殖し、あらゆる敵という敵を駆逐する……自動戦争さ。もう人間なんぞいらん。かつて、核ミサイルが戦争を絶滅させるだろうと信じられてたようなバカげた妄想を、お偉方はもう一度信じこんだわけだ。そして夢と希望とNBWを詰め込んで敵の支配地域に軌道衛星を突入させた。
その結果がどうかって? 分子工学者達は、個体は種全体よりも自己のために生存するって原則を忘れてたか無視したらしい。機械細胞の群体は、数世代もしねぇうちに予測していた以上の速さで複雑化し、進化の方向や系統樹もかつて見られないほどに異様なものになった。種の爆発さ。支配地域では激烈な淘汰と変化、全面的な生態系への干渉がおこった。より攻撃的に、より破壊力の強い毒や、酸や、爆発物、電気を使って襲い、殺しあい、食い合う。ああ、仲間だろうと敵だろうと関係ねぇ。競争は生の原理だ。既存の生物群はあっという間に絶滅した。
敵はしばらくのうちはあわてていたようだったが、やがて報復に、彼らの開発した新型のNBWを投入した。事態は、決定的に悪化した。NBW同士が交雑し、プログラムを交換し合い、やがて敵味方関係なく、制圧するべきテリトリー内に入り込んだものすべてに攻撃をしかけ、撃滅するようになるのに時間はかからなかった。敵であろうと味方であろうと皆殺しだ。完全に暴走し、手がつけられなくなり、やがてNBWが投入された水域は、敵味方とも撤退せざるを得なくなった。そして、放棄された水域は、「ゾーン」と呼ばれるようになった。「ゾーン」は第三の水域だ。自然とも、人間ともちがう。狂った目的の元に変化を繰り返す狂猛で排他的な生態系さ。
俺たちは暗闇の中で息を潜めてじっとしていた。フネは毒虫を満杯に詰め込んだ壺の中に放り込まれたも同じだった。あのオオヘビウオが引っ返してきたら、あるいは他の未知の化け物が現れたらと思うと、到底そこから動く気になれなかった。だが壊れた空調のせいで二酸化炭素が抜気できない。空調は止まっていた。もう何度も呼吸され使い古された空気は、湿気を含んで澱み、蒸し暑く、潤滑油や食い物や潮で焼けた鉄錆びの臭いがして、しかも二酸化炭素のせいで苦しかった。
なあよ、わかりにくけりゃ、部屋の中で電気を消されたと思うんだ。ふいにさ。それから耳もとで、いまお前のまわりのどこかに一個だけ画鋲を置いたって言われたと思えよ。軽いいたずらだ。でもおまえ、そこから踏み出す勇気はあるか? そりゃやろうと思やぁなんてこたないさ、歩ける。けれどな、足の裏をつっとおすあのずぶりとくる痛みを考えはじめた瞬間、そんな気分はあっけなくぐらつきはじめるんじゃないか? そいつがもしも画鋲一個どころか何個もばら撒いていたら? 今安全なのは今立っているところだけだ、って考えはじめるんじゃないか? ようはそんな感じだ。
無線手、と少尉が俺を呼んだ。全部の回路を開いて救難信号を出せ、てな。言われるままに救難信号を出したが、こんなに電波胞子の多い海じゃ、到底届くとは思えなかった。
ところが、さ。数分したとき、突然俺の見ているモニターに通信が入り、俺ははじかれたように回路を開いて、その通信内容を傍受した。少尉、と俺は鋭く呼びかけた。極超長波で通信です、と言いながら、受信に神経を集中した。どこから発信してるんだか、星の裏側からでも飛んでくるようにえらく切れ切れで、ときおり開く電波帯域の窓を、ようよう抜けてくる感じだ。それは一定の周波帯で、幾度も送られてきていた。我慢強く通信を拾うと、内容が復元できた。
我エターナルフレーム。直ちに救難信号を停止せよ。浮上せず、海底を無音潜行し、エターナルフレームへ向かえ、とその極超長波は語っていた。
どういうことだ? この命令はどこから来ているんだ? と少尉はいぶかしんだ。エターナルフレームってどこだ、と操舵手がだれにともなく独り言をうめいた。俺も聞いたことがねえ。少なくとも、南半球にも北半球にも、極地でも、そんな名前の基地は呼び出したことがない。しかも俺たちの位置をつかんでいるのはなぜなんだ? ありえねえことばっかりだった。不気味に思ったんだろうな、救難信号切れ、と少尉が俺に命じた。U−333は黙り込んだ。
まてよ、と少尉がつぶやき、ダイオードランプのわずかな明りをともした。立ち上がって、明かりの消えて薄暗い艦内を手探りしていたが、備品入れからなんだかフォルダみたいなものを引っ張り出すとどさりとコンソールの上に投げ出した。何をしてるのかと思えば、お手製の海域地図を覗き込んでいる。モニターじゃない、耐水処理したペーパーの古い地図だよ。律儀な少尉は研究熱心な男で、古い戦闘記録や海図をやたら集めていた。ふつう航海で使うアーカイブにだってそんな古いデータはない。
少尉は地図をくりながら、低く、先任、と機関士を呼び、二酸化炭素濃度を調べろと指示した。ややあって、コンソールをたたいた機関士がモニターを開き、濃度は二.八パーセントとこたえ、さらに、頭痛やめまいを訴えはじめる濃度ですとつけくわえた。少尉は、致死量の七%まであと何時間もつ? と聞いた。ややあってから、機関士は、計算上あと三〇時間です、酸素の方は圧縮酸素を放出し、もう少しもちます、が三〇時間以内に空気循環装置を修理するか浮上しなければ、二酸化炭素中毒で全滅です、そう機関士はぼそぼそと報告した。機関士の前のモニターに、陰鬱な一定のラインを描く二酸化炭素上昇のグラフが映し出されている。わずかな灯りに照らされた機関士の額に、汗が伝っておちるのが見えた。
俺は考えがどうも暗い方向にばかり行くのを感じて目をとじた。「ゾーン」にいること自体まちがいなんだ……。ここはもう、誰とも通信のできない、助けも呼べないデッドロックだ。本当に暗礁だ、そう思いながら、ヘッドセットを引き下ろした。外の様子を眺めたとき、発光層が降ってきて、あたりを明るくしはじめたのに気がついた。海底は静かで、ゆるやかに海流が流れていた。降り積もる微生物の死骸は少なく、わずかに底につもった砂も、かき乱されることなく、あたりは透き通っていた。岩砂漠のような海底には薄く灰色の軟泥が積もっている。そして、発光層は、強く光を放ち、海底全体を白く、遙か遠くまではっきりとわかるほどに照らしだした。ありがたくない潮目だ、そう思いながら俺は周囲を見渡した。オオヘビウオが俺たちを見のがしてくれた理由がわかったよ。
そこはまるで、墓場だった。あらゆる型の艦船が、おびただしくも無残な残骸をさらしていた。砕けた竜骨や骨組みが岩底からつきだし、岩塊にのしあげた船体が、朽ちて歪んで横たわっていた。びっしりと底棲の擬放散虫や骨殻虫が残骸にくっつき、炭酸カルシウムでできた貝殻みたいなものが、幾重にも発達し、表面を覆っていた。巨大な岩の塔も、あたりには、横たわり、うずくまり、あるいは高くそびえていた。海流の加減でよ、そこにゃ渦から投げ出されたあらゆるものが流されてきていた。嵐のあと、浜辺に、たくさんの流木が打ち上げられるように。ジェーン年鑑の艦船カタログ実物版さ、旧式なものも、新型も、敵も、味方も沈んでた。穴が開き、ねじれかえり、潰れ、引き裂けたなれの果て……俺たちのフネの外っつらもひどくボロボロになってたが、あそこに沈んでいるやつらとはまだ仲間じゃない。雷撃手が、冗談じゃねえやとひとり愚痴った。俺も同意見だ。機関士が口を開き、少尉、どうします、ともっそり尋ねた。
少尉は決心をつけたらしかった。地図をとじるとヘッドセットを引き下ろしながら、測探手に海域地図を出せと命じた。ヘッドセットのモニターに、なじみの薄い地形図が映し出されている。西側に俺たちの越えてきたらしき海嶺があった。東側は、東へ行くにつれてぐんぐん浅くなり、海の山脈が盛り上がっている。ほど遠くないところに頂上があった。水深表示を見るに高いところは水深一〇〇〇から二〇〇〇メートル程度だった。その海山にタッチペンの赤線でマーキングし、少尉が言った、これは規準海底高比六七〇〇〇メートルの海山、通称キシュトワール・シブリンだ、となりにあるのがクンヤン・キッシュ、その南隣がトランゴ、別名エターナルフレームだ。この山頂に、擬放散虫の柱島が形成する群島があり、そこに味方の港湾施設がある、てな。
半信半疑の面を並べている俺たちに向かって、少尉は、正確には過去形だが、十八年前、エターナルフレームに大規模なドックがあったのは確かな話だ、ここにいきつけないだろうか? 十八年前行われたNBW掃討戦の失敗以後、このドックは放棄され使用されていない、だが到着できれば、U−333の空気循環装置と舵を修理できるだろうし帰還の望みが大きくなる、トリュゴンの捜索も可能だろうということだった。少尉は律儀なことにまだ任務を諦めちゃいなかったのさ。判断の難しい場面だからみんなの意見を聞きたいと言った。
ノギは、少尉、引き返せませんか、そう意見具申した。少尉が地図をめくるとコンパスを出し、もう二、三回測ってるんだろうにまた念を入れて、ちょいちょいと針先を行き来させ、距離を告げた。引き返して「ゾーン」から出るより進んだ方が短かった。エターナルフレームまで二〇〇海里……三十時間で八ノット、潜行可能時間と行きつける距離を考えれば無理じゃねえ。これに対して、引き返すには、どこかで一度浮上せざるをえなかった。それでも、と測探手が浮上して救援を呼べませんかと言った。
俺は、浮上ぁよした方がいい、自爆魚の層につっこんだら死ぬぞと口をはさんだ。どこでもそうなんだが、海洋の生物層は圧力が減るにつれて増える。海面に近けりゃ日光もあって繁殖しやすい。アーケロンは海流によって独自の生態系を作っちゃいるが、高圧下よりも低圧の方が生物にとっては住みやすいところだ。結局海底がいちばん生物が少ない、そう言った。すると機関士もヒゲの伸びだしたアゴをなぜくりながら、外に出るにもな、「ゾーン」の境界には、たいがい、自爆魚がうようよしてるんだがなあ、まあ、そいつらを振り切れんと厳しいなあ、そうぼそぼそとつけたした。
カジさん、どうだ? と少尉が聞くと、カジはうなって、ヤツら群れてつっこんできます、全速が出せるならまだしも、今のU−333じゃかわしきれません、ムリですとこたえた。ノギがうめいてそっぽをむいた、それからあれこれとみんな首をつき合わせて相談したが、少尉のよりいい案は出なかった。最終的に、じゃみんな、決まりだな、潜行しながらエターナルフレームをめざそう、と少尉が明るく、こんな状況でよくもまぁ明るい顔してものが言えるもんだと俺は感心したんだが、そう命令したのさ。
そうしている間にも、得体の知れない通信は薄らいで行き、やがて完全に消えた。何者が何の目的で出しているのかわからない通信だが、確かにエターナルフレームと名乗った。少尉は内容に返信せず黙殺するよう俺に命じた、ただし回路は開いたままにさせた。
エターナルフレームまで二五時間……だが俺たちは全員へとへとに疲れていた。実際きつかった、食事もしていない、水も飲んでいない、しかもまだ先が長い。直線距離だって一日ちょいかかる。まして、警戒態勢についてからもうぶっとおし二六時間近く席についている。少尉は、四時間交代で、二人を空気循環装置の修理に回し、二人を索敵と操舵、そして二人を休ませることにした。
俺と少尉が索敵と操舵についた。雷撃手と操舵手がふらふらしながら床下のウナギ部屋にもぐりこむと、二つしかないベッドに入り、気絶でもするように眠りこんだ。機関士と測探手が機関室に入り、幅が八〇センチしかない連絡通路にもぐりこんで空調機械と取組んだ。実際、直径一〇メートルの球体内積を最大限活用しようというんだから、おっそろしく狭苦しいスペースに、核融合エンジンや燃料タンク、蓄電池、各部補機類、食料庫、便所にベッドに構造材やら配管やらがぎっしりつめこまれていて、閉所恐怖症の気があるやつが、んなところで作業した日にゃ発狂しかねねぇ。アクセス性は最低だ。機関士がフレームのあいだで、相当無理な姿勢でふんばりながらうめき、重たい部品と格闘しているのが聞こえる。昔々の潜水艇よりは少しは広い……だが、結局、人間の世界じゃない異常なところで戦争なんていう異常なことをやると、どうしても機械も人も無理をしなくちゃならない。ことに周囲が一平方センチ当たり数トンなんてわけのわからん高圧だとな。
動かしはじめると俺は、U−333の舵がどうしようもなくなっているのがわかった。壊れるまで鋭敏にきいていた舵が、ちょっと速度をだすとバタつきだした。それにあわせてフネがこきざみに揺れ動き、軌道がねじれ船体が回りだした。みじめったらしく、海底を這うようなのろさで進むほかなかった。そして、音を出さないように、なるべくやっかいなもんに出くわさないように祈りながら、少尉も背を尖らした痩せ猫よろしく神経質にあたりを見張っていた。少尉はささやき、なるべく黒い海底のところ、低いところを行こう、そう指示した。ああ、黒い海底には硫化鉄がたまってるのさ。澱んで静かなところは酸素を含んだ新しい水がいきわたらず、酸欠状態になっている……そうするとマリンスノーに含まれる硫化物で鉄が還元され、濃緑色や黒色に変わるんだ。「腐れ水」の溜まり場さ、そういうところは酸素がない、メタンも含んでてアーケロンの生物も嫌う。反対に水通りのいい海底には、酸化鉄ができて堆積物が赤レンガみてぇな色になる。俺たちにとっちゃ注意の色だ。
あたりは岩塊の乱立する荒れた海底が続いていた。海流はときおり俺たちを緩く包み、海山のほうへと押しやった。U−333は老人のすり足みたいなペースでよぼよぼ微速前進していった。周囲にゃ、酸を好む「岩喰い」の殻が散らばっていた。「岩喰い」は酸を出しながら砂岩や堆積岩に穴をあけ、住処にしている、軟体動物とも甲脚類ともつかない不思議な生物だ。酸で溶かし進む時に自分を守るための殻を作る。普通種はな、たかだかでかくたって数センチ程度だ、だがここに落ちていた殻はやたらばかでかくて、俺の胴ぐらいあった。かじられたらかなわねぇから、俺は用心しながら岩だの怪しい割れ目だのはさけて進ませた。
ときおり少尉は、俺に鋭く、止めろ、とささやき、フネを海底に着座させた。遠い薄い闇のむこうに、物音や長い影、あるいはゆっくりと動く、岩塔のように大きな何かが見えた。一度、見上げると、光ファイバーのカメラに、海底性のネジレソコヒキの仲間みたいなものが見えた……大きな、ネジのように刻みの入り、荒くれてでこぼこの骨節の張り出した灰白色の体を回転させ、悠然と動いていた。ああ、鰭や体をくねらせて泳ぐんじゃないんだ……あいつは回転して移動するのさ。ネジが回るようにな。ものすごくでかかったよ、長さが一〇〇メートルはあった。巨体ににあわず素早く、数メートルぐらいある発光性の軟体浮遊動物に食いついていた。みつからないようにひやひやしていたがそいつはこちらに気がつかず、なんとか潜り抜けた。
ひどく神経を使う四時間だった。底棲生物は姿を見せない。実際俺たちはついていたし、フネもそれ以上おかしくもならず、なんとか進んでいくことができた。しかし、海底はひどくささくれ立ってきた。地皺というやつだ、地学でいうならな。海底が一面横方向からの圧縮を受け、褶曲の果てにボロボロに裂けている。トタン板みたいなもんさ。はじめは、俺がまたいで越せるような亀裂が、徐々に深く大きく裂けていき、やがてU−333が入れるぐらいの谷が連続するようになった。こりゃあ神経にこたえる地形で、何が潜んでいるかわかりゃしない、少尉の耳だけが頼りだ。俺もヘッドセットの感度を最大にした。首は痛むし目はチラつく、神経が過敏になって聞こえるものと聞こえないものと俺の心の中での強迫観念みたいなものが混ざり合ってきやがった。頭痛がひどくなり、居心地の悪い吐き気が喉の奥にしこってしかたがなかった。終わりごろにはどうしてもフネが左へそれて行くような気がしてならない。おかしい、んなはずはねぇ、操縦席の俺はこころみにフットバーを蹴って右へ進路をずらした。少尉が、無線手、フネがそれてるぞ、と気がついたから、俺は元にもどした。どうも軽く正気から外れていたらしい。最後の一時間は気力だけで舵を取ってた……目の前にひろがる険しい谷の一つをこえるたびに、俺は視線を移し、またフネを進ませる、その連続だった。少尉も最初の方はひんぱんにフネをとめさせていたが、最後の方は慣れて、危険じゃないと思えばフネを進ませた。
どのくらいたったか、肩をたたくやつがいたから、はっと我にかえってふりむくと、操舵手が、無言で、赤い目をしょぼしょぼさせながらうしろを親指でさした。交替だ。雷撃手が艦長席に座り、ヘッドセットを引き下ろしながら、少尉の引継ぎ事項を聞いていた。だが休憩にゃまだ早い、空気循環装置を直さなきゃならない。少尉と俺が機関室への連絡通路にひっこもうとしたときさ、雷撃手がいきなり、おい! あれ、なんだ、とみんなに呼びかけた。俺はよれよれと無線手席にへばりつくと、自分のヘッドセットを引き下ろして首をつっこんだ。雷撃手が、二時・三時の方向に何か残骸が見える、そういうとモニターの画面を拡大した。機関士と測探手も連絡通路から這い出してくる。
距離五〇〇メートルぐらい離れていたな、あたりは薄明るく、シルエットが確認できた。それには擬放散虫がたかり、さかんに青白い燐光を放ち、明滅していた。俺には見当がついた。そいつはでかいフネの主推進器だ。構造材の一部、それに甲板とノズルがもげて、海底に突き立っていた。膨れて瘤だらけの、キチン質の背甲をまとったツブレガザミの大型異種が、ノズルのあちこちにとりつき、鉤肢を動かしていた。
重力子を展開する独特の格子構造のノズルが、叩き割れて歪んでいる。格子構造は、U−333をすっぽり包めるぐらい大きい。引き裂けた構造材が谷の斜面にひっかかり、破片があちこち散っていた。モニターを一目のぞいた機関士が、あぁ、揚陸艦の主推進器だ、まちがいないとぼそぼそ言った。揚陸艦は巨大な重力子エンジンを積んでいる。惑星の強い重力を打ち消して離陸したり着陸したりするためには化学エンジンじゃ効率が悪すぎる。
測探手が、トリュゴンのですね、と少尉へつぶやくと、彼は推進器をしばらくじっと見ていたが、思い出したように、かもしれない、記録しよう。無線手、録画頼む、そう命じた。俺がカメラを動かして記録映像に残したよ。奇妙なことに、ノズルも甲板もぶよぶよした軟体質に包まれていた。上から下まで一面、脂肪のようなものにくるみこまれ、網状に筋の入った皮膚組織がからみついて、海流になまめかしく揺れていた。ツブレガザミが鉤肢を動かすたび、赤っぽい筋や、黒い千切れ布みたいなものがひらひら揺れ動いている。それに底棲生物が群れをなしてからみつき、食いちぎっていた。
なんなんだあのびらびらは? と雷撃手がいぶかしんだ。俺たちはもっとしらべたかったが、なにしろ肉質の得体の知れないものがへばりついていたし、それを嗅ぎつけて巨大な生物がたかってくるとやっかいだった。ツブレガザミにしたって、警戒音を上げれば、ヌタウナギだのオオヘビウオだのを呼び寄せる。遠目から見るだけで、断念せざるを得なかった。
トリュゴンのものらしい破片をみたのはそれっきりだった。その先、エターナルフレームまでは、長かった……俺と少尉は空気循環装置を直そうとやっきになった。こいつさえ直れば、二酸化炭素で朦朧としないですむ……だが、重たいケーシングをひきずり、割れたパイプを抜き取り、漏れ出した潤滑油や溶液を始末するだけで、並大抵の仕事じゃないとわかってきた。割れを電気溶接で埋め、叩き割れたフィルターをひとつひとつ、漏れを確かめ、亀裂を塞ぎ、また組み直した。ケーシングのつぎは圧縮機さ。これをつけてるボルトの一つにどうしてもレンチがとどかなくてよ、ありあわせのものをつかってゆるめた。ベルトと針金とパイプ、それに機関士のマゴノテさ。ただ延長するだけじゃ駄目で、なかほどからL字にする必要があった。さいごの一本をねじりとったときには、無理な姿勢で頭はふらつくし力がはいりゃしねえ、俺はフネの設計者を心底絞め殺してやりたかった。そいつは、圧縮機のキャブレターを外すにゃ連絡通路に逆さにもぐりこみ、重さ三十六キログラムの装置を片手で持ち上げなきゃならねぇなんて、考えもしなかったんだろう。
四時間がすぎ、缶詰を食った後、くたくたになって俺と少尉は床下を引きあけ、ウナギ部屋のベッドに這いこんだ。二つしかないベッドはいつも前のやつの体温でぬるまっている。疲労と頭痛で寝たような寝ないような、ともかく気絶したように眠り、四時間が一瞬のあいだに終わる。目覚める瞬間が一番きつい……言いようのない吐き気が襲ってくる。
海流がどこからか出て、俺たちのフネはすこしはやく進みはじめた。海山は行く手にゆるゆると隆起し、熱水噴流の融けこんだ流れが、海面を目指して立ちのぼっていく。
ようしいいぞ、潮目が変わってきた、そう少尉が艦長席に座り込みながらいった。ヘッドセットを引き下ろす、額に油汗が浮き出ている。顔は青白かった。俺も同様だ。だがここからが大変だった……生物相が変わり、いきものが増えはじめた。はるか上層では、回遊している幾万匹もの自爆魚の群れが、俺たちの頭上で列を整えて泳ぎ、生きたカーテンのように揺らいでいた。フネは、発光層を避け、岩から岩へ、影から影へとじりじり這い登っていった。
席についている俺たちに、一度、いいニュースがあった。機関士と測探手が、空気循環装置を組立て終わり、テストすると言ってきたのさ。十五時間かかったがとにかく組み上げた……正直、ほっとしたよ。もう、相当に艦の中は二酸化炭素が濃くて、吸っても吸っても、際限なく息苦しい。汗ばみ、頭痛が続き、朦朧とする中で、神経は張りつめっぱなし……状況は悪くなる一方だ。だがやめるわけにはいかねえんだ。深度二万……ガスでまいるか、たどりつくか、どっちかだ。だからこれで一息つける、と心底俺たちがうれしくなったのは、わかるだろ。ただ、われらが機関士はな、機械は本調子じゃねえからあんまり期待しねぇでくれと言うのさ。
少尉が、かまわん、やってくれ、と機関士に告げると、おっさんめ、なんだか妙にうかねぇ顔しながらスイッチ入れたさ、そうしたら回転圧が十分上がりきる前におそろしい震動音が響きやがった。ゴリゴリバリバリどっか歯車でもいかれたんじゃねえかと思うぐらいすげぇ音だ、止めろ止めろ、冗談じゃねぇ化け物がたかって来るぞ! 少尉も俺も恐怖で疲れがどっかにすっ飛び、座席からケツを浮かし小声でさけび手を振り回してやめさせた。即座にフネを沈座させる。エネルギーノイズを全部消し、俺たちはまっくらになったフネの中で見えない視線を見あわせていた。ワチさん、どういうこったと俺がなじると機関士はよ、やはりなぁぁと力なくためいきをついた。ギンジよ、ベアリングに傷がついててなあ、全力で作動させると震動音がどうしても出る、フネの中じゃこりゃ、なおせんなあと困りはてて言うのさ。アゴなぜくってるのが見えるようだ。俺のアゴももう無精ヒゲだらけだったさ、畜生。怒る元気もなかった。
酸素も残り少ない。十六時間たち、俺と少尉のかわりに操舵手、雷撃手が席に着く。少尉が緊急用の酸素バルブをひねって、艦内に酸素を放出した。気圧が高くなり、俺と少尉は座り込み、めしを食う元気もなかった。俺は頭をおさえ、なるべく楽な姿勢でフネに身を預け、少尉も構造材によりかかり、薄目で時計をにらんでいた。二酸化炭素の濃度は、かなり危険な領域にまで達していた。
二二時間後、俺たちは、エターナルフレームのある群島の根元までたどりついた。海面まではわずかに二〇〇〇メートル。時間にすりゃたった八分か十分だ、それがとてつもなく遠かった。
最後の障害は光だった。発光層が強く光っていてよ、海流のせいさ、真昼の太陽のようだった……夜になり、冷却熱で海流がしずまるまで、待つほかはない。
発光層の上に俺たちの焦がれる海面はあった。なんとかして層を抜けなければならないが、待つしかなかった。熱水を噴き出すことの絶えた、枯れ果てたホットスポットの、腐った硫化鉄の軟泥にU−333をうずめ、俺たちはそれから日没まで十時間耐えた。アーケロンの一日は長い。三八時間で一日さ……飲めよ。どんなに情けねぇ目にあったかわかるだろ。酒があれば多少は楽なんだがな。喉を焼いて吐き気をおしこめられる……ああ。
ただ待つだけ、いつまでも続く最悪な時間がのろのろ過ぎていった。最低限に空気循環器の回転を絞り、音を出さないように耐えながら、待つ。死んだふりをひたすら続け、自爆魚やときおりさまよってくる、白くてぶよぶよしたでか頭のソコボウズだのをやりすごした。
測探手が一度倒れた。かわいそうにやつは海に出るのが二度目だった。こんな修羅場は、はじめてにちがいなかった。非常用の空気マスクをあてがい、何分か呼吸させると、測探手は蘇生した。だが、この空気ボンベはいつまでも使えるわけじゃない。せいぜい三、四時間しかもたない、ひどく粗雑なものだ。それを知ってるから測探手も、気がつくとすぐ、マスクを外せと言ってきたが、少尉はそのままつけさせた。いいからつけてろ、誰も文句は言わねぇ、そういって俺も測探手につけさせた。しょうがねえんだ。次に倒れたら、もたねえ。
生来ものぐさなのかエネルギー消費率が低いのか、どっちかわかんねえが、えらく粘り強い機関士でさえ、頭を振って朦朧としながら耐えてた。今度ばっかりは駄目かも知れねえな、俺はひそかにそんなことをずっと思っていた。気を失ってそのまま死ぬかもしれん。だが口に出すのはそれこそ恐ろしかったから絶対に言わねえけどな。ラム、ついでくれ……それぐらいでいい。
五杯目
いつのまにか俺は眠りこんでいた。浮上する、全員配置につけ、そう少尉が低くつぶやくのが聞こえ、ぬるぬると油の中をかきわけるみたいに意識が目覚めて浮上するのを感じた。誰かが俺の肩を軽くたたいた。粘り付くような、夏のように湿っぽく熱い空気の中で薄目を開けると、測探手の嬉しそうな顔が目の前にあった。浮上です、浮上、やつはそう言って俺をひき起こそうとした。あせるなよノギ、発光層はどうなんだ、そう聞くと、暗くなりましたと言った。いい潮目だ。希望が力を引き出し、俺はよたよた無線手席に座ってヘッドセットを引きおろす。操舵手がエンジンをふかし、水を加圧して噴射した。フネがゆるやかにかたむき、泥水を巻き上げてぼわりと浮く。モニターでは、闇に隠れてわからないが、エターナルフレームの断崖はすぐそこにあった。
U−333はメタン混じりの泥寧から這い出し、夕闇のような暗さの中をゆっくりと浮上していく。俺の見る、ヘッドセットのモニターの水域地図には、海山の山頂付近に幾本もそびえる、巨大な奥歯みたいな格好の島が映し出されていた。
そうだな、柱島というものは、どこでも山頂から海面へと切りたった断崖をそびやかしているものさ。海面に出ている部分はほんのわずかしかない。かつてトランゴは海面に出ていた、百万年前の話だ。それがだんだんと沈降し、今では完全に海面下に没した。そこに島があった名残には、太陽光で光合成をする種の、擬放散虫群体が作り出す巨大な島が生まれた。いまでも海山は沈降し、島は海面へと延びつづけている。海山の山頂からもっとふもとへ行くと、そこらには、かつて柱島だったものがいくつもいくつも崩れ、折れて横たわっている。なぜ折れるかって? そうさな、深度四〇〇〇メートル以上の圧力下では、擬放散虫の群体をかたちづくる炭酸カルシウムが海に溶け出すのさ。そうなると柱島の根っこが朽ちてボロボロになり、堪えられなくなって折れ、いずれ海に溶けてなくなる。そうして、始まりから終わりまでのサイクルが作られている……俺たちの生きている時間のなかじゃあまり関係はねぇけどな。
断崖、とさっき言ったが、エターナルフレームはほんとうに垂直に切り立っている。その断崖に底棲動物の群体がびっしりと張りつき、シダのような体節を伸ばし、まるで森のように生い茂っていた。海流がないからすだれのような分節肢を、ちからなく枝肢から垂れ下げている。発光層の微光で、俺の視界は青白く、あたりはモノクロの風景のように見えた。それを透かして、発光性の動物が、器官をさまざまな色に光らせている……赤、白、黄、青、ホタルのように点じては消える。密生していて、何が潜んでいるかわからん、が、いざというときには森に逃げこめば、やりすごせそうだった。
一度か二度、遠めに、ちかちかとまたたく何かよくわからないものが泳いでいったが、こちらに興味を向ける風でもなく通り過ぎていった。海は静かにざわめいている。遠くからの、眠りを誘うような海底火山の重低音が響く。空の紙コップをたたくような音、葉を滑らすような震える音……岩に毛細血管のような筋を走らせ、へばりついているよくわからない生き物の這いずる音、強靭な殻を断崖に埋め、感覚器官を外に出し揺らめかしている生き物が水を呼吸する音、ごりごりとすり動いている臼のような巨大な殻性の甲脚虫の音……俺たちに気づいて、わっと逃げ散った小さなナミワタリの群生地が見えた。珍しいことに普通種だ。背甲が紙を丸めたように覆っていて、その中に柔らかい本体があり、鰭脚をこまかく動かしながらすばやく泳ぐ。焼いて食うと殻がぱりぱりしてて塩気がある。脂肪が多いからカニをクリームでよく煮込んだような味だ。
海面まで一〇〇メートルというところだった。
雷撃手がおどろいてわめいた。うすあかりの中に、ぬっと、発光する家ほども巨大なアンノウンがあらわれたからだ。そいつは断崖を離れフネのまえを音なしに通り過ぎる。まだ名づけえぬ未知の生物をなんつったらいいんだろうな……風車の羽根ぐらいある膜状の鰭を波うたせ、その鰭をつき出している元には円筒の巨大な胴体が見えた、高感度熱カメラの映像で見える全体は家一軒ぐらいありそうだった。胴体下部中央から蜘蛛みたいに細い脚が八本、八方向に突き出し、途中から下へむかい折れ曲がっている。甲脚類かと思ったがそうでもない、俺にゃあどうも軟体質の触手だったように見えたな。フネにまとわりつくようにそいつは進路をさえぎった。ぐんぐん近づく、ぶよぶよした白っぽい体一面に細かい突起があり、筋繊維のすじめが走っているのまでも見える。あわてた操舵手が舵を切ったがU−333はアンノウンに衝突した。のさりという感じの感触がフネを包む。
俺たちも驚いたがむこうも驚いたにちがいない、そいつは巨体をのたうたせ、あろうことか、「漂う錆び汁」を胴体から触手から、体中の膿疱から大量に噴出し、あたり一帯を真っ黒けにしやがった。
操舵手! 電磁層流全開、急いで海面へ向かえ、少尉がただちに命令した。U−333は急角度に上をめざし、「漂う錆び汁」を突き抜けようともがいた。「漂う錆び汁」の正体は、ナノマシンが進化した機械細胞だ。装甲板の上に一滴たらしただけで、数十分たてば穴だらけ錆びまみれに食い尽くし際限なく増える。こいつらはシェルフレームも溶かす。酸やアルカリの化学反応で分子に働きかけるのでなく、分子結合そのものを切断してばらばらにできるからだ。
漂う錆び汁は形ある悪意のように、分厚く煙のようにフネを取り巻いてたかってくる。鉄板の焼けるような音がしはじめた。腐食しはじめています、測探手が緊張した声で告げる。
海面へ抜けろ、出たら全速で逃げろ! 少尉が操舵手に指示した。十秒、二十秒、まだ抜けない。黒い煙のようなかたまりは薄もやみたいな光を消して俺たちのフネを包んでいた。じゅうじゅうと泡に包まれるような音がひどくなった、装甲が赤錆びてぼろぼろ剥がれだすのが見えるようだ。たかってきます、推力低下、抜けられません! ほの白くモニターの漏れ出す光を背景に操舵手がわめいた。少尉が機関士の方を向くや電気ショック、と鋭くさけんだ。ショートに注意だ、行くぞ、そううめいた機関士は即座に操作盤のパネルを押し開き、ロックのかかった取っ手を引くと封のついた緊急ボタンを強く押し込む。
バン!! と激しい衝撃音が響き、暗闇を閃かして艦内灯が一瞬光った。ふっ、と液晶モニターの光が落ち、モニターがいかれたという少尉のするどい声がとんだ。急激な電源の昇圧のせいでコンピューターの回路が、まるで高血圧の血管がブチ切れたみてぇにあちこちいかれちまったのさ。
操舵反応がない、メインフレームが落ちた、操舵手がわめいて続けざまにスイッチを切り替える。続いてたぶん後ろむいてわめいたんだろうさ、いまコントロールをバイワイヤからバイケーブルへもどした、重い! ヨネさん、手伝え! そんな切羽つまった指示がこっちにとんでくる。がりがりぎりぎり必死に補助舵輪を回している。
雷撃手が即座にベルトをはずして操舵手席にすっ飛んでいった音がする。操舵手と雷撃手が、油圧補助のかからなくなったクソ重たい操縦桿を二人してうなりながら引いている音を横に、俺はプログラムを立ちなおす作業に忙殺されていた。
何度指令してもコマンドが走らない。それどころかメインフレームが立ち上がらない。OSが完全に轟沈してやがったのさ。しかたがねぇから予備演算装置を使って、索敵だの攻撃機能だの操舵機能だのはほっぽってまず電気系統とタンク関係、いわゆる水周りのプログラムだけなんとか確保した。予備なんて本体のMPUにくらべりゃ電卓みたいなもんだよ。とにかく浮上するのに最低限のものだ。
やがてまたタコ電球がじわっと明りをともした。機関士が落ち着いた手で炉の制御を行い、不安定だった機関の唸りがまた力強さをとりもどす。
さわぎに紛れ、ざわざわじゅうじゅうという音はいつのまにか消えていた。ほどなくしてフネは海面に躍り出た。ノズルの噴射音に、激しい空気の混じる音がひびく。
補助タンクブロー、浮力プラスへ、少尉が指示した。もう遠慮はいらなかった。
よれよれになった少尉は額の汗をぬぐい、ベルトをはずしながら下を向くと深く息を吐き、つかれきった顔で立ち上がった。外へ通ずる「栓抜き」が、ごりごりと押し開かれる油圧の音がする。ブシュンと空気の抜ける音がした。艦の中と外で、気圧差がかなりあった。耳が一気に減圧されて痛んだよ……少尉が、電気をつけろ、わたしと無線手が海面を見張って、ドックへ誘導すると言った。だしぬけに換気装置が動きだし、止まっていた空調から、新しい甘い空気が吹きつけてくる。じわじわ弱い火をともしていた艦内灯が、ぱっと強い光を投じた、機関士がなんともいえない、しかめっつらと笑い顔の混じったような、どうにもわからない安堵の苦笑いで、コンソールの脇にある空調に、へたばるように上半身をかぶせていた。
少尉が昇降筒を昇る、続いて俺も手すりに手をかけた。ほの白い外の明りをたよりに俺は梯子を昇り外へ顔を出す。月が昇っていてよ、さえぎるもののない満月の明かりが、しずかに、夜の海とフネと俺たちを照らしていた。そして何よりも、新鮮なアーケロンの空気で外は涼しかった……肌に染みるほど涼しい空気を胸いっぱいに吸い込んだ、俺は幾度も幾度も吸い込み、吐いた。頭がくらくらするほど濃密な、まるで吸っただけで甘くて酔えるような大気で、頭痛が薄らいでいくようだった。そうしている間にも、俺の胸や腕の周りに熱を持った空気が湧き上がり、流れ去っていく。恐怖と脂でねとねとになった汗の臭い、食い物の臭い、グリスや機械の臭気、人いきれ、便所の饐えた臭い、そんないまわしい腐ったような空気が下から逃げ去っていく。ふと気がつくと、海に浸かっていた手摺は、ぼろぼろに錆びた手触りがした。
月明かりで見ると艦はしみじみ満身創痍だった。舵は歪み、船体は擦り傷だらけで赤く焼け錆び、センサー類もカメラもソナーも役立たずに成り下がっていた。あちこちになお、死んで分解され白く見える機械細胞のペーストが、分厚いペンキみてぇに張りついていてよ、そいつらは夜光虫の青く光る波頭に洗われて、黒く透明な海へ失われていった。
少尉が、うれしげにふりむき、右舷の方向を指した。月明かりに大きな構造物が見える。四角く頑丈そうな質感のある建物だった……エターナルフレームのドックだ。たどりつきましたね、俺が疲弊したしゃがれ声で言うと、少尉はもう一度笑って、みんなの忍耐のおかげだと言った。本当に嬉しげな笑い顔だったな。俺みてぇに口の端だけ引くような薄ら笑いじゃなくてよ、正面から人の顔見て口開けて心底嬉しそうに笑う感じのな。
潜舵を使う必要のなくなったフネは時速十ノットで、よろめき、蛇行しながらも俺たちの肉声の指示でリーフを抜け、内海の奥にあるドックを目指した。暗礁のくだけ波の向こう、外海のあちこちで、ぼうっと、得体の知れない何だかとてつもなく大きな明りが、浮き上がり大きくなったり、沈んで小さくなったり、いくつもいくつもおどっていたが、俺たちに手は出さなかった。陸は、ゾーンの生き物にはまったく手の届かないところだったのさ。ボトルが空だな。おまえまだ飲むか? そうか、ばあさん、コニャック二つくれ。……なぁに大丈夫だ、ちびちび飲んでるから酔えやしねぇよ。
六杯目
なあよ、小僧。エターナルフレームの話の前に、アーケロンで延々続いた戦争について、いやまぁ、いまも銀河中でやらかしてる戦争についてきちんと知ってるか? あ? 高校の授業で習った、けど忘れた? なんて野郎だ、んなこったから……まぁな俺も忘れた、へへ。うっせぇな俺たちが知ってりゃいいのはテストに出るような、んなこまっけぇところじゃねぇ。俺たちゃ同盟。むこうは連合。今戦争中。しかも百年前からな、銀河の大体半分ぐらいっつを領土にして、星を取ったり取られたりの小競り合いをやらかしてる。それで話が通じるんだからいいんだ、そういうことにしとけ。学校なんかもう関係ねぇんだ。まぁ、星が多いから、アーケロンなんて辺鄙な星での戦史がどうだったかなんてのは、軍事マニアでもなきゃ知らねぇ話だ。
アーケロンは同盟が完全占領するまで三十三年の間、戦闘が続いた。エターナルフレームも、ドックが建造されて以来、要塞化され、何度も何度も主を変えた激戦区の一つだった。そしてNBWが使用され、十八年間の間、無人だった。俺たちが来るまではな。実際、NBWで生態系が発狂し、島が放棄されてから、はじめて再びたどりついた人間だったんじゃなかろうか、俺たちは……。
深夜に浮上した俺たちのフネは、月明かりで珊瑚礁の中の水路を抜けていった。満月とはいえ薄暗くて、水の中まで見えん。しかも礁湖の中には連絡艇や戦艦が朽ちて沈み、大きな武装ケーソンも空気が抜けて、水の底に長々と横たわっていたから、やむを得ずU−333の前照灯をひとつだけ点した。司令塔の脇についている、涙滴形で、半埋め込み式の大型探照灯さ。分厚い耐圧レンズを通して強い光を注ぎ込む。円筒状の光帯が、フネの前、水の中と底をゆらゆらと照らし出した。
俺は身を乗り出してあたりをきょろきょろ眺めてた、不安だったし興味もあったからよ。
でかい礁湖の幅ぎりぎりまで、そうさな、蜘蛛の体躯のようにドックの建物が設けられていた。脚のように消波堤のフェンスや誘導軌条が伸びていたんだが、叩き壊されて途中で落ちていたり、鋼板が剥がれて錆びた補強材がむき出しになっていたり、しかもいたるところシダレモだのオオウチワだのの藻類が海面から伸び上がるように巻きついて盛大に生えていた。まぁ藻といっても細胞の作りも地球のそれみたいなもんじゃないが、表層を漂って太陽光で繁殖し、第一次生産者に属するあたり、地球の藻に近いような生物だよな。科学者の分類でどういうのか正確には知らんが。そしてそんな植物チックな生物が夜目にも繁殖しまくってるせいで、エターナルフレームは、なんだかもう基地つうより、草だの林だのがぼうぼうに生えた本物の島みたいになっていた。
酸を出す甲殻生物の侵食にもけなげに耐えて、耐酸鋼が突き立っているのが月夜の海面のあちこちに見えた。ボロボロに朽ちて爆撃痕や直撃弾のあとが残り、それに燃えた燃料の黒い焦げ跡が染み付いて雨でも取れねぇんだな、そこらじゅうもう、まさしく古戦場の残骸だった。
ドック本体は、ばかでかくてよ……そうだな、高さも広さも奥行きも、城ほどもあった。高さ数百メートルの、大型艦用正面ゲートはきっちり閉ざされていて、とても入れそうにはない。壁面に錆びが焼き付き、何か得体の知れない巨大な塊がぶち当たったあともあった。銃弾や砲弾の命中した貫入痕がいたるところに残っていて、しみじみ寂しい気分になったな。
廃墟だなぁ……と少尉が嘆き、続いて、中まで完全に壊れていなければいいがと危惧した。俺も、変なもんがのたくってねぇかどうかひそかに恐れていた。
フネをドックに入れるなら入り口を探さにゃならん。うまい具合に小型艇を入れる鉄扉が砕け、水に浸かってブラブラになっていたもんだから、フネで強引に押し分けて中へ入った。
少尉の合図でU−333は探照灯をすべて照らし、周囲を光で満たした。深海を照らす強烈なライトでも、天井まではまるで高くて見えねんだ、たぶん大型戦艦でも収容できるようになってたんだろう。ドックの中はしんとして静かで、荒涼としていたが、どこか懐かしかった。深い闇の上、どこともしれん中空から、鈎をつけた太い鎖の列がずらっと先まで垂れ下がっているのさ。
桟橋には輸送艦の群れ、大破して修理中のままうっちゃられた戦艦、クレーンに吊り下げられた砲塔、切れて落ちた鎖とブロック……遠くまでオブジェのように居並ぶ歩行作業機。大型切削機械、ガントリーが闇の中にうっそり並んでいる。だが俺たちの着ける桟橋はそこじゃない。潜水艦は乾舷が低いから、んなデカい船の桟橋じゃ背が届かん。
まぁドックの配置なんざどこでも似ていて、潜水艦の居場所もだいたい場末の感が漂う端っこのほうなんだ。U−333のようなちっこいフネは、場所もとらないし修理も大規模にはならないから、いきおい桟橋もスペースの余ったところだの端っこの適当なところだのがあてがわれるわけだ。
大型艦の並ぶドックを離れ、端っこをめぐっていくとな、廃船桟橋のむこうにまるっこいフネが何隻か浮いているのが見えた。鎖を離れ、腹を見せてひっくり返っているフネもある。ジャンクと化したパーツ取り用のフネにまぎれてぼろっちい修理ドックが見えた。そのこぎたなさこそ、まさしく俺たち潜水艦乗りの家だった。
そして十八年を経ても、油と鉄クズだらけの潜水艦のたまり場の臭いは変わっちゃいなかった。黒い廃油でギラギラする、たぷたぷと重く揺れる汚れ水の中にフネをつけ、俺たちは用心しながら桟橋にフネを着けた。ありがたいことに、怪しいもののいる気配はまったくなかった。
俺たちはフネの中で寝た。ずぶずぶ沈みこむように、見張りも置かないで寝ちまったよ。無用心だがもうな、脳の中がなんか綿でも詰めたように朦朧としてたもんだからなあ。座席にひっくり返ってあとは覚えてない。……俺の実家は工務所でよ、二階建てくらいの大きさの鉄筋ガレージの上に家が乗っかってた。まあこぎたねえ家だったし、ガレージはいつも廃油と錆と鉄の臭いがした。人によっちゃ吐き気がするかもしれんが、俺にとっちゃ懐かしい臭いでほっとする。ドックにつくと故郷みたいな安全な感じがしたのも、そのせいかもな。
その頃、ゾーンに入ってこのかた定時連絡ができてねえから、潜水艦隊本部じゃ俺たちのことを見失っていた。見失っても捜索の飛行機かフネを出せたかどうだか……何しろ深海のことだから偵察機で様子が分かるわけではなし、潜水艦を出そうにも、とてもじゃないが戦況が押し詰まってそんな場合じゃなかったようだ。ようはろくに探さずおしまいだ。行方不明になって三ヶ月たつと撃破認定されて戦死扱いになる。水も食料も尽きるからな。それだけの話だ。なに? 部隊の僚艦は何してた? 殺し合いの最中に他人のことなんざ気にしちゃいらんねえよ。自分のことで精一杯だ。しょうがねえさ。
だが俺たちは死んじゃいなかったし、閉ざされた薄暗いエターナルフレームの倉庫をうろついて、食い物と水と弾を探していた。
そうだなぁ……倉庫の方は、意外に綺麗で片付いていた。放棄されて人の出入りがないから、当時使っていたまんま保存されていて当たり前だけどな。けれど場所によっちゃ慌てて引っ掻き回したみたいな雑然とした所もあったよ。敵に追われて爆破したり焼却したりな。そんなところは危ないから、俺たちは近寄らなかった。不発弾でも残ってたらかなわん。
要塞のあちこちがまだ生きていた。鉄材と不燃パネルの敷き詰められた廊下や倉庫の中で、緑色の非常電燈が時おり瞬きながらしぶとくあたりを照らしていた。ひょんなところのドアが作動したり、なんでもない扉がロックされていて、カナテコで無理矢理こじあけたりな。エレベーターや換気システムは稼動していた。
食い物は割合かんたんに手に入った。俺と雷撃手のヨネさんで、桟橋の近くの酒保を見つけてな。予想どおりそこを荒らすと永久缶詰だの真空パンだの、滅菌処理済の携行飲用水が蓄えられていたから、食えそうなのを選んで要るだけ袋に詰め込んだ。この先どんな航海になるか分からんし、あ? そりゃもちろん内緒で煙草と酒も遠慮なくもらってきたさ。どうせしまってあっても無価値で無意味だ。
袋をかつぎ、そこらから引っ張り出した引き車の上に段ボール箱を山積みにして、昼でも薄暗い桟橋の長い道をよろけよろけフネへ戻ると、先任のワチさんがノギとなんか話してた。おっさんはいつもどおりに浮かねえ顔してたもんだから、ノギも渋い顔になってたな。俺が煙草をほっぽるとおっさんは器用に受け取って、銘柄を見て眉をしかめたが何も言わずに一本火をつけた。
ワチさん、どう、とヨネさんがぶっきらぼうに聞いた。おっさんは年季の入った顔で苦笑うと、落ちつき払って、ふう、と煙を吐いてみせてよ、ああ、乾ドックに入れて修理しなきゃならん、とおごそかにつぶやいたな。そして悠然と油汚れの染み付いた作業服にばさばさと手をなびった。少尉はどこ行ったんすか? と俺が尋ねると、ギンジよ、少尉はカジを連れて乾ドックに行った。ところが乾ドックの電源が落ちておって、今のままでは使えん。と重々しく言った。
それからすぱーーと長く煙を吹いておもむろに、工作指揮所に行って、電源を復旧せんといかんなあ。としみじみ言うわけさ。俺までしみじみしてきたのがわけがわかんねえ。わかんねえけどそんなフィールドを作り出すのがワチさん独特の雰囲気なんだよ、そういうニンゲンなんだからこっちもどうしょうもねんだ、わかれ。
とりあえず荷物が重いんでそいつをフネにしまいこもうとするとよ、ノギが酒ビンを引っ張り出して、なんですかこりゃと言ったもんさ。おっさんめ、つらつらビンを眺めて、ノギよ。人生とは何だ? と唐突に問うたさ。わけがわかんねえ。何ですか? とノギが聞くとな、酒だ、とおごそかに断定したな。そいつで妙にノギも納得したし、俺たちも納得しつつおっさんの言うところの液体人生をせっせと運び込んださ。
律儀な少尉はそのころ乾ドックから戻ってきていた。俺がひょっこりフネの司令塔から首を出すと、ときおり、ちらちらと何かの光が工場のほうでひらめいた。揺れる光はやがて、パイプのあいだから漏れてくる懐中電灯か何かの光だとわかった。さらに近づくと、カジと少尉の二人の姿が見えた。俺は呼びかけたが、二人とも無言でフネに登ってくる。
少尉、どうでした、と俺が聞くと、やおら俺の方を向いた。そして煙草をくれ、どうせ君たちは国家の財産を略奪してきたんだろう? と真面目に言った。俺が差し出すと、一本火をつけて、吸って、むせた。
吹っ飛んでたよ、と少尉は言った。それから忌々しげに海面に唾を吐いた。吹っ飛んでた? と俺が目をむくと、上目遣いに煙草挟んだ手の親指で眉毛を掻きながら少尉は答え、ああ、自爆処分したらしいな、ともかくドックの、指揮所らしいところがめちゃくちゃに潰れてたよと言うのさ。じゃ修理はどうするんですと聞くと、どうしようかな、ともかくよそのドックをあたるしかないなあ、と困って煙草を吸いこんで、またむせてみせた。ひどいなこりゃ、毒ガスだと少尉が言うから、俺は賞味期限が二十年ほど過ぎてますと答えた。
潜水艦隊本部と連絡はできたか? と今度は少尉が聞いてきた。連絡つったってアンテナはもげてるわ、極超長波も電波胞子が海に紛れてるようで通らねえわ、ともかく厄介なところだった、「ゾーン」は。通じません、修理するか、まだ生きている基地の装備を使って連絡するほかありませんと答えた。
けれど少尉はどうも望み薄なユーウツな表情でもって、ああ、と答えるとフネの中に引っこんだ。
食って寝て探す……だけど二、三日してみると、あらかた要塞の主要機能を司る指揮所だのセンターだのは爆破されてしまってることが分かった。我が軍もただ無秩序に撤退したわけではなくてやっぱり壊すべきものは壊していったのさ。巨人の体は残っているが、脳や神経の要所要所は断ち切られているみたいにな。たった六人と壊れかけたフネが一隻で、それを復旧してどうこうするというのは絶望的な作業だ。ゾーンに迷い込んだ時に探知した、あの得体の知れない通信の出所も、わからなかった。
四日目に、桟橋に見切りをつけた少尉は要塞の裏側まで足を伸ばそうと決めた。俺たちはフネに乗り込むと、またえっちらおっちら瀕死のフグみたいに礁湖のなかを浮いていって、裏側へ廻航した。天気はよく晴れていて、敵機の心配もない。礁湖の中だから波もない。外から打ち寄せる大洋の波が、擬放散虫でできたリーフにぶちあたって白く砕ける、大らかで重々しい低音がひびいている。まるでプールの中を浮き輪をつけて泳いでいるようなもんだけどよ、ただここのプールの中には変な生物がいる可能性もあるからそれは気が抜けない。しかもなんつうか、見慣れた人間の世界の巨大構造物でできた廃墟から、やはり「ゾーン」だ、と納得するような光景に変わっていった。陸棲に適応したウミカズラが鉄柱や桟橋に巻きついて黒くひからびている。見ろ、と少尉が、そんな空中の構造物のひとつを指さして見せた。ケーブルやアンテナと一体化して、妨害電波を出すオオウチワの胞子嚢が鉄色に光っていた。少尉は腕をおろすと、あれじゃ通信が通らないわけだ、きっとでたらめな電波の歌でも歌っているんだろうさ、と言った。巨大化するだけじゃなくて、NBWの介入によって、金属や化合物と生物が重合していく風景だった。
モウセンウミゴケが水路を覆っていて、透明な水の底は柔らかな黒い絨緞のように見えた。異常変化したデンキモの、馬鹿でかい光発電球塊がそこらじゅうに浮いてる。色とりどりの海草の間を縫って、名前の分からない水棲生物の群れが逃げていく。藻をかきわけるように、魚雷のようなスベツガがくねって、水路の向こうに消えていくのが見えた。
完全に陸に適応したウミシダが桟橋やコンクリートに根付いて森みたいになっている。ケーブルが藤の花みたいに垂れ下がっている。波の寄せるコンクリートにしがみついてる多脚類の小さな海虫が、フネの作った航跡が打ち寄せるのに驚いてぴんぴんと飛び跳ねては水に消えていった。
やがて完全にウミカズラに取巻かれて樹海みたいになったドックが見えてきた。桟橋のあちこちにトラクターの残骸が並んでいる。フネはつけたんだが、俺たちはしばし上陸をためらった。トラクターの残骸やくねり生える蔦に紛れて、ウミサソリの異常巨大化した鋏角が、無造作にごろんと片っぽう投げ出してあったからな。ひっちぎれて相当経っているらしいけれども牛ぐらいあるそいつを目にしてほいほいと桟橋に上がる気にはならねえ。とりあえず武装していこう、と少尉が決めたが、どうも本体とか、本体からハサミをひっちぎった奴に出会ったら、拳銃なんか撃つよりさっさと逃げたほうがいいんじゃねえか、ということがみんなの一致した意見だった。おっかなびっくり俺たちは上陸した。しげしげとノギが鋏角を見つめている。カラカラに干からびていたが、金属質の甲殻が電話帳ぐらい厚くて、拳銃弾なんか絶対に徹りゃしないことがわかった。
あそこが作業管理所らしいな? と少尉が疑問形で誰にともなく言った。その平屋で大きな長方形の建物は、白いコンクリをうっただけの簡素なつくりで、蔦に埋もれるようにひっそりと建っていた。入り口や窓から遠慮なくウミカズラだのデンキモの、人の胴体ぐらいある太い電流蔦が侵入している。
中はオフィスの残骸で、いたるところ叩き壊されていた。自爆用の爆薬が不発だったらしい。手榴弾の爆発した跡、ファイル棚に油か何かかけて燃やしたような黒い残骸、手斧が転がり、打ち壊されたスーパーコンピュータなんかが並んでいた。俺たちは早くも何も期待せず、ガレージへ続くらしい扉を開いた。
そこもかなり荒れ果てた感じの工場だったな。歩いていくと、俺たちの作業靴の音がコンクリの床に反響して、かなり広大な空間を感じた。電気が落ちてよく見えないが、窓ガラスがひび割れて、ウミカズラの太い電流蔦が床を這っている。壁も床も古びて埃が積もり、そこに修理盤や工作機械、ジャッキなんかが薄闇の中に雑然と配置されていた。巨大な機械やモジュール、それにスクラップなんかがシルエットになって浮き出ている。
隅っこの机の上、コーヒーを沸かす装置の中に、乾ききった茶色い粉末が塗られたペンキよろしく残っていた。
操舵手は机に近づいて、なんだか四角く平べったいものに積もった埃を払ったとき、緑に光るものが目に入った。パソコンの電源がついてたのさ。ギンジ、とカジが驚いて呼んだ。な、動くかな? と聞いてくる。どうかやってみないとわからねえ。そこの奥の、流しにあった雑巾を持ってきて埃を払うと、俺はパソコンを疑るように見つめて画面を開いた。カリカリと旧式の駆動装置が動く音がした。
ぱっと画面が青く吸い込まれるように戻り、二度三度点滅すると、それから白い通常画面が出てきた。日常業務を管理する画面だ。少尉が興奮して横から覗いている。
次に、突然、ごひゅう、と部屋の中のどこかの機械が唸った。錆び臭さと湿気の混じった空気が、空調から流れ出てくる。天井の照明が、ちらちらと白く点滅して、ぐんと強くともった。青白いハロン系のよく透る光だ。
よしいいぞとヨネさんがつぶやいたときにいきなり画面が固まって落ちてしまった。落胆した雰囲気が俺の周りを包んだ。
ざりざりと部屋の中のスピーカーが鳴る。そしていきなり、音声識別用のマイクを起動してください、と放送が流れた。みんな怪訝な顔をしたよ。合成音声らしい声だったが、なんでそんな指示がでるのかがわからない。ひょっとして、まさか誰かいるのか? と少尉が首を傾げ、そばにある通信台のスイッチを入れた。手のひらに収まるぐらいの、トリガーつきのマイクがついている。
回線確認、と合成音声が放送し、パソコンの画面が戻った。そこに、ちらつく白黒の映像が現われた。それは、机の周りを囲んでいる俺たちの画像だった。
なんだこりゃ、なんで俺たちがうつってんだよ、とカジが困った声を出した。不審げな顔に苛立ちをこめた目付きで少尉がマイクをひっぱずすと、誰か残っているのか? つまらんいたずらはやめろ、君はいったい誰だ? そうマイクに言った。
ようこそエターナルフレームへ。そいつはそう言ったよ。
どこにいる、と少尉は苛立ちをこめた声で鋭く言った。
私はあなたがたのすぐそばにいます、とそいつは合成音声で語った。いよいよ苛々した顔の少尉が辺りを見回す。
ごきん、とどこかで金属の作動する硬い音が響き、ケーブルとウィンチの動く連続した稼動音に変わった。ノギが驚いて、急に唸りだしたシャッターのほうを見つめた。ごりごりと、そいつがすれあがって開いていく。その向こうにはハロン系の電燈が鋭く青白く輝いていた。背後からの光でシルエットになった大きな岩の搭みたいなものが見えたよ。ウミカズラの、半ば金属化した電流蔦が血管みたいに纏わり付いた、岩塊とも金属塊ともつかない異様で巨大な塊がな。俺たちは、何が起こるのか予想もつかないまま、それが開くのをただ見つめていた。
少尉はしばらく見つめていたが、まさか、こいつか? こいつがおまえなのか? そう言ったよ。俺も信じられなかった。おそろしく分厚く頑丈に作られた鋼鉄製の超重クレーンの梁から、太い工作用ケーブルでがんじがらめに縛られて、停止していた。そいつは、スクラップになったフネの艦橋部分を解体する工程で放棄された、残骸だった。
その錆びたいかつい艦橋のあちこちで、海中誘導灯の赤い光が輝いてな。私の名はヴィレン、エターナルフレームの残存指揮統制コンピューター。数すくない、スワムフィスクの識域下に囚われざるもの。そう、そいつは再び名乗ってみせ、ジッと合成音声を打ち切る独特の語尾みたいな音が、スピーカーから流れた。
酒がねえや。ちょいと注いでくれ。
七杯目
……ああ。少尉は簡単に納得なんかしなかったよ。
どういうことだ、我が軍に、会話するような高度自律コンピューターなど配備されていない、今も、過去も。少尉は問いただした。
冷静な感じのする合成音声が告げた。ここは「ゾーン」です、少尉、とな。ヴィレンの声にゃ妙に生物ぽさがあった。間合いや言葉の選びに人間性、とは違うんだが、かなり異質な知性に基づく思考だとしても、思考する結果生まれる細かなニュアンスだとかタメだとかがうかがえたな。そいつは充分言葉を選んで喋っていたんだ。
ヴィレンて、何だとノギがつぶやいた。ドイツ語で「意思」を意味する、と少尉は答えるでもなく言った。
ヴィレンは嘘でも罠でもなかった。ドックが放棄されて以後、NBWに汚染された水棲植物が、廃艦を取り込んだのさ。錆びたヴィレンの電子回路に金属細胞が再結合し、生体発電組織から電気が供給されて、やつは機能を取り戻した。ヴィレンの回路はさらに増殖し、要塞内の使用可能なコンピュータに接続して複雑化した。膨大な生物群との情報処理の果てに、ヴィレンは情報のやりとりから、かすかな生物の「意思」のひらめきを意識していった。ヴィレンのコアは戦術級自律判断プログラムだったが、情報を取り入れて自己を更新していき、自我と知性を構築したのさ。でも信じかねるような顔をして、俺たちはその馬鹿でかい錆びて朽ちた搭のようなスクラップの構造物を見ていた。
ヴィレンは言ったよ。放送のノイズ交じりの合成音声でな。十八年前のNBW掃討戦の際、最新鋭潜水艦であった私は「スワムフィスク」と戦い、敗れました。自我を得て以降、私は友軍を待ち続けた。私は「ゾーン」において残存した唯一の指揮統制コンピューター、ヴィレン。ご命令を、少尉、とな。
少尉はつぶやいた。そうか、ここは「ゾーン」だな、ヴィレン。何が起きてもおかしくはない。我々を呼んだのは、君だな? そう言うと、そうです、と放送の合成音声が流れた。
アーカイバを開きます。詳細な状況説明が必要ならば、私の艦橋へどうぞ、と合成音声が流れた。そしてレールの軋むような音とともに、残骸の中ほどに取り付けられた部厚い「栓抜き」が開いていく。行くぞ、と少尉は合図した。俺たち六人は、錆びた梯子とワイヤみたいに頑丈な蔦を頼りにそこまで登っていった。
中は古く、至るところ錆びていた。黄色い照明が光を投げる。フレームと艦橋の基本的なレイアウトは、俺たちのU−333と変わっていない。たださすがにあれよりずっと広かった。艦内灯が白く明滅し、じわりと強さを増していって明るくなっていく。
俺はためしにヘッドセットを引き降ろしかけたが、そいつは壊れていた。ガンと一発こぶしでたたいたさ。それから言った。ヴィレン、なんで俺達を呼んだ? 以前にもこんなことはあったのか? そう言うと、ヴィレンは答えた。いいえ、とな。「ゾーン」に侵入した艦船はほぼ間違いなくIFFの信号をスワムフィスクに探知され、迎撃されます。あなたがたの潜水艦のIFFが作動しなかったのは僥倖でした、と言った。
スワムフィスクとは何だ? と少尉は尋ねた。
スワムフィスクはゾーンにおける生態系でもあり、統率者です。全てであって一つ、とも言えるでしょう。個体としては体長数十キロに及ぶ戦略級生物兵器です。ヴィレンはそんなわけのわかんねえことを言った。生態系を統率だって? とヨネさんがつぶやいた。
合成音声が続けた。先に述べたように、スワムフィスクはNBWの暴走により、数十キロの大きさにまで巨大化した生物兵器の名称です。その大きさも変化も、既存のアーケロンの生物のカテゴリーには全くあてはまりません。スワムフィスクが他の生物兵器と決定的に異なる点は、生態系におけるすべてのNBW干渉生物群を統御し、その行動を支配することにあります。説明を少尉が遮り、じゃあ、そいつはゾーンのものなら、プランクトンから巨大生物にいたるまで自由に操るのか? と聞いた。ヴィレンは肯定した。スワムフィスクの支配はそれ以上に強力で厄介なシステムを構築しています。統御するだけでなく、生物一つ一つが得るその情報を共有し、指揮するからです。僅かで特殊な環境を除き、「ゾーン」そのものがスワムフィスクの意識下にあると考えて差し支えありません、と。
全員が沈黙したよ。ようは、俺達が死ななかったのは、「メールシュトローム」で、でかい岩塊と衝突しかけたときに、クソッタレなIFFの野郎がたまたまぶっ壊れたからさ。海底を這いずり回ろうがどうだろうが、マークされてねえからここまで辿りついた、それだけの話だった。トリュゴンはどうした、と少尉がつぶやいた。
はっきり疑問形で口に出してな、ヴィレン、君はトリュゴンの行方は知っているか? 遭難した大型の揚陸艦だ、我々より先に、ゾーンの中に侵入したんじゃないかと思うが、それらしい艦船のデータはないか、そう少尉が聞いた。ヴィレンはややあって答えた。
アーカイバから検索。恒星級揚陸艦トリュゴン。合致。ヴィレンがジッ、と唸った。少尉は眼を鋭くしてよ、報告しろ、と命令した。
トリュゴンが「ゾーン」に侵入した際の電波胞子による探知を傍受。スワムフィスクがIFFによる敵性反応を検知、自爆魚による迎撃を経てエンジンが大破。交戦から二時間後、スワムフィスク本体と接触。反応が途絶えました。
少尉は落胆したよ。俺たちが命を賭けてここまできたのは、トリュゴンを見つけるためだったんだからな。ところがヴィレンの報告はまだ続いた。
百十二時間前、南西からの潮流に乗り、スワムフィスクがポイント327Bに接近。「聖域」と接触。「聖域」が反応し、損傷を受けたスワムフィスクは体の一部を分離して離脱。分離されたスワムフィスクの生体維持モジュールから、トリュゴンの通信と思しき救難信号が送られています。そう言うと、なに、バラバラにされたんじゃないのか? とヨネさんが口をはさんだ。
スワムフィスクが情報分析のために、トリュゴンを船体ごと生体維持モジュールに拿捕した可能性があります。その後、分離されたモジュールの反応は途絶、以後の消息は不明。やつはそう答えた。
ヴィレンよ、「聖域」とは、何だ? ワチさんがぼそっと尋ねる。
スワムフィスクの支配が及ばない僅かで特殊な環境の一つ、とヴィレンは答えた。「聖域」は四十二年前の水域観測船によって発見されましたが、戦闘の激化により本格的な探査はなされていません。そこに何者が存在し、何の目的で、どのように外界を遮断しているかは、観測データに乏しく不明です。ただ、ポイント327Bに、ゾーンの機械生物を遮断する円状のエリアが存在しているのは事実です、とな。どうもわからねえことが多すぎた。
少尉はため息をついた。ヴィレン、とりあえずスワムフィスクもトリュゴンも今はいい。「グレートケープ」の潜水艦隊本部と連絡を取りたい、できるか? と聞いた。可能ですが、エターナルフレームから通信を行うのはほぼ確実にスワムフィスクに探知されるため、極めて危険です。自殺行為とも言い換えられるでしょう、今までに他基地へ試みたことはありませんとやつはすげなく答えた。じゃどうやって俺たちへデンパを出したと聞いたら、ヴィレンは海に漂う電気放散虫を操り、U−333の近くで長いひも状の列を作って電流を流し、微弱な電波を飛ばしたんだ。どうもヴィレンも、「ゾーン」の中で長生きしてるだけあって、いろいろ生き抜くための裏技必殺技を持ってるらしい。
連絡ができねえんなら、フネを直すまでだ。ドックは使える、ただし、条件が一つある、とヴィレンは言った。
私を、U−333に乗せてください、そうヴィレンは言った。
なんだって? と少尉が目をむいた。なぜだヴィレン、と少尉が質問すると、やつは答えた。私はもう一度、戦うべきだと考えています。そう、艦長が私に命じたからです。最後の命令を。私の自我の中枢に食い込み、回路に焼きついて離れない命令です。それは個人的な復讐とも言えるでしょう、もし私の自律判断が、人間に近しいなどと仮定できるのであるならば。私は兵器に残存した最後の「意志」なのです。お願いです、少尉。そう、そいつは言ったよ。私は負け犬のまま終わるつもりはない、たとえ滅びるにせよ一矢報いねばならない。私を作戦に参加させてください、とな。……俺もそいつを一個食いてぇな。ばぁさん! 連れの食ってるのを一つくれ。
んで、その夜だったかいつだか正確には忘れたけどな。工作指揮所の隅っこで、有機素材の無味乾燥なデスクを占領して、少尉が酒をちびちび飲んでた。俺は無言で少尉に近づくと、ちょいと敬礼して修理の準備が終わりましたと告げた。
少尉が唐突に、俺にな、ギンさん、君は海に出て何年になる? と聞いたのさ。俺はちょっとつっかえた。何せ謹厳実直でクソ真面目でお堅い上にも融通のきかねぇ少尉が、勤務中にんなことをおもむろに聞いてくるたぁ思わなかったからな。酒場ならべつにめずらしかねぇが。酔ってるんですか少尉殿、と俺が怪訝な顔をすると、少尉はぼくだって酔っぱらうことはあるさ、何が悪いねと冗談ぽく笑った。
……八年です、そう俺はこたえた。そうか、じゃぼくより長いんだなぁと少尉は言った。ギンさんいまいくつなんだ? 少尉はなんだか上官というより、ようよう大人になりかけのようなあけすけさでそう言った。俺ぁ二八です、つい地口が出たがたいして少尉は気にもしなかった。ああ、じゃハタチのときから乗ってるのか、そう少尉が言ったから俺も相槌を打った。そしてまた少尉は、ギンさん、何になりたかったんだ? 初めから潜水艦のりかい? と聞く。
いや、そうではないんですよ、そう俺は言って頭をかいた。わたしゃぁ、大学で海洋学を研究したかったんだが、何せ家が貧乏で食い詰めたんです、奨学金をもらえる頭もなかった、それで結局二十のときに大学やめて海軍潜水学校へ入っちまった。なにせタダだったし海にいけた、だからあんまり選ぶ余地はなかった。それだけです、そう俺は言った。
そうだったのか、と少尉は言った。それから黙った。黙って何か言いたそうな顔で俺を見て、またテーブルの上を見て、落ちつかなげな顔をした。
ああ、……もしも、少尉はそう言って黙った。もしも、ぼくがこんなことを言うのはちょっとおかしいと思うかもしれないが、いつか言わなくちゃならない。少尉はひどく罰がわるそうだった。
何でしょう、俺は言った。
この、作戦に、私は、その……私情を持ち込んだかもしれない。それで君たちがいまのっぴきならない目にあっているのは理不尽じゃないか? そうだろう、やっこさんは言った。何を言い出すかと思えばな。うふ、と俺はつい口をすべらかして笑っちまった。
何そんなのは気にしやしねぇ、上層部の考えることなんざいつだって無理と無茶と理不尽の塊そのものだ、そしてやつらはそいつを押し通してあたりまえだと考えている、それにくらべりゃこの少尉の、小僧のようにしみったれた純粋さなんぞ天使の後光が見えるぐらいさ。
私情ですって? そう言うとな、ああ、そうだ! 少尉はむきになったみたいにまじめな顔を俺に向けた。
私情ですか。俺は静かに尋ねた。こっちもまじめな顔になった。では、今度の任務についた理由は、昇進ですか。それとも勝ちたいからですか。それとも英雄になりたいからですか?
少尉は黙っちまった。何だとおもやぁ、どうも罪の意識で苦悶しているというよっか恥じているみてぇだったよ。口を開くと、とにかく、君たちは、危険な作戦に出された上に、「ゾーン」に迷い込んでいつ出られるともわからないんだ、私が理不尽を押し通したせいだ、そうじゃないか、そう言った。
ああ、大したことじゃねぇです、戦争じゃ理不尽が押し通るのはいつものこってみんな慣れてます、と言いかけたがそいつぁまずいと思ったんで言い換えた。
少尉、結局自分たちは危険を潜らなきゃならない、けども上に鎮座まします上級将校とくらべりゃあなたの方がはるかにマシです。いっしょに潜るからですよ。死ぬときゃ結局一緒に沈んじまう、それを承知している者と、知らねぇ顔をする人間とじゃ比べ物になりません。だからみんなついていくんです。そう言った。
少尉は、釈然としない感じで、きみはそれでも、それだって、ああ! バカバカしくはないのか、そう両手の平を立て、キャベツのみじん切りでも作るように振りながら言い切った。なんでバカらしいんです、自分たちは何をやらされるにせよ切り抜けるだけです。できなきゃ死ぬだけですよ、そう答えた。選択の余地がねぇんだからしょうがないでしょう、と。
そうだ! いつでもそうなんだ、少尉も言った。ぼくも選択の余地がない、結婚を決めたときそう思って彼女を選んだんだ! そのために何でもしたし、そのあげくが今ここにいるんだ。彼女のためといったって全然まちがいじゃない。ぼくは彼女のために命を賭けたんだ。それはわかってほしかった。
もちろんわかりますよ、俺は驚いていった。いやわかっちゃいない、彼女は全然命なんか賭けるに値しなかったし、そもそも最初からぼくの命もまるで無価値だったんだ、彼女にとってはそうだったのさ、そして僕はいまここにいるんだ! 作戦のためじゃないし彼女のためでもない、いや彼女のせいなんだ、百%それはまちがいない、少尉はそんなわけの判らないことを言って思いっきり酒を呷った。
ああ、え? つまり……何があったんですか? 少尉? そう俺は困って聞きかえした。結婚したてで何が不満なんです。そういうと少尉はぐっとこらえて言った。何もかもさ。ぼくは振られたんだ。いいか! ぼくが休暇に行っただろ。結婚休暇さ。ぜんぶお膳立ては済んでいた、式場も何もかもだ。そしてぼくは急いで家に向かったんだ、新居だぞ! 庭がついていて、きれいな木があって、ブランコがあった、子どものためだ! キッチンも広くて家具もワニスの匂いがする、そうさぴかぴかの新品だ。そして家には、信頼しきって笑える彼女がいるはずなんだ。
そして少尉は突然し俺た、もう、よそうたくさんだ、やっこさんはヘコんだ紙風船みたいにぐてぐてになった。そしてぶちぶちつぶやいた、いや言わなきゃならない、部下に対する義務だよ、言わないのは通らないぞ寺島ショウジ、額を撃ち抜くよりつらいが言うんだ、そんなことをつぶやいた。
書類上はぼくは一日遅く帰るはずだった。だのに早く帰れたのさ、精勤手当みたいなもんだ、だのにそれが破局だとはね。のろのろつぶやいた。何してたと思う、彼女は男を引き込んで楽しんでたのさ。理解しきっていたはず、信頼していたはず、愛していたはずが何てざまだ、ぼくはていのいい間男だったわけさ。笑えよ。
んなこといわれて……笑えるか? お前。そんな場で何が言えるか、上手いこと言えるもんなら言ってみろ。少尉は続けたさ。
それでぼくは白くなった、逆上した頭で裸のそいつらを射殺しちまおうと思った、腰の拳銃を抜いて、なにか叫びながら実際に撃ち殺そうとしたときさ、ぼくは悟ってやめちまった。結局こいつは、ぼくが愛や恋に夢中になっていたときも同じことをしていたんだ、何食わぬ顔で何をしていたのかその裏側が、彼女の腹の中にいるものの真実までぜんぶ見えたとき、彼女が世にもおぞましい怪物に見えた。殺すのも汚らわしかった。ぼくは家も何もかもくれてやる、そこで死ぬまでその男と暮らせ、お前はブタの中のブタだ! そんなことを夢中でさけんで出てきた。何も考えられなかった、だからぼくは、まっすぐU−333のあるドックへ、そこだけへむかうことを念じ続けた。あの艦長席だけがぼくの居場所に思えたんだ。礼服を着替えるだなんて考えもしなかった、そしてぼくは宇宙港から軍用超光速船に乗って帰ってきたんだ。
俺は首を振った。ゆるゆると振った。少尉はつづけた。ぜんぶ私情だよ、トリュゴン探しにU−333を海に出したのも、死にそうで耐え切れなかったからできるだけ遠いところに行きたかったんだ。バカバカしいだろ。何もかも、ぼくも彼女もこの任務の本当のところも。そしてまた、よせるはずだったのにどうしようもなくのっぴきならない目に会ってる、ぼくだけでなくてみんなまでだ。どう思う、これをどう思うんだ、ぼくがばかなだけなのか?
俺ぁはっきりいって人間嫌いの偏屈でよ、しかもありきたりの、人と人の間を持たすだけのヌルい話が好きじゃねぇ。甘いことも言える柄じゃねぇ。だから俺にゃ慰めの言葉なんてまるで思いつかなかった。ただ、少尉が、ひどく汚らしいけれど、どこまでもどうしようもないことにぶち当たったってのはよくわかった。俺も何度かそんな死ぬほど惨めなタン壺じみた現実の中にブチ落とされたからな。何を言ったらいいか、怒りやら悲しさやらドス黒く燃えるものやら溶けるような締念やらで頭の中がカッとしてきた。俺はしょうがないから少尉の置いた酒瓶をとって呷った。頭がすっきりして喋れるようになったな。
地口で、俺は酒瓶揺らしながらつぶやいた。
……なぁに、少尉。人生なんざ所詮懲罰か何かの一種だ、クソみてぇな事しかおこりゃしねぇよ、どいつもこいつもクソッたれだしな。だけどいっこいいことがある、あんたいま、俺とおんなじに生きてる、そりゃみんな、本当はおんなじ位置に居るんだろうけどなかなか同じところにいることを認めたがらねぇ、同じ位置にいるとも見えねぇしよ、それでみんな孤独だ。でもたまに出会う。そいつが、馴れ合いだか誤解だかなんだかしらねぇけど、少尉、肝心なことは、今俺もあんたものっぴきならないところでおんなじように酔っ払ってるってことさ。それが大事だ。人生にさして重要なことなんざなにもありゃしねぇ、恋も愛も金も誇りも汚れもみんな死ねばなくなる。だから今、これだけが大事だ!!
そういうと俺はめちゃくちゃに酒を呷り、少尉も狂ったように呷った。悔しいんだかなんだかわからん。そして俺たちはひっくりかえるまで飲んで、酔いつぶれて結局寝ちまった。
八杯目
やけにおせえなばあさん、まだおまえの食ってたのが来ねえよ……ああ。海か? 海は綺麗さ。綺麗だよ。
海の色はさまざまだ。光の入射する方向や、光の長さ強さ、それに水の温度や溶け込んでいるものによっても色が変わる……あるときは深い緑色だった、またあるときは黒みのある深い藍色だった。透き通るようなサファイアブルーもあるし、太陽の落ちる前にもぐれば、ルビーのような赤一色に海中が染まり、強い炎のような波がおどっているのが見える……夏の海の太陽が積乱雲を透かし、スコールの中を進むときには、波の上も下も、琥珀色のウィスキーみたくなってな、胸をとろめかすような波がフネを揺らす。白と銀の海は氷洋、どこまでも深い群青は大洋、灰白色の混じる薄緑の、霧の海もある。単なる青じゃねぇ……綺麗だよ、そりゃあ綺麗だ。アーケロンの海は一番綺麗だった。いろいろ他の星の、水銀だのエタンだの、いろいろ化合物の海も潜ったけどな、やっぱり潜るなら水が一番だ。水銀なんぞ鉛をどっさりかかえねえと潜れん。鉄でも浮かすんだからな。驚くことにゃ、そんなところにも生物がいたりするってことさ、だがこの話はまた別のことだ。
俺が一線の勤務で海から離れねえのも、人間よりも海が好きなんだからしょうがねえさ。
ヘッドセットを引き落とすとよ、ヴィレン、体を移した気分はどうだ? と俺はきいた。さっきまで目の前じゃあガリガリガリガリと、とんでもねえ勢いで量子コンピューターが稼動していた。こんなちっぽけなフネのメモリで精神演算なんて、研究所並みのとてつもないプログラムが働くかどうか心配だったが、ヴィレンのやつは根性と気合でU−333に乗り移ったらしい。まあそこは軍用だぁな。冗談を抜きにすれば、十八年の演算技術の進歩が、大型潜水艦と小型の深海用潜水艦のギャップを埋めたってことだ。
ヴィレンは応答した。出撃した当時のわたしは最新鋭でしたが、この中古の艦は私より進歩していますと言った。なあよヴィレン気にするこたぁねえさ、おまえにゃ二十年のブランクがあるが、なに古強者てところだ、なにせゾーンで生き残ってたんだからなあと俺が言う。それに基本設計に変わりはない。デンキで潰れた、ポンコツのグロスヒルン型統合システムより、ヴィレンの方が応答が速かった。やはり二十年かけてデータを蓄積し、特別に鍛えられ、「ゾーン」専用の対応ができるシステムは、電子戦でも索敵でも明らかに有利だ。喋りができるフナダマてところさ。
フナダマとは何ですか? とヴィレンが聞いてきた。カジが、操作チェックをしながら、フネに宿る精神のことさ、と答えると、ヴィレンは艦は精神など持たないと、腑に落ちないご様子だった。まあ妙に堅苦しいところは軍用というかお役所の作ったプログラムだぁな。
システム関係を再起動するためにメインフレームを立ち上げた。コンソールで指令し、プログラム群を確認する。ほぼほとんどのプログラムが壊れていたんで、再インストールが必要だった。攻撃、索敵、通信、確保した水周りのプログラムも動作がおかしい。結局それも入れなおした。戦闘中にあらぬ動作を始めたら終わりだ。それらをあらたに、グロスヒルンOSの替わりに入ったヴィレンと接続しなおす。あとはひたすら地道に調整して、最短の演算ができるよう修正だ。そんな作業をしていると、フネの右舷がごきんと妙な音をたてた。
俺はちょいと席を外して栓抜きから外を見た。U−333は水を抜いた修理用ドックの台座の上に高々と鎮座している。
外側じゃ少尉と機関士のワチさんが、歩行作業機のアームを操ってがんばってる。具体的には歪んだ舵を、適当なのを見繕って取り換えてる最中だった。がしゃあんと、今度は破壊的な音がひびいたんで、俺はひっこめかけた頭をまた「栓抜き」から出した。どうも取り外した古い舵を乾ドックの底に落としたようでよ、うわとか何かヨネさんがわめき、おっさんがぼそぼそ言ってる声がしてたが、まあうまくやってるらしい。アンテナを溶接する強烈なスパークの光が昼間でもまぶしかった。焦げ臭くて、金属のただれる音がする。
戦術プログラムを再配置します、1番から3番までチェック完了。4番から5番まで圧縮中、6番から8番まで改造によりカットオフ、9番はOSに統合、10番は新規に増設、11番は現在構築中、そうヴィレンが事務的な声で報告していた。
なあ、ヴィレン、ノギがいきなり話しかけた。やつはベアリングを入れ替えた空気循環装置を試験していたが、手が空いたらしい。少尉がこのさきどうするかわからないけど、アンテナとか舵とか、あとプログラムは直せても、ぼろぼろになった外装やセンサーはどうすんかな、それも索敵担当として直してほしいんだけどな、とノギがつぶやく。BGLだけじゃ解析できないし、たちまちばれちゃうしさ、そう言った。
弾薬を搭載した後、生体ドックを使用して補修しますとヴィレンが答える。どういうこったいと俺が聞くと、見てのお楽しみです、とヴィレンは答えた。妙にユーモアがあるところはこいつの個性だった。少尉にも見習ってもらいたいもんだと思ったな。やけに腹が減った、と思って時計を見るととっくに一時を過ぎていた。中も外も作業は到底終わりそうにない。
めしだめしめし、めしにすべぇヴィレン、ちょいと中断だ、少尉に言ってくる、そう言うとカジが席を立ち、唐突に今日は何曜だと独り言を言った。金曜ですとヴィレンが答える。ああ、そうか、在庫にあったかなと言いながらカジはフネを出た。俺とノギも「栓抜き」から外へ出る。丸っこい船体の天井から、水のない乾ドックの底を見下ろすと相当な高さがあった。三階建ての建築物を、コンクリの台座の上に据えたようなもんだ。
少尉、一時過ぎです、めしにしませんかと、カジが大声でどなった。おお、と少尉がわめいて、歩行作業機のエンジンを切った。
カレーを食った後で俺達は再び作業を始めた。夕暮れごろには舵の補修その他が終わった。こまごましたセンサーロッドやアンテナの類はあきらめた、到底それは素人には手におえない。少尉にどうするか尋ねると、そこから先はヴィレンが工作指揮所を使って補修すると言った。とはいっても工員がいるわけじゃなし、どうやるのか見当がつかねえ。
工作指揮所へアクセス、電源を入れてください、そうヘッドセットの中へ事務的な落ち着いた声が指示する。俺がコンソールを叩いて電源を入れた。ごひゅう、と陸の指揮所の灯りがともり、ドックの太い送水パイプから水が漏れ出す。少尉は「栓抜き」を閉めた。
Cタンクから注水。船体が浮上しないよう補助タンクに注水してください、とヴィレンが指示した。沈んじまうぜ? とカジが言う。結構です、沈まなければ補修できないのですから、とヴィレンが答える。それから俺に、増設した11番ユーティリティの中のMMCSを起動してくださいとの指示が出た。で、俺はコンソールを操作したんさ。
マイクロマシン・コントロールシステム準備完了。ドック内注水中。工作指揮所の自己補修プログラム励起、連動開始、そう、ヴィレンの指示で見る見るうちにドックが水に満たされていく。何が起きてんだヴィレン、と俺はわくわくしながら聞いた。俺ぁ工務所育ちだから、機械が動いてるのを見るとわけもなく嬉しいんだが、そのときもその癖がつい出たな。ヴィレンは忙しいらしく答えない。外じゃおっさんとヨネさんが、歩行作業機のアーム山もりに、超硬クロムのダンパーだの、アルミ屑だの鉄桁の折れだの銅線だの、ゴムっぺらだの耐圧ガラスのカケラだの、ジャンクをめったやたらドックの中にほうり込んでいる。どぼどぼそんなゴミをぶち込んでどうするつもりかと思ったら、こっちに合成音声が流れた。ドック内に補修子を注入、電圧正常。データ送信中、てな。
補修子と呼ばれる靄のような乳白色の水がドックの中に流れこんだ。「漂う錆び汁」と似た感じに、U−333を取り巻いて漂っている。ただこっちはじゅるじゅるというあの厭らしい音を立てない。ヴィレンの落ち着いた音声が続く。MMCS稼働中、補修子を艦体に吸着させます。損傷面を解析中。原子組成の再構成を開始、と。
二時間ぐらい経ってU−333は浮上した。「栓抜き」をズリ上げ、ぶしゅんと開くと俺達は外へ出た。
ドックを覗き込んだら驚いたもんだ、ゆるゆると波にうたれているU−333のサビが取れてピカピカしている。削りなおしたというよりも埋めなおした感じだったな。アンテナの素人溶接の、手荒い作業の痕跡も拭い去られている。シェルフレームに残された傷跡も治っていた。火傷を負った生物の皮が再び治ったような、周囲と同じ質感と色にもどっていた。ただちょっとぬめったような微妙に異なる質感が残っている。センサー類も復活していた。魔法みたいだったな。
ドックはなみなみと水を湛えている。妙に青くて綺麗な色だ。それも層状に異なる色が重なっている。ジャンクは影も形もなくなっていた。あの乳白色の補修子が全部溶かしたんだ。ははあ、と俺は勘付いた。あの補修子は「漂う錆び汁」と同類で、ただ補修子の場合は原子同士の配列を壊すのではなく、工作指揮所のデータどおりに原子同士を繋げ直せるらしい。ドックの水が、妙に綺麗な色してるのは補修子が溶かした金属イオンが溶け込んでるせいだった。体にゃよくないんで、触らないよう気をつけろと俺は注意した。
ドックを離れてつらつら眺めるとな、瀕死の金魚みたいな俺たちのフネは生き返ったんだ、てことが実感できたよ。ぴんとセンサーロッドが張ってる。歪んだ舵が元通りに直ってる。推進ノズルのゆがみも取れてる。大丈夫なにがあろうがどこでも行けるて気分になった。フネはこうでないとな。
タバコ片手に歩行作業機からヨネさんが降りた。機械のでかいアームに手をかけて、いつも疲れた顔したおっさんがよ、苦渋く笑ってる。満足げに手を腰に当ててちょいとうつむくと、すぱーと煙を吹いたさ。ばあさんおせえよ、皿が来ないかと思ったぜ。
さあて……あ? 無線手の仕事か? まあ通信とかそんなのが仕事だけどな、実際のところ、U−333クラスのちっこいフネの機能分担としては、電子戦とくに音響戦の担当が多い。音打ちとも言われるな。雷撃手や測探手、それにカジと連携して、敵の無線を妨害したり、音波探知や魚雷を使えなくするのが仕事だ。電子戦で負けると、弾があたらねえとか、レーダーが使えないとか、無線内容がつつぬけになったりする。逆に勝てばもう、もらったようなもんでよ、戦闘じゃ結構重要な仕事だ。カジと音打ちがよけりゃ、直撃は滅多に食らわん。
だからデカいフネになると、電子戦なんてなぁ別にセクションが分かれて情報将校が担当してることが多い。ただまあ、こんな二千トン三千トン級の一戸建てみたいな小さな潜水艦じゃ、そんなに人を乗せられねえから、無線手に担当がまわってくるんさ。
騙しあい化かしあいをやる関係上、無線手やってるヤツは変人だの曲者が多いな。ちょいと曲ってるぐれえじゃねえとつとまらん。まあどっちにしたってみんな病気だ、まともなやつはいやしねえ。俺の病名は無線手だ。
んでよ、U−333ぁ直ったろ。そいで次ぁどうするかっつう話になったんさ。俺たちはヴィレンの艦橋に陣取り、さらにそこらの廃艦の成れの果てから、モニターだの演算装置だのを引きずってきちゃあ組み直した。俺が使えるモニターをみつくろってかっぱらう。少尉は廃艦の甲板から、ぽいぽいとニ、三個ポリ演算モジュールを放り投げる。ノギがぼすぼすと袋に受ける。そいつをモニターの入力ポートに取り付ける。カジががらがらと、引き車にぶんどった獲物を積んで歩いていく。電流蔦をぶった切って交流変圧器を取り付け、プラグをのばせばデンキが通じる。べしべしと叩くとぱっと画面がついた。
六人全員とヴィレンが首つき合わせて大会議だ、インディアンの集会よろしくタバコ片手に煙を立てながらテキトーに立ったり座ったり首をコキコキ鳴らしてうなったりよ。みんな無精ヒゲをのばしっぱなしで風呂に入らねえから、なんか軍人つうよか海賊集団みてえだったさ。まあ潜水艦勤務なんざ汚ねえのが当然だから世話ねえ。誰も気にしねえ。気にするようじゃつとまんねえ。
ヴィレンのやつも、亀裂の入ったモニターに無理矢理デンキ通して素人がポリゴンで作りましたみたいなアバターこさえて座ってた。
あんだそりゃヴィレン、と俺が呆れるとよ、わたしですとやつはすまして答えたね。わたしですっておまえ、無理しなくていいんだぞ、どうせなら裸の姉ちゃんとかのポスターの方が俺達はうれしいと言うとな、なんか宇宙人が間違った知識で人間を複製してみましたみたいなアバターができはじめた。やめろヴィレン! グロテスクだぞと、怯えた少尉がわめいた。それは不可だ、別のにしろとあわてて言う。なんか嫌な思い出がよぎったにちがいないな。
とりあえず少尉は口火を切った。トリュゴンを追いたい、先任、このフネで「ゾーン」の中を捜索できるか? と尋ねた。
おっさんは気乗りしない顔で、もっそりと口を開いた。電気ショックを使って炉心が傷んでいるかもしれません。あまり無茶をすると異常が起こる恐れがあります、てな。少尉はうなったが、核融合炉だけはフレームを外して炉を引き出さないと修理しようがない。なんとか保たないか、と少尉が言うと、まだ壊れはしませんが、全力運転と電気ショックを使わないように願います、とおっさんは答えた。
ヴィレンさ、攻撃的な生物群と出くわしても、切り抜けられるのか? とノギが聞く。「ゼンガー」を使用します、とヴィレンは答えた。ゼンガー? とヨネさんが聞いた。
ゼンガーとはドイツ語で歌手を意味する言葉だ。こいつはヴィレンが十八年かけて「ゾーン」内の生物のデータを収集し、構築した欺瞞プログラムだった。「ゾーン」の中の生物群の知覚パターンを解析し、スワムフィスクと連絡している情報神経系に侵入、攻撃衝動をカットする。へええ、とカジが感心げに唸った。おまえそんなものどうして作ったんだ、よほどヒマだったのかと尋ねる。いえ、ボランティアですとやつが答えた。まあヴィレン、そいつは俺が専門だ。あとで見せろと俺がのんきなやりとりに割って入った。
いろいろ検討の結果、俺には「ゼンガー」はものになる欺瞞プログラムだと思えたんで、そう少尉に上申した。やっこさん喜んだね、俺たちゃ内心げっそりしたがしょうがねえ。
少尉は言った。よしみんな、「聖域」に行き、行方不明のトリュゴンを捜索する。もしも、「聖域」に到達できそうもないとき、「聖域」に侵入できないとき、無理ならキッパリあきらめて、「ゾーン」の外へ脱出しよう。それから先は、もう単独での調査は無理だ。潜水艦隊本部の判断に任せる、そう少尉は全員に明言した。出発は今から二十四時間後だ、とさ。そうとなりゃ話は早い。俺達は久しぶりに風呂を焚きヒゲをそり、垢をゴリゴリと強引に落とし、洗濯して食って寝た。
二十四時間で俺達は新品になって潜水艦に乗り込んだ。艦長席に少尉が納まる。あのクソ忌々しい礼服なんざどっかにぶちやったらしく、艦長の着る第一種軍装だった。少尉はヘッドセットを引きおろしかけ、全員の顔を眺めてよ、唇を舐めた。再び「ゾーン」へ出て行くにあたって、金玉の縮むような思いがしたんじゃねえかと思うが、俺もそうだ。全員、ぱりっと洗濯してきちんとのばした軍装を着ている。ノギが緊張した目をやや吊り上げ気味にして、少尉のほうを見た。機関士は無表情にレバーに手をかけている。いつものぶっきらぼうさでカジが、準備完了とだけ言った。雷撃手はちらりと振り向き、モニターに目を戻した。
少尉は決断して、がしんとヘッドセットを完全に降ろした。いつものてきぱきした指示を飛ばす。よし、これより「聖域」にむけ出撃する。操舵手! 目標、ポイント327B。リーフを抜けるまで微速、そのあとは海底を十五ノットで進め。ヴィレン、「ゼンガー」用意。無線手、ヴィレンと連携して攻撃的な生物を警戒しろ。リーフの中でも油断するな、ここは「ゾーン」だ。測探手は指示があるまで絶対に音を出すな、情報源はパッシブにとどめろ。航行中、何もなければ、警戒態勢を解いて二人勤務にする、と続けた。
機関士が、出力調整弁のレバーを押し込む。カジが電磁推進の力を加える。機関が唸りだす。ノズルが空気混じりに水を押し出す音がひびき、フネはぐらりと揺れると、桟橋を離れて進みだした。俺はモニターの中の、離れていく桟橋の光景を見ていた。
……不思議と、恐怖はなかったな。ただ、いつもとちがう予感……なんだろうな、嫌な予感とかそういうのじゃなくてな。なんだか嵐の来る前、躍動する強烈な力が迫り来る感じみたいな、変な胸騒ぎがしたよ。もうろくすっぽ覚えてねえけどひょいと思い出した、そりゃ最初の船出んとき抱いた感覚と良く似ていたんさ。小僧、注げ! 出撃だ。
九杯目
礁湖から出るとすぐ、ヴィレンは「ゼンガー」を起動した。測探手がスイッチを入れ、マイクをつないで音を出す。サウンドマイクから発振される種族識別信号が海を伝わっていく。クジラの鳴き声のようにな、だけれどもあれよりも、もっと深く、重く、そして密やかな声だった。超音波に近い低周波域だから人間の耳にはほぼ聞こえないんだが、ゆるやかな波のようなうなりが伝わってきた。
俺達はエターナルフレームの断崖を垂直降下していったよ。まあ、頭を完全に下に向けてつっこんでいく、なんていう勇ましい潜り方じゃなくてな、どっちかつうと土瓶が沈むように毎秒十メートルほどの速さで、ゆっくりと、水の中を落下していった。目標は海底だ。もちろんIFFは切ってある。危険な生物にたかられたら最後だからな。アーケロンの太陽の光は深度二〇〇ほどで消え、あとは電気放散虫の発光層が出す光だけになった。海は深い藍色で、電気放散虫の光は弱かった。
数分すると遠くから、また、深海の深みからも、這い上がってくる層流魚たちの魚群が見えた。昼と夜で住む深さを変えるツノジイラの群れだ。強靭な盛り上がった筋肉と大面積の硬鰭、スピードの出る長紡錘形の体躯……しかもNBWのせいで異常変化していて、普通種とはかけはなれた大きさと、武器を持っている。
そいつらは小さいやつでも数十メートル、成体は一〇〇メートルほどの大きさで、U−333よりもよほど長い。金属とキチン質が重合した装甲鱗を擦り合わせ、重々しく、ほの青い闇の中を浮かんでくるのさ。舵のように突き出した鋭い硬鰭には青白い雷紋が見える。放電器官だ。中でも、頭部から長く突き出した黒い錐角には、一面、複雑に描かれた波目のような雷紋が見えた。緩やかな曲線と重なり合う直線がな、ケルトの聖書の蔓草装飾のようだった。
一頭、また一頭と、俺達の視界に湧き上がり、過ぎていく。大重量の塊が動き、作り出す水の重低音がひびく。
ツノジイラは体躯と鰭の雷紋に電圧をかけ、電磁的に推力を作り出す。そうして重金属の錐角を力まかせに艦体に突き刺し、放電するのさ。なにせ数千トンの質量があるからよ、駆逐艦クラスが食らえばまず、轟沈だ。俺達だって近くで放電されれば黒焦げになる。
緊張でびりびりしながら潜っていった。妙な動きはしないほうがいい、それだけはわかっていた。抜き差しならない状況だ。
艦橋の全員が眼だけ動かし、一頭一頭、注目していた。数が多い。次から次にあらわれるんでヘッドセットを見た。静かな、静かな、彼らの水を掻いて進む音……鰓が水を吐く音……そうした聴ける限りの音を拾って、ヘッドセットが画像化する。水域地図に推定表示されるツノジイラの群れは、無限の海の豊穣さそのもの、数万頭の群集だった。フネはその層を抜けていく。
恐ろしい光景だったが、奇妙に静かで美しかった。何百頭とすれ違ったか、結局何事もなく、U−333は彼らの間をすり抜け、深みへと潜っていった。
海底に到着するとほっとしたよ。フネは十五ノットで、来たときの様に、先をさぐりさぐり進みだした。
まあ最初の一時間は神経が張り詰めっぱなしだったが、静かにしてりゃ「ゾーン」でだって息ぐらいはできるんさ。ゼンガーは快調に作動している。たまに出会う「ゾーン」の生物は、こっちに興味を示さない。面白いからじっと見ていると、野生本来の動きをしているのがうかがえたな。
それで俺たちは、二時間もたつと、そろそろ二人勤務でいいんじゃあるめえかとそわそわしだした。先が長いから、座席に貼りつきっぱなしじゃ到底やっていけない。少尉もなるべく、みんなを休ませておきたいと思ったようだった。何かあったら、いつ寝られるかわからんしよ。
少尉は、シフトを四時間交代の二回制にし、二人勤務を申し渡した。自分が艦長席につき、カジを操舵につかせる。
あたりは妙に静かでな……人の出払った工場みたいにがらんとしていた。生物の気配がない海だった。
拍子抜けするほど単調な航海が続く。四時間ごとに二人、艦長席と操舵席に着いて、フネを進ませる……点検、整備、めし、便所、書類書き、無駄話、勤務、点検、整備……俺は艦橋の端っこ、勝手に作った個人用のわずかなスペースに体をもぐりこませて、しばらく何もない個人的な時間を過ごした。何せ艦長ですら個室が与えられてないからな、あのクラスのフネは……。あ? 個人用スペースか? 実のところ、構造材の間っこの物陰に、ありあわせの毛布を敷いて、ちょいとした私物を持ち込んだだけさ。戦闘配備になると一切合財毛布でくるんで自分のロッカーに固縛する。ただぶち込んだだけだと、フネ自体ひっくり返ったりするからな、コップは割れるし騒音が出る。音が出ないよう縛るのさ。
まあ、みんなそういった個人的な空間を持っていてよ、空いた時間はテキトーにそこで寝っ転がったりして過ごす。寝床のウナギ部屋は共同空間だから、寝られても、ありゃあ自分の領土じゃない。
俺のスペースは艦橋の後ろの右の隅っこだった。壁が、背中を持たせるにはちょうどいい丸さだったからな。ロッカーにも近くて、荷物を放りこみやすい。
カジは俺の隣の肋材のところだ。ポーカーやるのにちょうどいい。ヨネさんはヒマになると別室のキッチンに入り浸ってたが、あそこを領土にするとなぜか自動的にめしの支度を任される。
ノギはフネに乗ると終始、自分の席に貝みたいにへばりついていた。海の音を聞いてると落ち着くらしくてな。まあ、始終閉じ込められてるんだから、その方が解放的な気分にはなるかもしれん。少尉は特に居場所を決めず、よその空いてる席に寝っ転がって、書類書いたり航海日誌書いたりぼーっとしてたさ。おっさんの縄張りは連絡通路の入り口近辺で、寝てると足だけ艦橋に突き出てる。あそこぁ天井に換気装置があるからタバコ吸っても文句が出ねぇ特等席だ。タバコ好きが多いとみんなあそこに来ちゃあタバコを吸うから連絡通路がヤニ臭い。
まあ戦艦だの空母だの、口やかましい職場じゃ、まずお目にかかれん風景だぁな。あれぐらい小さい潜水艦の勤務じゃ、軍紀うんぬんをまじめに適用したら三日もたない。
寝たり立ったり体操したり飲んだり食ったり、アーケロンの時間で約一日が過ぎた。ヨネさんが今日の四食目は何にしようかと迷ってる最中だった、いきなり戦闘配備の警告音が鳴った。俺が三秒で毛布の中に私物を巻き込んでロッカーに叩き込みベルトで固縛する。おっさんがふらりと立ち上がり、のっそり機関士席に着く。カジがノギと操舵席を交代した。少尉が艦長席に座り、何が起きた、と報告を求めた。ポイント327Bに到着するにはまだ早い。俺はベルトを締め、ヘッドセットを引き下げて様子を見た。
ヴィレンが告げた。警戒吹鳴音を探知。「ゾーン」の機械生物が襲撃を受けた際の救難信号と合致、周囲の生物群が急速に反応中と告げた。まずい、と少尉が青ざめる。測探手、周囲に生物の気配がないかよく調べろ、来るようならすぐに海底に鎮座してやり過ごす。無線手、ヴィレンと共同して敵を欺瞞しろ。操舵手、機関微速。海底を這え。機関士、出力を最低に落とせ、そう次々に指示した。
フネが降下し、ノギが緊迫した声を出した。水平一時、約二十キロ先で戦闘騒音、と告げる。薄い爆発音が二度、三度響いた。ヴィレンが、ポイント327Bの排他的障壁が作動、と報告した。わらわらと周囲の生物が惹かれて動き出す、不穏な水音がひびいている。呼応の吹鳴音があちこちで鳴き交わされている。
二十キロ先でまた、警戒吹鳴音が上がった。オオヘビウオがたてる最大級の信号で、鉄でできた龍の叫びのような強烈なカナキリ声だった。よほどのことが起きているにちげぇねえ。全員が嫌な汗をかきながら、何か騒動の起こっている現場へ忍び寄っていった。
わらわらと生物が群れていく音がする。潮目をはかっていた測探手が叫んだ。上方の水流に生物の群集、みんなNBWに感染した異常種ですと言った。なんてこったと天井の辺りを見上げるヨネさんがつぶやく。俺もヘッドセットをのぞく。全員、眼を奪われて凝視していた。
海底から見える限り、聞こえる限り百鬼夜行さ。ヘッドセットの光景……まあ水はえらく不透過な物質で、五、六〇メートル先が見えりゃ相当いい視界だ。だからヘッドセットの光景は、常に音波からデータを割り出して視覚補正しているものなんだがな。水域は流れが大きく、電気放散虫が活発化していて明るかった。
最初、マリンスノーの多い層流かと思えたんだがな……拡大したらすべて生物だった。U−333の上層二キロほど上を、無数の長虫どもがオールのように鰭をひるがえし、くねくね泳いでいく。黒光りするオオヘビウオが密集して進んでいく。生きた黒い綱のような艶めかしさでうねり進んでいた。巨大な背甲と分厚い内筒膜を波打たせているのはヤジリガエシだ。多少イカみたいな風情があるがもっと長っぽそい、しかもこいつは凶悪な回転捕食肢を六対抱えている。顎のように対向した一対の捕食肢に、かえしのついた剣肢が、鋸刃のようについていて、そいつで相手を捕らえる。牛のように頑強で武骨な甲殻を持つイワブシが、鰭脚を蹴立てて海中を進む……おっさんが不意にうめいた。
渦のような灰色の群れを押し分け、空の一角から岩の塊でも降ってきたように、山並みのような武骨な甲殻を遊弋させている海龍が見えた。たぶん排水量が数十万トンはある装甲蠕虫だ。全長がつかめんが、五、六百メートルぐらいあったろうな……ひときわ悠然と、それこそ空母の電磁推進器ぐらいある、ばかでっかい噴進寄生貝の骨殻管の群体を光らせ、水流を噴出して進んでいる……U−333の頭上を越してやがて闇へ消えた。ごうごうと、生物の織物の行進が続いている。
少尉、と操舵手が振り向いて告げた。行くんですか、と。青ざめた顔が脂ぎって目が光ってる。測探手も同様の顔を少尉に向けた。ヘッドセットの中じゃ、オオヘビウオの狂い廻り、乱舞する海が広がっていた。びりびりと鉄のきしる音が響き渡る。
我らが指揮官は半ば意地になったような顔で、行く、と明言なさったコンチクショウ。やめてくれ。あんなばけもんの雲の下で、猫の忍び足のように、おっかなびっくり近寄っていくなんて誰が考えたってまともじゃない。それでも行かなきゃならん……胃に煮える鉛を詰めたような航海を、一時間しないうちに俺たちは現場についた。
何が見えたと思う? 真っ黒に蝿のたかった死体、そんなふうにしか言えねえが、本当にそんな光景だった。
高い、そそりたつ壁になっている青白い遮蔽力場が見えた。カーテンがぴっちり閉じてるように。その、水平一〇時の垂直二時方向、見上げるところに全長数キロのでかい何かが刺さっている。赤黒く半透明な、震えてのたうつぶよぶよした肉質の何かだ。中に何かくるみこんでいるようだったが全くわからない。群れ集まった汚染生物が真っ黒にたかって、わんわん蠢いている……泳ぎ回っている……。よく見れば、その肉質の巨大な長いのが、徐々に力場の向こう側に飲み込まれていっている。バラバラと肉質の塊がちぎれて、降っていく。無線手、記録しろと少尉が命令した。俺はカメラを回した。
海底には、ぶっ裂かれたような無数の得体のしれん死骸に、肉質の塊が積もっている。今しもオオヘビウオが一匹、鰭を逆立て、骨針を威嚇的に光らせて、肉質の分厚い塊に繰り返しぶつかっている最中だった。
いや、よく見ればそれは、半透明の膜に包まれて、オオヘビウオが必死でのたうっている光景だった。見えない魚篭の中で暴れる魚みたいにな。肉塊がのたうっている。強烈な酸を出して、あのでかいオオヘビウオが生きながら溶けていく。
甲殻動物が肉質の上に群がり、押し込む力場に食いつく。押し重なって身動き取れないまま、力場と塊の容赦ない力に押し潰されてはじける。その大きすぎる塊を、壁のこちら側へ引き戻そうとして、懸命にあがいている。
どうにも手が出しようがない。俺たちは見ていた。
ところが、だ。俺たちは、そこに、一番見たくないようなものを見つけちまった。半透明でぶよぶよしてる肉質のいやらしい塊、それに食いついて暴れている生きものども、そんなものが、何か暴れている拍子に大きく剥がれ落ちて、そこから、きらっと、大きくて輝かしい航宙艦のシールドが見えたのさ。青白い強力な外板が見える。ぬめぬめしたいやらしい肉塊が剥がれる、流線型の、長さ数キロの艦体が闇の中へ剥き出され、引き抜かれていった。肉塊があがいて、締め付けるように引き戻そうとするが、力場にぶち当たるやもぎ取られる。その周りを蝿の群れよろしく、ゾーンの感染生物が渦を成して真っ黒くたかっていた。
誰かが、見たか今の、と、信じられねえような声を出した。たぶんヨネさんだろうと思う……が、声が裏返ったんでわからん。俺はモニターの光景に眼を奪われていた。ありゃ何だヴィレンとヨネさんがはっきり叫んだ。識別マークを確認、わが軍の揚陸艦です。トリュゴンとみて間違いありませんと短切にやつが答えた。
じゃ、あれは、あのぶよぶよはスワムフィスクの内臓かとノギがうめく。おれたちが途中で見かけた、重力子エンジンの残骸にまといついていたやつの、本体だ。
トリュゴンは暗黒の水域へ進んでいく。最後の力ずくの凶暴な足掻きが終わりを告げた。何でできているのか得体の知れない力場は、トリュゴンだけを引き入れ、ほかのいらないぶよぶよを断固として引き裂き、切り捨てた。袋のような肉質の塊が緩くのたうっている。闇の水域へトリュゴンは去っていく。俺たちは全員呆然としてな、その光景を眺めていたよ。
怒りの吹鳴音が鳴り響いた。
発見されました、とヴィレンが落ち着いた警告を発した。見回すまでもない、オオヘビウオの大群が乱舞して水域全体が黒く煙っている。海龍の雄叫びが聞こえた。渦巻いている生物群全てが殺気立って共食いを始めていた。
まずい、来るぞ、全速離脱と少尉がわめいた。どっちへ逃げるんですとカジがわめいた。どこへ逃げようたって逃げようがねえ。数キロに渡って化け物が密集している。蝗の群れのように、一面真っ黒に汚染生物の群れだ。
ただ、力場のむこうだけが清浄な空間だった。穿貫牙をむき出しにしたイワブシがU−333に殺到する。がつん、と衝撃が走って、フネが揺れる。やつら捕捉肢でまるっこいフネにしがんで、フレームに牙を突き立てている。なんてこたぁない、ないんだが、たかられて動けないところをオオヘビウオの電撃をくらったら最後、魚雷が誘爆して粉微塵だ。イワブシが電磁推進器のノズルに食いついて、まるでスピードが出ない。ヘッドセットから少尉の緊迫した声が流れた。
機関士、エンジン最大出力、操舵手、力場に正対し押し破れ、と。俺が思わずうめいたが、ここにいりゃあ食い殺されるだけさ。ノズルにしがみつくイワブシを吹き飛ばし、海虫どもでダルマみたいに膨れたフネが鈍重に動きはじめる、そのときだった。うっとカジがうめいて、噴流制御のバルブを最大に倒してフネを急転換させた。
オオヘビウオの巨大な成体が、U−333の真上から襲ってきている。そのデカブツの顎が食いつこうとして、スロー再生のように妙にはっきりと迫ってくる。まずい、と感じる間に、俺は音源を解放して強烈な音を打った。瞬間に水域地図が真っ白くなるぐらいのパルスだ。動き出したU−333が音的に見えなくなったにちがいない、オオヘビウオが直進してずどぉんと、海底も揺らぐ強烈な音をたてて食い付いた。あやうくU−333は軌道を逸らして助かった。オオヘビウオの放電牙が赤熱し、海底の岩盤に噛みついて、強烈なあごの力でのた打ち回り、引きねじっていた。そこにもう一匹のオオヘビウオが突っこんできて噛み裂いた。共食いだ。放電アークが水の中で火花を散らした。
U−333はしがみつく虫どもを引きずりながら力場めがけて進んだ。重たくてたまんねえ、牛ぐらいある甲脚虫のイワブシが真っ黒にたかってるんだからな。虫歯の治療みたいな音がひびく。
機関士に少尉がむきなおるが、電気ショック用意と言いかけたところに機関士がダメを出した。少尉、これ以上機関に無理をかけると炉が消えます、てな。あのおっさんがダメだと言うときは冗談なく壊れる。
フネはバキバキと、力場の障壁に食いつき、艦体が強烈な擦過音を出した。何でできているのかわからない力場だった、ぶよぶよしたゼラチン質の膜かと思ったが、強力な力をかけながら押し入っていくとみるみる硬くなり、ガラス質のように固化した。機関出力最大に噴射する。俺たちは押し入る。イワブシの頑丈な甲殻が、力場とフネに挟まれ、圧力に耐えられずボキ折れて潰され、フネから離れる。
信号! とヴィレンが警告した。遮蔽力場の未知の信号です、敵味方、「ゾーン」の信号とも合致しません、そう言った。フネに食いつく甲脚虫が増え続ける。膨れ上がって長虫が食いついて、ダルマがぶっとい毛だらけになったようなありさまだ。
修羅場の中で少尉が指示した。無線手! どこのだれか知らんが、敵ではないと伝えろ、てな。冗談じゃない。誰に何をどうすりゃそんなわけのわからん信号を送れるってんだ? ともかく俺はありったけの情報を開き、ヴィレンは試し続けた。敵味方のコードを知る限りあらいざらい送り続ける。返事はない。
ヴィレン、まだかと少尉がわめき、急かした。力場がはじける。フネが押し出される、装甲がぎりぎりと力を受けてきしむ。荒々しく揺さぶられた。機関士が、炉の潰れる覚悟を決め、電気ショックを用意したのがヘッドセットの表示に見えた。炉心が一度、電気ショックで叩かれてるから本当に止まるか知れない。止まれば再起動できなかった。
いよいよ切羽詰った俺の脳味噌に何かひらめいた。悪魔か何かが見かねたらしいな。ヴィレン、普通種の救難吹鳴音を流せ、種類は何でもいいと俺がわめく、わめきながらコンソールを叩く。フネの音源が、大型の層流魚が襲われたときにあげる叫びをたてた。
信じがたいことに圧力が消え、フネは力場を通過した。ゴバッと一挙に加速がついて、俺たちはヘッドセットごと首を持っていかれそうな感じがした。振りもぎられたイワブシが飛び散る。後ろが遠ざかる。振り向くとそこは、魚どもの地獄の押絵みたいだったな。水域は暗く、その忌まわしい生物達は急速に見えなくなっていった。
俺たちはトリュゴンに続いて、誰も確かめたことのない水域を進んでいた。
十杯目
なあよ小僧。こっから話す事は今までのテキトーきわまるウソ話の中でも最上級のウソ話だからな、絶対本当だなどと思ったりすんじゃねえぞ。あ? 当たり前じゃねえか、昔の船乗りが自慢話だの昔話だのをするときゃあ、決まってあることないこと伝説と真実をこき混ぜてから堂々たる態度で語ったもんだ!! だれが本当の話なんかするか。つまんねえ。
いいか、決して真に受けたりすんじゃねえぞ。飲め! へべれけになったか? いいな? よし話してやる。
ポイント327Bは海底の噴火口だった。とはいえ今現在ぼんぼこ火ぃ噴いてるつうわけじゃねんだ、活動をやめて数万年経過している。いまだに探査されたことのない「聖域」は、その噴火口近辺を中心に、半球状に遮蔽力場を展開していた。
あの水域は……「聖域」とヴィレンは呼んでいたが、たしかに重々しく、古めかしかった。そしてとても静かだった。
ちょいとガクジツ的なハナシをするとよ、地殻というものは、マントルの上に乗っている薄い岩盤の層でな。アーケロンの場合はその岩盤のかわりにブ厚い水の層がある。だからアーケロンの海底は普通よりも薄い。薄いぶん生成消滅のサイクルは早く、活動も活発だ。薄い地殻を頻繁に割って、マントルが露出したり、水が加熱されて、強い熱水噴流が沸き起こる。噴流が起こるとそこに、メタンや硫黄を使った独自のサイクルでまわる生態系が生まれ、流れの巻き上げる海底の養分を吸ってプランクトンが繁殖する。
だけどそこの水域はどこも暗くて静まり返っていた。ポイント327Bの乗っている地殻は、プレートテクトニクスの運動から外れた、岩盤の孤島みたいなところだった。だから層流が少なく、電気放散虫やバクテリアも少ない。結果として「聖域」は、古い図書館か平日の教会みたいに、しんと静まり返っていた。たまに見かける層流魚は、どれも小型の普通種ばかりで、こちらをみかけると、すばやく身をひるがえして、くねくねとどこかに行ってしまった。
トリュゴンは浅海を漂い、微速で進んでいく。時速四ノットぐらいだったか、静かに、何かに曳かれるように火口を目指して進んでいくのさ……ぼうっと、淡い力場のようなものが艦の全体を包んでな。少尉は俺に記録映像を残すよう指示した。ヘッドセットに送られてくる画像をメモリーに記録しながらトリュゴンに接近する。
青白く光る発光虫が艦を包んでいるのかとも思った……視覚補正の要らない距離まで近づくと、はっきりとそれがトリュゴンだとわかった。識別信号が規則的に光る。U−333は、大きな揚陸艦の周囲をまわって、各部を確かめた。エンジンの推進部が大破して、ノズルが脱落している。あちこちのレーダーロッドがもぎとられていたり、大圏の中で作動するフィンが破損し、折れ曲がっていた。いくつか、食いついて剥がれない甲脚虫の肢がしがみついていた。フレームに亀裂や穴はないな、と機関士が、誰に言うでもなくぼそっと指摘する。まあ開いていたら、ここまで浮いていられる道理はない。青白い光はやはり力場だった。それが揚陸艦を押し進めている。
どこまで流れていくんだ? とカジがいぶかしむ。流しっぱなしにするわけにはいかない、と少尉ははっきり言った。無線手、トリュゴンを呼び出せ、と言う。俺は回線を開いた。所属と艦名を名乗って応答を求める。返事ありません、と俺は報告した。少尉は、じゃこっちで動かそう、無線手、データリンク開始。操舵手、リンクしたら同期して浮上しろ、と指示する。
ところがデータリンクも無視された。向こうのシステムがうんともすんともいわない。何を送ろうとも反応がない。ただ、識別灯を定期的に点滅させ、前進している。
少尉はじれて、トリュゴンの舷側にフネをすりつけるぐらい近づけ、測探手にピンガーを打たせた。ごわん、と鐘でもひっぱたいたような音波のパルスが艦腹を叩いた。起きてるやつがいれば聞かないわけはない。一個師団五千人が睡眠安定処置されてるったって、当直は必ずいるはずだのに、何も反応はなかった。
海底死火山の枯れた噴火口の上でトリュゴンは止まった。それから、急速に沈みはじめた。艦尾を深みへ傾けながら。
どうしたらいいのか、おれたちは見ているしかなかった。むこうは恒星間級の大きな揚陸艦だ。全長は二キロ以上ある。こっちはあたまからしっぽまで四〇メートルないからな、桁が違う。接舷しても一緒に沈むだけだ。ぐんぐんとトリュゴンは落ちていく。力場の青みは増していく。昏く、蒼く、闇に満ちた噴火口に引き込まれていく。
おれは何度も何度も、信号を打ち、サウンドマイクで呼びかけ、最後には大型探照灯を点滅させて、古めかしいモールスまで送ってみた。返事はない。幽霊船を相手にしているようだった。艫を完全に下に向けている。しかも沈みがおっそろしく速くてよ、こっちが垂直潜行で追いかけなければ、ついていけない。とてもじゃないがフレームに無理がかかりすぎる。潰れてしまう。フレームがギリギリときしみだした。危険な速さだ。
これ以上速くすると安全潜行率を超えます、とカジが告げた。深海用潜水艦が揚陸艦に追いつけないなんてバカな話はないぞ、第一、なぜ、この深度でトリュゴンは圧壊しないんだ? と少尉は自問した、深度いくらだ? 測探手がピンガーを打った。約一七〇〇〇、反射が複雑で正確な深度が出ません。推定ですが海底まで十万メートル超えます、ノギはそんなおっそろしいことを言ったよ。引き揚げるどころの騒ぎじゃない、そんなところは、人類の手の届かない海の果てだ。ギチギチとフレームがきしむ。ぱかぁんとボルトのはじけた音がした。ヨネさんがびくっと首をすくめた。虫歯の疼く奥歯に銀紙はさんで噛みしめるような、本当に嫌な気分に苛まれ続ける。エンジンの轟音、水の擦過音、フレームのギチギチギチギチ軋む音にくわえて、どこまでも闇の底へ雪崩れ込んで行く浮遊感……。正確な位置もつかめないまま、深度計がぐんぐん下がる。ボルトがまた、はじけ飛んだ。
この狂気のダイビングレースにとうとう少尉が折れた。ダメだ潰れる、操舵手、安全率にしたがって潜れ。測探手、ソナーで追尾しろ、そう指示した。ノギはすぐにピンガーを放った。数秒たって、もう一度ノギが音を打つ。ヘッドセットを引き起こし、唖然とした顔つきを上げた。深度、不明です。探深音が返ってきません。消えました、と。いつの間にか、俺たちのフネにも、奇妙な発光体がまとわりついていた。セント・エルモの火のように。どうにも、嫌な気分がする。
操舵手、様子が変だぞ。各員、持ち場を点検しろ、せわしなくあたりを見ながら少尉が指示する。が? と言ってカジが黙った。外部静水圧、……ゼロ。そう言って、故障かとつぶやいた。センサー壊れたな、と少尉が呟く。
いえ、少尉、とヴィレンが言葉を切った。深度一九〇〇〇。圧力計は壊れていません。ただ圧力がかかっていません、と言った。そんなバカな、と少尉がつぶやいた。カジがわめいた。操舵効きません、各部操縦系統反応なし、と。推進切れ! と少尉が言う。無線の回路も全ての帯域で通じない。フネの機能がまるきり役立たずになっていた。ごひゅう、と電磁推進器がうめき、推進が切れた。フネがずぶずぶ沈んでいく。
そうか、と少尉は声を嗄れさせた。これが「淵」か、とよ。よるべなくフネは沈む。おそろしく心細かった。あたりは漆黒の闇だった。
何が起こるのかわからない。そこは「大海淵」、あるいはただ西の水域で「淵」と呼ばれて恐れられていた消失点だった。ちょいと注いでくれ……。
「淵」か。「淵」てのは西部戦線の船乗りが一番おそろしがっていた海域だ。そこに迷い込むと、ときおりぷつっと音信が絶える。それでおしまいだ。誰も帰って来ない。何があったか、誰も知らない。調べても、音波が散乱して底まで届かない「淵」があるきりでな。俺たちは西の連中が、遭難に推測とヨタ話を付け加えたもんだと思ってた……とんでもねえ。フネは数時間かけて沈み続けた。おれたちは緊張しっぱなしだったが、緊張に疲れて慣れた。人間生きてる限り何にでも慣れる。次にどうなるか、わからねえけどな。
ノギは周囲の状況を必死に分析し、降参した。計器が使い物にならないと言って途方にくれている。慣性誘導から計測、深度、一〇〇六九七メートル、そうヴィレンが冷静に告げる。新記録だがちっともうれしくねえ、U−333の限界潜行深度なんかとっくに超えてる。あちこちに目を走らせるカジが、なおも沈降中、とささやく。少尉は席について、黙っている。
ほの白く何かが見えてきた。浮き上がってくる。障壁だった。俺たちは躊躇いながら、それに接触した。すると今度は何の要求もなく通り抜けた。
操舵手、探照灯を全てつけろと少尉が命じる。
U−333は光をすべて発した。壁がすぐ、近くにあった。秒速十メートルぐらいか、安定して沈んでいる。かすめていく壁に、一様に何かが刻まれているのが見えた。文字のように見えたな。一面、大きな、六方鱗が刻まれている。その六方鱗の中に、複雑な象形文字に似たいくつもの言葉があった。何で彫ったのかわからないが、滑らかな断面と直角の溝で抉りこまれていた。正円の孔が彫られ、どことも知れない地下からの水流を運んでくる。地震で弛んだのか、不規則に、六方鱗をかたどった岩の柱が、壁から突き出していた。
こりゃ、何かの遺跡か? とノギが言う。おっさんも驚いたように見つめていた。
崖が上へとよぎっていく。それからフネの探照灯が照らし出したものを見て、フネの中の誰かが大きな驚きの声を出した。岩を刳り貫いた、搭ぐらいある岩窟に、何かの巨大な生物の頭が浮かび上がった。うなだれている。頭にはマリンスノーが灰色に降り積もっている。なだらかな肩、と呼べるのかどうかしらんが、四つの腕へとつづく、隆起した筋肉と皮膚の丘にも、マリンスノーが灰のようにうずたかく積もっていた。
巨人だ……、とノギがあっけに取られた声を出した。大きな錐状の頭、巨大な長い胴。胴から分かれて寄り添う四つの腕……腕は先に行くにつれて分かれ、何十本にもなっているらしい……筋肉質な七つの房を作り、それぞれがそれぞれを巻き、ゆるやかに組まれていた。縄のように。
U−333は沈んでいった。
巨人は胴の終端から扇状に分かれた七つの肉鰭を、幾何学的に曲げ、敷いて、自らの座に腰かけていた。人型、とは風情が異なるんだがな……ブディズムの特殊な坐り方を思わせる。複雑な形に組まれた石と、深海の藻類、それに不思議に光沢のある層状のタイルが、その巨人の胸元、と呼べるところに輝いていた。頭部も石の冠か、それとも鱗か、何かで覆われている。
泳ぎまわる生き物、というより底棲生物のようだった。太い肉鰭で直立するように体を支え、四つの腕で対象をつかむんだろう。そいつは、長さ数百メートルはある巨大な胴体を、断崖の座に据えていた。
見わたせば、そうした巨大な刳り貫かれた岩のアーチが壁面を埋めている。どれにも巨人が座していた。死んで、骨だけになっているものが数多くあった。うつむき、傾いている。俺たちはなおも沈んで行った。
三角フラスコのカタチに底に行くにつれて、あたりは広くなってな。黒く静かな水が満ちた大寺院の聖堂を沈んでいくようだったな……ゆるく傾斜のついた壁が遠ざかって、見えなくなっていく。数百、数千ともわからない数の巨人たちが坐して眠っていた。
俺たちは目だけ光らせて、座席に座り、成り行きを見張っていた。誰も口をきかない。おれの視界の端じゃ機関士のおっさんがよ、ときおり操作系統の切替レバーやスイッチ類をいじるのが見えただけだ。ちょいと目を走らせると、少尉は座席に埋もれるようにして首だけ上げ、ヘッドセットの中に意識を集中していた。
ノギが言った。信号、可聴領域の音波が定期的に発振されています、てな。操舵系統回復、各舵反応正常と、カジが他人事みたいな無頓着さで淡々と報告した。各部点検しろと少尉が命じる。無線機に異常はない……ただ、外部静水圧は相変わらずゼロだった。フネを包んでいた青白い光が、薄れていく。
深淵の底は、開かれた広間だった。幾何学模様の条溝が、ゆるく放射楕円を描いている。青白い光がその条溝をゆっくり回っていく。
放物線の集中していく先には、同心円がいくつも刻まれていてな。光を受けて、闇の底に転がっている、大きい山塊のような何かが見えた。
円と線が集中し、青白い光が活発に、そして静かに走っている先に、巨人がうずくまっていた。青白い輝きで満たされたトリュゴンを、三つの腕で捧げてな。
俺たちのフネは、次第に沈降速度を緩めて、最後に、深淵の底に着底した。マリンスノーが灰のように巻き上がり、ゆるやかに運ばれて去っていった。
海の巨人は一人だけ、目覚めていた。ゆるゆると頭部をあげてこっちを振り返り見た。……不思議な音がしていたよ。森を風が吹きぬけるような緩やかな音だが、それは得体の知れない巨人の呼吸音だった。
まるごと一つ、搭ともいえるぐらいの大きさを占める頭部が動いてこちらを見つめた。眼が八つあった。それを見た瞬間、こいつは今のアーケロンにのさばっている種族じゃない、もっと古種だ、とわかった。眼が八つあるのは、アーケロンにおける二億年前の氷河期の、大量絶滅以前に栄えた種族を意味する。この形質は化石でしか見つかっていない。
形質は分岐しても受けつがれる。地球の魚も人間さまも、頭が左右対称、目が二つで顎があるのは、それが種の分岐以前に獲得した同一のスタイルだからだ。ところが今のアーケロンの生物と、この巨人は、基本的なスタイルにおいて変わっていた……よほど遠い昔に分岐したんだろう。
長い牙を持つ顎が緩やかに開いた。穏やかに、その巨人は巨大な体躯を旋回させ、腕を形作る長い触手の房が、ひとむれ、俺達のフネを指した。敵意を示す素振りではないように思えた。……何も論拠は無いんだがな。生き物と生き物が、一対一で向き合ったときの存在感と、思惑の絡み合う微妙な感じでな。そう思えた。
人類が宇宙に進出するようになって百年、開拓したり戦争おっぱじめてみたりしながらも順調に勢力を伸ばし、銀河のだいたいに広がったけどな、ほかの知的生命体に遭遇した、てのはまだねえのさ。生命は珍しくないが、知性を持ってるのはいなかった。まあ人間が人間の脳味噌で定義する知性なんてのもあやふやだし、本当に人間が頭がいいなら戦争なんざやらんはずだがな。共食いよりも無駄な行為だ。
長い、太い音がひびいた。と同時に、何か、得体のしれない、味覚に似たような「味」、霧のような触覚と実体のある強力な密度を兼ね持った、波のような、満ちて過ぎていく何かが、俺たちの脳を満たした。その密度に満ちた流れは……ともかく人間の小さな脳の中に詰まってる思考なんてレベルじゃない。山脈か潮流だ。その巨人が、何をどうやって精神と精神をつなぎ合わせるのか俺たちにはわからない。実体のない強風にさらされるようなもんで、俺たちは驚いて身を縮め、コンソールにかじりついた。俺はもがいて、ヘッドセットの中の光景を見ていたが、愕然として無理からに操作盤に指を走らせた。ヴィレンが一発で落ちたからな。軍の暗号セキュリティも防壁もなんの意味もなく、画面が落ちて情報がダダ漏れてる。俺は必死こいてシステムを落とそうとしたが駄目だった。
やがて、濃密な思考は圧力を緩め、ヴィレンがフリーズから解放された。怪物め、と俺は罵った。
ヴィレン、と少尉が苦しげに指示した。彼は、何を伝えようとしてるんだ? と、はっきり、一語一語、明瞭に口に出した。語を一つ一つたどるように意識しないと、自分の考えが消し飛ばされそうなぐらい、濃密な思念に取り巻かれていたからな。
ヴィレンは返事した。音が妙に遅れて重ねあわされ、ノイズで飛ぶような音を出した。フネの量子コンピューターのメモリがパンパンになって演算し続けてる。ゼンガー更新中、プロトコル成立まで――そう言いかけて声がビュンと飛んだ。巨人の思考は俺たちの魂から圧力を引き、かわりにゆるく……なんといえばいいのか……流れが集束されて、光の筋のように感じられた。それに、徐々に、人間の持っている精神の感覚に同調し、収斂していくのを感じた。
何が起きているのかわからないまま、俺たちはフネの中で様子を見るほかなかった。巨大な存在は思念の形をうねらせ、注意をゆるく引き、それとともに、俺たちへ向けていた腕を元へ戻す。青白い光に包まれた巨人のシルエットが聳えていてよ……ヴィレンの声が静寂を破った。ゼンガー更新完了。巨人から通信、回路を開きますか? と少尉にたずねた。
話せるのか? あれと、と少尉が問い返す。ヴィレンのやつは、可能ですが限定的です、会話というより手旗信号だと考えて差し支えありませんが、と弱気なことをのたまった。
とにもかくにも、やらなきゃどうしようもないからな……。おれとヴィレンはサウンドマイクを開き、彼らの言語体系に近い音程の、潮の流れの音を響かせた。巨人は答えた。答えるとともに、またも脳裏に、重々しく巨大な思念が満ちるのを感じた……ただ、今度は、彼の思念が、彼自身を志向し、その外形と密度と存在をイメージしていることに、気づいた。
そして巨人の器官から沸き起こる音響、これはもう、俺たちには手におえない音だった。あえて言えばそれは潮の流れる音だ。長大な器官を押しとおる波から生まれる子音が、重々しくも幾重にも長く響きあう不思議な音だった。人間の発するレベルで考えられる音じゃない、自然音だ。彼は名乗ったのさ。
ヴィレンは、彼の名前をオアンネスと訳します、そう続けた。オアンネス? とノギが疑問をかえした。オアンネスてのは古い神話に出てくる海の神の名だ。
オアンネスは膨大な知の持ち主だった……やつの一族は数千年の周期で眠り、目覚め、活動する。アーケロンが生まれ、彼らの属する古種が生まれてからずっとな。それが連中の宿命だ……海の生物は、陸上のそれよりもはるかに巨大になれる生育条件がある。加えて無限に近い寿命が加われば……数千メートル以上の体躯を得てなお、成長し続ける。そして彼らの多くは、深い思索と眠りの中で死ぬ。巨人の呼吸音は緩やかに、高く遠く、流れ続けている。
そしてヴィレンは、明瞭に、我はオアンネス、招かれざる客よ、何故に我が同胞の住処に来たれるかと述べた……手旗信号通訳とか言っておきながらヴィレンのやつめ、えらく時代調な翻訳をしてみせた。古代からの巨人にはそれがふさわしいと思ったんだろうさ。少尉はごくあっさりと、こちらはU−333だと答えた。それから少尉は、俺たちがトリュゴンを追ってここまで来たこと、トリュゴンを解放するよう要求した。
オアンネスは塔のような頭を揺らめかした。牙を固く組み、緩やかな潮のように音を吐き出す。それは波の跳ね、深く落ち込むような奇妙な音響だった。それとともに、黒く重い思念が俺たちを満たした。それは否定だった。やつにはトリュゴンが必要だった。
なぜ、と少尉は問うた。
俺たちの脳裏に、海面に爆発を巻き起こし、海深く突入した何かの塊がイメージされた。
そいつは遊弋爆弾だった……NBWを詰め込んだ衛星さ。その穢れた星は「聖域」の近くに突入し、NBWを撒き散らした。オアンネスが異変に気づいた時には、撒き散らされたNBWが一族のうちのいくつもの個体を変質させていった。オアンネスは一族を統べる長として、感染した個体を、「聖域」から追い出さなくてはならなかった。そして彼は、聖域を思念による巨大な障壁で閉じ、感染したいかなる生物も通れなくしたのさ。
オアンネスは感染した個体がどうなったか克明に把握していた。その記憶の、幾層にもつづられた断面の深さを俺たちはのぞかされた。同族が知性を失い、動物にまで退行していく過程……オアンネスの強大な知力は生態系の各階級にあるすべての生物の神経系を把握し、何が起きているか知り尽くすことができる。
個体は一つだけ生き残った。夢のように、俺たちの脳裏はイメージで満ちた。どこかの、灰色に曇った洋上の様子が俺たちの頭の中に浮かび上がった。
音声がついていないが、海の向こう、もの凄くでかいスケールで水面が波立っていた。海中でちかちかと閃光が走り水柱が踊り立った。
島か何か……そんな、人間の扱うレベルの大きさじゃないシルエットが、波浪を起こして急角度に浮上し、空にそそり立っていく。ゆっくり、ゆっくりそこから海面へ落ちてくると、どわんととてつもなく巨大な津波が起きた。それを囲んで、靭性ポリマーを思わせる黒っぽくて長い塊が波間を割って見え隠れしている。それ全体が、相当な速度で、その光景を見ていたものと、併進していた。デッキの上だ。
波を蹴立てて走る島のような塊を狙って、艦載レーザーの、わずかに薄青く光る筋が通った。金属質の甲殻のいたるところで小さな爆発が起こって真っ赤に焼けていく。侵徹孔から融溶金属が流れだした。海を薙ぐと水蒸気がほとばしる。ただ、一撃も、甲殻がブ厚すぎてまるで貫通できていない。津波で画像が大きく、のけぞるように揺れた。
映像が急に旋回して、対艦ミサイルらしい飛翔物が、ぬらついた柔らかい腕にめり込んで爆発する様子をとらえた。ところがそれが、内部から粘体質の膜を引き伸ばしたように、気球じみてぶわんと膨れ上がって、ボッと煙を吹き、それで破壊力が尽きた。膨れた腕は縮みながら、海面にずぶずぶ沈みこむ。まるで効いているとも思えない。
幾本も幾本も、そんな触手が海中をのたうって、走り回る船を捕えては引きずり込み、潰していく。戦艦でさえ簡単に引きずり込まれ、水面下に没していく。大航海時代の怪物の悪夢じみた光景だった。ふいに画像は大きくゆすぶられて、何か、海の底から海面へと、巨大な塔が押し分けて浮き上がる様子がみえた。ひどく変形していたが、八つの目と長い牙のある頭部でな。それがオアンネスの同族だったもの、NBWで狂った兵器と化したスワムフィスクの顔だった。
脳裏に広がる映像は、油と奔騰する波が近づき、強い衝撃で打ち叩いたところで終わった。哀れなそいつの魂がそんなかたちで残されるとは、死んだそいつも思わなかったろうよ。オアンネスは、仮死状態で保存されていた水兵の脳から記憶を記録していた。
俺たちはみんな黙っていた。それから唐突に、かすれてあっけにとられた声で、海の王だ、とノギがつぶやいた。
深く、重たい思念があたりを支配していた。同族を喪ったオアンネスの異質な感情だった、それが人間の何に当たるのか、俺は知らない。悲しみか愁いか、絶望か、ともかく重たく、身動きもできないような硬質の思念だった。
オアンネスは、来たるべき活動期に備えて、スワムフィスクと人間どもを監視しなければならなかった。だからやつは、スワムフィスクと接触したフネから、ありったけの情報を抜き出すつもりだった。そしてあとは沈黙のうちに葬ってしまうだろう。やつにとっちゃ、トリュゴンを人間たちの元へ帰してやって、同族を危険にさらすいわれは全くなかった。そして俺たちもな。
何をどうしようが、それを変えるつもりなどオアンネスにはなかった。やつらがキレやすい種族だたぁ思われねえが、人間のすることにたいした共感も賛同も持っちゃいないことに間違いはなかった。人間のやったことがやったことだからな。鉄のように硬く、冷え冷えとした、圧力に満ちた思念が俺たちを押し包んでいったさ。
問答無用だ……オアンネスは峰のようにそびえる巨大な肩を揺らした……それから、つと、俺たちを指している触腕の幾本かを、骨質の関節部分から複雑に折り曲げ、のたうたせ、幾何学的な模様を作り出した。そして塔のような頭をうつむけ、巨腕をひとつ、一挙に振りかざしていった。腕が突き立つのに合わせて水流が逆巻いていく。
あたりが青白い光で満たされ、カジが制御不能と叫んだ。ずん、と異様な音がして俺たちはうろたえた。異変に気づいた測探手がわめく、外部静水圧が急上昇しています、と。ヘッドセットの数字が恐ろしい勢いで跳ねあがっていく。メチメチとシェルフレームに荷重がかかっていく異様な音が響いた。振動がフネと地底を揺るがしている。除去されている水圧を元に戻すだけで、俺たちはここにいることすらできねえ、という恐怖の事実を思い知らされながら、全員あっけにとられていた。バンとボルトが跳ね飛び、ノギが深度六〇〇〇、さらに下降中とわめいた。加圧率が半端じゃない、天井からピラミッドでも落ちてくるようだ。潰れる、と誰かがわめいた。
ヴィレン! と少尉がな……思い出すよ、通訳しろと叫んだ。正気じゃない。悪魔と取引だ。少尉はきっぱりヘッドセットを上向けてオアンネスを見た。そして、スワムフィスクを我々が撃破したら、トリュゴンを解放するかと叫んだ。
サウンドマイクが、潮の流れに似た重低音を流す。苦し紛れだろうがなんだろうが、そんときゃそう言うほかなかった。
海の巨人は、八つの目を交互に光らせ、歪めた。彼らにも表情というものがあるとすれば、彼らの奇怪な顔を形作っている大きな顎を開き、牙を揺らめかせているのがそれだ。それに丸い目を縦に細くゆがめて、ゆるやかに光らせてみせる。俺たちが、いや少なくとも少尉が本気だというのは、やつの強烈な知力で魂をのぞきこめば、すぐにわかることだった。少尉のあのバカ真面目な気質だからな……心底本気でのたまったに違いない。ゴリゴリとフレームが軋む。
潮の流れの音が音程を変え続け、響きわたった。
ヴィレンは答える。儚く遷ろう泡に、津波を崩せようとは思われぬが、とオアンネスの一語一語をはきだした。
あのイカ星人は再び牙を揺らめかしたよ。U−333を、八つの目が見下ろしている。長い沈黙が流れた。ふいに俺は、この野郎は、俺たちをいぶかしんでるのか、それとも呆れてるのか、馬鹿にしてるのか、と思ったな。憐みだの愛だの慈悲だのそんなもな人間の感情だ。やつは人間じゃない。広大な知力を持ってるが、考えが人間とは根底から違う。だから俺たちの命なんぞすべてヤツの気まぐれ次第だった……明確にクソ野郎がという気分を込めて、俺はヘッドセットの底からあのイカ頭を睨みつけていた。かまやしねえ豚の糞がという気分で睨み続けた。雷撃手がこっそり、魚雷発射の回路を入れたのがわかった。俺たちは泡沫かもしれねえが、潰される前に全弾斉射して魚雷祭りを開くぐらいの根性はあらぁな。
……何を思ったか、オアンネスは迷っていたらしいが、どわうと肩をゆすり大きくのけぞった。大きく頭を上げ、牙を開いて、長く深く広い轟音を響かせた。ビリビリと、跳ね騒ぐ波のような軽快な思念が突き抜けていった。抗わんとするか、泡沫に等しき者よ、と。やつは、人間にたとえりゃ、笑っていたのさ。
遂げてなお石と波の如く、黙して跡を残さず、再び立ち入らぬと誓わば、そうヴィレンは言った。少尉が何を言うのか、俺たちは艦長のほうを向いた。少尉は全員の顔を見渡して眼で聞いた……これでいいのか、と。誰も何も言わねえ。少尉は、異存はないと言いきった。
巨人はゆるゆると腕を下げた。荷重が、引いていく。やつは再び、水圧を斥けていった。
抗える者よ、波を返すべからず、約定は確と刻めり、とヴィレンは続けた。やつが何をするつもりかはわからねえが、俺たちが逃げればそれなりのことはあるだろう。少なくともトリュゴンは遠慮なくぶっ潰されらぁな。そう、俺たちはわかった。人質だ。
十一杯目
なぁよ小僧、揚陸艦の中に詰め込まれてる連中が、どんな具合になってるかについちゃお前のほうが詳しいだろ……寝てる間はどんな具合なんだ? え? 何も覚えちゃいないて? まぁそうな、個別の耐衝撃セルに入って、最低限の酸素と栄養を補給しながら運ばれるからな。寝ていたほうがずっと効率がいい。フリーズパックされたニシンみたいなもんだ。もっとも、一番生存率が高いから文句も言えねえ……。事故って漂流しようとも、セルなら数年持ちこたえる。民間の輸送船で事故が起こったらまず助からないかんな。
宇宙では、真空に、有害な宇宙線に、温度、食料、水、空気……そういうものを全部都合し続けないと生きていけない。快適さと合理性とどっちがいいかっていうことなんだが、どのみち起きてたってヒマだっつうものぐさな人間なら、睡眠輸送のほうがお薦めだな、生き残りやすい。実際起きてたって風景が変わるわけでなし、宇宙の航海は単調なもんだ……あ? 先を聞かせろ? まぁ一杯飲んでっからさ。思い出しながら喋るんだって楽じゃねえ。ばぁさん! コニャック一つ頼む。
……青白い光に包まれたままフネは浮上して行った。深淵の巨人に抱かれたままトリュゴンは沈んでいる。少尉は沈黙したまんまだ、何も物を申さねえ。俺たちも何も言わねえ。あのスルメ野郎に請け負ったことを律義に果たせるとも思えん、なにせスワムフィスクは艦載レーザーだって弾く代物だ。俺たちの積んでる深深度用魚雷も通じないだろう……嘘も方便たって限界があらぁな。だが俺はそんな恐れをなるべく消したくって、ヘッドセットの文字を頭空っぽにしながら読み倒してた。意味はない……けれどもオアンネスに思考を読まれたくなかった。みんなも同じらしかったな。フネは上昇していき、障壁を押しあがって突き抜けた。じわじわと、オアンネスの思考障壁から脱していくにつれて、外部静水圧がフレームにのしかかってくる、いつもの気配が戻ってきた。みしみしという、あの不穏な重圧感と緊張が。だが、今の俺たちには、それはむしろほっとする現象だった。少尉はずっと黙りこくっていた。
何を考えてるんだか、俺はヘッドセットをちょいと持ちあげて、少尉のほうをふり返り見たが、やっぱりむっすりと口を引き結んでる。まあ好きなようにやらせておくほかねえ、なんつったって艦長なんだから……ただいつまでも黙ってられても困るんだがな。「淵」からU−333が抜け出る。カジがほうと息を吐いた。それからヘッドセットごとやおら向き直り、少尉に進路を尋ねた。どこへ行きますか、と。
少尉は五秒ぐらいしてから唐突につぶやいた。測探手、海域地図を出せ。ヴィレン、この近所で、オアンネスにもスワムフィスクにも干渉されない、汚染生物の少ない静かな場所はないか? そこでしばらく休もうと言った。なければエターナルフレームへ帰投する、そう続ける。
結構な難題だ。ヴィレンはアーカイバを開いてしばし考えていたが、言った。ひとつ条件に適合する場所があります。参照してください、そう言って、ヘッドセットとパネルに水域地図が出た。いくつかのデータと地形図が次々に重ね合わされていく。水流、音源、サウンドチャンネル、層流帯……地図が拡大され、赤い矢印が海底に灯った。そこは盆地で、近所なことは近所だ。「聖域」を出たら西へ百キロほど泳いで行けば到着する。
こいつぁ残骸か何かか? とカジが聞いた。ヴィレンは、その通りです、ここは原子力発電フロートが沈没しており、高濃度の放射能漏れが確認されています。水流が少ないために放射能が滞留しており、以後数万年にわたり生物が住み着くことはないでしょうと答えた。俺たちも死ぬんじゃないか? とノギがつぶやいた。
大丈夫だ、シェルフレームは放射線を通さない。ただ放射能がくっついたらよく洗わねえといけねんだが、それはまあいつも水の中だから世話ねぇ、自然に落ちるだろう。俺がそう言ったら少尉もそこが気に入ったらしい。死の海だが、生物がいなけりゃ好都合だ。少尉はカジを呼び、そこを目指すように指示した。
ヴィレンはゼンガーを作動させ、ついで俺とカジに擬態航法を提案した。渡り海虫のツラギの成熟個体がよくやるように、層流に沿って高速で走っていく。海底を這っていくよりもよほど速い。俺は音響を設定し、カジは速度を四〇ノットまで上げた。このスピードなら二時間せずに着く。ちょっと南回りのコースになったが何事もなく到着した。途中、砂食いの異常変化した一群に出くわした……向こうは群れの中から、防御のために大きな個体が二、三匹、並走して威嚇していたが、こちらが何もしないとわかると、遠くをうろうろしてから群れへ戻っていった。
原発フロートの残骸に近付くにつれ、あたりから電気放散虫が消えて行き、急に薄暗くなっていく。残骸はいまでも綺麗なままだった……確かに死の海だ。折れた鉄桁やフレーム、コンクリートに生物がはりついていない。擬放散虫も微生物も何もいない。錆すら進んでいない……水は透明度が高く、そして暗黒だった。微音とわずかにしぼったBGLの照射であたりをさぐりさぐり進む。
カジは、うまいこと平らで見通しのきく場所を見つけだした。昔のヘリポートさ、ちょいと傾いてるが、おあつらえむきだ。着底させた。マリンスノーがふわりとあたりに浮き上がり、やがてゆらゆらと沈底していく。流れはなく、どこまでも静かだ。測探手、あたりに不穏な気配はないか索敵しろ、と少尉が指示した。ノギはマイクロフォンを当て、じっと静かにしていたが、やがて、何もいません、聞こえるのはすべて遠くからの火山活動の低周波だけですと言った。よし、勤務はちょっと中断して休憩しよう、こうも神経を使ってたんじゃ、全員壊れると少尉が言った。
みんなべったりしてよ、なんだか急に疲れ果てた気分になったな。ゾーンに入って一日二日経つか経たないかでもうこれだ……まともな所じゃない。一線で休む暇なく撃ち合いを続けるのといい勝負だ。俺たちは缶詰を食い、ちょいとタバコをふかしてから席で仮眠した。んな無茶苦茶な生活で、俺たちはともかく、まあ先任のおっさんの体力がよく保つよ……三十過ぎたらとてもじゃない、あんな勤務は無理だな。死んじまう。
深度二五〇〇〇。深海だな、まわりは永久の暗黒で、おまけに致死性の放射能で満ちている。だけれども俺たちは熟睡した。そこは人間の土地だったよ、皮肉なことに。
食って寝て、まともな判断力が戻ってきたら作戦会議だ。俺たちは戦争、というか人間の社会そのものから一時的に切り離されていた。
キリンとドロボウへ進む
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