インド旅行記

2日目 デリー市内観光

 時差ぼけのせいかよく眠れないので5時半に起きてホテルの周りを散歩した。しかし見るようなものがないので朝食を食べてから再びベッドに横になって休む。朝食はビュッフェだった式が、朝から種類が多く、味も良かったので今度こそ肥らずに帰国しようという決心もどこへやら最初から大食いしてしまった。。

 
ビュッフェ

 9時にホテルを出発、まずラクシュミー・ナラヤン寺院に向かう。この寺院はセメント事業で財をなしたビルラ氏が寄進したヒンズー教の寺院で1938年に建てられた。入り口でカメラを預け、靴を脱いで境内に入る。床は大理石になっていて掃除が行き届いているので裸足が苦にならない。 

 
ラクシュミー・ナラヤン寺院

 門の正面にはラクシュミーとナラヤンを祀ったお堂があった。ナラヤンはビシュヌ神を指し、ラクシュミーはシバ神の妻の名である。中央の祭壇に男女の像が並んでいる。男の像はビシュヌ神、女の像はラクシュミーであるが、いずれも可愛い笑顔をしていて、神の像というよりアイドルの人形といった感じを受けた。インドというと深遠な精神世界を思い浮かべるが、神の像を見るとまるで童話の世界である。

 祭壇の左側には獅子に乗ったドルガー神、右側には人間の形をしたシバ神の像が祀られていた。人間の形のシバ神は創造の働きを表し、シンボルのリンガで表されるシバ神は破壊の働きを表しているいう。

 祭壇の裏側に回るといろいろな神の像の間に釈迦の像があった。釈迦はビシュヌ神の9番目の化身とされているのでヒンズー教の寺院でも祀られているのである。祭壇の脇には1939年に日本山妙法寺から送られた太鼓が飾られていた。このお堂の右手には壁が鏡貼りの部屋があり、笛を吹いているクリシュナ神の像があった。

 観光を終えて外に出ると男が「ジュクジュク」と言いながら絵葉書を売りに来た。見るとカジュラホの石窟にあるエロチックな彫刻の写真である。相手にしないで歩いていると初め200ルピー(550円)と言っていたのが50ルピーにまで下がった。それでも相手にしないで歩いていると道路を渡リきった途端に引き上げて行った。彼らにも縄張りがあるのだろう。

 次いでインド門に向かう。インド門は第1次世界大戦で戦没した9万人のインド兵の慰霊碑で、高さが42m、幅が25mある。インド兵たちは戦後にイギリスから独立できることを信じて戦場に向かったが、独立の願いはかなわなかった。インド門の前には両側に広い緑地帯のあるラージパト通りが伸びていて、突き当たりには大統領官邸が建っていた。

 
インド門               ラージパト通り

 この後は世界遺産に指定されているフマユーン廟に行った。フマユーン廟は1565年にムガール朝第2代の王フマユーン帝の妃ハージ・ベグムが夫のために建てた最初のムガール様式の建物である。以前この地を訪れたときタージマハルに良く似ていると思ったが、タージマハルはフマユーン廟の影響を受けているのである。

 
入り口             中庭

 廟は赤い砂岩に白大理石が嵌め込まれており、中央にあるドームの下の部屋は八角形をしていて窓は砂岩の透かし彫りになっていた。

 
廟               ドームのある部屋

 墓室には白大理石製のフマユーン帝の墓が安置されていた。遺体はここにはなく、地下にある棺に収められている。廟の屋上には廟を造った建築家の棺が並んでいた。

 
フマユーン帝の墓        建築家の墓

 ホテルに戻ってまたビュッフェで大食いした後、クトゥブ・ミナールの観光に向かった。気温は40度に達しクーラーをきかしたバスの中でも35度にもなっている。クトゥブ・ミナールはクトゥプ・アッディン・アイバクがヒンズー教徒に勝利した記念に建てたミナール(=ミナレット、塔)で、世界遺産に指定されている。

 中に入るとまず左手に未完成の塔の基部が見えた。アラーイ・ミナールといい、ハルジ朝のスルタンアッラー・アッディーンがクトゥプ・ミナールよりも高い塔を建てようとしたが暗殺されてしまったので計画倒れになった塔で、基部の高さは24.5mある。


アラーイ・ミナール

 左手にはインド初のモスクであるクワットル・イスラム・モスクがあった。ヒンズー教の寺院を壊して石材を利用したので壁や柱にはヒンズーの彫刻が残っている。イスラムでは偶像崇拝を禁止しているので、当初これらの石材は石膏で塗りこめられていたが、風雨で剥げ落ちて地が出てしまったのである。

 
モスクの壁と柱

 回廊の天井には擬似ドームがあった。建設当時はドームの造り方を知らなかったので周囲からせり出していく方法で造っており、そのため外観はすり鉢型形をしている。

 
擬似ドーム内部            擬似ドームの外観

 モスクを出ると高さ7mの純鉄の塔があった。鋳物で作られているが今もって製法は不明という。表面にはいろいろの言語の文字が刻みこまれている。鉄の純度が100%に近いので錆びないと言われているが、大気汚染の影響か表面の一部に腐食が見られた。以前来たときに、この塔に後ろ向きになって腕を回してして両手の先を触れらればまたここに来られると言われたので挑戦して成功したことを覚えているが、その言葉の通りになった。もう1度挑戦してみたかったが、保護柵が作られているのでもうできない。


純鉄の塔
 
刻まれた字           表面の腐食

 純鉄の塔を過ぎるとクトゥブ・ミナールの前に出た。この塔は高さが72m基部の直径が15mあり、3階までは砂岩で、4階と5階は大理石で造られている。入り口は北側にあるが、イスラム建築では入り口を南か西に造るので、1階はヒンズーの王が造ったという説もある。


クトゥブ・ミナール

 塔の周囲には図案化したコーランの字で飾られている。以前はこの塔に登れたが7年前から入れなくなっている。

 
周囲の装飾

 クトゥブ・ミナールの脇にはアラーイ門がある。中にはドームのついた部屋があり周囲にある4つの入り口の上部は馬蹄形のアーチになっていて、この門を造ったときにはドームの造り方を習熟したことを示している。

 
アラーイ門         入り口上部

 一旦ホテルに戻った後、オールドデリーの観光に向かった。旧市街にはバスが入れないのでリキシャに乗り換えて見物する。やがてリキシャは歩行者で溢れる道に入り、人をかき分けるようにして進む。痩せた小柄の男が漕いでいたが、40度近い猛暑の中で2人の客を乗せて穴だらけの道や坂道を走るのだから大変である。

 
リキシャ         人ごみの中の道

 オールド・デリーの中心街チャンドニー・チョウクでリキシャを降りて通りを少し歩く。この通りにはシーク教、ジャイナ教の寺院が並んでいる。

 
シーク教寺院         ジャイナ教寺院

 来た道を引き返してバスに戻った後、近くにあるエンポリアムに入る。インド各地の手工芸品が並んでいたが、近頃はあまり買い物をしなくなった。買っていっても置き場所に困るだけなのだ。ホテルに戻る途中ラージ・ガートを観光する。ラージ・ガートは1948年に暗殺されたマハトマ・ガンジーが荼毘に付された場所で、ここに作られた墓には遺骨の4分の1が収められ、残りは河に流されたという。35度を超す暑さだったが大勢の男女が参拝に訪れていた。


ラージ・ガート

 ホテルのビュッフェでまたまた大食いした後、スーツケースをパッキングしてすぐ休む。明日は出発が早いので4時に起きなければならないのだ。


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