ブータン旅行記

4日目 ドゥゲ・ゾン、タクツァン僧院、タ・ゾン、ボンデ・ファーム観光

 早めに朝食をとってからホテルの周囲を散歩する。ちょうど学校の登校時間にあたり小学生や中学生が横に並んで話をしながらホテル前の道を次々歩いていく。皆日本人にそっくりで子供の頃を思い出し懐かしい。

 
登校中の小学生

 8時にホテルを出発、まずドゥゲ・ゾンに向かう。ドゥゲ・ゾンは1647年チベットとの戦争に勝った記念にシャブドゥンによって造られたゾンで、1951年の火災で廃墟になっている。ドゥゲ・ゾンの手前でゾンの写真を撮るためバスを降りる。ドゥゲ村の先には4000m級のラーゲ・パン・ツォーパン山の白雪が輝いている。

 
ドゥゲ村(拡大)      ドゥゲ・ゾン(拡大)

 近くの農家の庭先で女の人が布を織っていた。機織り機を使わず遠くの方で止めた縦糸に棒を刺して織っていく原始的な織り方である。2人がかりでしているが、1着分を織り上げるにかなり時間がかかりそうだ。

 
布を織る女性         布

 8時40分、ドゥゲ・ゾンの下にある駐車場で下車する。車道はここで行き止まりになっていて、ここから先は歩いて進む道しかない。チョモラリ(標高7314m)ベースキャンプへのトッレキングコースもここが起点になっている。

 駐車場の側にはマニ車を納めた水車小屋があり、マニ車が1回転するごとにチーンというのどかな音を立てている。水車を回した水は飲み水や洗い物に使われていて村人たちが汲みに来ていた。

 民家の壁にはいろいろの吉祥印や魔除けの絵が描かれている。なかでも目に付くのは巨大な男根の絵で、魔除けの意味と子孫繁栄の意味で描かれているという。

 
マニ水車の小屋          民家(拡大)

 駐車場から坂を5分ほど登るとドゥゲ・ゾンに到着した。入り口の部分は崩れずに残っていて、中に入るとウツェの前に出た。ウツェ側面の入り口が開いていたが、中には崩れた木材が散乱していて入れなかった。

 
ドゥゲ・ゾン入り口        中庭とウツェ(拡大)

 さらに進むと城壁の上に出た。ここからの眺めは素晴らしく遠くにはチョモラリの頂やラーゲ・パン・ツォーパン山が、足下にはドゥゲ村の畑を見ることができる。

 
チョモラリ         畑

 この後はタクツァン僧院の観光である。以前来たときは川の手前で下車して吊り橋を渡ったあと、沢伝いの急な坂道を登らなければならず、ほとんどの人は馬の世話にならなければならなかった。しかし、今回は山の中腹までバスで登ることができ、ここから先は山腹を巻くようにして造られた登山道を景色を楽しみながら楽に登ることができる。


登山口付近 

 20分ほど登ったころから真っ赤なシャクナゲの花が見られるようになる。足下には野イチゴの花がたくさん咲いている。

 
シャクナゲ(拡大)         野イチゴの花

 30分ほどすると目的地のレストハウスが見えてきた。その先の絶壁の上部にはタクツァン僧院も見える。


レストハウスとタクツァン僧院(拡大)

 さらに5分ほど登るとマニ車の収められたお堂がある高台に出た。お堂の周りにはルンタ(風の馬)が印刷されたたくさんのダルシン(経文旗)が建っている。周りには真っ赤なシャクナゲがたくさん咲いている。

 
高台           マニ車のお堂
 
ルンタ          シャクナゲ

 ここから5分足らず右手に歩くとレストハウスに到着した。レストハウスの前は展望台になっていて、目の前にはタクツァン僧院が切り立った絶壁にへばりつくようにして建っているのが見える。

 
タクツァン僧院(拡大)          タクツァン僧院(拡大)

 他の人たちが昼食をとっている間にタクツァン僧院の近くにある展望台に向かう。急な坂道を登りきると緩やかな坂の道になり、しばらく歩くと民家の前に出た。ここからは山上にあるもう1つの僧院が眺められる。


山上の僧院

 このあたりには美しい蝶や鳥の姿が見られて疲れを忘れさせられる。ブータンは自然の宝庫だ。

 


野鳥

 30分ほどで展望台に到着した。ここからは切り立った崖に建つタクツァン僧院を横から眺めることができる。復元工事は外側だけ完成していて内部は目下工事中なので資材を運搬するリフトが展望台までついている。機械を用いても外観だけ修復するのに2年もかかっているのだから、人力だけで僧院を建てた昔の人はさぞ大変だったろう。


タクツァン僧院(拡大)

 復元された僧院の外観を焼失前の写真と比較すると屋根や窓の形が変わっている。チベット仏教の寺に入ると古い壁画の上に全然違うデザインの壁画を描いていることがあるが、チベット仏教の考えでは原状に戻すことにこだわらないのだろうか。

 
再建されたタクツァン僧院(拡大)       焼失前のタクツァン僧院

 道はタクツァン僧院まで続いているが観光客は先に進むことができない。1986年に来たときは僧院の中に入ることができたが、そのときは壁画の写真を2枚しか撮ってない。僧院が焼失してしまった今にして思えば、同行の人たちの姿が画面に入ってしまっても堂内の写真をたくさん撮っておくべきであった。

 
釈迦像        パドマ・サンババ像

 展望台からはレストハウスやマニ車のあるお堂、下の村まで眺めることができる。 


展望台からの眺め(拡大)

 レストハウスに戻って昼食をとる。聖地だということで料理は野菜類だけであったが、赤米が出ておいしかった。食後急いで坂を下って他の人たちと合流する。途中の道端で仏具などの土産物を売っていた。素朴だったブータンの人たちの生活も段々変わってきている。

 パロに戻り今度はタ・ゾンを観光する。ここはパロ・ゾンの見張り塔だったのだが、1968年に前国王の寄付で国立博物館になった。内部は半円形の展示室が組み合わされた複雑な構造になっている。入口は4階にあり石器時代の石斧や石鍋などが展示されておいる。5階には16世紀から18世紀のタンカ(仏画) が多数並べられている。6階に登ると壁にブータンの記念切手が展示されており、中心の丸い部屋の中央には立体マンダラが置かれている。立体マンダラの4つの面にはサキャ派、ニンマ派、ゲルク派、カギュ派の仏像が安置されている。

 4階に下がると民族衣装が並べられており、3階には金属細工や古いコイン、2階には動物の標本、1階には民芸品、地階には青銅器や武器などが展示されている。


タ・ゾン

 タ・ゾンの前からはパロ・ゾンを眼下に眺めることができる。1986年に同じ場所から撮った写真があるが、周囲の建物が倍増している。やがてゾンの周りは民家で埋め尽くされてしまうのだろう。

 
パロ・ゾン         1986年のパロ・ゾン

 次にボンデ・ファームを訪れた。ここはブータンに日本の農業技術を伝えた西岡京治氏の農場だったところである。事務室に入ると壁にゴを着て肩に小豆色のカムニをかけた西岡氏の遺影が飾られていた。西岡氏はブータンの農業を指導した功績でダショーの称号を与えられている。

 16年半前に私がパロに泊まった夜、久しぶりに日本人が来たというので西岡氏はわざわざホテルまで訪ねてきてくれて皆でお話を聞くことができた。当時農場に温室を造る工事をしているときで、ブータンの人は仕事が遅くて日本人の3倍もかかってしまうなどと話されていた。話が進んでいくうちに、猪に出会ったときは急いで木に登らないと脚を引き裂かれてしまうとか、狂った雄象でも刀で鼻をちょん切ると悲鳴をあげて倒れてしまうなどと語られていたことが耳に残っている。


西岡氏遺影

 事務所を出て農場の中の道を歩いているとレースフラワーのような花が咲いていた。人参の花で種を採るため咲かせているという。玉葱の畑もあったが、種をインドへ輸出しているという。ボンデ・ファームは作物を作る農場ではなく、種や苗木の生産や農機具の販売・レンタルをしているのである。

 
人参畑        人参の花

 16時半ボンデ・ファームを出発、ホテルに向かう。途中パロ・ゾンの橋の袂に来ると大勢の小学生が歩いていた。ブータンの小学校は二部授業をしていて、午後組は16時半に授業が終わるのだ。


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