言語障害克服の事例
小学校入学間近の女児で、発声が出来ない場合
(1)本人が興味を示す素材を用いて同音反復と言葉かけ
この点では、本人と密着した働きかけとその反応に応じたフィードバックの累積が不可欠の前提である。
(2)本人がコミュニケーションを確立しようと意識する状況設定
親や回りの同居人(祖父・祖母など)が本人に密着・干渉しすぎている場合が多く(それも当然ではあるが)、結果として本人からのコミュニケーション確立志向が不必要になっていることが大きな原因になっていると思われる。12ー14歳頃までは代償的なものも含めて言語中枢は形成途上にあると思われるので、たとえ中枢機能に障害があっても、その自然的な形成過程をよい方向に誘導・強化する働きかけは必要不可欠であり、且つ、極めて有益である筈である。そして、そうした働きかけが効果を発揮するためには、本人の側にコミュニケーションを確立しようとする意欲が生まれてこなければならないであろう。本人の生育環境に照らして適切な対応を検討していく訳である。
(3)なぞりの筆圧が低すぎるので、指先を中心に微細な動きをとる運動
言語面で遅れが目立つからといって言語面だけに拘泥していては不足を生じるであろう。人間の能力は常に総合的に発達していく筈なのであって、言語面の発達と相関する種々の機能の発達が想定されると思われる。それを発見的に探究していく働きかけも、言語面の訓練と併せて展開されるべきであり、実際この子の場合には、そうした働きかけが言語面にもよい相乗効果をもたらしたものと思われるのである。一般的に言って、跳んだりはねたりといった大きな動きの面が先行して発達する子供ははたから見ると利発そうであるので本人任せ・学校任せに放擲する場合が多いが、細目に亘って注意力を発揮して緻密な思考・作業を行う点で近未来的に弱点を露呈するに到る場合が多い。逆に、大きな動きが不得手の子ははたから見るとちょっとのろいのではないか・遅れているのではないかと見られやすいが、適切な機会を設けられれば細かな作業・観察・記録などでその才能を先行的に発揮する場合が多いのである。両者相揃って発達するのが理想であるが、過密化・混迷化を亢進させつつある現代社会に於いては、親の選択がその子の将来を大きく規定付けてしまう場合が多いのではないだろうか。一般論は兎も角としても、言語面で遅れの目立つ子の場合には、とりわけ後者を射程に据えた訓練が不可欠であり、その言語的能力の開花・発展にとって極めて重要であると言える。その意味でも、本人が課題に取り組むさまを子細に観察して適切な対応を採るべきであろう。集団指導では、この点への配慮が欠けてしまい、例えば手話の習得に特化することによって、せっかく潜在していた筈の音声言語的能力開花の機会を逸してしまっている例が多く見られるのである。
約50時間経過後に、小さい声で発声と明確な意思表示が出て来る。ただ、この子の場合には、空間的な知覚能力が発達していたことが認められるのであり、思わず知らずであっても、そうした何らかの先行的に発達した能力を生かして対応したことになったことが功を奏したのかも知れない。