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ぐらぐら自転車について

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私が子供時代に乗っていた子供用自転車のことを述べます。
だいぶ自転車にも慣れて、遠出もするようになっていた頃のことです。
近所に鍛冶屋さんみたいな家があって、そこの工具などを使わせて貰っていました。ある日、油差しを見つけたので、自転車のあちこちにつけてしまいました。フレームに穴がありますが、そこにも注入してしまったのです。そうしたら、ハンドルがぐらぐらするようになり、まともに走れなくなってしまいました。
皆さんにも想像して貰えると思いますが、ハンドルぐらぐらの自転車では、運転法の如何にかかわらず、まともに走ることは不可能ですよね。
まだ体は小さかったのですが、大人用自転車に三角乗りという方法で乗るようになりました。そして、ぐらぐら自転車は、かなり大がかりな修理をしてから、近所の子供にあげてしまいました。

私は、人の場合でも、このぐらぐら自転車みたいになっている方がおられるのではないか、と思っております。何をどうしたいのか、どんな状態が望ましいのか、相手に何を求めているのかなどの点がそもそもはっきりせず、仮にあったとしても相互に矛盾し合うために、いずれも実現されるはずもなくなっているという停滞状態にあるわけです。よく挙げられるたとえに、蛇とカエルとナメクジの関係がありますね。三すくみという状態です。これが同一人物内で起こっている場合のことが想定できるでしょう。

人が何かを実現しようとすれば、それと引き替えに別の何かを犠牲にしなければならない場合が多いものです。出来るだけたくさんのことを同時進行で実現していければいいのですが、実際には、何かを始めれば、ほかのいろんなことが出来なくなります。そういう意味で、人生には賭の要素があるでしょうね。でも、そもそも賭をしなければ、何も始まらないし、進まないわけです。企業にしても、いつまでも机上の空論にとどまっているわけにはいきません。いつかは、何かを始めていかなければなりません。

そうは言っても、猪突猛進で見切り発車をしてしまうと、取り返しのつかない失敗をしてしまう場合もあるでしょう。ですから、事前に慎重に種々の要因を考量する必要はあるのです。しかし、そこに重きを置きすぎては、一歩も立ちゆかなくなってしまいます。むしろ、一旦は発車していても、誤りに気付いたら直ぐに軌道修正できる余裕が大切ではないでしょうか。軌道修正しつつも、大きな目標を最終的には達成するところにこそ、真の力が現れるような気がします。実際、順風漫歩で最終目的地にたどり着くという例はまれではないでしょうか。本来、自らを起動させ始める初発にこそ、大きな力がいるのですが、最終目標達成のためには、最初の計画の見事さよりも、常に軌道修正していけるゆとりとしての力がより大切であるように思われます。その力は、通常は、初発に必要な力よりも量的には劣るのですが、重要性の点では勝るとも劣らないでしょう。場合によっては、軌道修正の方が初発の起動よりも遥かに大きいエネルギーを要するかも知れません。それまでの失敗を修復し、新たに計画を立て直して再出発するという意味で、二重の手間がかかるからです。

軌道修正は後ろ向きの対応である、と捉えるべきではないでしょう。甲を目指していたのに、途中で軌道修正して乙に辿り着く場合、
むしろ乙を当初から目標としていたら失敗したはずの事例であり、甲を経由することによって初めて成功できたのだと考えるべきではないか、と思います。又、甲>乙と見なすのは、それぞれに携わったことのない部外者の勝手な思いこみに過ぎない場合が多いのであり、当人にとっては、当初は意識していなかったにせよ、甲<乙であるはずなのです。軌道修正はより高い目標を目指す積極的な対応であると捉えておくべきでしょう。当初は見過ごしていたより価値ある目標は、兎も角も出発しだしたことによってより闡明に見えてくる場合が多いのです。

ぐらぐら自転車になってしまっている方は、そもそもの初発のエネルギーが不足しているか、出発後の軌道修正のゆとりを当初から欠いているか、或いはその両方ではないか、と思います。上記を参考に大いに充電して頂きたいものです。

いろいろ悩んだり苦しんでいる子供さんの中にも、このぐらぐら自転車になっている方がおられるのではないか、と思います。窮境を脱出するために思い付く(或いは、人に提言して貰う)対策は、あちら立てればこちら立たずという関係で、結局は立ち往生するほかはなくなっている場合は多いでしょう。さしあたりは、そうした二律背反という関係にある対策をよく比較考量してみるべきでしょう。しかし、子供の場合は知識も経験も足りないし、そもそも考え方に未熟さが目立つでしょうから、とりあえず踏み出してみる方が良いのではないでしょうか。時間的には軌道修正の余地は幾らでもあります。
勇気を持って出発することですね。進行過程に於いて軌道修正のための力を養成することも出来ます。

尤も、自ら学業に勤しみ、自ら考え抜いていこうとする姿勢があれば、既にして自律可能なのですから、第三者が口を挟むべきではないとも言えるでしょう。しかし、学業も疎か、考えも矛盾を孕んだままでは、結局、影響力の強い者(マスコミ・流行・不良仲間など)による他律に走るか、無為に少年期を徒労するかしかなくなるでしょう。そうはならないためにも、しっかり対応されることを望みます。