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痛みについて

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心の痛みは勿論のこと、体の痛み・不調というものも、本人が感じるものであり、他人には分からないのが原則でしょう。だから、保護者や医者は、本人の訴えに基づいて対応すべきなのです。

ある藪医者が、ある疾病類型のことを話している時に、「痛くもないのに、痛いというのだ。」と言っているのを聞いたことがあります。神経系統を損傷されればそうなるであろうことは、素人にも察しがつきますが、それでも本人が痛みを感じていることは明白なのですから、痛みを軽減する対応が望まれるはずです。

血液検査を始めとする種々の検査を行っても異常がないから痛みはないはずだとするのは、医「学」の傲慢であると言うべきでしょう。現在の検査体制が、人体に関する全てを正確に反映しているとは言い切れないはずだからです。さもなければ、「医学の進歩」などは不要になってしまうでしょう。

医者は特に、生命の尊厳に関わっているのだという敬虔の気持ちを失ってはならないと思います。「不定愁訴」を決まり文句に、患者の訴えに耳を貸さない対応は、医学の進歩の停滞、或いは、後退を示唆しているようにさえ見受けられます。

本人が痛いから痛いのであり、本人が苦しいから苦しいのです。

数年前に、日大板橋病院で、「ペインクリニック」の看板を見たことがあります。その内実は不明ですが、患者本人の痛みや苦しみに真摯に対応し、その除去と原因究明にheuristicな姿勢で取り組んでくれるところであろうことを期待したいと思います。このように、患者の声に真摯に答えていこうとする試みは始まっているように見受けられます。そもそも医学の進歩とは、こうしたところから始められ、駆動付けられるのではなかったでしょうか。

「患者の権利宣言」などを看板に掲げていても、患者の声に耳を傾けようとさえしないところからは、進歩などは生まれ得ないでしょう。それをこそ羊頭狗肉と言うべきなのです。

心の痛みは、本来茫漠としており、本人にもなかなか整序しきれない面があると思います。体の痛みとは質的に違った側面が多いと思います。精神科医は、極めてpaternalisticに介入してくる場合が多いでしょうが、
患者とその苦しみを共感する姿勢が強く求められているでしょう。本人の極めてparanoidな言動であっても、それをオウム返しに繰り返してみる姿勢さえ必要ではないか、と思います。